2012年12月30日日曜日

光に歩む

[聖書]Ⅰヨハネ1526
讃美歌21]268,511
[交読詩編]70:2~6、
 
歳晩礼拝という言葉は、耳に聞きなれないものでしょう。目もまた、見慣れていないと言うかもしれません。私もPCを使っていて心配しました。転換できるだろうか。ところが、簡単に出来ました。法律関係の「裁判」の次にこの文字がありました。後は平仮名と片仮名だけです。一年の終わりをさす言葉です。教会暦を使うキリスト教会では、アドベントの前主日を終末主日とします。おそらくそうした主張があり、最近では使われなくなったのでしょう。私の青年時代、半世紀前のことですが、よく用いられていました。「年末」だけではなく、こうした言葉も場合によっては用いることが出来たほうが、多くのことが伝えられるのではないか、と感じます。新しい言葉、表現は増えています。その一方、古い言葉、古い表現が、使う人が少なくなり、用いられなくなり、棄てられようとしています。
使わなければ通用しなくなり、通用しないから使えなくなる、という悪循環に陥ります。
古い言葉を上手に使って、言葉の豊かさを取り戻しましょう。
 
世界中には、2000年近くに渉り、読み続けられている手紙があります。よくご承知の通り、聖書の中にあるさまざまな手紙です。類例のないことではありません。私は、そうたくさんの例を知りませんが、ユリウス・カエサルが、総司令官として元老院に宛てて書いた手紙があることは知っています。今では『ガリア戦記』と言う題の一書となって、よく知られています。欧米の学校では、ラテン語を学び始めるとすぐに、これを読まされるそうです。文法など全く知らないままで、古典を読むのです。これが欧米人の古典的教養の中核を作ります。
おそらく人間を作り上げる元にもなっていることでしょう。困難に対して、果敢に取り組み、乗り越え、超克し、新しい境地に到達する。こうした人間です。
 
『ガリア戦記』は、共和制ローマが、自国の平和を守るために北の国境を越えてガリア諸国を制圧する遠征の記録です。もちろん、中立公正なものは期待できません。あくまでも、カエサルの立場からの報告です。司令官カエサルが、自分は如何に優れた軍人であり、行政官であるか、元老院に印象付けようとします。ある時には、蛮族相手に敗北を喫しますが、相手を叩いてひるませ、夫々冬営地に戻った、と言うように記します。このような史実の隙間を突いたものが『ケルト人のガリア戦記』です。ケルト人とは、ガリア人を含む古代北ヨーロッパ人の総称のようです。言語、風俗、歌に特有のものがあります。南はスペイン、ポルトガルから欧州中部・北部全域に独自の文化を展開していました。その後、駆逐され、現代ではアイルランドの住民として残っているようです。ここでは、カエサルが書いたことを検証して、その陰に押し込められてしまった真実は何だったか、明らかにしようとしています。
54年版讃美歌444
『世のはじめ さながらに 朝日てり 鳥歌う み言葉に 湧きいずる きよきさま つきせじ』は、オールド ガエリック メロディを編曲、となっています。いつか、ご一緒に歌いたいものです。
ケルティック・ウーマンという名のコーラスグループも、同じケルト、ガリアの女性たちの鯖らしい歌を聞かせてくれます。スカボロフェアー、ユーレイズミーアップ。エンヤ、セリーヌ・ディオン、サラ・ブライトマン、戦前の名テナー、マコーマックもアイルランド出身です。
 
読まれるほどのものを書こうとしたら、かなり、よく物事を知らねばなりません。
ヨハネの手紙を書いた人にしても同じでしょう。この手紙の筆者は、キリストの教えの本質と言うべき愛について書いています。大変難しい主題ですが、主が私たちのために命を捨ててくださったことが愛である、私たちも互いに愛し合いましょう、と書きました。
 
 手紙を書くとき必要なことは、相手と同じ土俵に立つことです。普通の場合、相手を知り、そのときの状況も知っています。書くべきこと、伝え方も決まっているようなものです。しかし聖書の中の手紙は、例外はありますが、多くは、ある地域のクリスチャン全体に向けて書かれています。不特定多数の人に読んで貰おう、と言うわけです。一人一人が異なった生活をしており、異なった問題を抱いています。同じ土俵を見つけることは難しいでしょう。この場合には、相手との共通の関心事などを土俵とするのが有効です。
 
ヨハネは、神は光である、と書きました。新約の時代、ヨーロッパからアジアにかけて、ミトラ教や、ゾロアスター教が流行しました。いずれも光を祀る、または象徴とする宗教です。一般的には、光を祀る宗教が受け容れられる時代は、混乱と暗黒が支配的になる時です。混乱に秩序である光が差し込む。恐るべき暗黒に光が射して望みとなる。
ヨハネの時代は、明確ではありませんが、紀元1世紀後半と次の世紀の始めごろまで、と考えれば、大きく外れはしないでしょう。ローマ帝国が自国の安寧を保持するために、軍制改革を行い常備軍を増やし、国境線を外へ押し出してきました。いわゆる『パックスロマーナ』ローマの平和の実態です。世界が平和であった時代、と考えやすいのですが、ローマ帝国の安全のために、その支配を受け入れ、反抗しなくなることでした。
一国の平和が、他国にとっての不安であり、圧迫に過ぎない、ということは良く見られることです。ある民族にとっての秩序が、他の民族にとっては混乱に過ぎない、光と見られるものが闇でしかない、ということです。
そのように考えれば、ヨハネなど手紙の執筆者が光を土俵にしてコミュニケーションを繰り広げようとする理由が分かります。共通の関心事だったのです。
 
「私たちが、神との交わりを持っていると言いながら。闇の中を歩むなら、それは嘘をついているのであり、真理を行ってはいません。」
 
光に歩む、と言いながら、それが一人よがりになっていませんか。と問われます。
もしそうであれば、光ではなく闇をもたらしていることになります。
ヨハネは、神は光であり、神には闇がない、と語ります。神の本質が光であること、この本質に属するものは、神と同様闇であることは出来なくなることを表現します。
 
光である神と、私たちとの関係に関する優れた考察は、エフェソ5620に残されています。筆者は「以前は、闇であったが、今は光となっている。光の子らしく歩みなさい。」8節、これはヨハネ書とよく似ています。ヨハネ福音書1章にもあるように、『闇は光に勝たなかった』を共通の基盤としています。次が、大変興味をもつ9節です。
「光はあらゆる善意と正義と真実との実を結ぶものである。」ここには光がもつ特別な能力が示されています。光は良い結実をなさしめる力を持つことが語られます。
 
 22日だったかと思います。幼稚園クリスマス礼拝のページェントを見て楽しみ、お話をしてから、夕刻、北広島の植木村へ行きました。高山植物、山野草の専門店岩崎園芸が目当て。実はひと月以上前に、そろそろ福寿草が出ているだろう、と思って行って見ました。まだでした。年末になれば、ということで、その代わりに、コマクサ、イワシャジンを買いました。今回は、三本立て一鉢で出ていました。北海道では2月ごろ花がつきます、ということでした。関東では、お正月の縁起物です。三鉢お願いして持って帰り、日当たりの良い所に置き、日夜見ていました。29日朝、ついに二つの花芽が開きました。やったー、と大喜び。
光は、あらゆる良いものを結実させます。その力があります。ヨハネの手紙、エフェソの手紙、夫々の筆者は、こうした光の性質をよく知っていたようです。更に、光のことは、手紙の受取人たちにもよく知られている、と確信があったのでしょう。
 
13節「光にさらされると・・・すべてのものは光となる。」
明るい光を当てると、薄暗い時には見えなかった片隅の埃も目に付きます。この光は、キリストであることが、次節で示されます。
601「起きよ、光を放て。あなたを照らす光は昇り、主の栄光はあなたの上に輝く。
見よ、闇は地を覆い、暗黒が国々を包んでいる。
しかし、あなたの上には主が輝き出で、主の栄光があなたの上に現れる。」
イザヤ52260135258810、などからの引用です。
 
主イエスの降誕は、朝日が昇ることにも似ています。始めは陰ばかりが目に付きますが、やがて全面が光に満たされ、明るく光り輝きます。まるで一つ一つが光源であるかのように、光そのものとなります。
 
 しかし、まことの光は、主イエス・キリストだけです。ご自身が光り輝きます。私たちが輝くのは、この主なるお方の光を正しく反射する時だけです。この方を正しく主なる神として崇めるなら、栄光が輝き、その光を反射するでしょう。
しかし、私たちが、さまざまな場面で、自らを主と見せようとしたり、自分の業績を誇ったりしようとするなら、主はお隠れになられ、私たちも光になることが出来ません。
あくまでも、主キリストの光を反映・反射して、私たちは光ることができます。
感謝して祈りましょう。

2012年12月16日日曜日

祝福された女

[聖書]ルカ福音書1520、創世17921
[讃美歌21]252,248,265,78
[交読詩編]113:1~9、
 
3本目のローソクに火が灯りました。1本より2本、2本より3本、次第に明るくなります。こうしたアドベントクランツの習慣は、この闇の世界に、まことの光である主イエスが到来するのを待ち望むことを指し示します。遠くから点火して、次第に近くにする、と言う方もあり、そんなことは構わない、と言う方もあります。置き方によっては2番、3番は同じになります。順番にこだわるなら、置き方にもこだわることになります。
私たちは、まことの光、闇の余に輝く御子イエスの到来を待望する、と言うことをしっかり覚えてこの習慣を守りましょう。
 
ルカ福音書、使徒言行録とは、前後編の関係にある。主イエスの生涯と、その弟子たちによるイエスの教えの伝達、宣教の物語。
特徴は、全ての人間に対する普遍・公同の教えを強調すること
とりわけサマリヤ人に対する暖かさ(善きサマリヤ人の譬、戻ってきて感謝した皮膚病の男はサマリヤ人だったこと)、貧しい人たちへの優しさ(八福の教え、愚かな金持ち、金持ちと貧乏人のラザロの譬)、社会的に疎外されている人々、失われている人々への招き。
簡潔にいえば、ルカは、愛の福音の伝達者である。彼はユダヤ人の間では奴隷階級にされるギリシャ人。(コロサイ414、フィレモン24、Ⅱテモテ411)。
 
 ルカは、言行録169に登場するマケドニア人(ギリシャの北、フィリポを首都とする)で、以来、パウロに同行し、言行録を一人称(私、あるいは私たち)で描いている。パウロの主治医としても活躍。その医師としての視点は有益である。
 
 この第1章冒頭の部分、1~4節は、序文ではあり、献呈の辞でありますが、大事なことを含んでいます。ある学者(レングスドルフ)は、「序文においては、一つ一つのすべてが大事である」と述べておりますので、当然のことなのでしょう。
「多くの人々が手をつけている」のは、どのようなことでしょうか。当時、既に多くのイエス伝が作られていたことを告げているようです。十字架で死に、三日目に甦ったイエスのことを知りたい、教えて欲しい、と言う人が多いので、そのことを知るほどの人が語り、伝え、書き留める人が続出している、と言う状況だったようです。よく知らないで申しわけありませんが、ペトロやトマス、その他の名をつけられた福音書が存在しているようです。十二使徒の名をつければ、すべて成立するでしょう。現実には、四福音書以外のものは、神話的であり、伝説を集めたものに過ぎない、などの理由で、聖書には入れられませんでした。
 しかしルカは、その状況に満足できなかったようです。自らが知り得たことを、世に送り出したくなりました。私たちにとっては、大変幸いなことになりました。四福音書と呼ばれるようになる、この福音書を獲得できたのですから。優れた個性を持ち、ルカ独自の視点から観て、描いていることを高く評価されています。
 
 「敬愛するテオフィロさま」は、当時のローマ帝国の総督の一人の名、と考えられています。しかし、歴史上の人物と同定することには成功していません。
テオピロの名には、『神を愛する』の意味ですが、クラティステという単語が付いています。
この原型、クラティストスは、最も力強い、最強力な、最も優れた、最も高貴な、と言う意味であり、クラティステは尊称として用いられ『閣下』と訳されるのが普通です。
フランシスコ会版「尊敬するテオフィロさま」
 
ユダヤの王ヘロデの治世、始めをどこに置くかは、判断が難しい。終わりの時は明確である。紀元前4年。ここに記されることは、それ以前のことである、と分かります。
 
ザカリヤという名の祭司とその妻エリサベト。
ザカリヤは、当然アロンの血筋を受け継ぐ者。祭司はユダヤの娘との結婚を要件とされた。
なかんずく、アロンの血筋であれば、最上の理想とされる。彼は良い結婚をしています。
ザカリヤとエリサベトは、イエスの父ヨセフ同様、「正しい者」と呼ばれ、それが彼らの生活全体の根底をなしている。正しさ(義)と『善さ』とは互いに分離されない。
 
アロン系の祭司は、この時代2万人ほどいたようです。それを24の祭司団、祭司組に分け、くじで年二回程度任務に付かせます。歴代上241以下。
夫々が4から9の祭司族を含んでいます。夫々の祭司組が1週間神殿での務めを受け持ち、かつひとつの祭司族が一日の仕事を分け持つことになっていました。
歴代上2410によれば、アビヤの組の祭司団は八番目であった。
 
祭司ザカリヤは、くじによって、香をたく担当となった。しばしば大祭司自身が捧げる香りの供え物を神殿の奥にある金製の香壇へ運ぶ勤め、そして祝福の祈りを捧げることになっており、祭司たちの間で熱望された仕事でした。
 
エリサベツの不妊と同種の物語を、旧約聖書に見ることが出来ます。創世17161821(イサクの誕生)、3023(ラケル、ヨセフを与えられる)とサムエル記上1章(エルカナと妻ハンナ、サムエルの誕生)、そしてそれが如何に恥辱的なことであるかを示しています(イザヤ41)。
「その日、七人の女が一人の男にすがって、『私たちは自分のパンを食べ、自分の着物を着ます。ただ、あなたの名によって呼ばれることを許して、私たちの恥を取り除いてください』と言う。」
 
子なき女は恥を蒙る。妻のいない祭司、子のいない祭司は除籍される。
たくさんの子どもがいることは神の祝福の見える印であった。逆に子どもがいないことは、神の祝福がないことであり、呪いであった。不幸であり、罰とさえ考えられた。イザヤ41、サム上15以下。
 
 今回、ザカリヤは、祭司職の皆が熱望する任務に就くことが出来ました。ザカリヤの心には不安がありました。子どものいない者は、祭司職を続けることは許されない。これまでは、来年こそは、と言い続けて、許されてきたが、もう今年限りで除籍されるのではないか。その花道として、主が、憧れの任務に就けてくださったのではないだろうか。
胸中に喜びと、不安を抱えて、ザカリヤは、聖所の香壇前に進みました。
 
 神の言葉が、神殿で与えられる。神の救いはたまたまやって来るのではありません。それは、全身全霊をもって神に仕える者のもとにやって来るのです。
 
「恐れることはない」。神の顕現に対する人間の正しい反応は、不可解への驚きと、神の荘厳に対する恐れであろう。先ずこの恐れを取り除くことが必要です。クリスマスの中では、何回か、み使いが登場します。そしてそのたびごとに、丁寧に「恐れるな」、「恐れる必要はない」と語りかけられます。私たちにも、たいそう嬉しい言葉なのです。
 
そして、主なる神からのメッセージが伝えられます。
その第一は、老齢となり、諦めの境地に入った祭司夫妻に、なんと子供が与えられる、と言うことです。これはかつてアブラハムとサラ、エルカナとハンナなどにも与えられた驚きであり、更に喜びでした。
そして第二のメッセージがあります。産まれてくる子供に名前をつける権利は、本来父親ザカリヤにあります。神はその権利が御自分にあるとされます。その子を守り、支え、導く絶対的な権利に結びつきます。この男の子は、神の計画された務めを果たすものである、と知られます。
その名はヨハネ、『神は恵み深くありたもう』という意味です。
族長アブラハムの時代以来、顕されてきた神の恵みを、今、誕生を予言された男の子は全存在を通して告げ知らせます。恥辱に苦しみ、嘲笑を忍んできた女たちが、如何に神の恵みに与ることができたか、その存在によって知らせることが出来ます。
 
ヨハネの誕生、旧約は、同様の奇跡を書き連ねてきました。
イサク(創世記1818以下)、サムソン(士師記131以下)、サムエル(サムエル記上11以下)
 
ヨハネは、その血筋からすれば、完璧な祭司系の人です。祭司でありながら、預言者となるよう召されます。神の召命は、血筋によらず、思いによらず、ただ神の自由な意志に基づきます。その計画に従って、生きかつ死ぬことになります。人は、本来誰でも自分の思い通りではなく、神の計画によって進みます。み旨であれば、あれもしようこれもしよう、と考えるものです。能力の高い人は、自分の意志を優先させがちです。
福音を予言するヨハネは、自らの誕生において福音を受け取り、生きてきた人です。
 
さて祭司ザカリヤは、当然のように、み使いの言葉に疑いを挟みます。夫婦共に老齢の身となっている、どうして子供が産まれようか、と。その結果、子供が産まれるその日まで、彼は話すことが出来なくなります。民衆は、ザカリヤが話せないことことによって、彼が「幻を見たのだ」と知ります。神の恵みの出来事は、話すことによらず、沈黙によっても伝えることが出来るようです。話し上手だけではない、全く話すことが出来ない人にも、慰めと希望を与える出来事です。
 
ルカは、屈辱、嘲笑の中にいる人を通して、弱い立場の人、苦しんでいる人たちに神の福音を語ります。祝福から外れている、と信じそうになっている女たちに、祝福があることを語りました。やがて、この女たちにマリアが加えられます。
まず彼らの恥をすすぎ、喜びと讃美を引き出されます。しかしその終わりは、苦しみと哀しみでした。人間的な幸福を達成するものではありませんでした。そうであってもそれは、神の御旨に適う生涯である故に、祝福されていたのです。
彼女たちは、悲苦の中にあって、神の主権を証し、その福音を告げました。
福音を語る人は、自らが先ず福音を聞き、味わい、感謝と讃美に溢れています。

2012年12月9日日曜日

その日が来れば

[聖書]Ⅰコリント12631
[讃美歌21]252,241,432
[交読詩編]96:1~13
 
説教のスタイルには、さまざまなものがあります。私などは、数十年続けても、定まりません。本日は少しそれを変えて、待降節の意味を考えてみようと願いました。
 
キリスト教会は、その長い歴史の中で多くのものを生み出して来ました。
その中でも教会暦は、大変大きな意味を持つものです。
信仰生活の中に、初めと終わりを与えます。生活にメリハリが生まれます。
それは、私たちが生きているこの世界の主が父なる神である、ことを指し示します。
時間の主こそ歴史の主であることが明らかにされます。
御子である、主イエスの生涯を偲び、学ぶことが出来ます。
 
日本基督教団の聖書日課表では、次のようになっています。
待降節第一主日は、《主の来臨の希望》イザヤ215、ローマ13814、マタイ243644
詩編24110
待降節第二主日、《旧約における神の言》イザヤ591220、ローマ162527、マタイ135358、詩編96113
待降節第三主日、《先駆者》士師記13214、フィリピ449、マタイ11219
詩編11319
待降節第四主日、クリスマス礼拝になることが多い。《告知》イザヤ71014、黙示録1119126、マタイ11823、詩編46212
そして1225日・降誕日《キリストの降誕》
 
教会暦の中で、待降節の意味はどこにあるのでしょうか。
降誕は、歴史的な、時間の中への神の子の誕生です。まさに神が、歴史という時間の中に介入されたことを意味します。何故、介入されたのでしょうか?
神の創造の計画は、決定的に破壊されました。
人は、神と交わり、神を讃美するために造られました。詩編10210
 これは、創世記の記述と同様に、この眼がそれを見た、と言っているのではなく、今の時代を見るとき、このように言わざるを獲ない、と言う信仰の告白です。おそらく紀元前500年前後、バビロン捕囚とエルサレム帰還後の状況に対する、聖書記者、詩人の信仰告白です。
被造物の傲慢さは、人間を礼拝する所まで極まった。
 
さまざまな機会に、いろいろな形で警告した。預言者の言葉は、聞かれなかった。
いまや、全く新しい契約を結ばねばならない。
その時が来る、すぐそこまで来ている。その時を迎える備えの時期がアドベント。
 
1954年版讃美歌は、今に至るまで永く愛用されています。
97年に讃美歌21が発行されました。多くの学校、教会が、それを受け容れることをせず、旧讃美歌だ、古い、と言われながらも54年版を使用しています。とりわけ学校は、54年版には、学校の祝祭に使用するためのものがない、と批判を繰り返してきたにもかかわらず、これを採用することなく、拒否しています。こういう状況は、誰も語らないので、なかなか知ることもないでしょう。
 
54年版の518番、ヴァン アルスタイン作詞(ファニー クロスビー)、ご紹介。
1 いのちのきずなの 絶たるる日はあらん、
そのとききたらば  みくににのぼりて、
(おりかえし)
したしくわが主に  告げまつらまほし
『すくいをうけしは みめぐみなりき』と。
 
2 地にある幕屋の くちゆく日はあらん、
そのとききたらば  わが家にかえりて、
 
3 ともしびともして つつしみ待たばや、
   主かどにきたらば  よろこびむかえて、
 
この第3節は、十人の乙女の譬話に基づきます(マタイ25113)。一般に、再臨信仰に関する譬、として理解されます。大阪女学院に、卒業生が描いたこの情景画がありました。
なかなか立派なもので、もっと知られても良いのではないか、と感じました。
 
FJ.クロスビーは、18203月、ニューヨーク州アトナムに生まれた。生後6週間目にして、視力が失われた。彼女はいつも明るい精神を保ち、独自な生活を切り開いていった。彼女の9歳の時の詩が残されている。
「わたしはなんと幸福な人間でしょう。
わたしは見ることは出来ないけれども、
この世において不満を持ったりは 決してしないと思い定めています。
他の人々の受け得ない祝福を なんと豊かに受けていることでしょう。
盲目だからと言って泣くようなことは わたしには出来ず、決してしないでしょう。」
 
やがて、ニューヨーク州立盲学校に学び、卒業と同時に母校の教師となる。
1851年、30番街メソジスト監督教会の会員となる。58年、同僚のアレキサンダー・ヴァン・アルスタインと結婚、ヴァン・アルスタイン夫人となる。1915年、天寿を全うする。この間8000編に上る聖歌を作る。内3000編以上は日曜学校用に作られた。
 ファニー・クロスビーが作った詩の多くは、ムーディが主宰し、アイラ・サンキーが音楽を担当した伝道集会で用いられた。大会衆によって謳われ、成果を挙げた。
九十九の羊(Ⅱ183)は、クレファンの詩にサンキーが曲をつけたもの。クレファンは、「十字架のもとに」(新300、旧262)を書いている。
 
54年讃美歌は、ドイツ・コラールの流れと英国から米国に渡った讃美歌の流れが中心のようですが、もうひとつの流れがあります。それは19世紀英米のリヴァイバル運動の伝道活動から生まれた讃美歌です。
この第三部分は、日本の教会音楽家の大部分から白眼視されています。そのため讃美歌21では、その数を減らされました。そして、各教派が各自の讃美歌集を発行するようになり、かねてより企画のあった聖書の刊行(新改訳、契約、等)にも影響を与えました。教団出版局は自己責任としても、聖書協会には申し訳ないことです。
説教者ムーディ、音楽家サンキーなどがその主要な活動家。その伝道用讃美歌は『福音唱歌』ゴスペルソング、と呼ばれました。福音を簡潔な言葉で謳い、同じ言葉を繰り返し歌うように工夫されました。大衆が歌う讃美歌、運動用のもの、情緒的である、として教会音楽家の間では、低い評価しか与えられませんでした。今の新しい讃美歌21では、かなり追放されました。奇跡的に残されたものは、474わが身の望みは、461み恵みゆたけき、522キリストにはかえられません、まだまだあるでしょう。
 
私たちに深い影響を与え、つい口ずさむような歌を忘れずに、謳い続けてはいけないのでしょうか。厚別教会は、讃美歌21への移行を決定されました。長い時間がたっています。
平行して、古い讃美歌を歌うことは許されるでしょうか。プリントを造ってでも、ご一緒に謳いたい、と私は考え、願っています。
 
518の原詩訳  Some day the silver cord will break   12節のみ)竹内信訳
いつの日にか白銀の紐が切れるとき  わたしはもはや今のようには歌わない
しかし、王なる神の宮殿のうちに  目覚めた時の喜びはどんなでしょう
そのとき顔と顔と合わせて神を見  恵みによって救われたわが身の物語を致しましょう
 
いつの日にか地上の家は倒れるでしょう  それがいつのことか私は知りません
しかし、知っていることは、すべてのすべてなる神が
天上にわたしの場所を備えていて下さることです
いつの日にか黄金色に輝く太陽が  バラ色に染められた西空に褪せゆくとき
恵みの主は「よくやった」と言われて   わたしは休息に入るでしょう
 
コリント教会への手紙は、異邦人の使徒、異邦人伝道のチャンピオンと呼ばれたパウロが書いたものです。商業で知られたギリシャの都市、東のエーゲ海と西にアドリア海を結ぶ地峡を扼する町、大変繁栄していました。その名を挙げられているガリオンは、ストア派の哲学者セネカの兄で、彼が紀元5152年にこの地の総督であったことは、碑文によって確認されています。パウロは、ここで1年半または2年半の間伝道したようです。
パウロが、コリントのエーゲ海を挟んだ対岸エフェソにいたとき、この手紙を書いたようです。結婚問題、供え物の肉のこと、主の晩餐に関すること、エルサレム教会のための募金に関して、その他多くの問題について答えようとしています。
 
知恵・知識、この世の地位を重んじるコリントの人々に対し、神は無学・無力な者、取るに足りない者たちを選び、招かれた、と語ります。「それは誰一人、神の前で誇ることがないようにするためです。」129
 
私たち自身、まことに取るに足りないものであり、無知・無力だからこそ神により招かれたことを知る時です。私たちは、そうしたことを恥ずかしいことのように考えてはいないでしょうか。自分が如何に知恵や力に富んでいるか、示そうとしてはいないでしょうか。
父なる神は、世の愚かな者、低い者を救うために、御独り子をこの地上の最も卑しい所に下されました。この御子イエスの降誕を待ち望むのがアドベントです。
 
本日の聖書と説教題がどこから来たのか、自分では分からなくなっています。いい加減に選んだはずはありません。直感的なものだったのでしょう。またその連想によって、決められた、と思います。
キリスト降誕を待つ、招かれる時が来る、その時を待つ、こうした連想、脈絡の中で讃美歌518番が浮かびました。「その時来たらば」、これは、私たちが御国へ招かれる時でもあります。中世の修道院では、「メメント・モリ」とその壁に書かれているそうです。「汝、死すべきを覚えよ」。人はみな、死に向かって生きています。日常坐臥の間、常に死すべきことを憶えよと言うわけです。東日本大震災や笹子トンネル事故を経験すれば、なるほどと納得するでしょう。ヴァン・アルスタイン夫人は、死の時は御国へ旅立つ時、主にお目にかかる時、との信仰でした。
 
待降節は、御子イエスの御降誕を待ち望む時である、と同時にこのように多くの事柄に関わる信仰の意味を明らかにするものです。
主イエスは、時間の主、歴史の主であり、世界の主、生と死を定める命の主、これらのことを覚えるときがアドベントです。
 

2012年12月2日日曜日

恵みの良い管理者

[聖書]Ⅰペトロ4711
[讃美歌21]252,204,520、
[交読詩編]24:1~10、
 
教会暦では、新年に当たる。諸教派、諸教会ではアドベント第1主日。
教団だけが、降誕前第4主日などと呼んでいる。
 
122日からアドベントに入る。アドベント・待降節第一主日。24日まで。
1125日は収穫感謝日。終末主日。翌週は、教会暦の新年・アドベント。
御子イエスの御降誕日の前、4回の主日を聖別して、待望の時とする。これがアドベント。
日本基督教団は、いつのころからか、おかしなことを始めた。
三位一体節に代わって「聖霊降臨節」と呼び始め、降誕前の九主日を「降誕前節」とした。
 
今年の場合、
527日 聖霊降臨節第1、(聖霊降臨主日)、ペンテコステ
63日 聖霊降臨節第2、(三位一体主日)
1021日 聖霊降臨節第22主日(三位一体節第21主日)
1028日 降誕前第9主日(三位一体節第22主日)
1125日 降誕前第5主日(三位一体節第26主日、収穫感謝日、終末主日)
122日 降誕前第4主日(待降節第1主日)、アドベント(教会暦の新年)
1223日 降誕前第1主日(待降節第4主日)
1225日 降誕日・クリスマス
 
諸教会との一致を進める時代、と考える。それは考慮する必要はないのか。
教会の伝統をどのように理解するのだろうか。
教会暦が、アドベントを新年としたものが、不明になってしまう。
降誕前第9主日をもって、新しい歳のはじめとするのだろうか?
 
 
As good stewards of the manifold grace of God,AV
どうしたわけか、ネストレー版ギリシャ語聖書が見つかりません。
旧版も見えない。希英対訳版だけが頼り。久しぶりに引っ張り出しています。
 
青年の頃、母教会で『スチュワードシップ』を主題とした教会修養会があったことを思い出します。意図は判るけれど、意義がわからず、どこか腑に落ちず、醒めていました。
今考えると、あの時は、教会管理、組織管理・運営に重点を置いて、受け取っていたのだ、と思います。少なくとも私の中に残ったものは、そのような感覚でした。
 
 改めて、このところを読んでみると、教会よりも、個人の信仰者に与えられている神の恵みを管理することに重点があります。あることが判ります。
 
7節、「思慮深さ」テトス212、「冷静さ」11358、特に祈りにおいて示される。
熱狂的興奮、刹那的陶酔
 
8節、教会は、兄弟愛を行う。
「愛は多くの罪を覆う」、箴言1012を引用している。覆い隠すことが語られる。
愛は、自分の罪の贖いに寄与すると言うのではなく、前後関係からわかるように、兄弟の過失に対して寛容であり(マタイ57、ルカ747、ヤコブ213)、自分に対する罪過を許す、ということである。
愛は、相手をそのままで認め、受け容れます。愛している時は、あれも出来ない、これもできない、それでも可愛いと感じる。親の愛には、そうした部分が多く見られます。恋人たちが分かれる頃には、愛が冷えています。嫌気がさしてきます。あれもこれも皆認められなくなって来ます。「あばたもえくぼ」でもなく、盲目になることでもなく、相手を全人格的に受け容れる愛が語られています。
 
 私たちの周囲には、さまざまな人がいます。立派な学歴で、業績を上げ、財産を持ち、正しい家族関係を誇ることの出来る人々。他方、何も誇るものをもたず、孤独をかみ締め、しかも他の人々のお世話を良くする人々。ここでは、類型的に分けてみましたが、実際は、こんな風に分けることは難しいでしょう。あれやこれやが入り混じり、分かちがたくなっています。そうであっても、私たちが、安心することが出来、心を開くことの出来る人は、どのような人でしょうか。何も誇るものがなくても、自分の弱さを知り、その故に他の人の弱さが判る人、こんな人に心惹かれ、求めるのではないでしょうか。
 
 パウロは、Ⅰコリント811で語ります。
「そうなると、あなたの知識によって、弱い人が滅びてしまいます。その兄弟のためにもキリストが死んでくださったのです。」
これは、偶像に供えられた肉に関する箇所です。偶像などいないのだから、その偶像に供えられた、と言う事実が存在しない。従って、肉屋で売られている供え物だったと言う肉を食べることに問題は存在しない。このように考えることが出来るのは強い人。知識のある人。しかし世の中には、そのように考えることが出来ない人たち、弱い人もいる。
弱い人たちのために、強い者は、自分の考えを引っ込めることもするのです。
教会は、おおよそこのように考え、行動してきました。強い人たちは、神様から多くの賜物を頂いています。それを正しく用いるように、管理しましょう。自分の正しさを貫くのではありません。正しさを証明することは神様に委ねて良いのです。弱い人を守ることが優先されるのです。
 
 9節、「もてなし合いなさい」、この時代の旅の習慣がありました。
旅する商人の慣わしは、ヤコブ413以下に記され、戒められている。
「よく聞きなさい。『今日か、明日、これこれの町へ行って一年間滞在し、商売をして金儲けをしよう』、と言う人たち、あなたがたには自分の命がどうなるか、明日のことは分からないのです。・・・やがて消えて行く霧に過ぎません。・・・」
 
 旅人の中には、主イエスの弟子たちもいました。伝道者、教師もいます。ここに、成りすましがいました。
 
 こうした旅する商人の中には、信者に成りすまし、もてなしを求める者もあり、大きな問題になりました。信者の多くは、貧しい生活でした。度重なる訪問は、重圧となり、負担しきれないほどにもなったようです。そうであっても、兄弟愛を実践する機会を減少させないように、と教えます。不平を漏らすこと自体が、既に兄弟愛に対する違反でした。だから呟かずに、と勧められます。
教会は、使徒たちの名によって教えを発表します。《ディダケー》。そこでは、宿泊を求める者たちに、連泊を禁じました。寡婦たちの家を食い物にしないように、配慮したのです。
 パウロもフィリピ214で勧めます。「何事も、不平や理屈を言わずに行いなさい。」
彼は、そうすることが、自分の救いの達成に努めることだ、と言うのです。
口語訳『すべてのこと、呟かず、疑わないでしなさい。』
 
 10節、「恵みの管理者」、神からの賜物は、人それぞれによって違います。
違う賜物だからこそ、それらを合わせて、教会の必要を満たすことが出来ます。多様であることが豊かさを導き出します。恵みは、各人の上に賜物となって現れています。
何もない、と言ったら、お与えくださったかたに大変失礼になります。誰もが受けています。恵みの贈り物は届いていないのでしょうか、とすれば、配達人が着服したか、と疑われることになります。恵みの贈り物は、そのようには考えられないかもしれません。そうであっても、賜物です。早く見つけて、感謝したいですね。
 
パウロは、エフェソ41116で、多様性について書きました。356ページ
「そして、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧師、教師とされたのです。・・・愛に根ざして真理を語り・・・おのおのの部分は分に応じて働いて体を成長させ、自ら愛によって造り上げられてゆくのです。」
 
 違う賜物を、互いに協力するように差配するのが管理する者です。
管理、物の出入り、使用を統制すること。財政なら、古来『入るを計り、出るを制す』と言われた。教育でも、そのカリキュラムを立て、実施を計画、そのための方法を探る。
国の政治に関しては、『治山治水』こそ、なすべきこと、と考えられました。
英国の政治家は、『貧しい者、力のない弱い者が、正直に生活できるようにすることが政治である』と考えた。庶民の平和と幸福。
藤林益三さん、元最高裁長官、弁護士出身、最高裁判事、事務総長を経て
「すべての人は幸福を求めて生きています。不幸になりたい人は一人もいません。」
塚本虎二の弟子、無教会派のクリスチャン。京都府出身、三高(山城)、東大、弁護士、
津市地鎮祭訴訟判決で、長文の反対意見を書かれた。
 
Ⅰコリント412、「こういうわけですから、人は私たちをキリストに仕える者、神の秘められた計画を委ねられた管理者と考えるべきです。この場合、管理者に要求されるのは忠実であることです。」
神の恵みの管理人は、神の御意志を示して、その実現のため、忠実に励みます。
 
 ペトロは、それを二つの分野で、具体化します。み言葉の宣教と奉仕です。初期の教会では、この二つしか考えられなかったのです、と書く学者がいます。エフェソ4章を見ると、既にかなりの職責があります。またローマ社会は、組織化されていました。教会も、もっと組織化されていたことでしょう。その代表格を挙げて、全体を考えるようにしたものでしょう。
 
 語る者は、それに相応しく、とありますが、どのようなことでしょうか。内容に相応しい語り方、そして人間としてのありよう、と言うことです。内容は福音です。更に、キリストとの出会いが起こるように語ります。それらに相応しいことが求められます。それは牧師らしさ、と同じでしょうか。例えば、いつもネクタイを締めているようなこと。
そんなものがなくても、どこか違う、と見えることを求め、自分に課しています。
 
 奉仕をする人は、与えられた力に応じて、奉仕する。それを超えることは求められていません。人間的な力は求められていません。賜物に応じた奉仕の業が大事です。背伸びすら不要です。あの人と同じ奉仕をしたい、と願うこともあるでしょう。そのために必要な力が、知恵が、与えられるよう祈ることが先行するはずです。
忠実な良い管理者は、与えられた賜物に感謝するならば、よく働くことが出来ます。感謝の心がない時、管理のための管理になり、収容所の管理官のようになります。
賜物を見出し、感謝し、喜び、協力できるよう管理しましょう。