2013年1月27日日曜日

平和があるように

[聖書]Ⅰペトロ5814
[讃美歌21];544,289,504、
[交読詩編]119916
 
ペトロの手紙も最後の部分になりました。概説部分をもう一度考えます。
誰が書いたか、という問題です。
 
伝統的な考えは、十二使徒の一人、筆頭格、後に初代ローマ教皇とみなされたペトロによるもの、とします。この考えの底には、異教徒の大使徒と呼ばれる伝道者パウロへの対抗意識があるように感じられます。パウロはたくさんの手紙を残しました。現在に至るまで、多くのキリスト教徒の信仰と生活を導き、支えてきました。一方、早い時期からローマ教会の指導者と目されてきたペトロには、文書がなく、教会、信徒を指導する原理が分からない、という状況があったと推測されます。第二、第三世代の指導者たちは、ペトロの名による原理を、文書の形で残す必要を感じたものでしょう。
 
もうひとつの考えは、パウロの文書に対抗できる文書を作る必要があった、という推測です。その証拠を使徒言行録に見出そうとします。この文書は、その中で、ペトロとパウロの間に、微妙なバランスを生み出そうとしていることが知られています。説教の回数、その分量、奇跡の回数とその質、などです。重要なことにおいて、教皇ペトロが決してパウロに劣ることがない様に見せる。これが後世の聖書編集者の意図だったようです。
 
書かれた時期は、伝統的には、紀元64年、皇帝ネロの名で知られるローマの大火と最初のキリスト教徒への迫害。ペトロは、このとき殉教しているので、それ以前に書かれたもの、という考えです。
 
それに対して、後の人たちが、ペトロの名を借りて書いたものとするなら、おそらく紀元70年まで、と考えます。この年、帝国の東の辺境レバンテ地方パレスティナでは、ユダヤ人の反乱があり、将軍ティトゥス・フラヴィウスが司令官として鎮圧に向かいます。間もなく彼は、ネロ皇帝の後継者に選ばれ、ローマに向かいます。エルサレム攻略の総司令官には、息子のティトウスを任じました。これまで共に軍団の指揮をとってきた最適任者です。父子で練り上げた戦略を生かし、見事エルサレムと最後の要塞マサダを陥落させます。ユダヤ人の生き残りは、奴隷にしたもの以外は、追放です。
 
これは、ペトロたちユダヤ人にとっては大事件です。エルサレム崩壊に関する態度・考えを語るはずです。何も触れられていないので、この手紙は、それ以前に書かれたものと考えられます。
 
こうしたことを踏まえながら、おおよそ伝統に従う形で、書いた人の名をペトロとしてきました。時間的にも僅か56年から10年の差です。
 
どちらでも良いことかもしれません。それでも、これらのことが意味を持っている、と考えています。紀元60年から70年にかけての時代、ローマ帝国は、カエサル家の者たちが、帝位を継承して来ました。しかし、それもこの時代までであり、ネロの死後は、有力な将軍が、その支配下に置いた軍団の力によって帝位に就くようになりました。
 
アウグストウス帝6327BC、~14AD  (ネロまで五代、ユリウス朝)
ティベリウス帝AD1437、カリグラ帝3741
クラウディゥス帝4154
ネロ帝375468、  (簒奪者)ガルバ、オットー、ウィテリゥス、
ヴェスパシアヌス6979、   (ここから三代は、フラヴィウス朝)
ティトウス7981
ドミティアヌス8196
五賢帝時代・ローマの平和、ネルヴァ、トラヤヌス、ハドリアヌス、
アントニヌス・ピウス、マルクス・アウレリゥス
 
アウグストゥスは、ユリウス・カエサルの甥、オクタヴィアヌスが皇帝になってからの名です。この名そのものが、尊厳なる者、という意味を持ちます。彼は、およそ200年間に渉る平和の時代を切り開いた、として傑出したローマ人、と呼ばれています。しかしそれは、ローマ帝国の平和でした。五賢帝時代もその中にあり、もっと長い平和時代と称されました。パックス・ロマーナ
 
しかし、この時代の異民族国家、異教徒にとって、本当に平和だったのでしょうか。
ローマ帝国を平和にするために、異民族を出来るだけ遠くに置くようにしよう。
ローマ帝国の平和は、異民族の服属が必要でした。ローマにとっての異民族は、弱小の蛮族として、服従することが求められました。民族自立、民族の誇りも捨てなければなりませんでした。決して平和ではありません。いつに変わらぬ困難の時代。
 
 この手紙を書いたとされるペトロは、本来ユダヤ人です。60年代に書いた、とするなら、
ユダヤ独立に向けた闘争のさなか、帝国中でユダヤ人排斥が起こっている、と考えられます。またそれ以後であれば、独立戦争に敗れ、ユダヤ人は全地に追放され、放浪者となっています。流浪の民の状況は、変わることなく、20世紀半ばを迎えました。
 
ペトロは、苦難には意味がある、と言います。苦難は、人を完全なものにする、強くする、力付ける、揺らぐことのない、不動のものとすることができます。
私たちは、自分が決して完全なものではないことを知っています。もし完全なものになることが出来るなら、その機会を掴もうとするでしょう。
自分の弱さも知っています。周囲の人たちの眼が気になる、囁かれる言葉によって動揺する。確固たる自分を打ち立てることが出来るなら、どれほどか嬉しいことでしょう。
 
ペトロは、このところで似たような言葉を重ねて語っています。無意味な重複に過ぎない、ペトロの文章の未熟さの表れ、と批判する人も居ます。繰り返しは悪いのでしょうか。
私は、これはこれでよろしいと感じます。ペトロは自分自身の経験として、人間的な弱さを知っています。自分が如何に弱い人間であるか、動揺しやすいか、人の言葉によって明らかにしてきました。なんとしても自己を確立したい、と願ってきました。このような自己の確立にかかわる言葉を繰り返したのです。言葉を変えて、同じことを伝えているのです。
 マタイ162217426362675、その他参照
 
12節を読みましょう。「シルワノによって」、ディア シルーアヌー、シルワノはシラスの完全形。ディアは、本来は、~を通って、~によって、を意味します。ここでは、代筆者、仲介者を指すと見られています。シラスは、バルナバと共に、エルサレム会議の決議を携え、アンティオケの教会へ送られています。彼らは、共に教会で重んじられていました(使徒152227)。
それだけではありません。シルワノは、預言者でもありました(使徒1532)。当初から、パウロの信頼の厚い人物でした(使徒153740)。フィリピで共に捕らえられ、投獄され(使徒16192529)、コリントで再会し、共に宣教しています(使徒185、Ⅱコリント119)。共同執筆人にも名を連ねています(Ⅰテサロニケ11、Ⅱテサロニケ11)。
このシルワノは、使徒1637に依れば、ローマ市民です。246ページ、フィリピの出来事
 
「ところがパウロは下役たちに言った。『高官たちは、ローマ帝国の市民権を持つわたしたちを、裁判にもかけずに公衆の面前で鞭打ってから投獄したのに、今ひそかに釈放しようとするのか。いや、それはいけない。高官たちが自分でここへ来て、私たちを連れ出すべきだ。』」
 
パウロの伝道旅行の同伴者として、多くの経験を積んだシルワノは、おそらく、ペトロ
にとっても大変役立つ、信頼できる協力者であったでしょう。中でもその帝国市民としてのギリシャ語の能力は貴重であったろう。その上、小アジア一帯の諸教会と結んだ人脈も、
ペトロには欠けているものでした。
シルワノは、パウロに並ぶほどの優れた資質を持っていたようです。あるいは、ペトロ
よりも優れた資質を持っていただろう。しかしシルワノであり、パウロ、ペトロではなかった。教会は、絶えず、このような人物によって支えられてきたのです。
高知教会の長老・片岡健吉。彼は自由民権運動の指導者、衆議院議員、議長、多田素牧師を助けて忠実な信仰生活を送りました。彼は日曜ごとに、教会堂の玄関番になり、藁草履を揃えて並べて置くことを習慣にしていたそうです。
ここにキリスト教会の平安がありました。それぞれが、違いを認め、互いに仕える者となる。その働きに感謝する。エイレイネー、平和、平安です。
 
 
 ペトロは、このような自分の周囲の状況の中で、この手紙を書き、キリストに従って生きることを教えました。困難、苦難の意味を語ります。自分の経験を通して、人間の弱さを示し、どのように人格の確立に至るかを教えようとしました。
それは、イエス・キリストに委ねることでした。主イエスは、すべての人を知り、すべての人を愛し、すべての人を赦し、慰め、力付けようとして居られます。主イエスにすべてを委ねるならば、私たちの思いに勝る平安が与えられるでしょう。。
 

2013年1月13日日曜日

長老たちへの勧告

[聖書]Ⅰペトロ5:1~7
讃美歌21]544,11,475
交読詩編]2112
 
ペトロの、長老たちへの勧告を見ましょう。
1節の言葉は、11とは違った形の、使徒ペトロの、自己紹介と言えるでしょう。ペトロは十二人の者たちの一人、同時に長老たちの一人を自認、更に主のご受難の、証人の一人であると自覚しています。ここに、教会における長老とは何か、ということが示されています。歳老いたるものである、と同時に、受難の証人であることが強調されます。
 
2節では、長老には、羊が委ねられているから、その群れを牧しなさい、と勧められる。
牧する、群れを導き、守り、養い、そのために闘う。詩編23編と共に、エゼキエル書34章をお読みくださるよう、お願いします。
とりわけ、そのことを強制と考えず、自発の意志に基づき、利得のためではなく、献身的に、行うようにとペトロは語ります。
 
3節では、権威を振り回してもいけません。むしろ、群れの模範となりなさい、と勧めます。率先垂範が勧められ、求められます。当然、仕えることでしょう。
 
4節は、このことの結実・結果を見せてくれます。「しぼむことのない栄冠を受けることになる」。6節に繰り返されます。「そのときには、高めていただける」。
月桂樹の葉で作られた月桂冠、あるいは花冠がイメージされているのでしょう。
 
5節では、若い人たちに、長老に従うように、と勧めています。
これは、ソロモンの死後、後継のレハブアムが、年長の者たちの助言を退け、自分と一緒に育ち、自分に仕えている若者たちの言葉を喜んだことを思い出させられます。この結果、北10部族は、ヤロブアムを王に戴き、ダビデ・ソロモンの王国は南北に分裂することになります。列王記上12619
 
この節は直ちに、皆の者たちへの勧告へ進みます。誰もが、謙遜でいるように、語られます。「神の力強い御手の下で自分を低くしなさい。」低くすること、謙遜とは、私たち全ての者が、神の前の自分を弁えることです。誰も誇ることは出来ません。
互いに他を自分よりも優れたもの、とするようになります。
 
7節では、「思い煩うな」と語ります。難しいですね。理性の時代を生きる近代人は、自主の人間であるように教育されてきました。神を従わせることも視野にあります。委ねるよりも、自己責任を果たせ。これが現代日本の要求です。多くの者が心の病気になりました。学校の教員もまた、その影響を大きく受けています。希望を持って、神の御手に委ねることが重要です。
 
これらの勧告を聞く長老たち、一体どういう人たちでしょうか。プレスブテロスの複数形が用いられています、古代諸民族の中の長老は、町のうちの年老いたる者で、彼らは町の入り口、その門の柱の下に座し、人々の訴えに耳を傾け、その間の争いを調停しました。
イギリスの陸軍士官、民族学研究家でもあったロレンスという人、彼は第一次世界大戦時、アラビアの遊牧部族の中で生活しました。その経験を、『知恵の七柱』と言う題の書物にまとめました。平凡社の東洋文庫から三分冊になって刊行されています。
砂漠の遊牧民の間では、複雑な人間関係、利害得失を調停するのは、今でも部族の長老たちのようです。
 
聖書の中では、出エジプト後のモーセが、一人で重荷を担って苦しんでいるのを見た舅エテロが、長老に任せるべきことがある、と教えました(出エジプト181327)。民数111630、主の言葉がモーセに臨み、彼は70人の長老を集め、モーセの上にある霊を分け与えられ、彼らはモーセと共に「民の重荷を負い、モーセがただ一人で、それを負うことのないように」した。
それ以外でも、預言者の友人である長老(列王下632)、王に忠告する長老(列王上2082111)、町や村の門で裁きを行う長老(申命257、ルツ42)。
彼らは、シナゴーグの管理者、政事や秩序に留意し、会員訓練を行った。
長老は、サンヘドリン(ユダヤの最高会議)でかなりの数を占めている。
 
使徒言行録15章、エルサレム会議では、アンテオキヤのパウロ、バルナバ他数人の者が、使徒たちや長老たちと協議しています。
パウロのミレトの別れは有名であるが、彼はエフェソ教会の長老たちを呼び寄せ、訣別の説教を行いました(使徒202829)。
長老は、神の羊の群れの監督者である、とパウロは語ります(使徒2028)。
長老は、祈りと塗油によって癒しの働きを行いました(ヤコブ514)。
 
第四福音書では、少し違う形でプレスブテロスが用いられています。
ヨハネ89で、「年長の者」、と訳されています。
「これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。」
ある時、『歳を重ねることは、罪を重ねること』と説教しました。「なんという無礼なことを言うか」と怒った方が居られます。ご自分が、正しく、間違いがなく、無罪である、と確信している年長の人です。親から伝えられた信仰者ですが、福音が、聖書が解かっていない、と感じました。
 
 現代の教会において、長老とは、どのようなものでしょうか。二冊の書物を調べてみましょう。
教会役員ハンドブック』があります。これは楠本史郎牧師(若草教会前任、北陸学院院長・理事長)が、教団出版局の求めに応じて書いたもの。2007年初版発行。楠本牧師は長老主義の立場に立ちます。26ページで次のように書きます。
「役員会が目指すのは、教会が主の御心に従う群れとなることです。」
 
教会と長老』、竹森満佐一教授(後・学長、吉祥寺教会牧師)が、19768年、名古屋で語られた三回の講演の記録。東神大ハンドブックの一冊(24番)、1985年刊行された。
 
教会の政治制度は、監督、長老、会衆の三つが主要である、としています。著者の立場は、長老主義です。現実には、長い歴史の中で中間的な形も生まれています。また互いの間に、他を認めないような非寛容、独善も生まれています。いずれも、御言葉による改革を承認しながら、自分たちの制度が最善である、と主張します。どこの世界・領域でも、自己主張するものです。そこでは、常に自分の正しさに確信を持ちながら、それでもなお幾分かでも間違いがあり得ることを承知し、他の主張を受け容れる柔軟さが求められます。
 
私自身は、長老主義、監督主義(メソジスト)、会衆主義を経験してきました。夫々、一長一短があります。母教会は、フリーメソジスト教会。名誉牧師は、教団合同時、その教派で最後の監督。
 
竹森先生は、81ページ以下で長老主義について説明しています。
教会を、具体的にキリストのからだにするために、どの制度が良いか、キリストの権威、キリストの御心が表れるためにどのような制度が良いか。
英国の監督制度は、特別な賜物を与えられた教職の集団、その一番上にある人が監督であり、この人の指導に従う、とするものです。
 
会衆主義は、これとは反対に、全体・会衆の意見が反映するようにしたほうが良い、と言う考えです。一人一人が賜物を与えられ、保持しているという考えに基づきます。
牧師職は、先ずその教会の信徒として認め、受け入れる。次いでその人を説教者、牧会者として認める、となります。
私と同世代の同志社出身の有名な牧師が、あるとき、こんなことを言いました。
「先ず、その教会の信徒として認められ、それから説教者として認められ、受け入れられるのだから、とってもやり難いよ。」
本日の週報に、柴田作次郎牧師が亡くなられたことが記載されています。
「隠退教師、現在は、小樽公園通り教会員」とあります。教職の籍は教区にある、というのが教団の考えです。北海教区は、教憲、教規を棄て、会衆制を取ったようです。
 
長老主義は、教会員の中から、信仰と生活において優れた人を選び、「その人たちが、教会におけるキリストの御心を明らかにする役目をする」、という考えです。ここでは、教会の憲法、規則と長老会議が、中心です。
明治の頃、横浜指路教会へ、国会の調査団が来たそうです。長老会の運営振りから、国会の議事運営を学ぶためだったそうです。教会は、キリストの御心を知ろうとして、議事を運営します。天皇主権の下、帝国議会は何を知ろうとするのでしょうか。国民主権の名による国会は、何を知ろうとしているでしょうか。政争の場に過ぎない、と言われていますが、反論はあるのでしょうか。
 
 最後に勧める・勧奨する、について考えましょう。
1節には、勧める、とありました。ギリシャ語でパラカロー、
「勧告する」、高圧的、強制的な感じに受け取られることが多いのではないでしょうか。
パラ は、前置詞で、「側に」を現す。非人格名詞と共に用いられて、側まで移動して来ることを示す。
カロー(カレオー) は、呼ぶことを意味する動詞。合して側へ、こちらへ呼び寄せることを指す語である。①呼び寄せる、願う、祈る。②勧める、奨励する、励ます。③慰める、なだめる、わびる。
名詞形は、パラクレーシス、①(側へ助けに呼び寄せること)訴え、懇願。②奨励、勧め、激励。③慰め、慰めること、ルカ225では、メシアの来臨の意味で用いられている。
同じ語源からパラクレートス、①(側へ助けのために呼び寄せられた者、支持・弁護のため呼ばれて来ている者)支持者、弁護人、弁解者、②NTでは、断罪する者に対して罪人の側に立って弁護してくださるキリストおよび聖霊についてこの語が用いられる。「助け主」と訳される。
 
従って、新約聖書の中で、勧告がなされたり、言葉が用いられたりする時、高圧、強制、強要の感じは薄いと考えるべきでしょう。むしろ、懇願、要請、懇請、の性格が強い、とわたしは考えます。その故に、祈りつつお願いする、形になるのではないでしょうか。
パウロの書簡でも同じことが言えます。慰めようとする祈りを感じます。多くの勧め、勧告は、慰めと助力の祈りでした。感謝しましょう。

2013年1月6日日曜日

神を崇めなさい

聖書]Ⅰペトロ41219
讃美歌21]280,367
[交読詩編]97:1~12、
 
 
本日は、教会暦では顕現日、小クリスマス、古いクリスマス、三王の日、十二夜、エピファニーと呼ばれます。教会では、この日までは、クリスマスを祝うもの、としてきました。クランツやリース、クリスマスツリーなどの飾りも、この夕刻までに取り払います。
長い準備期間に相応しい喜び祝う期間、と考えます。
 
クリスマス物語は、四福音書のうち二つだけに見られます。
ルカは、祭司ザカリヤへの告知、妻エリサベトへのお告げ、ヨハネの誕生を導入部としています。そして、マリア、ヨセフへのお告げ、マリアの賛歌、イエスの誕生、と続く。
その後は、羊飼いたちの礼拝、天軍讃美となります。嘲笑され、弱く、貧しく、力ないものたちの姿が多く見られます。
 
マタイは、先ず系図そして、インマヌエルの主イエス誕生です。名をつけるのは、父親の権利のはずですが、神が名を決め、与えます。それから、大きな星に導かれた博士たちの礼拝、聖家族のエジプト下り、ベツレヘムの虐殺、ヘロデの死と続きます。権威、権力ある者たち、知恵に富み、財を有する者たちが登場します。
 
 四番目の福音書では、その冒頭に有名なロゴス・キリスト論が展開されています。これが、福音書記者ヨハネの降誕物語です。
 
 福音書以外にも降誕物語を見出すことができます。パウロ書簡にあるので注目されます。
ガラテヤ4:4がそれです。
『しかし、時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。』
短いけれど、確かに降誕の記事であることが分かります。
 
多彩な降誕物語のうちで、顕現祭に関わるのは、主として、マタイ福音書です。
この日、1月6日は、クリスマスから12日目。教会では大切なお祝いの日です。
この同じ日に、キリストが神であることを証明する三つの出来事があった、と考えられています。
第一は、三博士の礼拝。マタイ2711、大きな星に導かれ、飼い葉桶の嬰児を拝し、黄金、乳香、没薬を捧げた。マタイ独自資料
第二は、天上からの声によってキリストが受洗し、彼が神である事が確認されたこと。
マタイ31317、マルコ1911、ルカ32122、三福音書共通資料
第三は、ガリラヤのカナで行われた婚宴でイエスが最初の奇跡を行われたこと(水をぶどう酒に変えられた)。ヨハネ2111、ヨハネ独自資料
『イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。』
 
古くは、東方教会は、16日を降誕節としてきました。西方教会と交流が出来た時、異なるクリスマスの日付について協議されました。その結果、現在の形が決められました。
両教会が共に、1225日はクリスマス、16日を公現日、として守る。教会の祝祭日の交換として記憶されています。
詳細は、オスカー・クルマン『クリスマスの起源』教文館1996年刊、参照
 
 
ペトロの時代、多くの人は、故郷であり、神から与えられたカナンの地に住むことが出来ました。しかし、何の不平不満のない生活というわけではありません。イスラエルの国を称してはいても、王として統治するのは、イドマヤ人(エドムのギリシャ語読み)ヘロデの家の者たちです。彼らは、ヤコブ・イスラエルではなく、エサウの子孫です。
イスラエルの血筋を誇る人々は、ダビデ王家の支配を切望していました。
神の掟を守り、正しく生きているのに、何故イスラエル人ではないイドマヤ人の支配を受けなくてはならないのか?
ローマの支配を受け、皇帝を神として崇める、何故?
 
しかもヘロデ大王は、ローマの将軍オクタヴィアヌス(後のアウグストゥス帝)と親しくなり、ユダヤの統治権を確保しました。ヘロデ大王の死後、息子たちが分割領を統治、ローマの支配構造は変化しませんでした。総督と軍団が駐屯し、税を徴収し、皇帝礼拝を求める。ユダヤの民は、ローマ皇帝のため、ヘロデ王家のため、徴税人たちのため税を納めなければならなかったのです。
近々50年前まで、多くの国々で、その国民は、外国勢力の支配下に置かれ、誇りを傷つけられ、財産や人間を、命を奪い取られ、悲惨な生活を余儀なくされていました。
 
かつて、アフガニスタンに関心を寄せたことがあります。そのきっかけは他愛もないことです。飼い犬のことでした。青年時代の我が家は、イギリス原産のコリーと、デンマーク産のグレートデンを飼っていました。どちらも大変賢く、おとなしい犬でした。訓練士に教えられました。犬は誇りを持っているから、それを大事にしてやらないと飼う事は出来ない、ということでした。興味と関心が湧き、犬の雑誌も読むようになりました。
 
ロシアのボルゾイ種、アフガニスタンのアフガンハウンド、これらはその容姿や気質が貴族的であり、誇りに満ちている、とありました。夫々の貴族の抱いている高い誇りと関連しているようです。アフガニスタンに関して知ることは少ないのですが、その国民は基本的に戦士であり、独立不羈の精神を持っている、と聞きました。
ソ連が支配しようとしました。今はアメリカが自立を支援すると言っています。誇り高いアフガンの戦士たちが喜ぶはずはありません。ユダヤ人たちも同じです。どのような口実をつけても、外国の勢力が決定的な力を持って国内に居続けることを喜ぶはずはありません。
 
南の民族は、おおむね解放的、友好的です。そのため多くの民族が滅ぼされました。
北の民族は閉鎖的、好戦的なことが多いようです。防衛本能が発達している、と言うべきかもしれません。
飼う者と飼われるものの間には、精神的な深い交流があるようです。誇り高い人間は、誇り高い犬を産出し、その主人となります。誇りのない人間は、誇り高い犬にえさを与えることは出来ても、その主人になることは出来ません。犬だけではありません。馬や駱駝も、人間と深い関わりを持ってきました。
 
未開の野蛮人のように言われる民族、犬畜生と言われる犬、にもかかわらず高い誇りを持っているのです。にもかかわらず、近代国家は、他の国、民族の誇りを傷つけ、当然の権利を奪い、生きることすら困難なことに変えてきました。
 
ペトロは、一般論的な民族の気質などに関心を寄せません。更に幸福論などとも無関係です。この手紙の中で展開されているのは、キリストの名によって歩むことです。それは、いわゆる国家安泰、家内安全、商売繁盛を保障するものではありません。ペトロは、信仰生活の歓迎できない現実を知っています。それを隠さずに語ります。
 
身に降りかかる火のような試練を受ける人が居ます。
神の御心によって苦しみを受ける人もいます。
善い行いをし続け、創造主に魂を委ねる人がいます。
 
それだからといって安心できるものではありません。
ルカ121321「愚かな金持ち」の譬
人の命は財産によってどうすることも出来ないからである
「自分の魂を委ねなさい」
 
ある時、その街に住みながら、東京の日本基督教会へ通うクリスチャンが訪ねてきました。ふだんのお付き合いはありませんが、お名前は聞いていました。御挨拶し、求めに応じて、庭先で立ち話。その方は、牧師に抗議しに来た、と言われます。
「この日本で、神と言っているのはけしからん。日本の神々と混同する。他の呼称を用いるべきだ。」と言われました。「ご尤もなことです、適切な呼び方があれば、御教示いただきたい」、と答えてお引取り頂きました。こんなことは、初めてのことではありません。牧師なら誰でも、考えたことがあり、悩まされた覚えがあるはずのことです。神学校でも、提議され、討議されたことがあります。
 同じ言葉を用いなければ、宣教は出来ない。積極論
 内容を語ることで分別するべきだ。現実論
 創造の神、啓示の神、などの呼び方を。技術論
決定的な解答は得られませんでした。見付かるようなら、もっと早い時代に変えられていたでしょう。
 
 八百万の神々を信じるこの国の中で、ただ一人の神を信じること、それを語ることは、大変大きな困難を伴います。しかし、このことは、この時代、この国特有の困難と考えてはなりません。いつの時代でも、私たちは、自分だけが、このような苦難にあっている、苦しんでいる、と考えやすいものです。本当は、他の時代、ほかの国、民族の中に、もっと大きな苦難が存在したのです。
はじめの教会が礼拝を守り、伝道に励もう、としたその時、その所で同様のことが起きていました。ペトロ、パウロ、福音書記者たち、多少のずれはあっても同じローマ帝国の時代、ローマ皇帝の統治下にありました。そして文化的には、ギリシャ・ローマ文化と総称される時代です。宗教的にもギリシャ・ローマ神話の時代でした。皇帝を神話の神々の列に加えようとしました。優れた業績を誇り、権力と財力を思うままにした強大な皇帝は、神として受け入れられました。目障りになるものがありました。
帝国の辺境に生まれ、十字架にかけられて死んだ男が、神として崇められている。
日本も同様に八百万の神々を信じ、礼拝し、祭っていました。神々の意思を尋ね、その導きに従っていたのです。自分中心な、身勝手なご都合主義で神を選び、崇めるのがこの国の神礼拝。その象徴が初詣です。
詳細に論ずるならば、ギリシャ・ローマ神話の神々と日本の神々とは違います。近世までの日本では、人間、祖先の神格化は、たたりを及ぼさないようにその御霊を鎮める、鎮魂の性格でした。その後は、祖先のすべてを神とし崇め、子孫繁栄を守らせる性格となりました。死して護国の鬼とならん、などと言われるようになったものです。神道の結婚式は、何方も経験がおありかと存じます。神官が祝詞奏上、として読み上げる文章は、単なる祖先の神々への御報告と守護祈願に過ぎません。
 
ペトロは、神々が信じられる世界で、唯一の神を信じる者は、その救いすら、創造の神に委ねなさい、と教えます。自分の業績も家柄も、何ら誇ることはできないのです。命と救いは、ただ神の御意志の内にあります。委ねることを求められます。