2014年1月26日日曜日

受洗するイエス


[聖書]ルカ32138
[讃美歌]194、6,459、
[交読詩編]29:1~11、

ナザレのイエスが、その公生涯に入られる「時」が来ました。神殿の出来事は12歳のとき、以来およそ18年のときを数えて、30歳頃とされます。

ここで『時』というのは、自分にとって都合の良い時、と言う意味ではありません。

神が定められた、神の時です。あらかじめ、神ご自身により予定された時に外なりません。

 

「時」に関わる言葉が、マタイではもうひとつ用いられています。「今は、受けさせて欲しい」。本来、ヨハネが、イエスから洗いを受ける立場。しかし、今は、と言われます。

物事には、優先順序があります。それは絶対・不変のものではありません。むしろ、時によって、時に応じて変化する融通無碍のものです。

 

キリスト信仰においては、唯一・絶対、という言葉が用いられます。

これは、神を顕すもので、我々人間に関わる事柄には相応しくありません。

人間の場合には、時と場合に応じて変化します。相対的、と言われます。

 

洗礼とは何でしょうか。

バプトー、バプティゾー(動詞)、漬ける、沈める、船が沈没する意味でも用いられる。ユダヤ教では、儀式的清めのため全身を水に浸し沐浴すること。圧倒的に優勢な力に捉えられ、支配されること。

「父と子と聖霊の名により」は、これを唱えて、と言うよりも、当人が恵みにより三位一体の神の中へ浸されることを言います。

バプティスマ(名詞)、浸し、漬けること、滴水のような形式は本来的に論外。

バプティスモス(名詞)、浸し、漬ける行為、ユダヤ教の清めの沐浴や洗いのこと。

バプティステース(名詞)、浸す人、ヨハネのあだ名、

身についた穢れを洗い落とすこと。ここから、清められた新しい生涯、命が始まる。

日本の神道や修験道の修行にも見られます。禊、すすぎなど荒行に属することになります。

 

  新共同訳聖書は、漢字で『洗礼』と訳語を書き、その右側にカッコ付でバプテスマと書いています。出版されたころだと思いますが、何処かで読んだ記憶があります。

  「これは、バプテスマを常用している教会のためのルビです。一般の教会はどちらを読んでも差し支えはありません。」わたしたちは翻訳された聖書を使っています。ここでも、訳語を用いるし、洗礼と読みます。英語訳聖書は、たまたま訳語を見つけることなく、原語のまま用いました。原意を検討することもしなかったようです。

ヨハネの洗礼は、主の道を用意する彼の宣教全体の一部であり、まもなく来る「わたしよりも優れた方」(16)に対して心構えをさせるものであった。

 

キリスト教では、罪の穢れを洗い落とし、新しい命に入ること。神の全的な支配を受け入れること。そのとき、そのところには、神の国が存在する、と考えられます。

 

かつては、洗礼式と、教会の入会式を分けていたようです。

いくつかの教会の資料に当たることが出来ました。原簿、受洗願書、証言。

今では、洗礼即入会と考えています。式文も、そのような形になっています。

教会の古い役員さんにお尋ねしました。「洗礼式の日付があって、別に入会式の日付があるけど、これはどういうことでしょうか。」答えは簡単でした。

「昔は、全く別のことでした。意味は分からないけど。」

 

洗礼式が、神の支配を全的に受け入れることであり、教会は神の国の先取りであるなら、

受洗のときが、入会のときであって差し支えない、と考えます。別にした時代は、入会の組織的な面を重く考えていたのではないでしょうか。

 

ルカは、マタイが記した細部を取り除き、イエスの受洗を簡潔に三項目で語ります。

天が開けて

聖霊が鳩のように目に見える姿で降って来た。

天からの声、『私の愛する子、私の心に適う者』

 

三つ目は旧約からの引用です。口語訳で読んでみましょう。

詩編278「私は主の詔をのべよう。主は私に言われた、『おまえは私の子だ。きょう、わたしはおまえを生んだ。わたしに求めよ、わたしはもろもろの国を嗣業としておまえに与え、地の果てまでもおまえの所有として与える。』

イザヤ421「私の支持するわが僕、私の喜ぶわが選び人を見よ。私はわが霊を彼に与えた。彼はもろもろの国人に道を示す。」

 

12歳のイエスは、神殿で学者たちと討議した時、自分が何者であるか認識しました。「ここは、私の父の家である。私はヨセフの息子でありながら、神の子である、」と。

今、ヨルダン川で、救いを求める大勢のユダヤ人の中に混じり、悔い改めの洗礼を受けました。イエスは、これまで、家族の生活を支えていたようです。これからは、全面的に神に捧げられた生活、公生涯に入られます。

イエスが洗礼を受けられる場合、罪人ではないので、罪の悔改めのため、とは考えられません。神の支配を全面的に受け入れることに違いありません。

 

この時イエスは、祈っていました。そのことをルカは特に記憶されるべきこととして、書き残しました。記憶する人々には、この情景が、初めの教会が聖霊の降ることを待って祈っていた、ことと重なり合って思い出されることでしょう(使徒181424231)

 

イエスの系図が記されます。

マタイ福音書は、アブラハムから、その系図を始めます。マタイ福音書の系図で知られる女性の名が、ルカ福音書では見られません。

ルカは、名前を七つずつ組にして十一のまとまりを作り、名前は合計して七十七になります。

ルカは、イエス、ヨセフから始めて家系をさかのぼり、アブラハム、アダム、神に至ります。その意味するところは何でしょうか。

ルカは、「イエスはヨセフの子と思われていた。」微妙な書き方、表現。何を伝えようとするのでしょうか。

イエスは、法的にイスラエルの子であり、ヨセフはイスラエルの子イエスの父親です。

しかし、同時にアブラハムにとどまらず、アダムまでさかのぼっています。アダムは全人類の始祖とされます。ルカは、この系図によって、イエスを民族の枠を超えた一人の人間としています。すべての人間の救いのために、今洗礼を受けました。神は、これを承認しました。

 

ルカは、このように公生涯の始まりを書くことで、この世界の、すべての人の救い主が現れた、と告げ知らせています。良い知らせをもたらしました。

これが、ユーアンゲリゾー、福音することです。感謝して祈りましょう。

 

2014年1月19日日曜日

洗礼者ヨハネ

[聖書]ルカ3120
[讃美歌]21-194,21-530,21-511、
[交読詩編]100:1~5、

 

ルカ福音書は、祭司ザカリアへの、妻エリサベトが男を子出産する、との予告で始まりした。そしてガリラヤの乙女マリアへの御告げ、ベツレヘムの家畜小屋の出来事。

エルサレムの神殿における出来事が続きました。12歳のイエスの姿を見せて、降誕に関わる記事は、いったん終わります。

筆を改める感じでおよそ20年後、成人したイエスの姿が現れます。ここでもまた、イエスの姿の前に、あのザカリアの妻エリサベトが産んだ息子ヨハネが姿を現します。ここに、ルカが特に注意を払う先駆者ヨハネの姿があります。

 

この「時」を記者は、私たちから見れば、独特な書き方で示します。

15「ユダヤの王ヘロデの時代」、

21「そのころ、皇帝アウグストウスから・・・勅令が出た」。

31「皇帝ティベリウスの治世の第15年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、リサニアがアビレネの領主、32アンナスとカイアファとが大祭司であった時、」

 

ローマ帝国の側から見れば、天下泰平の時代でした。共和制から帝政に移行して二代目。

皇帝になりたくなかったティベリウスが即位しても、帝国は安定成長し、拡張をやめず、パックスロマーナ、ローマの平和へと進んでいました。

その一方、ユダヤからは異教徒、偶像礼拝のローマ人による支配がますます露骨になり、厳しいものになり、耐え難いものになっていました。このことは、ユダヤ以外の各地、各民族の間でも同じでした。一見平和に見えるが、その実、対立と抗争の火種を抱えて、爆発点に向かっている時代なのです。ルカは、あの時代が現代と変わりがないことを告げています。

 

ルカの書いていることは、イスラム暦やキリスト暦のない時代では、ごく普通の方法でした。中国の歴史を書いた司馬遷も同様の書き方で、その時代を告げています。もっと分かりにくい書き方もありました。「大きな地震のあった年から数えて何年目」、あの火山の噴火があった年」、タキトゥス、これは困ります。ヨーロッパからアジアにかけて地震は、火山噴火は、いくつも起きています。極東の私たちにとっては、イタリアで噴火と言えばヴぇスビオス火山と考えます。それ以外にもあるようです。大きな天変地異を、ひとつの時代区分の印とすることは、その同時代人にとっては分かりやすいし、理にかなったことでしょう。年月が過ぎ、世代が変わると、分からなくなります。不明確になるものです。

異論もありますが、在位第15年は、紀元2829年と考えられます。

そして、ポンティオ・ピラトは、紀元26年から36年にかけてユダヤの総督。

 

大祭司職は、本来終身制。アンナスは6年~15年、カイアファは、娘婿で後を継ぎ36年までこの職にあった。人々は、アンナスこそ真の大祭司と感じていた。

ローマはこの任免権に介入、権威をも入手しようとした。その結果がこの記述。

平和の都エルサレムが対立・抗争の火種であり、発火点であると示されます。

こうして、福音書記者は神の力が時代を超えて人の営み(歴史)の唯中に介入することを示します。そこにはローマ帝国とユダヤのあらゆる人々が、悲喜こもごも暮らしています。

キリストの福音は、その唯中に入って行きます。

 

46節は、イザヤ4035の引用です。

このところは、第二イザヤと呼ばれ、バビロン捕囚のユダヤ人たちに対して、エルサレム帰還を預言しています。捕囚の時代には、この第二イザヤ、創世記のヤハウェ資料が生み出されています。いずれも、世界的な視野で記述していることに注目してきました。

 

ヨハネのもとへやってきたユダヤ人の中には、形式的、律法主義者が多かったようです。

それが悔い改めに相応しい実を結べ、という言葉になりました。

血統主義の考えも多かったのでしょう。「こんな石ころからでも、アブラハムの子達を作り出すことがおできになる」と言って彼らを退けます。

何の功績もないときに神の恵みによって選ばれたこと、そのしるしとして律法を与えられたこと、などを忘れていました。

 

そこでヨハネの倫理的教えが語られます。罪を悔い改めることと生活を改善すること、真の意味で、イエスを主と仰ぐことです。血筋や悪行は、救いの保障にはならない。神の恵みによるものでした。一言で言えば、隣人への愛に生きることでしょう。 

これは、新しい律法主義ではありません。ましてや、宗教的気分などであろうはずがありません。ヨハネは、神への完全な回帰、立ち返りを求めています。

 

ヨハネは、先駆者と呼ばれます。後からやってくるものを本体として指し示します。ローマの慣わしでは、高位の者が行くとき、その身分に応じて先駆するもの何名、と定められていました。二つとも、民族主義を超えた世界主義的な発想を感じさせます。

ヨハネの役割は、その方の道を備えることでした。むしろ、先触れ、と呼ぶほうが良く分かります。その役割を示すでしょう。大名行列で、「下にー、下にー」と呼ばわる者。あるいは、天皇の地方行幸に際して、先乗りして整備する者。大相撲では、露払いです。内部的には、巡業地への先乗りなども考えられるでしょう。

 

私は水で洗うが、やがて来る方は、聖霊の火によって清める。聖霊は「風」と訳せます。

聖霊は、神の力の臨在と裁きのシンボル。打ち場の麦は、風によって吹き分けられ、からは火によって跡形もなく焼き清められる。

 

この部分の最後で、ヨハネとヘロデ王のことが語られます。具体的には、ヨハネが「その女をめとるのは、よろしくない」マタイ14:4、と公言したことです。

ガリラヤの領主は、ヘロデ・アンティパス。異母兄弟であるヘロデ・フィリポは、紀元34年までガリラヤ東部と北部を治めていました。アンティパスは、フィリポの妻ヘロデヤと通じ、このころ自分の妻とします。ヨハネは、悔い改めと生活の改善を要求しました。その線上で、この二人を批判したものです。これは、二人を悩ませました。自分にとって不都合なものでした。とりわけヘロデヤの怒りを買い、やがてヨハネは殺されることとなります。

 

 他の福音書に書かれた印象的なことを、ヨハネは採用しません。ヨハネの服装や生活の様式(マタイ34、マルコ16)、ヨハネの活躍(マタイ35、マルコ15)、洗礼と罪の告白との結合を指示する言葉(マタイ36、マルコ15)などがそれです。ルカは、総花式にヨハネを語ろうとはしません。あくまでもイエスの先駆者、先触れ役として伝えようとしています。 

 

 ヨハネは、いわゆる下々の者から始めて、ヘロデ王家に至るまで、罪の中にあり、そのままでは、神の恵みに与ることはできないことを語ります。これを聞いた者が、この言葉を受け入れ、自らの罪を認め、心から悔い改めるようになることを求めています。そして、そのためにヨハネは命を落とします。命をかけた証言は力があります。

私たちもこのヨハネに耳を傾ける者となりましょう。さらに、主イエスの声を聞く者になろうではありませんか

 

2014年1月12日日曜日

神の恵みに守られて

[聖書]ルカ23952
[讃美歌]21-194,21-280,21-504、
[交読詩編]36:6~10、
 



最初に語られるのは、降誕の出来事の続きです。イエスとその家族は、律法に忠実であり、定められた時に、定められたことをすべて行いました。こうして、神の民イスラエルの一人となりました。現代では、ユダヤ人と呼びます。イスラエル12部族が消滅し、ユダの部族を中心にわずかばかりの民が残されました。ダビデの出身部族ユダは、南王国を形成していました。バビロン捕囚を経て、帰還し国を復活させますが、それはユダ族とベニヤミン族だけのものでしたので、「ユダの部族の」という意味でユダヤと呼ばれました。

 

此処ではナザレが、「自分たちの町」と呼ばれています。ヨセフにとっては、ベツレヘムが、父祖ダビデに由来する自分の町でした。ナザレは、マリアの町でした。ヨセフは、マリアを通して示される神のご計画、ご意思に徹底的に従います。自分の主張や考え、誉れや利益以上に大事なものがありました。そして、神のご計画は、イエスを「ナザレの人」とすることでした。それは、イエスを偉い人にすることではなく、最も低い人としてその姿を現すことでした。ヨセフは、このご計画に従っていることが示されます。

 

こうして、幼子は成長します。その有様は、民族の大先輩であり、大預言者サムエルの姿と重ね合わせられます。それは、サムエル記上226、に記される言葉が用いられることで分かります。「童サムエルは育って行き、主にも、人々にも、ますます愛された。」

童サムエルや、幼子イエスにとどまらず、この世界のすべての子どもたちは、周囲の人々から愛され、神に守られていることを実感しながら成長・発達することが必要です。

残念なことにそうした環境は、実現しているとは言いがたいものがあります。

一人の子どもの成長は、その家庭の喜びです。しかし、その家庭だけの力によるものではありません。周囲の人々、地域社会、環境の力が働きます。

 

日本は、治安の良さをアピールして五輪を招致しました。その日本で、犯罪容疑者が逃亡しました。何も知らない子どもたちが親から虐待を受け、学校内でいじめられ、それを苦にして自殺しています。高齢者は、肢体不自由のため、また認知症のため、介護困難と言われ、居場所を失って行きます。日本国憲法は、基本的人権の考えを取り入れ、生きる権利を、最低限度の文化的生活を保障しました。これをめぐっては、様々な意見があります。憲法は理想を書いたのであり、具体的な保障を明言するものではない。そもそも、最低限度の文化的生活とはどのようなものか。戦後半世紀を越える間に、大きく変化しているだろう。変化するものを保障すると憲法に書き出すことをするはずがない。

 

自民党からは、自己責任が主張されるようになりました。強者の論理です。

弱い者が正直にしていれば無理なく暮らせるようにすることは、強者の責任であり、義務です。高貴な者の義務として受け入れるべきである、と考えます。弱者にも生きる権利があります。子どもの権利条約の基本的な考え方です。

 

さて、41節以下は、神殿における少年イエスの物語です。

此処で、福音書記者は、イエスの年齢を明らかにします。「12歳になったとき」。

何か特別な意味があるのでしょうか。私たちの時代では、この年代は中学生、確かに少年期、しばしば反抗期です。イエスにも反抗期があったと言いたいのでしょうか。

反抗期は、大人から見れば、大変厄介なものです。大人はそれを嫌います。反抗することのない子どもは、素直で良い子、と言われます。大人のご都合でしかありません。子どもは成長するに従って、自己主張を試みます。大人にとっては、未熟な半人前の考えであり、受け入れがたく、蹴散らしたくなります。しかし、ご自分もかつて同じところを通ってきたのです。未熟な考えと付き合い、どうにかして、成熟させて行くのです。

 

私は12歳のイエス様に反抗して欲しいのです。ユダヤでは、12歳で成人となります。息子たちは、律法の子と呼ばれ、律法を守る義務が生じます。律法の子として最初のエルサレム巡礼です。刺激的で興奮もあるでしょう。やはり、神への反抗は考えにくい。父と母に対する反抗は考えられます。福音書記者は、イエスは成長したとは書きませんでした。「幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、」と書きました。こうした生育は、反抗によってなされるし、その危うさの故に、それを守り、導く神の恵みが不可欠なのです。この中に、肉体的に、知的に、霊的に、バランスよく成長したことが語られています。

 

41節もマリアとヨセフお二人が、律法に対しいかに忠実であったか、語ります。エルサレムから32キロの範囲に住む成人男子は、過ぎ越しの祭りにはエルサレムに参る義務がありました。さらに、エルサレムの祭りに生涯に一度でも直接参加することは、ユダヤの成人にとって、きわめて誇らしい喜びでした。中でも過ぎ越しの祭りは、ユダヤ最大の祭り、麦の収穫祭であり、パン種を新しくするとき、新年の祭りでもありました。

ユダヤの三大祭、過越し祭(パスオーバー)、刈入れの祭(ペンテコステ)、取入れ祭(タベルナクル)

ナザレを出てエルサレムまでは、直線距離で110キロ余り。普通なら四日の行程。巡礼者たちの中には老若男女、様々な人がいます。こうしたときは、もっとも弱い人に合わせるものです。楽しい旅路、神の都での一週間、帰途につくときが来ました。

 

 巡礼団は、足の弱い女・子どもから出発します。間に入る少年は、どちらになるでしょうか。世話役もいたでしょうが、点呼を取ることもなく宿泊地まで来ました。少年イエスがいません。誰も知りません。マリアとヨセフは、来た道を引き返します。途中、いろいろな所に立ち寄りました。何か普段と違うことはなかったでしょうか。事故は、犯罪は。

ついにエルサレムまで来ました。街中を探し回りました。誰も、何も知りません。少年がいそうもない所が最後に残されました。神殿です。供犠・礼拝に関わる人と礼拝者がいるところ。少年には関わりのないところと考えられています。

古代からの伝説、伝承に心奪われないほうが良いでしょう。

 

少年イエスは、神殿の境内で、話しを聞いたり質問したりしていました。ユダヤの最高議会・サンヘドリンは、過越しの期間に合わせて、神殿の庭で大討論会を開き、神学や政治の諸問題を公開で討議しました。イエスは、その中にいた、と考えられています。このとき、イエスは大きく進歩したことでしょう。新しい自己認識を獲得します。

 

マリアとヨセフは、イエスの父と母が、その息子の居場所を探していたことを伝えます。

息子イエスは、答えます。

「私が自分の父の家にいるのは当たり前だ、ということを知らなかったのですか」。

地域社会では、ヨセフの息子として知られていたはずです。いつから、神の子である自覚が生まれたのでしょうか。12歳、律法の子となったとき、この神殿での学者たちとの討議の結果、だったかも知れません。判りません。どこかで、何かに触発されるように起きたことでしょう。

 この時以来、この認識に従い、自らを成長させて行きます。もはや反抗によって主張し、成長する時は過ぎました。神の御旨を捜し求め、従うことを学び、実行する時です。

「天が下、よろずの事に時あり、季あり」です。Time and seasen愛するに、信ずるに、時期がある、と言われます。イエスの成長も、神の時のうちにあります。

イエスは、ナザレに帰り、両親に仕えて、暮らします。もちろん父なる神も含まれます。

たいへん祝福された生活でした。悲しみや苦しみがなかった、という意味ではありません。

いつのときか、父ヨセフを失います。それでも祝福された生活でした。インマヌエル故に。

大島本村教会の牧師であった相沢先生は、日本のクリスティアンのために勧められました。

『仏教徒は、南無阿弥陀仏。それに代わって、

キリスト教徒は、インマヌエル、ハレルヤ、アーメンがよろしい。』

感謝して祈りましょう。

 

 
 

 

 

2014年1月5日日曜日

待ち望む人々

[聖書]ルカ22238
[讃美歌]21-194、旧74、21-268、
[交読詩編]89:2~15、


本日の聖書は、学者によっては、神殿のイエスを主題とします。非常に正統的です。

聖書は、神からの手紙、神の奥義、秘密を明らかにする書物です。また神のご計画を明らかにする所。神の自己啓示ともいえます。また神学は、神の学であって、神を明示しようとするもの、人間が主要な主題ではない、とされます。したがって、ここでも神あるいは、神の「独り子」こそ主題として理解されるべきだ、と考えます。

しかし、被造物のいない創造主はいないし、神の民がいない神だけの世界も考えられないのではないでしょうか。神の手紙は、神同様に受取人が重要です。神の学は、造られた者にも充分眼を配ります。

私は、神に用いられた人々が何をしたのか、その事に考えを向けたい、と願っています。

 

ご一緒に読んで行きましょう。

22節、ここでも、これまで同様、イエスの家族が、イスラエルの律法を確実に守る神の民である事が示されます。出産後の母親の清め(レビ1218)、長子を神に捧げる(出エジプト1321216)。24節の定めは、レビ128に記載されています。

このように、旧約の民の務めを忠実に守る家庭で、嬰児は守られ、育てられました。

嬰児は成長し、公生涯に入られ、主イエスと呼ばれます。

その主イエスは神殿を拒否されてはいません。神は、神殿を拒否していない。心変わりされてはいません。神殿が、祭司、ユダヤ教が、イエスを拒否したのです。

ことによると、現代の説教者が、教会が神殿を拒否しているかもしれません。

主イエスは、決して神殿を、ユダヤ人を、拒絶されてはいません。

 

 25節、神殿にシメオン老人が居りました。彼は、聖霊に導かれ、メシア・救い主にお目にかかれると確信を抱いており、今この時、この所に来たのです。恐らく『神殿の婦人の庭』であった事でしょう。ここまでは、ユダヤ人の女性が入る事が出来ました。

29節、シメオンの讃歌は、ヌンク ディミティスと呼ばれます(ラテン語訳の最初の二語)。老人は、この出会いによって、いまや、心残りはない、と感じました。

シメオンは、救いの業を美しく、詩的に語ります。この嬰児の未来を明るく預言し、驚く両親と子どもを祝福しました。

34節、そしてシメオンは、マリアに対し、彼女とその息子が支払う大きな代価を詩的に語ります。私たちにとっても理解しがたい言葉です。マリアとヨセフにとっては、なおの事理解しがたい事だったでしょう。予期せぬ言葉であり、予告だったからです。

 

「イエスは真理を明らかにし、それによって彼に近づいてくるすべての人を決断の危機的状況に投げ入れる。この決断において、上がるか下るか、生か死かが決まる。神へと近づくか、神から遠ざかるか。・・・〔影響を与えるmaking a difference文字通りには『違いを造る』という表現が意味する事柄なのである。〕」クラドックp74は書きました。

 

イエスの前では、中立とか、無関心は存在しないでしょう。真剣に生きようとする者は、誰でも態度決定を迫られる、と感じます。そこで聞いていないフリをします。それでもなお、彼の全存在は、言葉、ロゴスそのものであり、語りかけ、決断を迫ってきます。

 

説教する事は、誰かの人生の決断の責任を分かち合う事です。無責任でいたいなら、「影響を与える事のないように」と、何事かを語ることを避けるようにしなければなりません。

説教する事は、他者に対して大きな責任を負う事なのです。

この負担を覚悟して、その務めに身を捧げる者こそが、真の献身者と呼ばれます。

 

シメオンの預言が真実である事は、アンナによって確証されます。

ユダヤの掟は、ひとつの事柄も、二人以上によって証言されることを必要としました。

マリアとその息子の出来事も、こうして二人の人によって、証言され、律法の求めが満たされた事になました。

 

アンナは、信仰深い老齢の預言者でした。84年、という数字は、84歳とも読めるし、一人身になってから84年、とも読むことができます。当時、女性の結婚年齢が145歳であったことを考えれば、前者が妥当するでしょう。

 

独り身、ということで思い出しました。ある教会が、この新年・元旦礼拝の後、単身者昼食会を開いたそうです。牧師が単身者だからかな、と思いました。

しかし、私も単身者。そうであっても、これは考え付かない。何故なら、クリスマスから年末年始にかけて、家族の誰かがやってきて、一時的に単身者ではなくなるからです。大晦日、息子ととろろ蕎麦を食べて、年越しをしました。明日、元旦の雑煮はどうしようか、と考えながら、就寝。雑煮は、何とか好評だったようです。欧米キリスト教国では、クリスマスはホームに帰ろう、と言います。日本では、盆と正月は家に帰ろう、と言います。日本のクリスチャンにとっては、とても難しいことです。

 

彼女は預言の賜物を与えられ、神殿の境内で生活していたようです。

プロフェーティス、プロフェーテースの女性形、祭司職は男性だけ。預言者は、女性の職分として認知されていたのでしょうか。確立されたものではなく、現実先行の偶発的なものだったように考えます。

 

男性祭司は、神殿の中の小部屋で暮らす事が出来ました。預言者であっても、女性が、男性の居住空間に侵入することは許されなかった、と考えています。ただし、血の穢れがなくなった後の事は、考えていません。アンナは、境内の柱廊の間などで過ごす事が許されたのではないでしょうか。断食と祈祷が常でした。

 

38節、エルサレムの救いとは、神の前のイスラエルの希望全体を表しています。

イエスは、このエルサレムを嘆きます(ルカ194144)。それは、この町が救い主の訪れの時を見抜けなかったからです。今、ここにある救い、希望の成就を受け入れなかったため、エルサレムを嘆きました。

 

19:41 エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、 19:42 言われた。「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。しかし今は、それがお前には見えない。19:43 やがて時が来て、敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、19:44 お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。」

 

シメオンとアンナの物語を囲む枠組み部分、22243940節、ここにルカの主張を読むことができるでしょう。嬰児イエスの家族、少年イエスが成長する家庭は、モーセの律法を確実に守ろうとする純良なユダヤ人家庭であった、と語られています。家庭と神殿と会堂がイエスの人格を形成しました。ユダヤ教の道徳とその儀式・慣習に沿った生活の中で育てられました。

 

 

マケドニア人と考えられているルカは、何故このようにユダヤ人イエスに拘泥するのでしょうか?福音書記者ルカは、ユダヤ人社会の異邦人、まさしくアウトサイダーです。

その故に、彼はユダヤ人を外から見る事が出来ます。理解できる事があります。

内部のユダヤ人には自明の事柄も、新しい視点で見直す事が出来、それによって関心を深める事が可能になります。

 

それ以上に、彼としては、見た事、聞いたことを語らざるを得なかったのではないでしょうか。彼が、歴史家を自認していた、とか、なろうとしていた、とか言うつもりはありません。彼は、自分の経験に即して書き綴りました。イエスの少年時代のこと、それ以前のことなどに関して、ずいぶんと大仰な事どもが書き残されています。そのことを知っている私たちにしてみれば、ルカ福音書の記者が書いた事は、ずいぶん控え目で、節度のある、抑制の利いた記述になっている、と言わざるを得ません。

 

ルカの主張は、およそ次のようになります。

1神の預言の成就を。神のご計画は、間違いなく進行・発展している。

2その中では、私たちにも役割があり、用いられようとしている。

ユダヤ教とキリスト教、神殿・会堂と教会、律法と福音これらは、ひとつのことの完成、成就と考えられ、主張されます。

 

今私たちは、嬰児イエスをめぐる二人の老人の証言の前に立たされています。

待ち望んでいる人々とは、誰あろう、私たちのことです。今、アンナは、あのイエスについて語りかけています。シメオンが告げた事は、真実である、と証言しています。

救いを待ち望むとは、救いを必要とすることです。自分の義を、正しさを主張する限り、救いを待ち望む事はないでしょう。青年の頃、書いた覚書を記憶しています。

「罪がないなら、キリスト教の救いは不要である。しかし残念ながら、自分の義を主張することは出来ない。自分には罪がある、と認めざるを得ないから。キリストによる救いに身を委ねよう。」