2014年6月29日日曜日

実を結ぶ種

[聖書]ルカ8121
[讃美歌21];57,412,579、
[交読詩編]32:1~7、

 

本日の聖書は、小見出しだけでも六つになります。それぞれがひとつの説教を生み出すだけの内容を持っています。細切れに扱うのではなく、出来るなら、ルカ福音書の文脈の中で、理解したいものです。順次、読んでみましょう。

 

13節、女性たちが宣教活動に参加したことが語られます。

当時のユダヤ教では、律法の教師を支え、援助することは、大きな善行・功徳とされ、勧奨されていました。

ここに記された多くの女性は、身分も地位も高い人であり、経済的に貢献したようです。

ヨハナは、ヘロデ王の家令の妻、ここと2410。スザンナはここだけ。

マグダラのマリアは、七つの悪霊から解放された人物でした。娼婦であったと伝えられます。悪霊憑きは心と体の様々な疾患をもちます。しかし、それがそのまま道徳的・倫理的堕落を起こすわけではありません。女性たちは、自分の自由になる資産を提供しました。

資産を有するものが、それを使う道を見出したことは喜ぶべきことです。

財産も、血筋・家柄もそして能力も神により与えられた恵みと考えます。そして、その有効利用は、私たちに責任があります。与えられたもの全てを感謝して、用い尽くしましょう。そこでは少なからず、社会的・政治的な犠牲を伴うことがあったと考えられます。

ルカは、女性たちに対して好意的な報告をしています。それは、エリサベトとマリアに始まり、使徒言行録全体にわたっています。テサロニケ教会の婦人たちは、言行録174、ベレヤ教会の女性たちは言行録1712、で語られています。

 

母教会の長老・役員の一人。明治学院大学の出身、印刷業、会社経営、

在学中、学生仲間6人で開拓伝道の教会に加わった。肉体労働もやった。賃金獲得。

教会の会堂を建てた。それが、現在の渋谷・山手教会、最初の会堂。その後桜台へ。

自分の仲間は後に神学校へ行き、牧師になった。自分は彼らを経済的に支援することを自分の使命と考え、実業へ進んだ。どちらも献身、と考えます。伝道者になることだけが信仰者の道ではありません。彼は、私たちに、良くこのことを話して聞かせてくれました。

 

次は、415節、種蒔く人のたとえ(パラボレー)になります。

たとえという語は、ギリシャ語ではパラボレー、並んで投げ出されている、を意味します。

英国の学者ドッドの書物が有名です。CHDoddThe Parables of The Kingdom1961

「非常に簡単に言って、譬えというのは一般生活や自然環境からとられた隠喩或いは直喩である。それは聞き手をその生き生きした感じと不思議さとでとらえ、果たしてそれが適確な表現なのかと大いに疑問を抱かせ、能動的な思考へと強く促す、そういうものなのである。」

ドッドは、イングランド北東部ダーラムで、研究生活を送った時期もあったようです。

パラボレーは、格言や諺など短い文や句などにも用いられるが、むしろ拡大され、物語的になっている譬えによく当てはまる。やもめと裁判官、ファリサイ人と徴税人の譬えなど。

  「彼はブルドッグのようだ」、直喩

  「彼はブルドッグだ」、隠喩と呼ばれる暗黙の含みを持つより強い比喩

譬えは幾分かその意味がつかみにくいのである。事柄を開示しながら、その一方で隠すところがある。常に聞き手から何かを引き出し、解釈を要求するものである。

 

この譬えは、その解釈(1115節)においては、寓喩となっています。つまり、話の中の一つ一つの要素が、何らかの他のものを表すように語られている、と言うことです。

ユーリッヒャー以来、ひとつの譬えは、たくさんのポイントを持つのではなく、ただひとつのポイントを持つ、と考えられるようになりました。

譬えが聞き手の精神と心情に何をなすのか、と言うことにこそ解釈は向けられるべきです。

 

聴衆である群衆は、ひとつの疑問を抱いたに違いありません。イエスは何故、彼らが既に知っている事柄を語ったのだろうか、ということです。

それを代弁するかのように、弟子たちから手が挙がりました。

「先生、この譬えにはどういう意味があるのでしょうか。教えてください。」

日本、とりわけここ北海道は、農業の盛んなところです。農業には詳しい方々が多いことでしょう。私は農業体験が殆どありません。その苦しい部分を想像しただけで、手も足も出なくなります。草花に水をやるくらいが良いところです。そんな私にも、この譬え話の種蒔きは、おかしいように感じられます。

 

道端に落ちた、石地に落ちた、茨の中に落ちた、良い土地に落ちた。落ちた,落ちたの連続。わが国では考えられないことです。丁寧に、一粒も無駄にしないように、植えて行きます。ユダヤでは伝統的に、種蒔きは袋に種を入れ、それを背に担ぐか、ロバの背に乗せ、隅にあけた穴から落ちるに任せる、という方法をとります。ずいぶん荒っぽい作業です。

カラスに種を取られそうなら、苗を作り、大きくしてから定植すれば良い、と考えます。茨の害があるなら、耕す前に雑草を丁寧に抜けばよい。

 

こひつじの先生方が、今年は色々なものを植えてみましょう、と考えて、いつものジャガイモのほかに大根や枝豆を植えています。特に枝豆は、プラ容器に土を入れ、種豆が芽を出すまで育ててから畑に植えました。大阪の教会の東へ坂を上ると、有名な帝塚山の高級住宅街。その一角に、さくらんぼの木があります。屋敷の塀の内にあります。実がつき熟し始めると、毎年急いでネットをかぶせ、そっくり覆います。

カラスや、ヒヨドリが一日で食い尽くしてしまうからでしょう。ほかにも枇杷や柿も狙われますが、ここではネットを見たことがありません。食べられていました。果物の値段が上がっています。これからは、果樹にはネットがつき物になるかもしれません。

 

創造のとき、人は地上における神の代理人として、全ての被造物を治めることを命じられました。暴力的な管理が許された、と主張する人もいます。そうではなく、日本人が普通に考えるような調和的な管理、共存共栄できるような管理だ、と考えます。最近は、共生・共棲、共に生き、共に棲む、という言葉が用いられるようになりました。

 

私たちは、種蒔きの方法がおかしいと感じ、そのことに心奪われてしまいます。しかし、この譬えが本来語ろうとしていることは、違うことであったように思われます。そのことを主イエスは、11節以下の解説で明らかにします。

種は何を指しているのでしょうか。神の言葉、福音の言葉と考えます。

種を蒔く人は主御自身でしょう。そして、後の教会にとって、伝道者、説教者となったであろう事も理解できます。そこでは、イザヤ書6910が予言するとおり、同じように語られた福音も、受け入れられることもあり、拒絶されることもある、と教えられます。宣教が進展しない教会は慰められるかもしれません。

 

蒔かれた大地の状況、道端、石地、茨の中、良い土地、み言葉を聞く者たちの状況であることが、はっきりさせられます。かたくなな心、自分中心な心、重荷を負うことを拒み、快楽を求め、自分を満足させようとする心、様々なことは、私たちが能動的に考えることを求めています。それが譬え話の特質です。

 

 み言葉を聞いた人がどのように歩むかを、女性たちの参加という形で、指し示しました。更に、次の1618節が語ります。光を獲たなら、それを輝かせるように求められます。

分かることは変わる事であります。 

 

イエスにとって、家族とはどのようなものなのか?

神の家族は、神の意思を聞いてそれを行う者全てによって造られます。

神の言葉を聞くことと行うこととは、イエスによって作られた交わりに到る道です。

道は、はるか遠くまで続いているものです。何処かに完全があり、そこで終わるようなものではありません。袋小路であれば、また正しい道まで戻って歩まなければなりません。

主は家長として、私たちが立ち返ることを待っておられます。

「見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。」黙示320

2014年6月22日日曜日

ファリサイ派シモンの家で

[聖書]ルカ7:36~50
[讃美歌21];57,151,515、
[交読詩編]69:17~22

先ほどお読みいただいた聖書の箇所、いろいろお感じになったことがあるだろ
う、と感じます。とりわけ熱心に繰り返し読まれている方は、戸惑われたので
はないでしょうか。 “あれ、マグダラのマリアでしょう。ファリサイ人シモンの家だ
っけ?混乱しちゃう、と感じられたのではないでしょうか。頭にナルドの香油を注
いだと覚えているけど違ったっけ、それにベタニア村じゃなかったっけ ”。そして一
番の違いは、 “この油注ぎは、受難に備えるような時に起こった、と記憶してい
るけどなあ”、と言うことではないでしょうか。
こんなにたくさん違うことが思い出されてくると、並の人間は自分の記憶違
い、と思い込みそうになります。私などは物覚えが悪いんだから、と自分叱りな
がら慌てて、聖書のあちこちをひっくり返します。皆さんはご安心ください。間違
っていません。大丈夫。
 似たようなことが、マタイ26:6以下、マルコ14:3以下、ヨハネ12:1以下に記
されています。ルカ以外の福音書は、いずれも受難の出来事の直前、 6日前に、
ベタニア村で起きたことの報告です。時期がルカとは違います。場所が違いま
す。内容・意味が違います。
聖書の小見出しの下の括弧内に、福音書であれば他の福音書にある同様の記事
(平行記事と呼びます)が示されているものですが、ここでは、『罪深い女を赦
す』とあるだけです。
括弧すら見られません。これは翻訳委員会が、三福音書にある同様の記事と同じ
ではありません、と主張しているのです。私たちは、これを同じ出来事のいまひと
つの報告のように見るよりは、むしろ、いまひとつの出来事の特別な報告、と考
えましょう。
聖書研究ではないのでここまでにします。
ファリサイ派のシモンが、イエスを自宅での会食に招待しました。 11章、 14章
でも、主はファリサイ派の人からの招きを受けておられます。名の売れた人、
話題の的になっている人を食卓に招くことは、善行のひとつに数えられていまし
た。しかも食事の部屋は、公開されていて、誰でもその近くで見聞することが出
来ました。
このシモンは、自立した人格であったようです。自分で考え、何が大切か比較検
討し、選び取ることが出来ました。「ファリサイ」という言葉自体、「分かたれ
た」という意味です。他の多くの者たちと違う生き方をすることが出来る。律
法の知識は豊かで、それを実行するだけの熱意と能力を持っている。他の人の
言葉に引きずられることなく、自分で判断し、それを貫くことが出来るのです。
このファリサイ人は、今日の目で見ればマイペースを貫く人と似ています。
マイペース、自分の考えや生活習慣を、いつでもどこでも貫くこと。貫けるから、
それで良し、自分は正しい、と思い込んで行く。非常に主体的であり、ご尊敬
申し上げるが、周囲の人が同じようにしたらぶつかります。日本人の場合、たいて
いの人は、争うことなしに引くでしょう。ますます増長して行くのを見て、関わ
らないようにするでしょうね。お客様扱いするわけです。私は、牧師として間もな
く半世紀になろうとしますが、自分自身を振り返り、反省することしきりです。
同じようであっても、違いがあります。マイペースは、個人的な基準を大事にし
ています。自分だけの基準であって、周辺とその共有ができていない。自己満足
ファリサイは、その社会の高い基準を厳格に護ろうとしている。
この二つの間では、似ているようでも、実は大変大きな違いがあります。
マイペースは、おそらくその周囲の人々の密かな顰蹙をかっているでしょう。
ファリサイは、敬遠されるかもしれないが、同時に敬意を持って見られます。
しかし、ここに登場するファリサイ派のシモンは、守って当然の高い基準を守
ろうとしません。身分高い人などがおいでになったとき、尊敬される人をお招きし
たときなどには、相応しいマナーがありました。歓迎の口づけをします。頭に香り
の良い油を注ぎます。サンダルを脱がせその足を水で洗います。これは、僕に
させず、主人自らするのが当然と考えられました。それは、その家の主人の客人
への敬愛のしるしなのです。これをしない、と言うことは、考えられないほどの非
礼を働いたことになります。
自立、マイペースにはこうした危険が潜んでいます。気付かない、間違った基準
を持つ。
 ここで大きな出来事が起こります。食卓を前に、寝椅子に横たわるイエスの後
ろから、一人の女性が近寄ります。「罪深い女」と呼ばれています。職業的に、
不特定多数の男に身を任せる女性として知られていたようです。実態は判りませ
ん。
この女性は、イエスの足元に近寄り、この家の主人がしなかったことを果たしま
す。
7:37するとそのとき、その町で罪の女であったものが、パリサイ人の家で食卓に着いてお
られることを聞いて、香油が入れてある石膏のつぼを持ってきて、
38泣きながら、イエスのうしろでその足もとに寄り、まず涙でイエスの足をぬらし、自分の
髪の毛でぬぐい、そして、その足に接吻して、香油を塗った。
「香油の入った石膏の壷」、私たちは花瓶のような壷を想像しますが、どうや
ら間違いのようです。女性が首から提げている小さな入れ物だそうです。ここで
はアラバスター、と言う言葉が用いられています。昔、エジプト展を見ました。
アラバスター・雪花石膏で造られた小さな入れ物がたくさん出展されていたことを
思い出します。同じ時に見て印象深かったのが、ラピスラズリです。青い色の
綺麗な石でした
イエスは、これを黙って受け入れられました。
ファリサイ派のシモンは、心の中で言います。「もしこの人が預言者であるなら、自分
にさわっている女がだれだか、どんな女かわかるはずだ。それは罪の女なのだから」。口語訳
主イエスは、ここでひとつの譬えを話されます。
500デナリと50デナリを借りた人がいた。金貸しは、返せない二人の借金を帳消し
にしてやった。どちらが、この金貸しを愛するだろうか。シモンは、『帳消しされ
た額が大きいほうです』と答えます。
 これを聞いてイエスは、ファリサイ人シモンに言われます。
『あなたは、客人に対してなすべき当然のことを何一つしてくれなかった。この
人は、それらを、義務でもなく慣わしでもなく、本当の敬意と愛の心でしてくれ
た。多くを赦されたからだ、と分かります。あなたに愛が少ないことは、赦され
る必要のある罪などありません、と考えていることから分かります。』
47節は、この女は多く愛したから赦された、と読むことが出来ます。愛の功
績です。
しかしイエスが語っているのは、決してそうではありません。
『彼女の大いなる愛が、彼女の数多い罪が赦されたことを証明しているのであ
る。』NEB
イエスは、シモンが考えるような預言者ではありません。イエスは罪の赦しを与
える救い主・キリストです。
「安心して行きなさい」、と言われて、この人はどこへ行くのでしょうか。
「罪深い女」と呼ばれているこの人は、罪の中に帰るように求められたのでし
ょうか。
ある人は、そこが彼女の生きる場所、信仰を証しするところです、と語ります。
私にはそのようには考えられません。彼女には、受け入れてくれる場所が必要なの
です。
「よく来ましたね。ここではあなたを歓迎しますよ」と言う教会です。
福音書記者ルカは、使徒言行録も書いています。どうやら彼の関心は、イエスと
出会った後、人々が共に生きる教会にあったようです。どのような教会を作るの
か?
彼女が必要としているのは赦された者の共同体であり、罪人を赦す共同体なので
す。
ファリサイ派の人の家は、この女性を受け入れる所ではありませんでした。
こ の 家 で 、 罪 深 い 女 性 は 、 イ エ ス を 救 い 主 と 信 じ 、 あ ら ん 限 り の 愛 を 捧 げ ま
した。
闇のような家で、この女性は光を出会い、その光を反射しながら、新しい一歩
を踏み出そうとしています。感謝して祈りましょう。

2014年6月15日日曜日

洗礼者ヨハネ

[聖書]ルカ7:1~12、
[讃美歌21]57,503,535,77、
[交読詩編]97:1~12

7: 20、 John Baptist( AV) 、 小 見 出 し は 、 John The Baptist、 こ れ は 原 文 の 20節 と
同じ。 更にNEVも採用。ヨハネース ホ バプティステース
ヨハネの母エリサベトは、アロン家の娘、イエスの母マリアの親戚の女(ルカ
1:36)。
「あなたの親族エリサベツも老年ながら子を宿しています。不妊の女といわれていた のに、
はや六か月になっています。」
父はエルサレム神殿に勤める祭司ザカリヤ。ユダの山里の町に住んでいたようで
す。
ヨハネは、イエスよりおよそ6ヶ月年長の息子として成人しました。一般に従兄弟
と呼ばれている。成長したヨハネの生活ぶり、その姿は、エッセネ派の宗団のメ
ンバーだったように推測されている。
芸術家の創作意欲を刺激するようで、ダ・ヴィンチを初め多くの作品が残され
ています。
洗礼の場面、アンドレア・デル・ヴェロッキオ(ダ・ヴィンチのお師匠さん)。この
時代、
作品は、工房で製作された。弟子の筆も入っているだろう。
幼児期の二人、『小椅子の聖母』『牧場の聖母』(ラファエロだったと記憶する)。
聖母子像の画家と呼ばれた。
斬首・サロメ、カラヴァッジョ。ギュスターヴ・モロー(ワイルドの戯曲より20年前
の作)
  の作品はとりわけ妖艶なサロメであり、この影響の下、ワイルドは戯曲を書
いたと想定されている。
リヒャルト・シュトラウスは、オペラ『サロメ』を作曲、七色のヴェールの踊りの
場面を大変官能的な美しいものにした。オスカー・ワイルドの戯曲を原作とし
ています。
洗礼者ヨハネ教団由来の資料(ヨハネの誕生物語)を用いたと思われるルカ福音書では、「幼
子(ヨハネ)は・・・人々の前に現れるまで荒野にいた」(ルカ1:80)と記されています。ク
ムラン宗団が「幼児を養子にし、クムラン内部で教育していた」というヨセフスの記述に基
き、洗礼者ヨハネは幼い頃クムランで教育を受け、預言者として登場したのではないか(ジ
ョセフ・A・フィッツマイヤー:The Gospel According to Luke、1981)と言う意見もあります。
クムランの共同体の道徳観念は非常に高く、エジプトの哲学者フィロンが述べているよう
に、病人や老人は共同体の資金で完全に保護され養われます。このような相互扶助は、異国
に囚われた人、身寄りの無い孤児にも及んでいます。禁欲主義が嵩じていささか女性蔑視の
傾向(一人の男に忠実ではないという考えからなのか)があるように感じられます。
獄中のヨハネは、ある日使いを、イエスのもとへ送ります。そして、質問させま
す。
今日の行刑管理から見ると、そんなことが出来るのか、と疑わしくなります。し
かし、マタイも同じことがあったと告げています。ユダヤ風に考えるなら、複数人
が証言するなら、それは真実である、となります。マタイ、ルカ二人の福音書記
者が、別々に証言しました。
更 に 、 当 時 ヨ ハ ネ は 多 く の 人 々 を 惹 き 付 け 、 洗 礼 を 授 け 、 イ ド マ ヤ 人 の 領 主 に
対する果敢な、厳しい批判で拍手喝采を博しました。便宜を図る人がいてもおか
しいとは思いません。これを疑い、否定する積極的な根拠はないでしょう。
この洗礼者ヨハネの出来事は、このところに唐突に出てきた、突然挟まれたよう
に感じられます。ほかのどこでもいいのに無理やりここに置かれた、と言っても良
いでしょう。
時間の経過の中では、いつ起きたことかはっきりしません。その意味では、どこ
におかれていてもよいでしょう。しかしルカにとっては、この流れの中で、ここに
入れなければならなかったのです。
7章 初 め の 二 つ の 出 来 事 、 即 ち 百 卒 長 の 僕 と ナ イ ン の や も め の 息 子 の 生 き 返 り
は、洗礼者ヨハネが自分の弟子たちによって質問したことに対するイエスの応えの
確かさを高め、深める役割を持っています。伏線になっている。
『洗礼者ヨハネに対するイエスのメッセージが語られている次の物語を、あらかじめ指し示す
役割をも持っているのである。それは二つのやり方でなされる。
その一つは、ナインのやもめの息子が生き返ることが、ヨハネに対するイエスの言葉である。
「死者は生き返り」(22節)を確かなものとして支える働きをしている、というものである。
マタイはヨハネに対するイエスのメッセージを記録しているが(マタイ11:2~6)、彼はこの物語よ
り前に、イエスが指導者の娘を生き返らせたことを述べている(マタイ9:18~26)。
ルカはそうはしていない。この指導者の娘の物語はこれより後で語られている(8:40~56)。
それでルカでは、ナインでの死者の生き返りが、ヨハネに伝えられたイエスの活動の要約的な
言葉の準備としての役割を果たしているのである。
二つ目は、この箇所が17節でユダヤに言及していることにより(「イエスについてのこの話は、
ユダヤの全土と周りの地方一帯に広まった」)、ヨハネについての次の物語を予示することに
なっている、という点にある。「ガリラヤ」よりも、むしろユダヤに言及するほうが、ユダヤで
宣教していたヨハネに、イエスの噂が届いていたことを推測させるのである。』    クラド
ック、p165
           
ヨ ハ ネ の 質 問 の 意 味 は 何 か 。 ヨ ハ ネ は イ エ ス に 洗 礼 を 授 け た と き の 確 信 を 失
ったのか。
確かに、獄舎での過酷な生活、孤独、虐待、運命の逆転、これらは抱いていた確信
を失わせるに十分なものであろう。希望と信仰も蝕まれる。
ヨハネは、あなたのほかに待つべきなのでしょうか、と質問させたのです。自分の
亡き後、この弟子たちが誰に従うべきか、自学自習させたかった、と考えます。
決して諦める、断念すべきなのか、とは言っていません。
それに対し、あなた方の見たこと、聞いたことをそのまま伝えなさい、と応え
ます。
ヨハネの弟子たちは、イエスの活動そのものを報告できるほど、十分長く滞在して
いるのです。彼らが見たものは、イザヤ書61:1~2の成就そのものでした。
1 神 で あ る 主 の 霊 が 、 わ た し の 上 に あ る 。 主 は わ た し に 油 を そ そ ぎ 、 貧 し い 者 に 良 い 知
ら せ を 伝 え 、 心 の 傷 つ い た 者 を い や す た め に 、 わ た し を 遣 わ さ れ た 。 捕 わ れ 人 に は 解 放
を 、 囚 人 に は 釈 放 を 告 げ 、 2 主 の 恵 み の 年 と 、 わ れ わ れ の 神 の 復 讐 の 日 を 告 げ 、 す べ
て の 悲 し む 者 を 慰 め 、 3 シ オ ン の 悲 し む 者 た ち に 、 灰 の 代 わ り に 頭 の 飾 り を 、 悲 し み
の 代 わ り に 喜 び の 油 を 、 憂 い の 心 の 代 わ り に 賛 美 の 外 套 を 着 け さ せ る た め で あ る 。 彼 ら
は、義の樫の木、栄光を現わす主の植木と呼ばれよう。
ヨハネの使いが去った後、イエスは群集に向かって話し始められます。
ユダヤの人たちは、憧れと期待を持って、ヨルダン川のヨハネのもとへ行きまし
た。
全員ではなかったけれど、多くの人がヨハネの洗礼を受けました。それは、彼ら
が、風にそよぐ葦を見に行ったのではないことの証でした。
華 や か な 衣 装 を 身 に ま と い 、 贅 沢 暮 ら し を 楽 し む 人 を 見 た い な ら 、 宮 殿 の 入 り
口へ行けばいい。あなた方は知らなかったかもしれないが、預言者を、いや、預
言 者 以 上 の 者 を 見 た の だ 。 彼 は 、 マ ラ キ 書 3: 23で 予 言 さ れ た 、 救 い 主 に 先 立 つ
偉大な預言者なのだ。
あ な た 方 は 、 最 高 に す ば ら し い 、 偉 大 な 人 を 見 た 、 と 知 る べ き だ 。 し か し 、 こ
の偉大さも神の国においては、最小のものとされるだろう。
こ の 主 イ エ ス の 言 葉 を 、 福 音 書 記 者 ル カ は 、 補 足 す べ き だ 、 と 感 じ た の で し
ょう。29,30節を加えました。編集的な加筆になります。
ヨ ハ ネ の 教 え を 聞 い た 民 衆 と 徴 税 人 は 、 神 の 正 し さ を 認 め 、 自 分 た ち の 間 違 い
を 悔 い 改 め る 洗 礼 を 受 け ま し た 。 し か し 、 フ ァ リ サ イ 派 の 人 や 律 法 学 者 た ち
は 、 ヨ ハ ネ か ら 受 け る 洗 礼 を 拒 み 、 罪 の 赦 し を 与 え よ う と の 神 の 御 心 を 拒 絶 し
たのです。
 31節以下によって、このところの隠れた課題が明らかになります。それは神の
民のアイデンティティーです。アイデンティティー、分かりにくい言葉を使って申
し訳ありません。
普通、自己同一性と訳していました。自分が自分であることを証明するものは何
か。
ユダヤ人にとってのアイデンティティーは、割礼と律法です。安息日規定と食物規定
を守ることです。ここでは、食べることが問題となっています。いつ、誰と、何
を食べるか、私たちにとっても大きな問題です今日は父の日、お父さんが家族皆
にご馳走してくれるでしょう。家族のアイデンティティーがかかっています。教会の
アイデンティティーはどこにあるでしょうか。正しい聖晩餐にあります。
 ヨハネは、誰とも一緒の食事はしなかったようです。マルコ1:6
「 ヨ ハ ネ は ら く だ の 毛 衣 を 着 、 腰 に 革 の 帯 を 締 め 、 い な ご と 野 蜜 を 食 べ て い
た 。 」 そ こ で 多 く の 人 々 は 、 「 悪 霊 に 取 り 付 か れ て い る 」 と 言 い 、 イ エ ス が 、
誰とでも、なんでも感謝して食べると、「大食漢で大酒呑みだ。徴税人や罪人の
仲間だ」と言う。
どちらにしても気に入らないのでしょう。今の社会の中でも、それはあり得る
事です。ただそうした場合、自分自身の好悪の情であることをはっきりさせまし
ょう。律法や信仰にかかわらせないでいただきたいものです。
洗礼者ヨハネ、そして救い主キリスト・イエスを受け入れ、正しくその御心を
行 う 者 が い ま す 。 同 時 に 、 自 分 の 立 派 な 考 え を 行 い 、 自 分 の 上 に 称 賛 を 集 め よ
うとする者もいます。
今は区別がつかないかもしれません。それで良い、構わない。やがて、神の知恵
に従っているすべての人によって証明されます。洗礼者ヨハネが証明されているよ
うに。
私たちは、ただきりスト・イエスを仰ぎ見て、学び、道を聞き、歩みを全うしま
しょう。
教会のアイデンティティーは、他のことではなく、ここにあります。

2014年6月8日日曜日

イエスの憐れみ

[聖書]ルカ7117
[讃美歌21];57,482,432,77、
[交読詩編]112:1~9、

 

先ほどお読みいただいた聖書には、二つの奇跡物語、出来事が記されています。

一つは百人隊長の部下の癒し、もう一つは、ナインのやもめの息子の生き返り、です。

私たちにとってどのような意味を持っているのか、ご一緒に考えて見ましょう。

                     

ここには百人隊長・ケンチュリオン(ギ、エカトンタルケース)とその部下が登場します。隊長の部下といえば、多くは兵卒です。ギリシャ語原文ではドゥーロスとあるので下僕、奴隷と言ったほうが分かりやすいかもしれない。

百人隊長は、当時の世界で最強を謳われたローマの軍団の要役である。ケンチュリオンは、百人の兵士の中から、兵士によって選ばれたものです。百人隊の実数は80

 

職業軍隊の時代に絞って考察する。80人からなる百人隊を指揮したのが百人隊長(ケントゥリオー)であり、それを補佐したのが副官(オブティオー)と騎手(シグニフェル)、連絡士官(テッセラーリウス)であり、彼らはひとまとめで幹部下士官(プリンキパーレス)の名で知られた。その他にも、多くの補佐職が存在した。

 百人隊長は、一つの特定の階級と言うよりは、むしろ士官の等級ないしタイプの一つと理解した方が良い。第一歩兵隊の百人隊長は、他の軍団の百人隊長よりも高い地位にあった。軍団の残り9人の百人隊長間の関係は、それほど明らかではない。しかし、一個歩兵隊を構成する6個百人隊の百人隊長はそれぞれ異なる称号を持っていた。

 

現代の、大学や士官学校を卒業して任命される者とは、全く違う。兵士が、自分たちの命を託し、戦闘に勝ち、しかも命を全うして満期除隊の日を迎えるように導いてくれる指揮官を自分たちで選びます。

その基準は、高度な戦争技術・戦闘力を持ち、誠実・公正で名誉を重んじ、勇敢で慎重さを併せ持つ豊かな人格であること

 

ベトナム戦争は、アメリカ国内に大きな悲しみをもたらした。国論が大きく二分されたことはひとつの理由。その戦役が、大尉の墓場と称されたことが、もうひとつの大きな理由だ。国内において、将来を嘱望される青年が、期待に応えようと考え、その第一歩を戦場に選んだ。能力を発揮し部隊を委ねられるようになる。中尉で小隊30人、大尉で中隊300人を統率。指揮官たるもの率先垂範。戦場では最前線に立つ。敵兵はそれを狙撃する。

 

戦場は、いつでも夢も希望もあり、能力も豊かな若手将校・兵士たちの墓場となった。妻や母親を初めとする多くの家族が悲しみの涙にくれた。戦争をするとはこういうことです。息子や夫・配偶者を失い、希望を失い、涙に咽び、終日過ごすことです。

 

この百卒長は、ユダヤ人の宗教生活のために、会堂を新築して寄進しています。ユダヤ人は、自分の家ではないのに、大変大きな負担を求められるのです。それを助けて会堂を寄進してくれた。こういう人を聖書は、敬神家と呼んでいます。ローマの偶像の神々よりも、ユダヤの唯一神信仰に真実を見出していたのでしょう。ユダヤ教徒になる儀礼は通過していないけれども、礼拝の参加し、信徒に求められる多くの規定を、十分に満たしている。

 

この隊長の部下が、病気で死にそうになった。部下とは言うものの、実は奴隷のこと。

それでも、奴隷と主人との関係がどのようなものであったかは分かりません。

 主人、所有者は、奴隷に対して生殺与奪の権を持ち、神のように振舞うことが出来た。

 奴隷は、労働の道具であって、所有主は、人間扱いすることはなかった。

 生産のための貴重な道具であり、主人はこれを大事にせざるを得なかった。

 奴隷制の時代、奴隷なしでは生活が成り立たなくなるので、保持することが大事だった。

   モーセのエジプト時代、ファラオは、奴隷の大量脱走を妨げようとする。

   奴隷解放が始まるのは、蒸気機関による生産機械の誕生があったからある。

 大切な道具を大事にし、可愛がるようなこともあった。

 

ローマ時代は、奴隷制時代。この隊長と奴隷の間には、信頼関係が成立していたらしい。

奴隷が、死にそうになったことで、この隊長が苦悩していることは、信仰仲間の間にも知られる。ユダヤの長老が、使いになって、イエスを招き、病気を治していただこうとする。

イエスは、この使者を通して事情を聞き、ただちに出かける。信仰仲間とは言っても、外国人、占領軍の指揮官の一人である。それでも出かけた。

 近くまで来たところで、隊長の友達が来て、隊長の言葉を伝える。

『おいでいただくには及びません。自分は、あなたを家にお入れする資格などありません。

ただお言葉を下されば、それで十分です。癒す権威をお持ちなのですから。』

 

 それに対し、ここまで来ているのにいまさら何を言うか、とか言って怒るようなことはされなかった。むしろ、『これほどの信仰を見たことがない』、と言って称賛された。百人隊長は、自分の命令が一旦発せられるや、必ず実行されることを知っている。言葉の権威。

それをそのままイエスの言葉に当てはめている。離れたところで、そのことを言ってくだされば、必ず癒される、と信じていた。それは実現・成就しました。

ユダヤ人に限らず、外国人にもまことの神の恵みは与えられる、ということが示されます。

 

使徒言行録10章、シモン・ペトロが迷いつつ、聖霊に後押しされて百人隊長の家に入り、教え、洗礼を授け、異邦人と共にパンを裂く。宣教が、その言葉を異邦人の世界にもたらす時が来る。

 

百人隊長の出来事は、イエスがカファルナウムに入られた後のことでした。百人隊長の家がどこにあったかは不明です。同じ町であったか、その外にあったか、判りません。

時間の経過も、時計を持たない時代の人は、大雑把で十分だったでしょう。

 

 間もなく、イエスはナインの町へ行かれます。ナインという名の町は、さっぱり分からない。多くの人々が一緒に動いているので、余り遠いところではなかろう、と考えられています。たぶん、ナザレの南東にあった町の古代名だろう、と推測されています。カファルナウムのあるガリラヤ湖沿岸地帯から、故郷であるナザレ一帯は、主イエスが良く活動されたところのようです。

 町の門に近づくと、ちょうど一人の息子の棺が、担ぎ出されるところに出会います。

ユダヤでは、最も貧しい人でも葬列に泣き女一人、笛吹き二人を求める権利があったそうです。亡骸は、担ぎ台に乗せて運ばれます。家族や友人たちが担ぎます。

一人息子、母親はやもめ、年齢など、何も伝えられません。これを書いているルカにとっては、不必要なことでした。やもめの母親にとって、息子の死は、最後の希望を取り去られることであった。ことによると、彼女の生計の唯一の支え手でもあった、かも知れない。

棺を担ぐ人たちはいるが、親戚の者たちのことは語られていない。孤独さが身に沁みる。

親が子どもを埋葬すると言う、自然の摂理の逆転に伴う悲嘆は、子が親を葬ることとは比べ物にならない。

 

 厚別でも、結婚式を控えた女性が行方不明となり、遺体となって発見され、葬儀が行われました。ほかにもいくつも起きています。かつて、戦争があった頃、多くの男たちが戦場で命を落としました。遺族は、父親、母親たちは立派に振舞いました。「息子は国のため戦いました。天皇陛下万歳」などと語ることが立派な振る舞いでした。その陰でどれほど多くの涙が、人知れず流されたことでしょうか。

 

 イエスは、この母親を見て、「憐れに思い、『もう泣かなくてよい』と言われ」ました。

この憐れに思い、という言葉は、ギリシャ語ではスプラングクニゾマイとなっています。

心臓、肝臓、肺などの内臓器官を指す名詞が元になります。内臓は、人間の深い感情の宿るところ、と考えられ、やさしい思いやり、切なる憐れみ、同情、熱愛などを表すものとなりました。表面的なものとは違う、深い心の動きに対して用いられます。このところでは、悲しむ母親、愛する者を失い、独りぼっちになってしまったやもめの心情を共有するイエスの心を感じさせられます。

 

主は、この母親には『もう泣かなくともよい』と言われ、棺に手をかけ「若者よ、起きなさい」と言われました。棺も国や時代によってずいぶん違いがあるようです。この棺は、日本で馴染み深い木製の桶や箱ではなく、柳の枝を編んだものだったろうと言われます。そこで起きたことは、まさに奇跡です。離れた所から百人隊長の僕を癒したのと同じイエスの言葉(7節)が、ここでは死者を生き返らせる力を持ち、それが発揮されているのです。失われた息子を、その母親の手にお返しくださいました。母親の涙をぬぐってくださいました。

 

異教徒、外国人に対して、イエスはその憐れみを向けられました。

彼らの信仰を、公平にご覧になって評価され、それを受け入れられました。

孤独なやもめの悲しみを共有されました。

失われた命を回復されました。

今私たちは、主イエスを悲しみのときの慰め手として見出すことが出来ます。

喜びの日にも、共に喜んでくださる方として見出すことでしょう。

主イエスの憐れみは、私たちの苦しみ、悲しみ、喜びをもっとも深いところで分かち合うことです。感謝して祈ります。