2014年11月30日日曜日

神の国の戸口

[聖書]ルカ131830
[讃美歌]490,459,575、
[交読詩編]25:1~14、

同じ一つの主日に、二つの呼び名がついている。いかにも奇妙なことです。なぜ?

いかにも尤も至極に聞こえる理由付けがなされます。旧約聖書のうち、どうしても教会暦として読むべきものがある、ということでした。それが、こひつじの聖書として読まれた創造物語と出エジプトの出来事です。それを教会暦の終末の時期に読むべきだ、と主張されました。これらが、読まれるべきなのに、読まれていない、という指摘には感謝します。

しかし、それをこの時期に無理やりはめ込んで、混乱させる意味があるのでしょうか。別途、連続講解説教を試みる。三位一体主日の中で、聖書と主題を変更する形では出来なかったのでしょうか。

 結果は、教団内での混乱です。一致することができません。

諸教派の間の不信です。異なる教会暦を立てるようでは、これまでの教会再一致運動は無駄だったということになる。教団は何を考えているのか。信頼できない。

 

 神学生時代、村田四郎先生が、こんなことを言われました。

「君たちは、やがて教会に赴任し、説教することになる。すると重箱の隅を突っつくような説教をして満足したくなる。それは止めなさい。若い時は、自分の新知識をひけらかしたくなる。それは出来るだろう。しかし君たちの務めは、福音を解き明かすことだ。自分を誇ることではない。グレート・テキストと呼ばれる聖句がある。苦労だろうが、それと取り組みたまえ。」

 

 これまで、よく思い出し、反省してきました。成果が上がらないので申し訳ありませんが、これでも随分反省し吟味しているつもりです。教会暦との関連は、小異を強調するのは、自分の学識能力をひけらかすことに似ている、ということです。

それでも教団内の大方の教会がこれを用いるなら、止むを得ません。教師の友、信徒の友、

牧師手帳など教団出版物に用いられていますので、一般的な表記と共に併せて書くことにしてきました。御理解いただければ幸いです。

 

さて、本題に入りましょう。からし種とパン種のたとえです。

1821節にあります。これは共に神の国を譬えたものです。

何故、二つの譬を続ける必要があったのでしょうか。

からし種は、神の国の外的な成長発展を表します。どんどん伸びて行く様を示しています。

パン種は、神の国、イエスの力が内的に充実、盈満することを顕わします。

これから後、神の計画のうちでは、そのご支配は限りなく大きく拡張されて行きます。

その拡がりは、今の時点では想像することすら出来ません。全地を覆うようになります。

二つの譬は、それぞれの意味を持ち、神の国の充実と発展を表し、教えています。

 

 私たちは、その結果を今見ているので、そのままなるほど、と受け入れようとします。

しかし、主が語られたその時代の人々ユダヤ人は、どうだったでしょうか。

彼らは、ローマ帝国の片隅の民。意識としては、唯一の神がお選びくださった民、この我らこそが世界の中心。しかし現実は厳しい。古い約束だって、どうなるかわからない。その成就、実現を待っている。メシア、救いの王が到来することを待っている。

主イエスの時代、主の教えに耳を傾け、その奇跡を見ようとする人は多かったでしょう。

しかし、ユダヤの一地方のことであり、ローマ帝国の、東の辺境の出来事です。広大な帝国の中のことと考えれば、ほんの僅かな人でしかありません。神の国の充実、進展も、夢物語に過ぎないのではないだろうか。

 

21節までの譬による教えは、人々の心に疑いを引き起こしたに違いありません。

イエスは、エルサレムに向かう道すがら、機会を捉えて、この疑いに答えようとしておられたのでしょう。すると、一人の人が質問しました。『救われるのは少数なのでしょうか』。

大変面白い質問です。これをどのように理解したものでしょうか。

私は、これを質問した人は、少しだけであれば、自分はとても無理だろう、と考えていたのだろう、と直感的に感じました。消極的ですね。自分の性格が出るものです。

違う解釈があります。自分は、イスラエルの末裔であり、神の民の掟も守ってきた。神の国は、大丈夫、保証されている。仲間はどれほどだろうか。こうした意味です、と示唆されました。積極的で、ずいぶん自信を持った人だなあ、と感じました、

 

この質問に、主は答えられます。22節以下です。質問者だけではなく、同じことを考えているすべての人に対する答えとなっています。随分つれない答え方です。時についての問(172021)と同様、これは人間の知りうることではないからです。大学や、レベルの高い講演会では、質問者に対して、司会者が質問の意味が分かりません、と答えることがあります。あるときには、これは良い質問、私も答えを伺いたい、と言うこともあります。この質問は、イエスに対する質問に相応しくない、と言われている、と感じます。

 

入学・入園の定数とは違います。神が赦し、招かれた者であって、その数に限定があっても、神のみぞ知りたもうことです。神の国へ入るためには、自らの努力が必要です。御国の戸口が狭くなるのは、その人が努力しないためです。その人のためには、戸口は充分に広い、そこを通れますよ。千歳空港には、歩行者のためのベルトがあります。立ち止まっていても運んでくれる優れもの、と考えていました。最近気付きました。「立ち止まらないで歩いてください」。間違いのない、正しい方向のベルトに乗り、ゆっくりでもその方向へ歩くことが大切です。

 

それでも通れない人が多いのです。招かれていて、やって来ても、時間に遅れて、戸が閉められてからでは、もう入れません。戸の外に立って、戸を叩いても、叫んでももう遅いのです。これは、黙示録320を思い出させます。「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。誰か私の声を聞いて戸を開けるものがあれば、私は中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、私と共に食事をするであろう。」

 

これに対して、戸の外の者からは、反論があるだろう。「ご主人様、御一緒に食べたり飲んだりしました。広場で教えを受けたりもした仲間です」。神殿における祭儀的な食事や、教会の聖晩餐が意味されているようです。ユダヤ教や後のキリスト教会が言われています。そうした仲間であっても時間制限があり。扉は閉じられれば二度と開かれません。遅れては入れません。間に合うためにも努力が必要です。

 

27節は厳しさを増した言葉です。「不義を行う者ども、皆私から立ち去れ。」

アディキアスは、不正、不義、悪事、害、などを指します。神との関係の正しさが義です。

既に、遅れてくること自体、不義とされるでしょう。

また自分たちは預言者の子である、と自負している民族です。そのご先祖様が、神の国に入っているのに、何故自分達が入れないのだ、と言って歯噛み、歯軋りする者も多くなる。同時に、東西南北、あらゆる方角から予想すら出来ない人々がやって来ます。 

そして、神の国の宴席につくのです。逆に、自分は大丈夫と考えていた人々が、高括りをしていた人々が、閉じられた戸口で、大声で叫び、歯噛みしたりすることになります。

 

 今こそ、救いの日、救いの時です。

Ⅱコリント62「いまや、恵みの時、今こそ、救いの日」

戸口が閉められないうちに、神の国の門をくぐりましょう。

2014年11月23日日曜日

安息日にいやす

[聖書]ルカ131017
[讃美歌]490,17,474、
[交読詩編]18:47~51、

私の母教会では、待降節に入る前の主日は『終末主日』、と呼ばれていました。

待降節・アドベントから教会暦の一年が始まります。それが来週に迫りました。

わたしたちの信仰は、聖書にその起源を持ちます。その聖書は、全てのことには初めがあり、はじめがあれば終わりがあることを示します。この世界は、初めから終わりに向かって直線的に進んで行きます。

特別に、終わりの時を覚えて礼拝を捧げよう、と考えるのが『終末主日』です。教会は、世俗とは別の、独自のカレンダーを持って、時の流れにメリハリをつけ、信仰生活に必要な事柄を学び、考え、伝えて行こう、と考えたようです。

 

厚別教会は、創立50周年記念礼拝、感謝会をひと月ほど前に守りました。その短い歴史のうち22年間、半分近い時を、この教会の牧師、幼稚園の園長、宗教主任としてお働きくださったのは、荒木勇先生でした。金曜日未明、天に帰られました。私より45歳年長の先輩。御遺族からは、土曜日10時から大谷地ベルコで葬儀。ただし、近親者だけで行いたいので、参列は辞退する、と教区に連絡があったようです。それを聞いて私も自粛、といったん決めましたが、朝になって行くことにしました。学校の後輩が一人でもお見送りした、と言えるように。

終末主日の前に、医師の見立てでは、もっと早い時期だったようですが、苦しかったでしょうが、頑張って生き続けました。ぎりぎりまで生きた。私たちに終末があることを知らせようとされたのです。

終末は、この地球が崩壊することではありません。この私が、神のみ前に進み出て、裁きを受けることです。

 

『イエスの時代』と題された書物があります。ドイツ人の神学者コンツェルマンなどが、ラジオで放送したものを一冊の書物に編集したもの。1966年原書出版。その第9章はエドウアルト・ローゼが書いた「神殿と会堂」に宛てられています。その起源を探り、現代の様子に及びます。

会堂は、証拠はないが、ディアスポラ(前587年、バビロン捕囚)のユダヤ人たちが、神の言葉と戒めを聞ける場所を設けたのが最初であろう。その後各地に広まっていった。イエスの時代には、ユダヤ人が住んでいる所には会堂がある、という状態であった。

「其処でユダヤ人共同体は礼拝をなし、律法を研究し、子ども達を教えた。」そればかりではありません。帝国内では、国家の保護を得ていました。集会の自由の権利を行使できました。「財産を所有し、貧民に施与をなし、財政を自主管理し、固有の墓地を設け、固有の裁判さえ行うことができた。」146p

会堂長(会堂司)は、一人の会堂役人の補佐を受け、幹部会(通例3人)を指導して、神の礼拝を秩序よく遂行することに務めた。

礼拝を始めるには、少なくとも男性10人の出席を必要とした。

礼拝の式次第は、現代に到るまで、その根本的な特長に変わりはない。二部構成。

 

最初の部分は、唯一神に対するイスラエルの信仰告白によって始まる。有名なシェマー・イスラエール、「聞け、イスラエルよ。われらの神、主は唯一の神なり」(申命64)。

それに続いて十八祈願。これは先唱者が唱える言葉に会衆が「アーメン」即ち「その通りです」と答える。最後になる前に祝福(民数62426)があるが、このとき祭司がいれば祭司が、いなければ会衆の一人が神に向けた祈願の形で祝福を口にする。その後頌詞。

「汝の平和をその民イスラエルの上にたれたまえ、且つわれら一同を祝福したまえ。汝の讃えられんことを、平和を創りたもう主よ! アーメン」。これが18番祈願。

 こうして礼拝は第二部にはいる。具体的な、教える部分である。

聖書の律法つまりモーセ五書と預言書から読まれる。会衆の中に、この言葉の解釈をすることができる者がいる時は、説教が行われる。ルカ41621は、ナザレの会堂での礼拝の様子を描いている。安息日、会堂でイエスは朗読しようとして立ち上がる。会堂の役人は、預言者イザヤの巻物を差し出した。イエスは61章の最初の部分を読み、そして話された。驚くことにたった一言。『この聖句は、あなた方が耳にしたこの日に成就した。』

 

 ユダヤ人が、ローマ帝国内で享受した諸権利は、ユダヤ戦争の後もそのままであった。

従って人々は、神を讃美し聖書を学ぶために、引き続き集結し、宗教の違う世界の只中でもユダヤ人として生きることが出来た。

 

 イエスの頃の会堂の魅力は大きかった。神の肖像もなく、供物をささげる事もない簡素な礼拝は、多くの者に深い印象を与えた。 

多くの非ユダヤ人にとっては、会堂でのユダヤ人の集会は、まるで聖書を研究するために古の賢者達の例に倣って集う、哲学的教養人の世界のように思われた。

 

 現代の日本社会では文字を読み、書き、考え、それを他人に話すのは当然のこととなっている。良いことだと考えるが、これが要求となり、価値判断の基準となるようでは、悪いことになる。自分ができることを他の人にも要求する、人生いろいろ、生き方様々。

古代世界では、識字率はとても低いものだった。

 

徳川時代の国民識字率は、7080%にも達していました。もちろんこれは世界一の識字率であり、日本人は高い教養を誇っていたのです。これは寺子屋の数、寺子屋へ入塾した人数の記録或いは推計をもとにした数字。絶対なものではないし、正確さは求むべくもありません。ただ、幕末期、來日した外国人が、誰でも文字を読み書きすることが出来る、と驚いています。識字率は、国民の教養、民主化度などを測る尺度の一つ、とされます。

18世紀の識字率は、ロンドンが20%程度、パリが10%未満でした。日本はダントツです。

 

William V. Harrisは、紀元1世紀のローマにおいて、識字率が10%を超えていたことはありそうにないとしている4。またRohrboughは社会科学的な見地から、マルコ福音書が成立した農耕社会では、識字率は2-4%であったと見積もっている。

 

イスラエルでは、聖書を読めないのは罪である、との考えから、非常に高い識字率であった、と言われる。読むよりも記憶することが大切であり、読むことは暗誦能力を妨げる、とも言われる。印刷・出版・購買の技術的問題を考えるなら、個人が聖書を所有することは考え難い。読むより暗誦を重んじたという説を支持したい。また聖書自体が暗誦のための工夫を施していることも考慮されたい。アルファベット歌など。

こうした状況の中で、イエスは会堂に入り、いつものようにモーセ五書や預言書を朗読されます。ユダヤ人イエスは、決して会堂・シナゴーグに反対するようなことはなかったのです。また、イエスの弟子達もかなり後まで、会堂に出入りしていたことが知られています。

おそらく、そこで朗読された聖書に関して教えられたことでしょう。何処を読まれたか、知りたいですね。でもルカはそうした関心を切り捨てています。ここでの出来事に急ぎます。やはり、福音書です。福音の出来事に集中しようとしています。

私たちもそうしましょう。

 

 どこの会堂でも、律法について厳しく教えていました。当時、教育は家庭と会堂、二つの場が中心でした。家庭では、日常生活のしつけの形で行われます。安息日に関しても。病気のいやしを求める者たちがやってきますが、彼らには、癒しのためには、安息日以外の日々がある。その時に来なさい、と。それでも突然のことで、来なくてはならない事情もあったでしょう。

 ここに展開されたことは全く違います。意外なことでした。

この会堂に一人の女性がいました。どのような事情でここにいたのかは分かりません。婦人の席の大勢の一人です。きっと片隅にいたでしょう。その故に目に付くこともあります。イエスは、この人に眼を留められました。そして呼び寄せられます。どうして、この人の状態や求めに気付かれたか、何も語られません。椅子に掛けていても、その姿勢から分かることもあるでしょう。なんら、会話がないのにイエスは、事情に通じておられます。

会話とか、誰かほかの人が事情を説明したことが省略された可能性はあります。

この婦人は、18年間も腰が曲がったまま、伸ばすことができないのです。

ルカは、病の霊に取り付かれている、と記します。痛みもあったのでしょうか。病と書くのは、この人が病気の苦しみを感じているからです。病の故に、一般の女性の中からも除外されました。この苦しみもあります。

 

 ある教会の会計役員をしている年輩のご婦人、長年にわたって腰がくの字に曲がっていました。それでも買い物籠を片手に、杖は持たずに、一人で何処へでも出かけられました。血色もよく、話し方もしっかりしています。病気とは考えていないようです。御主人と末娘さんと御一緒の生活です。教会の皆さんからも頼られていました。

 

 イエスは、18年間、腰が曲がる病のため苦しんできた婦人を、その苦しみから解放してあげます。病の霊の束縛を解き放ち、自由にしてあげました。

この出来事には特徴があります。これまで、いやしの出来事を読むことがありました。ここでは、この女性は何も求めていません。いやしを求める声もあげず、何らかの仕草もしてはいません。またイエスの側で、この人の信仰を問うようなこともありません。

 

 会堂長は、イエスが癒しをなさったことを怒ります。そして直接ではなく、会衆に向かって、六日の内に来るが良い、といつもの教えを繰り返します。勿論イエスに対する言葉です。イエスは、会堂長に言われます。「偽善者よ」。ヒュポクリテース、仮面劇の俳優、演技、

そして、ここでは取り上げられていない別の教えを語ります。安息日に関する細則のようです。安息日に許されていること、許されないことを具体的に定めています。

安息日であっても、牛やロバを飼い葉桶から解いて、水を飲ませに連れて行く。牛やロバはその縄目を解かれる。この女は、自由な者、アブラハムの娘として生まれたわれわれの同胞、同族の者なのに18年間もサタンの縄目に苦しんでいたのだ。その縄目を安息日であっても解いてやるべきではないか。会堂長こそ慣わしに縛られています。

現代のアラブ人、イスラム教徒もアブラハムの娘。何故戦争をするのか。

 

 人々は、様々なものに縛られ、拘束されています。ユダヤ人は、モーセの十戒やレビ記、申命記の律法。更に、後の時代の学者達が造った細かい掟に縛られていました。

パウロは、ガラテヤ4910でこうした縛りについて語っています。

「しかし、今では神を知っているのに、否、むしろ神に知られているのに、どうして、あの無力で貧弱な、もろもろの霊力に逆もどりして、またもや、新たにその奴隷になろうとするのか。あなたがたは、日や月や季節や年などを守っている。」

主は、私たちを、創造の時の自由の民へと返してくださいました。私たちを押さえつける悪の霊、それは病気であり、悪い慣わしです。それらを追い払い、自由にしてくださいました。愛と正義、自由と公平な世界へと向かいましょう。

2014年11月16日日曜日

悔い改めなければ

[聖書]ルカ1319
[讃美歌]490,11,483,77、
[交読詩編]77:2~21、

 

3月以来の千歳空港でした。帰りの羽田も同様でしたが大変な混雑振りでした。空港会社、航空会社、関連の諸企業は笑いが止まらないことでしょう。

田浦教会は、札幌教会や厚別同様、メソジスト教会でした。横須賀基督教社会館の活動から生まれた教会。阿部志郎館長も会員で、ご出席でした。現在は無牧、四月には、同じ教区内の教会の副牧師を迎えるようです。

初めての経験もありました。献児式です。式文試用版が、新しく採用しました。私には孫になりますが、吉住家の三人の子ども達のために、執り行いました。私的なことのようですが、教会の大事な使命の確認になるかもしれない、と考えお引き受けしました。式の前に、次のように話しました。(『献児式に関する覚書』参照)

 現代の教会では、幼児洗礼に対する批判が強い。主体的、知的理解に立った告白でなければ意味がない。それは理解するが、息を引き取ろうとする者、知的理解力に問題がある者、などは救いからはずされるのか。幼児洗礼の起源は、何処にも書かれていない。未知のことなので、推測してみる。迫害の時代、殉教しようとする信徒が、自分たちの子どもの養育を教会に依頼し、教会はその責任を担うことを決意し、それを幼児洗礼に表したのではないか。献児式は、そうした事情を語らないが、示している。

今でも事情は同じだ。戦争、事故、病気、等々、生命の危機は大きい。これは教会の責務だ。

 

礼拝後、感動しました、と言われました。お礼状もいただきました。

「献児式では、教会員としての責任を痛感いたしました。神に愛され、神の家族に見守ら

れ、立派に成長されるように祈ってまいります。」

 

久しぶりの経験もありました。聖餐式のニーリングです。年齢と共にひざが弱り、曲げることができなくなります。椅子が用意され、着座して聖餐に与る方もありました。

翌日は、三笠公園にある記念艦三笠を見学しました。ご存知のように、日本海海戦のとき、連合艦隊旗艦として、東郷司令長官が座乗した歴史的戦艦です。日本人よりも諸外国の海軍軍人、海事関係者の間で人気が高く、評価されています。

 

その後は、隣にある横須賀学院に旧知の院長先生を訪ね、お昼をご馳走になり、歓談。羽田に向かいました。横須賀学院は、戦後創立されました。アメリカ海軍基地司令官の要請と青山学院の決断、鎌倉雪ノ下教会牧師初めとする三浦半島の教会の協力によります。

院長は、学院は地元の教会に支えられることを大事に考えている、と話しました。

前日の礼拝で司式者は、代務者と学院をお守りください、と祈りました。

大変良い関係が、出来上がっている様子に嬉しくなりました。

 

横須賀学院の概要  太平洋戦争後、横須賀は大変な混乱でした。司令官デッカー大佐は、キリスト教教育による平和を作り出すことを考え、地元の教会とキリスト教学校に相談。旧海軍工機学校(海軍機関学校)跡地に、古坂嵓城・松尾造酒蔵らが横須賀におけるミッション・スクールとして法人設立。当初は学校法人青山学院横須賀分校として設立、その後横須賀学院として名称を変更するが教育提携は学校法人青山学院である。青山学院大学への推薦入学者も多い。小・中・高の一貫教育、高校への外部入学あり。音楽・英語・武道に実績あり。男女共学、『敬神愛人』を建学の精神とする。

 

お天気は、暑かったの一言。スーツを着ているだけで汗が出てきます。10月末まで夏日があったそうです。帰って来ると、多くの人は、コートにマフラー、手袋。私も、新札幌で車両から出るときはコートを着ていました。

 

さて、ルカ1319は、二つの部分に分かれていますが、どちらもルカ福音書独自の記事となります。一読するだけでは、無関係な話が二つ続いている、と感じるかもしれません。それでも、しっかり結びついていることを確認したい、と願います。

 

最初のエピソードは、残酷な出来事の報告で始まります。イエス様は、この出来事をご存じなかったのかもしれません。少なくとも、これを知らせた人たちは、そう考えたようです。実際の出来事がどのようなことか、どのような意味を持つかは判りません。書かれていることからは、総督ピラトが例によって気紛れで残虐な性格を発揮した、と言うことがわかります。ガリラヤの人たちを殺し、彼らが捧げた生贄の血と混ぜた、神殿に対する冒涜でもあります。

これを知らせた人たちは、このような災難に遭った人たちは、他の人たちよりも罪深い、と考え、イエスの見解を聞こうとしていました。彼らの考えの底には、この犠牲者達は、エルサレムの人間よりも罪深かったのだ、という考えがありました。ユダヤ人一般の考え、信仰に、「罪なき義人は健康で繁栄し、罪深い者は病気で窮乏する」というものがありました。それを主イエスは否定されます。

エルサレム城中に、有名なシロアムの池があります。その塔が倒れて18人が亡くなりました。これも同様に考える人が多かったのでしょう。彼らは罪深いから、自業自得。

ヨハネ9章には、生まれながらに眼が見えない人の癒しが描かれます。人々は、この視力障害は、誰の罪によるのでしょうか、と質問します。主イエスは、誰の罪でもない。「神の業がこの人に現れるためである。」と言われて、目が見えるようにしてあげます。

 

知らせた人たちは、自分はガリラヤ人や、シロアムの人たちとは違う、自分たちは大丈夫だ、と考えていたことでしょう。悔い改める、メタノオー、方向転換することです。どの程度転換すれば悔い改めになるかは判りません。180度の転換が期待される、と言う人もあります。過去に属するすべてを否定すると、根無し草になってしまいます。

それ程に方向転換が求められているのでしょうか。確かにそうでしょう。

「罪を激しく憎むほどでなくては、罪から離れることは出来ない」と聞きました。

 

イチジクの木の譬では、実がならない状態と、実を付けるようになることの間に、悔い改めと同様の方向転換を見ることが出来ます。結実しない木が、結実するように変化します。実を結ばなくても生きることは出来ます。自己完結的に、自己中心に生きることは出来ます。自己満足も出来るでしょう。然し、実をつけて周囲の人を、そして神を喜ばせる生き方も出来ます。大きな悔い改め、方向転換です。その次の年がどうなるかは問題にされません。来年だけです。継続するかどうか、誰にわかるでしょう。その命は、来年限りかもしれません。問題は「今」です。  

Ⅱコリント62でパウロが語ります。「今や、恵みの時、今こそ、救いの日。」

口語は少し違います。「見よ、今は恵みの時、見よ、今は救いの日である。」

原文ではイドゥーがあります。これは間投詞化(さあ、ごらん、ほれ)しているが、『見よ』と言う命令法の要素が残っていて、純粋に命令の形で用いられることがあります。

新訳は、この語を不必要なものと考えたようです。文章を書く人は、たった一つの言葉にも意味をもたせます。不必要なものなどありません。書いた人の気持ちを考えるべきです。

 

しっかりと、今の時を見極めることです。神は、より多くの人が悔い改めることができるように、主の日の到来を遅くしておられるのです。

恵みを感謝して、今の時のうちに、悔い改めようではありませんか。                                      

2014年11月2日日曜日

食い、飲み、わずらうもの

[聖書]ルカ121340
[讃美歌]490,361、441、
[交読詩編]1:1~6、

本日は、永眠者記念礼拝です。キリストを信じる信仰を持って、み国へ召された方たちを偲ぶ時です。それに相応しい説教ができるように、と願っております。

前主日は、50周年記念行事のため、役員会から主日礼拝はなんとしても1130分には終わらせたい、と要請されました。それにお応えして、説教も短くしました。申し訳ありませんが本日は、のんびりと、御霊が語らせるままに、委ねて語らせていただきます。

ただ、説教テキストは、34節までと致します。


ここには三つのことが語られています。

貪欲1321節、心配2232節、簡素な生活の勧め3334節、

 

群衆の中のある人物、遺産相続に関して悩んでいたようです。

遺産相続、財産分与に関する定めは、わずかですが旧約にあります。

〔民数27111〕、278あなたはイスラエルの人々に言いなさい、『もし人が死んで、男の子がない時は、その嗣業を娘に渡さなければならない。

27:9もしまた娘もない時は、その嗣業を兄弟に与えなければならない。

27:10もし兄弟もない時は、その嗣業を父の兄弟に与えなければならない。

27:11もしまた父に兄弟がない時は、その氏族のうちで彼に最も近い親族にその嗣業を与えて所有させなければならない』。主がモーセに命じられたようにイスラエルの人々は、これをおきての定めとしなければならない」。

 

〔申命211517〕、21:15人がふたりの妻をもち、そのひとりは愛する者、ひとりは気にいらない者であって、その愛する者と気にいらない者のふたりが、ともに男の子を産み、もしその長子が、気にいらない女の産んだ者である時は、

21:16その子たちに自分の財産を継がせる時、気にいらない女の産んだ長子をさしおいて、愛する女の産んだ子を長子とすることはできない。

21:17必ずその気にいらない者の産んだ子が長子であることを認め、自分の財産を分ける時には、これに二倍の分け前を与えなければならない。これは自分の力の初めであって、長子の特権を持っているからである。

 

定めがあっても、これは弟の考え或いは求めに沿うものではなかったようです。

当時、財産の分与などは、律法の学者が裁定する習慣だったようです。しかしこの男は、学者以上に財産を公平に分けるように指導できる精神をイエスの中に見出したのでしょう。

律法の表面ではなく、その内奥に分け入って、公平に導くことです。

財産は神から与えられたもの。ただし十二部族単位で与えられた嗣業があります。

これは絶えず部族内に留めることが求められてきました。

 

一般的に言えば、遺産相続は、独立できる長男には薄く、と言うのは末子相続法。

たいていは、長子が多くを相続します。これはその財産が他部族・他家などに流出しないように考えられています。

息子がいない場合、娘に分与されるが、結婚によって他部族に流出しないように条件付けられました。家付き娘となり、入り婿の形を必須としたものです。

 

モーセの律法には、遺産相続法或いは財産分与に関わる定めが少ない。考えてみました。

イスラエルの財産は土地所有でした。分割相続は、繰り返されると、そのたびに細くなり力が弱くなります。時代によって方法を変えたほうが、神の民を強く保てると考えたのではないでしょうか。融通性を求めて、イスラエルは律法学者による裁定という形を決めました。多くの人が納得した方法にも反対する人はいます。自分にとって不利益が生じる、となれば、益を与えてくれる分割法を、或いは裁定者を、求めるものです。

 

イエスは、このような財産分割を裁定するためにこの世界内に来られたのではありません。

まことの命に関わるためです。そこで、いのちと財産に関する譬を話されます。

一人の金持ち,彼はこれまで満足を知らなかった。不満足は不安のもと。

ようやく大豊作。従来の倉庫に入りきらない。壊して新しい倉を作り、其処に財産も穀物もみな納め、自分に言い聞かせよう。「さあ、これから先何年も生きていくだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ。」    然し神は言われます。

「愚かな者よ、今夜、おまえの命は取り上げられる。おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。」

 

人の命は、自分で決めることは出来ません。

40年以上前のことを思い出します。結婚が決まり、母と話をしていました。

母は、牧師なんかで生活できるのか、と心配していました。生活設計、とりわけ出産。育児を気にしていました。何気なく、子どもは数年後のことにして、と話したところ、急に態度を改めました。「おまえは、牧師だろ。この国では、子宝といって、天からの授かりものというんだよ。結婚したら子どもは授かるもの、と考えるんじゃないのかい。キリスト教はどうなんだい」。返す言葉がありませんでした。生まれる、死ぬ、命のことは、人の手にはありません。祝福された結婚、待たれた出産、期待された成長、どれほど多くの命が失われたことでしょう。小樽海水浴場近くの乗用車のひき逃げ事件、四人の若い女性の命が奪われました。好事、魔多し

この夏、928日、御嶽山の噴火災害があり、多くの人が亡くなりました。多くの人が悲しみの中にあります。好きな山に登って死んだ人は、いくらか慰められます。これからいろいろなところへ旅行して楽しもう、と考えていた人もいるでしょう。その人にとっても、周囲の人にとっても悲しいことです。救助、捜索に従事した人たちも連日1000人規模、探し出したい、連れて帰りたい、家族の手に引き渡したい、との思いで頑張りました。

警察、消防、自衛隊、地元役場。不明者が残りました。口惜しかったでしょう。

 

教会へ行くようになった頃、夏の修養会が開かれました。45年連続で軽井沢でした。長老さんがご自分の経験を話されました。着ているYシャツを示して、このシミはほんの数年前、この前年、浅間の噴火で危うく生き延びた証しなのです、と話されました。1960年より前のことです。浅間は、45年おきに小噴火を繰り返す活発な活火山として有名です。   今回、浅間山の監視体制や、入山規制などは取り上げられませんでした。もっと語られるべきではなかったでしょうか。それとも、ふもとの軽井沢が有名な避暑地であり、有名人の別荘があるので特別扱いされている、とでも言うのでしょうか。

 

浅間山の噴火(気象庁)、1958年、小噴火、火砕物降下、火砕流。噴火場所は釜山火口。

1958(昭和33)年:10 12 月活発に噴火。11 10 22 50 爆発、爆発音の可聴域大、多量の噴石、火砕流、降灰、噴出物総量3.6×105m3、空振による山麓のガラス・戸障子の被害広範囲、爆発地震の震度2(軽井沢町追分)

1959(昭和34)年:毎月1~十数回噴火し、ときどき降灰。4 14 日は噴石のため山腹に多数の山火事、関東南部まで降灰。

 

22節からは、心配するな・思い悩むな、と語られます。パウロは、諸教会のことで心を悩ませました(Ⅱコリント1128)。テモテはフィリピの人々を心にかけました(フィリピ220)。これは大事なことです。教会の交わりは、安否を問うことに顕わされます。互いに、相手のことを心にかけ、心配することです。覚えて祈ることです。

このところで、否定的に語られているのは、物質的な心配に関することです。21節までで語られていたのは、ものに関して貪欲になることでした。こうした貪欲は、本来神が着座する場所に金銀や食い物を立てること、即ち偶像礼拝そのものなのです。

 

逆転の発想が示されます。

ものを集め、蓄え、豊かになり、さあ長年分の必要を満たすことができる。安心だ。

よくあることです。私たち多くの者はこの時になることを求め、望んでいるのではないでしょうか。財産の確保こそ生命の確保になるという考えから解放されます。

年金を確保すれば、その後の安楽な生涯が保証される、と考えます。現代の常識。

 

集めるより散らすこと、蓄えるよりも与えること、喜び、楽しみは自分ひとりよりも、多くの人と分かち合うほうが、もっと大きく深いものになります。

わたし達の信仰は、すべての営みの中で、また豊かさの中で神に信頼することを教えます。

 

 私達は、本日、この教会の信徒で、既に天の故里へ帰られた方々と共に礼拝をささげています。ある人は言いました。『地上に残された人々が、亡くなった人のことを記憶しているならば、いつまでも生きているのです。』

私達は、信仰の先輩を、その信仰をいつまでも記憶します。共に生き続けます。一緒に礼拝し続けるのです。彼らも、わたし達も《食い、飲み、わずらうもの》人間でした。

その故に神の憐れみを受け、キリストによる罪の赦しをいただきました。心配性の人間、偶像崇拝に陥りやすい人間、みんな神様は、見守っていてくださいます。

感謝しましょう。