2015年7月26日日曜日

苦難の共同体

[聖書]Ⅰペトロ31322
[讃美歌]210,289,530、
[交読詩編]13:2~6、

埼玉の教会の長老が、病のため左半身不自由となり、もはや単身生活は無理、と判断されました。帯広にいる息子が近くにある施設にお願いして、新しい生活が始められました。
海の日に、わざわざ此処までお尋ねくださいました。互いに良く知り、理解してきました。入る時に立ち止まり、玄関の看板を見ておられました。礼拝堂に座り、話していると、先生はあの言葉がお好きでした、と言われポロッとなみだ。この方は、肺がんを患い、お連れ合いを天に送り、我が家を離れて、教会からも離れて、知らぬ土地で暮らさねばならない。何故このような苦しみが、自分に降りかかってくるのか。

多くの人がその人生で、繰り返し呟いたのではなかろうか。
   何故よりによって自分がこんなことを受けねばならないのだ
クリスチャンホームに生まれ、教会学校教師や青年指導に手腕があったひとりの信徒は、40台でお連れ合いを天に送った。新築の家には、未成年の子供四人が残された。私たちは、これほど良く奉仕してきた人に、神さまは少々手荒に過ぎませんか、と語り合ったものです。当人は、やるせない胸のうちを『こんなことありかよ』と表現しました。
苦難はまだ続きました。バブルがはじけて事業は傾き、家は担保として銀行に取られ、家族はバラバラ。思い切って転職しました。

お二人とも、私と同年輩。もうお一人同年輩の長老は、日ごろから水泳をなさったりして、健康な生活を楽しんでいました。数年前、病を得て生活を変えざるを得なくなりました。
お三方とも不如意であり、苦難の生活になりました。同じような苦しみを経験していますが、それで苦難の共同体になった、生まれた、とは言いません。同病相哀れむ、と言うべきでしょう。これはとても大事なことです。病や苦しみ、悩みの中で、人は容易に孤独になります。自分だけが苦しんでいる、誰も理解してくれない、この孤独感は、その人をもっと深く悪い状態へと引きずって行きます。ですから、同病相哀れむでも、傷をなめあうでも、良いのです。絆を深め、支えあうことが大事です。

ネットで検索したら、2007729日神山教会で持田、ルカ95162
玉出教会で柴田昭牧師、Ⅰペトロ31322、《苦難の共同体》がわかりました。
説教は、私のものだけですが。思い出します。内容ではなく、神山教会でこの説教題を用いる心苦しさ、があったことです。神山教会は、ハンセン病療養所にある患者と職員の教会。その後教団の教会となり、外部の人も会員となれるようになりました。
御殿場教会に就任した1981年から、大阪を去る2010年度末まで、おおよそ30年間、神山教会で説教を続けさせていただきました。そうすることで、少しでも、あの教会の群れに、苦難の共同体に近づきたい、と願ったからです。経験が違う、共通の経験がないのだから難しいことは承知しています。教会の方たちが受け入れることで少しずつ実現して行きました。苦難の共同体は、その故に慰めと希望の共同体になることが出来ます。


共同体とは何か。埼玉にいた頃、30年前は新しい言葉であって、余りよく知られていないようです。
ひとつのものを共に抱いている地域の集団、と言えると考えてきました。
慰めの共同体、希望の共同体、祈りの共同体、より具体的に言えば
鮭・鱒資源保護の共同体、昆布漁師の共同体、同態報復法の共同体、通貨共同体などいくらでもあげることが出来そうです。目標を共有する地域の集団。

さて、聖書日課を読みましょう。
Ⅰペトロ31322、正しいことのために苦しむ、と小見出しにあります。
この直前2125には、キリストが苦しまれたことを書き記しています。
神が望まれることのために苦しみ、それを耐え忍び、私たちの罪を担ってくださった。
『キリストもあなた方のために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残されたからです。』
『あなた方は羊のようにさまよっていましたが、今は、魂の牧者であり、監督者である方のところへ戻って来たのです。』

それに続いて、妻と夫の生き方、考え方を語ります。
ペトロは、キリストの働きを語り、ついでキリストを信じる者の生き方を語ります。
信仰者は、祝福を受け継ぐために召された者たちです。心の中でキリストを主とあがめて生活すべきです。キリストに結ばれた者の良い生活は、悪を行って苦しむよりも良いものです。正しい方、キリストも正しくない者たちの罪のために苦しまれました。人々を神のもとへ導くためです。
御心によって、正しいことのために、正しい者が苦しむなら、神はそれを承認し、祝福を与えられるでしょう。ここにこそ苦難の共同体があります。

列王上19:(18921、(ローマ114
ユダのアハブ王とその妃イゼベル(王上1629以下)の時代、いわゆる宗教戦争が行われていました。イゼベルが自分の祖国シドンの神々バアルとアシュラを礼拝し、イスラエルの神ヤハウェの礼拝者、預言者を迫害しました。ヤハウェの預言者として知られるのがエリヤです。孤軍奮闘、ついに自分ひとりになってしまった、と考え絶望的になります。イゼベルがエリヤを殺そうとしていることも判りました。エリヤはベエルシバへ逃れます。そこで、荒野のれだまの木の下で、「今私の命を取ってください」と祈りました。それは許されません。パン一個と一ビンの水を与えられます。それは、遠くまで旅するためのものでした。彼にとって、此処から行くべきところは、神の山ホレブしかありません。四十日四十夜旅を続け、ホレブに到着します。洞窟でエリヤに与えられた言葉は、ユダに帰って戦え、というものでした。エリヤは、自分はたった一人になってしまいました、と訴えます。そこでヤハウェは、ご自分の預言者エリヤのために、バアルに膝を屈しない者、バアルに口付けしない者7000人を残して置いた、と言われます。ヤハウェに忠信な者は自分だけだ、とエリヤは思っていました。その彼を力づけるために7000人が備えられました。
仲間が作られていたのです。残りの者7000人は、主自ら整えてくださった者たちです。
今の苦しい状況の中で共に戦うように備えてくださった同労者です。祈りを共にする者です。同じ目当てを抱く仲間です。共同体のメンバーがいました
異教国日本において主キリストを信じ、これを証言する私たちにとっても実に教訓と激励に満ちた言葉です。
神は全てを知り、すべてを備えておられます。恐れることはありません。


ルカ9:51~62、
イエスの一行は、エルサレムに向かっていました。途中のサマリア人たちは歓迎しませんでした。エルサレムのユダの人たちは、サマリアの人たちを軽蔑し、拒絶していました。
そのことを私たちは、ルカ10章「良いサマリア人」の譬えによって繰り返し学んできました。対立する一組があれば、その人々の感情は殆ど同じ程度のものになっているはずです。
そして、多くの場合聞こえてきます。「彼らが我々を拒絶するから我々も拒絶する。
彼らが我々を侮蔑するから我々も彼らを侮蔑する。彼らが我々を憎み、嫌悪するから我々も彼らを憎み、嫌悪するのです。」
相手が悪いから、と聞こえます。人間関係は、決してそうではありません。多くの場合、相互的なものです。一方に生まれた悪感情が、相手に伝わり、増幅されて帰ってくる、ということが多いのです。勿論、感度の鈍さ、鋭さの問題はあります。

イエスの一行は、「エルサレムを目指して進んでいたからである」と書かれています。
サマリア人にとっては、エルサレム神殿へ行く者は敵の仲間、ということだったでしょう。
伝え聞く噂では、ナザレのイエスは神の子か預言者か、と言うほどに高く評価されています。サマリア人も期待しました。しかし、エルサレムへ行く、と言います。裏切り、と感じたかもしれません。期待が高いほど裏切られた衝撃も大きく感じられます。ヤコブとヨハネの激しい怒りはそうしたことを感じさせます。
道を進んだ頃、いくつかの出会いがあり、弟子となるためには、覚悟が必要である、と諭されます。何処へでも、と言う人には、人の子には枕するところがない、と言われました。キツネや鳥には巣があるものです。
ある人には、「わたしに従いなさい」。その人は、「まず父を葬りに行かせてください。」と応えました。25年くらい、ずいぶん前のことです。佐賀県へ赴任する牧師が、周囲に無牧の教会が幾つかある。一緒に行って、共同牧会しませんか、と誘われた。考えたけれど、受けられなかった。父が弱っていた頃だった、とおもう。何か起こったときすぐに行くのが難しいから。今でも・・・考える。
あの時、献身の考えを緩めたなあ、と。でもそのお陰で、父は在職中の教会を尋ねてくることが出来た。礼拝にも出席し、肯いていたっけ。最初で最後。少しは安心しただろうか。

聖書的な苦難の共同体は、キリストの苦しみに、共に与るところに存在します。
他の人のための苦しみ。自分の失敗の故ではなく。自己を誇るためでもなく。救いに招くための苦しみを共有する共同体。
一番気を付けなければならないのは、人間的な野心でしょう。大げさに言わなくてもあります。たいへん有能な人で、何をやってもうまくやる。いつでもそれを他の人に認めさせたい。それが勝利を求めることになります。これなら誰もが認めるだろう。連戦連勝。向かうところ敵なし。そして豪語する。神には勝てないが、そのほか全てに勝ったぞー。
認められなくてもよろしいのです。主が認めてくださっているのですから。
このキリストのみ旨に適う苦難の共同体の一人になることが出来ます。そして、慰めと希望の共同体になることが出来ます。大胆に進もうではありませんか。






2015年7月19日日曜日

女性の働き

[聖書]フィリピ413
[讃美歌]210,288,543、
[交読詩編]97:7~12、

本日は、旧約聖書から始めましょう。
ヨシュア2114、出エジプトを果たしたイスラエルは、40年の放浪を経てカナンに入ろうとします。二度目の侵入企画です。まず偵察。モーセの死後、指導者となったヨシュアは、二人の斥候をエリコに派遣します。彼らは、ラハブという遊女の家に泊まりました。
密告する者があり、捜索が始まりますが彼らは、遊女ラハブによってかくまわれ、敵の兵士の追跡から逃れることが出来ました。ラハブは、異邦人でありながら神様に対する信仰を持っていたのです。

私たちは、それを聞いたとき、あなたがたのために、心がなえて、もうだれにも、勇気がなくなってしまいました。あなたがたの神、主は、上は天、下は地において神であられるからです。
あなた達の神、主こそ、上は天、下は地にいたるまで神であられるからです。       ヨシュア 2:116:25

ラハブは、遊女でした。その町の人たちは、出エジプトの人たちの数の多さと、これまでに発揮してきた威力を聞いて、恐れていました。ラハブは、このように語ります。
「それを聞いたとき、私たちの心は挫け、もはやあなた達に立ち向かおうとする者は一人もおりません。」211
多くの人々が、恐怖に囚われ、何をなすべきか判らない状態になったとき、ラハブは唯一の神こそ私の主であると、心に定めました。この信仰によって、やってきた未知の人々を受け入れ、守ったのです。町は滅びました。ラハブは助けられました。
神様に対する信仰によってイエス・キリストの先祖となり、その信仰は後世まで伝えられ、世界中に知られています。

信仰によって、娼婦ラハブは、様子を探りに来た者たちを穏やかに受け入れたために、不従順な人たちと一緒に殺されなくて済みました。 へブル 11:31
サルモンはラハブによってボアズを、ボアズはルツによってオベドを、オベデにエッサイを、エッサイはダビデ王をもうけた。ダビデは、ウリヤの妻によってソロモンをもうけ、・・・
 マタイ 1: 56



福音書の日課は、ルカ813、(口語訳)。
8:1そののちイエスは、神の国の福音を説きまた伝えながら、町々村々を巡回し続けられたが、十二弟子もお供をした。
8:2また悪霊を追い出され病気をいやされた数名の婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出してもらったマグダラと呼ばれるマリヤ、
8:3ヘロデの家令クーザの妻ヨハンナ、スザンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒にいて、自分たちの持ち物をもって一行に奉仕した。

伝道の陰に、奉仕の底に女性が存在するということを、ルカは告げています。
ここでは3名の女性が、固有名詞をもって登場しています。
まずマグダラの女と呼ばれるマリア。彼女は、7つの悪霊を追い出していただいたと書かれています。霊は、神の息であり、人を生かす神の力です。悪霊というのは、人間らしさを奪い取っていく力と理解してよいでしょう。7つというのは完全数です。たくさんのどうしようもない、非人間的な力に取りつかれていた状態から、主によって解放された女性ということです。
ヘロデの家令クザの妻ヨハナ。彼女は上流階級の婦人でした。マグダラのマリアとヨハナ、この2人は、当時の立場からすれば、出会うはずもない、力を合わせる必要もない2人であったと思われます。その2人が主にあってあらゆる隔てから解放されて、共にひとつのことに向けて協力していく。これは福音のもたらす結果だということが見て取れます。
そしてもう1人スサンナ。彼女は名前しか出て来ません。さらには名も記されない多くの婦人たちも一緒だったことでしょう。この婦人たちを1つに結びつけたのは何だったのでしょうか。それは2節にある、悪霊を追い出され、病気を癒されたことへの感謝の思いでした。人間性を奪い取る力に振り回されていた者たちが、神の愛に触れ、自己回復していく。精神的にも、肉体的にも苦しんだその苦悩の中で、小さい者のために共にあり続ける主の慈しみに気がつかせられ、救われ、解放されていく。この感謝の思いが、主に仕える群れを形成していく原動力となったのです。

これまでのところをまとめる働きが、フィリピ413に期待されているようです。
これが、使徒書の日課になります。   フィリピの教会は、言行録1611以下で見るように、紫布の商人リディアによって始まりました。パウロと緊密な関係があります。
ユーオディア、スントケー、この二人の婦人は、パウロの伝道活動における良い協力者でした。その後意見の相違を生じたのでしょうか、二人は対立したようです。始めの頃の様に、力を合わせて活動してください、と勧めます(パラカロー)。
鍵になる言葉が、『主において同じ思い』ということです。かつては、キリストが生き生きと彼女達の中に働いていました。

私たち一人ひとりのために、十字架にかかり、葬られ、甦りたもうた神のひとり子エス・キリストが彼女達の中に生き、愛をもって迫っていました。キリストの愛、我らに迫れり。
Ⅱコリント514、前主日の主題『キリストの心』を思い出していただけるでしょうか。
キリストの心は、神の愛であり、まことに謙遜であることでした。

女性の働き
≪道内企業の女性幹部がいない≫、712日北海道新聞朝刊 第一面のトップ記事。
かつてはいなくて当たり前、トップニュースにもならなかった。
参政権の問題もある。スイスは1971年、日本は1945年の普通選挙で、20歳以上の男女に選挙権が与えられた。
男女平等の推進には、戦争が大きな契機となっている。男子は戦場へ。そのため空席の出来た職場は誰かが埋めなければならない。戦場から帰還した者・傷病兵・満期除隊者、障害ある者、女性。とりわけ女性は、使える、有能だ、と評価され、戦後もその職に止まるケースが多かった。こうして女性の職場進出が、その社会的地位向上が果たされた。
アメリカは、開拓の歴史があり、女性も自立する傾向が強かった。強い女性。
そのアメリカは、二度に亘る世界大戦後、朝鮮、ベトナム、中東(スエズ、イラン、湾岸、イラク)で戦い続けている。女性の進出が著しいわけだ。

女性は、いまや二流の市民・国民ではありません。
強い男性によって保護されるべき力弱い、人形のような女性ではありません。

創世記27 人間創造の記事を読みましょう。
「土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくりその鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。」そして18節、
「人がひとりでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」
そこで主は、男・アダームを眠らせ、そのあばら骨の一本を抜いて女・イシャーをお造りになった。これこそついにわが骨の骨、肉の肉。
この解釈はいろいろあります。伝統的だったものは、男が第一、女は副次的存在に過ぎない、と言うもの。今でも大真面目に、これを語る人がいるかもしれません。そうであっても、ここには男女の優劣、序列などは記されていません。
聖書は、男と女に関し本来的な一体性、同質性と
助け合うこと、助け手であることを語っています。






2015年7月12日日曜日

キリストの心

[聖書]ガラテヤ6110
[讃美歌]210,493,536、
[交読詩編]38:10~23、

教会暦に基づく礼拝説教を行っています。最近の動きを説明したものがありました。私自身の勉強になりました。皆様とも分かち合うことにしました。
『改訂共通聖書日課』――解説
(The Revised Common Lectionary, Abingdon Press, 1992)

新しい聖書日課の概略、
『改訂共通聖書日課』は、1992年、北アメリカの15のプロテスタント教会およびカトリック教会の協力によって作成されました。3年周期で構成され、主日ごとに3つの朗読箇所(旧約、使徒書、福音書)があり、福音書は主に、A年はマタイ、B年はマルコ、C年はルカを中心に配分されています(第一朗読は、 復活節だけは旧約ではなく使徒言行録)。3年ごとに同じ箇所が巡ってくることになりますが、3年という短い期間で聖書の主要な箇所をなるべく広く網羅する よう工夫されています。

聖書日課の歴史
聖書日課の起原は古く、4世紀には既に教会で用いられていたことが知られています。ちょうど、キリスト教がローマ帝国の国教となり、聖書正典や教義などが整えられ、イースター(復活祭)やクリスマス(降誕祭)を中心とする教会の暦が形成されていった時代です。初期の聖書日課は、1年周期(毎年同じ箇所)で、聖書の記載順に朗読するというものでした。他方、クリスマスなどの祝祭日には関連する箇所が読まれます。しかし、時代が下ると共に、週日にも特定の殉教者などを覚える記念日が増え、聖書日課は次第に複雑になり、主日ごとに主キリストの復活を祝うという意義が薄くなっていきました。
16世紀の宗教改革では、主日を重んじ、複雑になった聖書日課を本来の姿に戻そうとします。カルヴァンは、主日には福音書から説教したと伝えられます。プ ロテスタント諸教会は、それぞれ独自の聖書日課を発展させていったようです。

大きな変化、ローマ教会のバチカン公会議に始まる
20世紀後半に、聖書日課に関して世界規模の大きな変化が起こりました。カトリック教会は、第二バチカン公会議(1962年~65年)によって大変革を遂げましたが、聖書日課の改訂もその一つです。それが、世界中のプロテスタント教会にも大きな影響を与えました。プロテスタントやユダヤ教の学者も交えて作成された新しい聖書日課(1969年)では、周期を1年から3年に延ばしてより広範囲の箇所を取り入れたり、古代の伝統を回復して2箇所の朗読(使徒書と福音書)に旧約聖書を加え3箇所にしたり、聖書全体から聴くことを目指したのです。

プロテスタント諸教会もそれぞれに
この聖書日課はプロテスタント教会でも高く評価され、北アメリカでは、翌年の1970年に発行された『礼拝書』(The Worshipbook)(アメリカの3つの長老教会の共同の作)において一部変更して採用されました。続いて、米国聖公会、ルーテル教会、ディサイプル・オブ・クライスト、キリスト合同教会が、祈祷書や礼拝書の中で採用しています。
ただ、各教派はカトリック教会のものをそれぞれ一部変更し、独自の版を作りましたので、地域の牧師会などで牧師や司祭が説教の学びのために集まっても、話がかみ合わないという事態が生じてきました。

全教派共通の聖書日課、1992年版
そこで、全教派に「共通の」日課を希望する動きが起こり、1978年にアメリカとカナダの13の教派が参加して発足した「共通聖書日課本文協議会」 (The Consultation of Common Texts)は、遂に1983年、『共通聖書日課』を完成させたのです。その反響は北アメリカを中心に世界中に及び、各教会における試用を経て、1992 年に改訂版が発行されました(The Reviesd Common Lectionary, Abingdon Press)。米国長老教会も『共通礼拝書』(Book of Common Worship, 1993)において、スコットランド教会は『スコットランド教会礼拝書』(Book of Common Order of the Church of Scotland, 1994)において1992年版を採用しています。日本基督教団は1992年版を採用しながら、基本的には、それ以前の各個教派主義です。

聖書日課を用いる利点
聖書日課を用いる利点のひとつは、聖書全体からバランスよく聴くことができることです。主日ごとの聖書の朗読箇所を牧師が自分で選ぶとなると、どうしても 主観的になったり、ある特定の傾向に陥る危険がつきものです。例えば、会衆の必要を満たそうとして直ぐに役立ちそうな箇所を選ぶとか、自分の考えに合いそうな箇所を選んだり、難しい箇所や受け入れがたい箇所を避けてしまったりという誘惑が伴います。あるいは、社会正義に関心の強い牧師が行動を促すメッセー ジを語ろうとすると、その日の箇所は神との個人的な交わりがテーマだったりもしますので(その逆も可)、説教者の好みや傾向を最小限に抑えることにもなるでしょう。
 第二の利点は、教会の一致です。この日課が生まれた最大の理由でもあります。主の晩餐の食卓には、まだ全キリスト者が共にはあずかれませんが、主日ごとに 同じ御言葉の食卓にあずかることはできるのです。
 各教派教会が、自分たちの神学を主張するのではなく、同じ御言葉を毎主日読みましょう、と譲り合っていることに意味があります。教団が、一部違うものを使っていることは、残念なことです。

この聖書日課には詳しい解説や索引もついていますので、日本語に翻訳され広く用いられることを願います。

 以上、次の資料を読むに留めました。(「福音時報 第580号」(日本キリスト教会出版局、20014月)に「教会暦にもとづく『改訂共通聖書日課』――世界の教会と同じ御言葉を聴くため に」と題して掲載された文章を一部変更したものです。)
日課と主題の間には、担当者(神学者、説教者、牧師)、の神学が働いています。それは各個の教会の事情や、牧師・説教者の考えに違いがあるものです。日課の解説書を読むまでは、正しく扱うことが出来ないのではないか、と感じます。解説書を探すことにしましょう。


本日の説教題は、《キリストの心》、聖書はガラテヤ6110
聖書日課ですから聖書が先行しているはずです。本日のペリコーぺは、パウロからガラテヤのキリスト信徒に向けた生活指針のような箇所です。生活指針にキリストの心という題をつけるか。「キリストの心」ならもっと相応しい箇所があるぞ、と思いました。
まずそれを調べてからガラテヤ書に入ることにしましょう。

ピリピ人への手紙21-5節、この箇所の最後の言葉、「互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにも見られることです。」「キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互に生かしなさい」は、文語訳聖書では、「キリスト・イエスの心を心とせよ。」となっています。「キリスト・イエスの心を心とせよ。」これは、この箇所の言わんとするところをピタリと言い当てた名訳だと思います。
ここでキリストの心は、何を意味しているのでしょうか。それはへりくだることです。謙遜。それはキリスト・イエスにも見られることです、と書き続け、そのことをキリストが謙遜であったことを語り、証明します。

神の愛は、その独り子が、まったき人イエスという形をとって、全ての人に示されました。
イエス・キリストは、その生涯において、多くの人々の重荷を担われました。それほどに世の人々を愛されました。その極限の形が、十字架に掛けられ、贖罪を果たされることでした。愛があるから、自分が偉いとか、自分の重荷をお前が担え、といわれることもありませんでした。イエスの謙遜は、人間によく見られる悪徳となるようなものではなかったのです。神の子が、人の子になり、ありのままに生きて進まれたのです。これが真の意味での謙遜。そこには謙遜の悪徳など少しも見られません。

福音書と旧約の日課を見てみましょう。
ルカ7:36~50、ファリサイ派の人の家で食事の席につかれた。この町の罪深い女が,イエスの足もとに近寄り、その足を涙でぬらし、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った。・・・この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさでわかる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」
この女性は、持てるものすべてを、この一瞬に用い尽くしました。

サムエル上24:8~18、サウル王の下を逃れたダビデは、エンゲディの砦にとどまりました。そのことを知ったサウロは全軍を率いてダビデを追います。ダビデは、サウルを害する機会があったにもかかわらず、それをせず、部下にもそうしたことを許しませんでした。『私の主人に手をかけることはしない。主が油を注がれた方だ』
ダビデは、自分の命の危機の中にあっても、神から与えられたサウル王の命を守りました。
王となるダビデです。王の使命は、民の命と生活、信仰を守ることだからです。

本日の聖書日課、主題は、キリストの心。異なった聖書の箇所、異なる背景、異なる勧告。
異なるものすべてを一まとめにするのは《キリストの心》しか考えられないかもしれない。
生活指針などは、福音ではない、と言えるでしょう。確かに福音を語ることを避けて、具体的な行動・生活指針に逃げることが考えられます。逃げてはいけない。指針も御旨のうちです。御旨にかなう生き方、考え方、挙措動作があるのは当然です。
それは愛をもって謙遜に過ごしなさい、ということです。愛のない謙遜は傲慢になります。愛のある、愛から発する謙遜は、神が与えられる能力を用いて生きるでしょう。自分にはそんな力はありません、というのは謙遜ではありません。力が与えられているかどうか努力します、というべきです。信仰的な自己実現を求められています。



ピリピ217、文語訳(大正)
2:1この故に若しキリストによる勸、愛による慰安、御靈の交際、また憐憫と慈悲とあらば、
2:2なんぢら念を同じうし、愛を同じうし、心を合せ、思ふことを一つにして、我が喜悦を充しめよ。
2:3何事にまれ、徒黨また虚榮のためにすな、おのおの謙遜をもて互に人を己に勝れりとせよ。
2:4おのおの己が事のみを顧みず、人の事をも顧みよ。
2:5汝らキリスト・イエスの心を心とせよ。
2:6即ち彼は神の貌にて居給ひしが、神と等しくある事を固く保たんとは思はず、

2:7反つて己を空しうし、僕の貌をとりて人の如くなれり。

2015年7月5日日曜日

生命の回復

[聖書]使徒言行録20:7~12、
[讃美歌]210,156,402、
[交読詩編]35:1~10、


前回、キリストの三職についてお話しました。もう少し話すべきですが、今回も割愛します。

教会暦と聖書日課についても、その後わかったことがあり、お話しするべきです。次回に回します。

本日の日課は、使徒言行伝20:7~12、

16章でマケドニア人の依頼を聞き、パウロと一行はマケドニアへ向かうことにした。

黒海から南、エーゲ海へ下るにはボスポラス海峡からマルメラ海を通り、ダーダネルス海

峡を抜けなければなりません。この航路の北側にあるのがイスタンブール、かつてのコン

スタンティノポリスです。この場所こそ、アジアとヨーロッパの分岐点なのです。この海

峡を渡れば、全く違う世界へ行くことになります。

ヨーロッパに渡ったパウロの一行は最初、マケドニアの都フィリピへ行きます。そこでは

、紫布の商人リディアという女性に洗礼を授けました。フィリピ教会が始まります。

ついでテサロニケ、ベレア、アテネ、コリント、アンテオキア、エフェソなどで活動しま

した。その結果、各地で信じる仲間が増え、教会の基礎が固まったようです。良いことば

かりではありません。フィリピでは、占いの霊に憑かれた女奴隷を巡って、その主人達と

争いになり、投獄されたこともあります。そうした中でも、主は常にパウロ一行とともに

いて彼らを守り、支え、導いてくださいました。

使徒言行録は、ユダヤ人世界の混乱を描き出します。それに巻き込まれるように見えなが

らキリスト・イエスの弟子たちは活動し、真の神の計画が進展して行くことがしっかりと

描かれ、語られます。

20章は、エフェソでの騒動の後パウロは、弟子たちと別れマケドニアへ行きます。そこか

ら更に南下してギリシャへ赴き、そこで三ヶ月、シリアへ向かって出航しようとしていま

した。シリアと言うのは、ローマ帝国の行政区画の呼び名で、地中海東端、海岸のフェニ

キアからダマスカスやアンテオキア、エルサレムなど内陸の広い地域のことです。アレキ

サンダー大王の死後、その征服地は分割統治されますが、この地域はセレウコスコス将軍

が受け継ぎました。南のエジプトはプトレマイオス将軍です。

シリアへ向けて出航したのは、カイサリアからエルサレムへ行く計画です。これは逮捕と

動く更に総督の交代などのため長い中断を余儀なくされ、皇帝への上訴人として、軍団の

兵士たちに護衛されながら帝国の首都ローマへ向かうことになります。

人が考えた計画を超えて、主なる神の計画が成就します。

シリアへ出航する前夜の出来事、それが今朝のテキストです。

トロアスには、4節に記されるように多くの弟子たちが集まっていました。今別れては、

また何時か見聞きせん、君が顔(かんばせ)、君の声。彼らが何よりも求めたのは「パン

裂き」でした。主キリストの甦りを記念する礼拝です。それによって、今慰められたい、

と言う切なる願いがあったことでしょう。同時に、これから先、パウロ先生を主なる神の

御手に委ねようとの思いがあり、更に自分たちも同じ主のみ手に支えられるのだ、との強

い信仰が働いていたことでしょう。話は限りもなく続きました。

人々の中にエウティコと言う青年がいました。話を聞くうちに眠気が生じました。

私たちは、人の話を聴くうちに眠気を生じた彼を非難するものです。自分がしない事を他

人がしているとそれを悪とする、非難さるべきことと見る。実際に、彼は熱意を欠いてい

たんだ、『駄目だよ』と言うでしょう。

確かに若さゆえに、知識も少なく興味を持てなかったかもしれません。

若いから連日の仕事に疲れていたかもしれません。集会は朝から始まり夜中にまで続いて

います。指路教会の牧師、神学校校長だった村田四郎先生。僕は居眠りする信徒がいても

怒らないよ。彼は夜勤で疲れているのに来たんだ。この礼拝の時を喜び、一番休める場所

なんだ。  この当否は不明です。個別の事情があるのだ。共に礼拝することを選び取っ

た、と言うことには間違いがない。

三階から落ちた青年は死んでいました。30センチのベッドから落ちて死ぬ子供もいます。

6~7メートルでしょうか、死ぬには充分な高さと言えそうです。パウロ先生は、降りて行

き、彼を抱きかかえて言いました。『騒ぐな。まだ生きている。』そして、上に上がり、

話を続けて夜明けに至りました。出航の朝、別れの朝です。人々は生き返った青年を連れ

て帰り、大いに慰められました。彼らには、慰め主がいつもいた、と言うことです。息を

吹き返した青年は、この後いつも、神が共にいて支えてくださることの確証となったこと

でしょう。

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ルカ7:11~17、ナインの町のやもめの一人息子が死にました。人間は、生まれて来たの

と同じ順序で死ねば、順番がやってきた、と考えるようです。またそうした場合、多くの

人は看病し、お世話をしながら一人の人を送る準備をし、自分自身の心の整理をするよう

です。ある若いご夫婦、お子さんは与えられませんでしたが、たいへんお幸せに暮らして

おられました。ある日突然、男性は、病気のため亡くなります。女性は茫然自失、電車に

乗ることが出来なくなり、勤め先へ行けなくなりました。課長クラスの人でした。会社は

その人の勤務地を変え、勤務形態を変え、回復を待ちました。何年たったでしょうか、3

年ほどたってからから少しずつ、5年もした頃から、働きに参加できるようになったよう

です。この女性には、幸いにもご両親と弟さんがいました。随分支えておられました。

ナインの町で葬列と行き逢ったイエス。泣き女と笛吹が付いていたでしょう。そうした職

業的な涙より強く、深い涙を、悲しみをイエスは感じられました。

やもめの悲しみです。支え、分かち合う者がいない、ひとりだけ。一人息子を心の拠り所

に、支えの杖にしてこれまで生きてきました。突然、この杖が折れてしまった。

この母親を見て憐れに思いました。「もう泣かなくて良い」、その理由を取り除くからね



「若者よ、起きなさい」、息子が戻ってくれば、何処へも行かなければ、息子と一緒に生

きていられるならば、この母は、泣かなくてすむのです。

この息子は、立ち上がりました。そして、ものを言い始めました。ここはどこ? 何をし

ていたんだろう? みんな何をしているの、ぼくおなかすいてるなあ、

人々は言いました、「神はその民を心に掛けてくださった」。大きな悲しみに襲われた時



人は、誰も自分を顧みてくれない、見棄てられた、と感じます。神も面倒を見てくれない



神からも捨てられたと語ります。ナインのやもめも、町の人々もそのように感じました。

しかし、主イエスがこの町を通り過ぎたとき、事情が変わりました。

神は、我々を見棄ててはいない、心に掛けて下さっている。今この眼で、確かに見ました

。ハレルヤ、インマヌエル、アーメン!

本日の日課は三箇所とも、死から命への回復が語られていました。

死には様々な側面があり、死の諸相として考えられています。

生物学的な死、普通、死が意味するものです。呼吸が止まり、動かなくなります。

存在論的な死、存在が消滅します。関係論的な死でもあります。絆を断たれること。

罪の結果としての死、これはキリスト教信仰に基づくものです。社会的に葬られる死もあ

ります。いずれでありましても、死の生じる時、所には多くの人の悲しみがあり、涙溢れ

る思いが存在します。それは、どうやら死が、あらゆるものに終わりを告げさせるための

ようです。

ナチ・ドイツの強制収容所、入り口には、「労働は自由を得させる」と書かれていました



後の人はここで『ここより入るもの、希望を棄てよ』という言葉を想起しました。これは

、世の中一般の死に対する感覚というべきでしょう。悲しみ、畏れ、穢れ、絶望、暗黒、

その他もろもろの否定的感情が付いて回ります。

主イエスは、そうした時、所に、慰め、希望、励まし、光、清めをお与えになります。

甦りによって、決して負けないはずの死が打ち勝たれました。

命の回復には、主イエスの力が必要です。まさに奇跡です。それを知った多くの人々は、

主イエスの力を現実化するために働きました。様々な科学の領域で成果を挙げました。未

知の事柄が、今ではよく知られたことになりました。これから、もっともっと進歩するこ

とが期待されます。キリストの奇跡は、現実化されます。