2015年9月27日日曜日

金持ちと貧者

[聖書]ヤコブ219
[讃美歌]522,7,431、
[交読詩編]73:21~28、
[聖書日課]アモス6:1~7、ルカ16:19~31、

 

先ほど司式者にお読みいただいたのはヤコブ書でした。マルティン・ルターはこの手紙の解説の中で『わらの書簡』と評しています。わらのように無価値なもの、ということです。

確かにわらは価値が低いかもしれません。それでも時にはなくて困ることもあります。

東京の中心地、環状線の内側に住んでいると、庭の養生に使うわらを手に入れることが難しい、と言うことになります。埼玉の岩槻にいた私が入手して、運んだこともありました。

それ以外のときは、庭師・植木屋が来るのを待つことになります。

このような考えからすれば、ルターの言葉は、全く無価値と言うのではなく、相対的に値打ちが低いと言っているように理解されます。

 

『ヤコブ書は わら  の書簡か』と題した主張があります。結論部分だけ、ご紹介しましょう。網掛け部分。

 ルターは「聖書への序言」(岩波文庫に「キリスト者の自由」と合わせて収録)の中でヨハネ伝とヨハネ第一の書、ロマ書、ガラテア書、エペソ書、ペテロ第一の書をすぐれたものとし、ヤコブ書を何ら福音的な性質をそなえていない全くの わら の書であると批判した。ヤコブ書の主張は「自分は信仰を持っていると言うものがいても、行いが伴わなければ、何の役に立つでしょうか。…行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです。」(ヤコ2:1417)につきる。

 

 ヤコブ書は行為だけを主張しているのではなく、信仰と行為の両者の相補性をのべている。ルターが信仰に重点をおいたのは、彼の生きた時代の背景を考える必要がある。教会はいろいろまちがいをおかし、宗教改革につながっていった。教会は免罪符を購うという「行為」を信仰のしるしとして要求した。教会のあり様に疑問を持ったルターは「信仰への回帰」を主張したのである。

 私達が聖書を読むとき、聖書の各巻の特質を承知しておく必要があるだろう。たとえば、マタイ伝はユダヤ的思想が色濃く、明らかにユダヤ世界を意識していたし、地中海世界に伝道したパウロと行動をともにしたルカは異邦人のためのイエス伝を書いたといえるだろう。

 聖書66巻は、どの巻もそれぞれの役割をになっており、聖書を記した人々は、それぞれの立場で神をそしてイエスを伝えている。

 ヤコブ書は信仰によって裏打ちされた行為についてのべているのであって、信仰よりも行為に重点をおいているのでは決してない。(2001.6)

 

ヤコブという名前は、世界中にあります。サンティアゴ(Santiago)またはサンチアゴ、サンチャゴ は、スペイン語・ポルトガル語で、聖ヤコブにちなむ名。

ホタテ貝はサンティアゴのシンボルで、フランス語では帆立貝を「聖ヤコブの貝」(coquille Saint-Jacques、コキーユ・サンジャック)と呼ぶ。

サンティアゴ・デ・コンポステーラは、スペインの北西部、ガリシア地方の都市。

ヨーロッパの中央部からピレネー山脈を越えてサンティアゴを目指す道は「サンティアゴの道(Camino de Santiago)と称され、由緒ある聖堂や修道院があります。

この地域は世界遺産に指定されており、毎年多くの巡礼者が世界各地から訪れています。

サンティアゴ、聖ヤコブは、ガリラヤ湖畔の漁師で、父はゼベダイ、母のサロメはイエスの母マリアの従姉妹、弟は福音記者聖ヨハネ。

伝説によると、イエス・キリストの十二使徒の一人であるサンティアゴがエルサレムで殉教した後、弟子たちによって船に乗せられ、その遺骸がガリシアに流れ着き、この地で墓が発見され、記念に聖堂が建てられました。これがサンティアゴ・デ・コンポステラの起源とされています。星空の平原の聖ヤコブを意味します。

巡礼者は胸から帆立貝をつるしていることが特徴で、巡礼に行ってきた証となっている。

 

スペイン、ポルトガル系の地名が、各地に残っています。

サンティアーゴ・デ・クーバ - キューバ南東部にある都市。

サンティアゴ・デ・チレ - チリの首都。

 

聖ヤコブは、英語ではセントジェームズ、フランス語ではサンジャックと呼ばれます。

聖書のヤコブ書は、英語版ではジェームス。ジェイコブで捜しても見付かりません。

このヤコブ書は何時ごろ、誰が書いたのでしょうか。大ヤコブ、小ヤコブ、知られないヤコブ。もし著者が義人ヤコブなら、書簡が書かれた場所はヤコブが62年の殉教まで暮らしていたエルサレムでしょう。本書が「ヤコブ」の名による著者不明のものとすれば、成立時期の可能性としては50年代から2世紀初めまで広く考えることができます。

 

小見出しには『人を分け隔てしてはならない』とあります。

非常に具体的に書かれています。

外面の装い、見掛けによって異なる接遇をすることは間違っている。

豊かな資産を有している者たちを優遇し、貧しい人たちを軽視するような態度をとることを戒めています。これは、決して昔のことではありません。このような態度は、今日のキリスト教会にも存在する、と指摘されます。4節以下に明らかなように、最も非キリスト者的な心から生れて来る悲しむべき現象、と言わざるを得ません。

 

23節のような態度は、私たちが自らを審判人にすることです。この悪しき思い(誤った考え)とは、富んでいる者に諂(へつら)うことによって利益を得ようとする思い、または貧しい者を軽視して自らを高しとする誇りのようなものを指します。

 

神が示される態度とキリスト者の取る態度とは同一でなければなりません。神は、とりわけ、貧しい者にその愛を注ぎ、彼らを選ばれました。そうして彼らを現在においてすでに信仰による富める者となし(M0C1)、種々の霊の賜物に富ましめ、また未来においては神の国の世嗣(ロマ8:18。ガラ3:294:7)としてその栄光に与らせてくださる(勿論信じることのない貧者をもこのようにしてくださるという意味ではない。また信ずる者を除外されるというのでもない。唯、神は特に貧者にその愛と憐みを与え給うことを示しています)。神の目には貧富の差別がなく、悩める者を一層憐み給う愛があるだけなのです。

 

多くの富める者は、何れの時代においてもその実力をもって弱者を圧迫することを権利のように考え、これを実行します。しかし、神はこのような行為を憎まれます(詩72:4。イザ11:4)。ヤコブは、このように語ることで富める者に対する敵慨心を挑発しようとしたのではありません。貧しい者を軽んじ富める者を優遇する理由が全く存在しないことを示しています。

 

富める者は前述のように神と人とに対して罪深き者です。だからと言って、ことさらに彼らを憎み、迫害し、放逐せよというのではありません。わたしたちが終始一貫して完全に守らなければならない最高の律法は聖書によるつぎの句です。すなわち貧富を問わず凡ての隣人を自分のように愛することです。もしこれだけでも完全に行っているならば、全く申し分のない状態といえるのです。

 

貧しい者を軽視し、富める者を重視することは、愛の律法に反する行為であって、罪とされます。このようなことを行う者は律法によってその違反者として判決されます。

 

旧約の日課、アモス617

6:1「わざわいなるかな、安らかにシオンにいる者、また安心してサマリヤの山にいる者、諸国民のかしらのうちの著名な人々で、イスラエルの家がきて従う者よ。

6:2カルネに渡って見よ。そこから大ハマテに行き、またペリシテびとのガテに下って見よ。彼らはこれらの国にまさっているか。彼らの土地はあなたがたの土地よりも大きいか。

6:3あなたがたは災の日を遠ざけ、強暴の座を近づけている。

6:4わざわいなるかな、みずから象牙の寝台に伏し、長いすの上に身を伸ばし、群れのうちから小羊を取り、牛舎のうちから子牛を取って食べ、6:5琴の音に合わせて歌い騒ぎ、ダビデのように楽器を造り出し、

6:6鉢をもって酒を飲み、いとも尊い油を身にぬり、ヨセフの破滅を悲しまない者たちよ。

6:7それゆえ今、彼らは捕われて、捕われ人のまっ先に立って行く。そしてかの身を伸ばした者どもの騒ぎはやむであろう」。

6:8主なる神はおのれによって誓われた、(万軍の神、主は言われる、)「わたしはヤコブの誇を忌みきらい、そのもろもろの宮殿を憎む。

 

アモスは、その頃の人々、南王国ユダの人々を「安らかにシオンにいる者」、北王国イスラエルの人々を「安心してサマリヤの山にいる者」と呼んでいます。シオンは、エルサレムの神殿の立つ丘を指します。サマリヤは、分裂後の北の人々が礼拝所を設けた高きところのひとつです。アモスは、当時のイスラエル人が、分裂はしたけれど、それぞれの考えに従って礼拝していることは認めています。ここが怖いところです。

人間が、自分たちの考えに従って礼拝し、それで大丈夫、と自らに言い聞かせている。自分の心に呼びかけ、安心させようとしている。

 

アモスは、人々の心に語りかけます。自分の側から見て安心できるだろう。しかしもう一つの視点がある。神様が同じことをご覧になったとき、どのように言われるだろうか。

4節は、食事の情景を思わせます。寝台とあるのは、寝るためではなく、身を横たえて食事を楽しむためのものです。

昔、エジプト5000年を回顧する、という美術展がありました。上野の国立博物館。

その中の一点が妙に心に残っています。象牙の寝台です。小さく、華奢なつくりでした。

古代のエジプト人は、こんなに小さかったのだろうか、と不思議に思いました。

エジプトのファラオ、或いはお妃が横たわったものでしょう。骨格だけですが、こんなものが名誉、地位、財産の象徴だったのか、と冷めていたことも記憶されています。

 

豊かな階層の人々が、いかに一般の暮らしからかけ離れた暮らしぶりであったかが記されます。古代の人にとって家畜はたいそう有益なものでした。ミルク、毛の生産、乗り物、運搬、肥料、殺すには勿体ない。とりわけ成長前の子どもの家畜を食べることは、余程ゆとりのある者だけがすることでした。それ以外には宗教祭儀のためでした。

 

貧しい人たちの生活に触れることなく、見ることもなく、富める者は力で押さえつけているのが現実です。古代も現代も。

キリストの父なる神は、貧しい人、弱い者たちをとりわけ愛してくださいます。私たち一人ひとりも愛されています。その感謝が溢れて貧しい者たちへの優しさになるのです。

 

 

2015年9月20日日曜日

世の富


[聖書]Ⅰテモテ6:Ⅰ~12

[讃美歌]522、58,552,77、
[交読詩編]49:2~21、

[聖書日課]アモス8:4~7、ルカ16:1~13、



旧約聖書の箴言は、なかなか面白いことを書いています。

2720「陰府と滅びとは飽くことなく、人の目もまた飽くことがない。」

3015「蛭にふたりの娘があって、『与えよ、与えよ』という。

  いや、四つあって、皆『もう、たくさんです』と言わない。

16すなわち陰府、不妊の胎、水にかわく地、「もう、たくさんだ」といわない火がそれである。」

人間の欲望は、血を吸う蛭と同じ。蛭は、動物に吸い付くと何時までも吸い続けて、已むことがなく、やがて破裂するに至るほどです。蛭の娘、それも四つある、と言うのも面白く感じます。陰府、不妊の胎、水にかわく地、もうたくさんだと言わない火。いずれもその状態が何時までも続きます。



ある幼稚園の二代目園長が送ってくれると言うので、園長会の帰り道、話をしました。

初代は、地元の小学校校長を退職後、幼稚園を始めました。大地主でしたので余っている土地の有効利用の面がありました。二代目は、まだお若くていらっしゃいましたが、残された事業を拡大し、名を挙げようとして一生懸命でした。800人規模で、町一番でした。園長会でもこの時も、金がない、金がない、と繰り返していました。勿論、わたしのほうはもっと金がありません。しかし、良い機会だから子どものこと、親達のこと、小学校との連携のことなど話そうと思っていたのです。残念でした。蛭のようだな、と感じた記憶があります。



WEBを検索していたら面白いものに当たりました。

≪金銭欲に相対するものは「満ち足りることを知る」ことである。

主イエスは「愚かな金持ち」のたとえ(ルカ121321)を語られ、パウロも「わたしたちは、何も持たずに世に生まれ、世を去るときは何も持って行くことができない」(Ⅰテモテ67)、「満ち足りることを知る者(68)となりなさい」と勧める。「食べる物と着る物」とは、恵み深き神が私たちを愛し育て養うためにお与え下さる「恵み」である。私たちはいつでも「主よ、感謝します。あなたの恵みは私に十分です。アーメン」と祈ることが許されている。

主の恵みと御愛に感謝しつつ、潔く義しい生涯を全うしましょう。ハレルヤ≫



これ自体は常識的な感じです。金銭欲を戒め、必要を満たしてくださる神の恵みに感謝しましょう、と勧めています。面白いのは、それに続く部分です。



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スポンサーとの契約で、毎回同じ場所に載せることになっているのでしょう。

何らかの意図があるとしたら、これはずいぶん意地の悪い、嘲笑的、挑戦的なことになります。禁欲的なことを言っているけど、本音は「金がほしい」じゃないのかね。

「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」 秋を代表する正岡子規の名句。

子規が松山から上京する途中に立ち寄った法隆寺(奈良県)で詠まれた秋の句だと言われている。

境内の散策の後、休憩をとった茶屋で出された御所柿を食していると境内の大きな鐘楼から時を告げる鐘の音が聞こえてきた様子を詠んだもの。

季語は「柿」。鮮やかな秋の色をした柿と、美しい秋空の下に広がる法隆寺の抒情的な情景と荘厳な時の鐘の音を句に含め、人の五感を刺激して秋を感じさせる名句だと言われている。



「ああそれにしても~の欲しさよ」、若い、何も知らない学生時代。国文科に学んだ同年輩の友人が教えてくれました。いかにも真実味が溢れていました。オリンピックの頃のことでした。  『柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺 ああそれにしても金の欲しさよ』

多くの人の本音、それは名誉が欲しい、賞賛が欲しい、たとえ家族からだけでも認めて欲しい。安定した生活のための基本的な財産が欲しい、せめて持ち家が欲しい。そうすれば退職した後、住む所で苦労しなくてすむから。こんな風に考えてみると、人間として最低限の望みであって、これが満たされたら、嬉しいこと、素敵なことのように考えたくなります。





 日本人は、足ることを知りなさい、と教えてきた。儒教的な、仏教的な考えだろう。



『起きて半畳、寝て一畳』という言葉をご存知でしょうか。

どんなに大きな家に住んでいようと、人一人が占める場所は、起きているときは半畳、寝るときは一畳あれば充分足りることから言われるようになった、とされています。

後に「天下取っても二合半」と続けて言うようになりました。天下びとになった秀吉の言葉と伝えられます。どんなに食べても二合半あれば充分。

その「起きて半畳、寝て一畳」が意味することは、人は必要以上の富貴を望むべきではなく、満足することが大切であるという教え。



同じような教えがあるから、満足、と考えて終わっても良いのだろうか。

違いが判る男、と言うものがいるかもしれない。聖書は、同じようなことでも少々違うことを語るのではないだろうか。Ⅰテモテを見ましょう。



Ⅰテモテは、伝道者パウロが、若い伝道者テモテに書き送ったもの。

テトス書と共に牧会書簡と呼ばれています。

弟子のテトスとテモテを育てるために、教会運営を教えようとする『牧会』です。

パウロの手紙は全て牧会だ、と感じます。教会全体への牧会になります。

8節に注目してください。「食べる物と着る物があれば」と訳されています。

着る物は、スケパスマタ、新約聖書中ただ1回、ここにだけ用いられています。身を覆うもの、という意味の語で、衣服と訳されましたが、家をさしても用いられる語です。

衣服には通常他の語が用いられます。マタイ62528、「体は衣服よりも大切」、

「衣服のことで思い悩むな」。この手紙の書き手は、衣服を超えて身を守るものを指し示そうとしているようです。スケパゾー・覆いをする。スケノス・うつわもの。スケーネー・天幕、幕屋(移動神殿)、至聖所、天の聖所。

家と言っても決して宮殿ではありません。身を守る程度の堅牢さがあれば充分。食物にしても山海の珍味を、香辛料をたくさん使って贅沢に仕立てることは考えてはいません。



日本人・わたし達にも禁欲的な清貧の考えがあります。すでに過去形になっているかもしれません。教会のわたし達は、それらは全て、唯一の創造神から来る、と信じています。

創造された方が、造られたものを、必ず守ってくださる、との信仰・信頼です。



それに対し、金銭の欲は、私たちの心を神への信頼ではなく、自分自身への誇りと集めた金銭に対する執着を生み出します。金銭は私たちの心を支配するのです。

わたし達が働いて財貨を獲得することは否定されません。その財貨によって心が支配され、神の栄光を表さなくなることが否定されます。獲得した財貨によってどれほど他の人に悦びを提供しているでしょうか。富は集めるためではなく、よく使うためのものです。それは自由であることの徴でしょう。

よく働き、よく獲得し、よく使いましょう。そして、他の人たちと共に喜び、生きることこそ肝要です。


2015年9月13日日曜日

新しい人間


[聖書]コロサイ31217

[讃美歌]522,361,475、
[交読詩編]37:7~22、

[聖書日課]創世37:(2~11)12~22、ルカ15:11~32、



ルカ151132、よく知られた「放蕩息子」のたとえ。

「放蕩息子の父」を題とした人もいる・小宮山牧師(逗子教会)。大胆ともいえます。でも、息子を主人公にする習慣のようなものがあり、それと違うものを前面に出すのは、私のようなものは躊躇います。やはり、しっかり勉強をした若い先生は、たいしたものです。



ある父親に二人の息子がいました。そのうち、弟は、財産の分け前をください、と言って、それを貰って出て行きました。都で遊び暮らしているうちに無一文になりました。誰も相手をしてくれなくなり、食べるものにも困窮して、ようやく眼が覚めました。父のもとへ帰ろう。そして言おう。

19息子と呼ばれる資格はありません、雇い人の一人にしてください。

22 しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。

23 それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。

24この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから。                                 

この息子は、新しい人間に生き返りました。



物語は、ここで終わりではありません。終わりなら、余程わかりやすいかも。

もう一人の息子、兄貴が登場します。彼は、歓迎の宴会の最中に帰ってきて、何事かを聞き、非常に怒ります。俺のためには何もしないのに、あんな奴のために、肥えた子牛をほふった、信じ難い、赦し難い。

出てきてなだめようとする父親に言います。遊女どもと一緒になって財産を食いつぶしたあなたの息子が帰ってくると、子牛をほふった。わたしは何年もあなたに仕えて一度も背いたことはありません。それなのに友人との楽しみのために子山羊一匹、くれたことはなかったでしょう。

32 だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』



弟息子に関しては、生まれ変わった、と言うことで、新しい人間であると言えるでしょう。

しかし、兄息子は如何でしょうか。何も変わらない新しくはなっていない

ここでは、父親が兄息子に対し、一切のものはお前のものだ、と語ったことに注意しましょう。彼が、大きな恵みに気付くように待っている父親であることに注意しましょう。

そしてこの父親は、キリストの父なる神を指しています。



旧約の日課は、創世37222、ヤコブの息子ヨセフの物語

父親ヤコブは、11番目に生まれたヨセフを特別に愛した。この子の母親ラケルをとりわけ愛していたことも、その理由の一つでしょう。ヨセフは、自分の存在、その言動が兄達にどのような影響を及ぼすか気付きませんでした。判ろうともしなかったのではないでしょうか。大変賢い人物です。優しい心根の人です。その気にさえなれば、他の人たち、兄弟たちの気持ちに気付いたことでしょう。父の優しさに甘えているうちに、腹立たしい存在になっていました。

教育、育児で偏愛は禁物。子ども達は等しく扱われることが重要です。親が特に気にかけるのは、必ずその理由があると理解したいものです。その子が不出来だから当然なのだ、と受け取ることでしょう。我が家の次男はまさにそれでした。一人だけ違う宗教に走り、牧師になった。不出来な上に親不幸。それも、運動神経も悪く、体も小さく、声も悪い。悪いところだらけだから親は心配し、好きなことをさせているのだろう、と考えます。



さて、このヨセフが、あるとき夢を見ました。畑の中で束を結わえていたら、兄さん達の束が、起き上がった私の束の周りに来て、私の束を拝みました。

兄弟たちは、この夢を解釈します。ヨセフが王となり兄達を治めるようになる、ということです。ヨセフの夢とそれを伝えたヨセフの言葉によって兄達はヨセフを憎みました。

もうひとつの夢があり、それも同じように伝えます。今回は父も聞いています。

「日と月と十一の星が私を拝みました。」日と月はこの一家の父と母を表し、星は子ども達。

十一あるのは、後にヨセフ同様ラケルを母として生まれるベニヤミンが加えられているものです。兄達は、これを聞いて妬んだ、と記されます。彼らにとってこの話は実体のない夢物語ではなく、実現することと思われたのでしょう。妬みが生じました。

「しかし父はこの言葉を心に留めました。」ルカ219では、マリアが、羊飼い達の身に起こった事を聴いた時に用いられています。また同じく251で、12歳のイエスと家族がエルサレム巡礼に出かけ、その帰り、イエス一人が人知れず神殿に残り学者達と討論していたときにも用いられています。新訳は1951節共に、「母はこれら全てを心に納めて、思い巡らしていた。」と訳しました。



ヨセフには、こうした心、思い巡らし考えることが欠けていました。

兄達の妬みと怒りは、ヨセフをミデアンの商人・イシマエルびとに売ってしまいます。それからのヨセフ、エジプトのパロの侍衛長ポテパルに売られます。この家で働き、成長し、全く新しい人になります。

455、神は命を救うために、あなた方よりも先にわたしを遣わされたのです。

ヨセフは、自分の生涯が他の人を生かすためのものである、と信じ告白しています。

これが、新しい人間です。



本日の使徒書、コロサイ31217は、3910の「あなたがたは、古き人を脱ぎ捨て、新しき人を着たのである」を具体的、実際的に言い表したものです。パウロが書いています。名宛人が読みますが、同時に多数の関係者が読み、時代を超えて諸教会の信徒、礼拝者がこれを読み、耳にします。あなた方、これは、私たちすべてのことです。



メソジストは、新しくなる、新人、新生、これを重視します。

余り新しくなってはいない、と言うのが実感です。個人的に考えても相変わらずの自分です。教会を考えてもそうです。旧態依然。この手紙の背景には、教会内の分裂、対立がありました。もう我慢できない、赦せない、と言う気分が横溢していたのでしょう。そこで、

13節「互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦しあいなさい、」と言います。それでも赦すって困難です。パウロも知っています。13節後半に主イエスを引っ張り出します。「主があなた方を赦してくださったように、あなた方も同じようにしなさい。」



『新しい人間』は、古い服を脱いで新しい服を着るような感じに描かれています。確かにそうなんでしょう。これは自分の言葉で表現しないと納得できません。

新しいということは、神の所有になることです。パウロは、「聖」と言う言葉を使います。

私たちは様々な事柄について、自分を主張します。自分のもの、所有である、と。この主張はかなり強力です。手を変え、品を変えて現れて来ます。自主自立という言葉で、何もかも自分の手中に収めようとしています。この旧い服を脱ぎ去らなくてはならない。

新しい人間は、自分が神のものであることを大胆に認めます。そのことを喜び、感謝し、神を讃美します。キリストの贖い、キリストの平和、キリストの言葉を喜びます。

全てを主イエスの名によって行います。イエスを主と仰ぎ、イエスに従います。

新しい人間の群れが教会です。教会は礼拝・聖餐共同体です。



ジョン・ウェスレーは讃美歌を大事にしました。弟のチャールスは、英国の歴史上最大の讃美歌作者といわれます。この礼拝で後ほどご一緒に歌う475番は、チャ-ルス・ウェスレーの作品。全賛美歌の中でも第一等に値する、と評価されています。

礼拝賛美歌、奏楽曲の選曲は、牧師と奏楽者が協力すべきこと、と考えています。実際は、音楽面は何も判らない牧師もいるので、奏楽者にすっかりお任せと言うこともあるでしょう。私自身は、讃美歌の選択は共同作業。奏楽曲はお任せしています。

本日の475番は、お二人の奏楽者が別々に勧めてくださったものです。ぴったりです。

説教計画だけ牧師が作って、讃美歌はお任せした方が良いのかもしれません。



話を戻します。J・ウェスレーは讃美歌の歌い方について、次のように教えています。

○ 皆で歌いなさい。会衆と共に歌いなさい。心を合わせる

  • 適切に歌いなさい。わめくような歌い方をして、会衆の他の人の声から飛び出したり、別に聞こえたりすることのないようにしなさい。ハーモニーを乱さないように。
    コーラスのように、他の人の声を聴き、溶け込むように
  • 楽しく、意気揚々と歌いなさい。半分死んだような、あるいは眠っているような
    歌い方をしないように気を付けなさい。むしろ、力強く声を上げなさい。
    福音とは、喜びの訪れです。賛美歌はその応答として歌われます。
  • とりわけ、霊的に歌いなさい。神に目を向けて、一つ一つの言葉を歌いなさい。・・・
    自分自身を神にお捧げする心で歌いましょう。ローマ121
  • 神を喜ばせることを目的としなさい。そうするためには、歌っている言葉の意味にしっかり注意を払いなさい。


ある方にお会いしたことがあります。歌の才能に恵まれ、歌手になりたかったようですが、支援してくださる方たちの考えや、事情があり、伝道者になりました。歌う伝道者になりましたが、「僕は伝道者ではなく、歌手になりたいのだ」、と言いました。その後、テレビにも出るようになりました。きっと、満足しているでしょう。自分には才能が与えられている。それを用いることが、神に喜ばれることだ。と仰るでしょう。確かに、結構なことです。しかし、現実には、他の多くの歌手の中に埋もれてしまいました。

あの業界の使い捨て体質によるものかもしれません。やがて、もう一度波が来て、それに乗って浮かび上がるかもしれません。

キリストによって生かされて生きていることを証ししていた時は輝いていました。あの輝きは消えました。

自分の喜びを、名声を、豊かな富を、自分の満足を求めて、それを得たと考えた時、その手の中からスルット落ちて行きました。



わたし達は、神に所有されているという意味で聖なるもの、新しい人間です。

この大きな恵みを知り、感謝し、讃美しようではありませんか。



 



                

2015年9月6日日曜日

十字架を背負う

[聖書]ガラテヤ61418

[讃美歌]522,297,436、
[交読詩編]142:2~8、

[聖書日課]サムエル下18:(243031191、ルカ142535



十字架、キリスト教のシンボル、いろいろな形があります。20種以上かな

装身具にもなっています。首や耳その他、デザインされたものは数限りがないでしょう。



昔は、その人の信仰を顕すものだったのでしょう。

今は、信仰とは無関係に、その人の美的感覚を顕すものになっているようです。



十字架を首から提げる。腰から吊るす。両手で掲げる。

教会では壁や家具など、いたるところに十字架があるものと考えている。

改革以来、十字架を装飾のような感覚でつけることを避けるようになった。たとえば、

改革長老主義教会では、一つの教会堂に十字架は最も高いところにただ一箇所だけ。

会堂建築の時には、その場所を何処にするか、長い時間を費やして討議された。

外壁の最も高い所、切妻屋根の頂点、塔屋を建ててその先端を、建屋の脇に丈高い十字架を地面から建て上げる。礼拝堂正面の高い所、説教壇の正面、玄関ホールその他。

ある教会では、この問題を討議して一年が過ぎてしまった、と言います。牧師は、とても良い時間だった、教会の方向を共有することが出来た、と語りました。

「教会堂を建てるとは、教会を形成することなのだ」という言葉が理解できます。



ある教派では、「イエスは十字架にかかったのではない。ただ一本の棒杭にかけられたのだ。」と教えるそうです。これは、多分イエスが背負わされた十字架が一本だけだったことによるのでしょう。二本、横棒、縦棒を担いだとは何処にもありません。一本だけでも大変でした。クレネのシモンに無理やり担がせたほどです。



当時の習慣を学ぶ必要があります。当時処刑される人は十字架の横棒を担がされたようです。それでもかなりの重さがあります。縦棒はどうしたか、といいますと、これは最初から刑場にありました。担当のものが穴を掘り、その傍らに用意して置きます。死刑囚が到着しますと、担いできたものを横木にして、腕を縛り付けます。体は、縦木に縛り付けるか、釘付けにします。準備が出来たところで穴の中に下し、根元を固め、固定します。決して一本の棒杭ではありません。このようにすると、十字架に打ち付けられている人は、胸を持ち上げなければ息が出来なくなります。手には釘が打ち付けられているから、自分の胸を持ち上げるとかなりの痛みを伴います。この残酷な痛みと共に死刑囚は血を流しながら息絶えていくのです。

実は十字架は、古代ローマ帝国においてローマ市民権を持たない(特に奴隷など身分の低い者)犯罪人を死刑に処するためのもっとも痛みを伴った道具だった。当時諸民族にあったさまざまな刑罰の中で、十字架刑は最も残酷な重刑の一つであった。



十字架は、このように凶悪な犯罪と処刑のシンボル、残酷な苦痛を伴う死の象徴、そしてなんらの罪もない人が多くの人の身代わりになって、罪の赦しを獲得したことの象徴です。

その意味では、罪に対する勝利のしるしでもあります。そのことを信じ、イエスを主キリストと仰ぎ、従う者にとってはその信仰のシンボルです。首や耳から提げた小さな十字架、或いは腰に巻いた帯から下がるやや大きめの十字架も、2000年の昔、エルサレムの処刑場に立てられた十字架を指し示しています。



ローマの皇帝コンスタンティヌス(位306337)は、マクセンティウスとの戦いを控え、夢の中で敵に勝つためには十字架の印のもとに身を置くようにという神のお告げを受け取りました。「友よ、これにて勝て」トウイトーニ ニカ、予言に従って十字架を掲げて戦ったコンスタンティヌスは戦いに勝利し、分割されていた帝国を一つにしました。

313年に彼は「ミラノの勅令」によって信教自由の原則に基づき、キリスト教を公認宗教として認めます。324年コンスタンティヌスの母であり、キリスト教信者であったヘレナはキリストの受難の地を巡礼し、ローマ神殿を徹底的に破壊させ、イエスの釘付けられた十字架を発掘しはじめました。すると、三本の十字架が発見されます。三つの中のひとつに触れると病気が治ったり、死者が復活したりしたため、その十字架こそ、主がはりつけにされた聖十字架であると確信されました。

4世紀になると十字架が勝利のシンボルとして公然と掲げられた。また十字架は教会堂につけられ、欧州諸国の国旗や王冠、騎士団の紋章などにも広く用いられるようになった。今日では、十字架の形をした旗・アクセサリー・看板・標識・イヤリングなどのものが多く見られる。



十字架に掛けられ、死んで墓に葬られたイエスは、三日目に甦らされ、死に勝つ命の主であることを明らかにされました。ですから十字架は、死に勝つ命の象徴・しるしでもあります。



十字架上のキリストは、主なる神のもとに安らう永遠の生命のシンボルとなりました。私たちはテレビあるいは教会で、ローマ教会の信徒・野球やサッカーの選手、たちが祈る姿を見たことがあります。右手で上下左右額、胸、左肩、右肩の順に触れて、十字の形を描きながら祈りの言葉を唱えます。あの人たちは十字を切ることによって、十字架上のキリストの死によって人類が救われたことへの信仰をあらわしている、と考えられています。英語ではNo cross, no crown(十字架なしに王冠なし=苦難なくして栄冠なし)という諺があり、死を乗り越えたキリストの勝利を人間のあるべき生き方と重ね合わせています。

キリスト教が広く伝えられていくとともに、「十字架」という語は抽象化されて、広く一般的な「苦難」を意味するようになりました。教会に掲げられている十字架は、キリスト教やヨーロッパ文化の歴史的発展を背景に、主イエスの恵みと勝利の力を語り続けていると言えるでしょう。





旧約日課は、サムエル下18:(243031191、イスラエルの王ダビデは、愛する息子アブサロムの反逆のため都を追われ、逃亡しました。反乱軍に対抗する時が着ます。軍司令官ヨアブに、アブサロムを殺してはならない、と命じますが、殺されてしまいます。その知らせを聞いてダビデは、激しく嘆きます。

18:32王はクシびとに言った、「若者アブサロムは平安ですか」。クシびとは答えた、「王、わが君の敵、およびすべてあなたに敵して立ち、害をしようとする者は、あの若者のようになりますように」。

18:33王はひじょうに悲しみ、門の上のへやに上って泣いた。彼は行きながらこのように言った、「わが子アブサロムよ。わが子、わが子アブサロムよ。ああ、私が代って死ねばよかったのに。アブサロム、わが子よ、わが子よ」。



私も四人の子どもの親です。孫も四人になりました。人の子の親としては、ダビデの嘆きを彼の十字架である、と認めさせようとする考えは、理解します。然し一般的には子どもをなくした親の悲しみを十字架とするにしても、それが聖書に即しているか、となると疑問が残ります。厳しいかもしれませんが、これはあくまでダビデの自己責任、彼の失策の結果ではないでしょうか。イエスがかかりたもうた十字架は、他の者たち、すなわち私たちの罪を身代わりになって担うものでした。





福音書日課、ルカ1427は、弟子の条件として『自分の十字架を背負う』ことを語ります。

弟子は師匠に学び、師を真似るものです。師を超えたら、弟子ではなく、新しいもう一人の師匠が、教える者が出現します。

主イエスが担われた十字架は、決して御自身のためではありません。父なる神に背いたすべての罪の赦しのためでした。その故に、私たちはこの十字架を誇ることが出来ます。そしてこの十字架を背負います、と言うことができるのです。



ルカ92324には、次のようにあります。

『私についてきたい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、私のために命を失う者は、それを救うのである。』

自分の罪の赦しのための十字架は、すでにイエス・キリストが担ってくださいました。今、私が背負うべき『自分の十字架』は、他の人の罪の赦しのためです。自分を捨てて、他の人の罪の赦しのために働く。

自分を捨てる。できないことです。自分の利得を考えないことです。少なくとも第一優先事とはしない。



ある教会の長老さん、退職後神学校へ。卒業して赴任、数年で死去。

ある人は、彼も最後は無駄なことをしましたね、と語りました。

後日、追悼会があり、大学以来の友人という出席者の一人が語った。

「彼は信仰を知らない私のために20年間、『心の』友を送ってくれた。一度もお礼を言ったこともないのに。今は教会へ行き、洗礼を受けた。病床の彼にそのことを報告でき、共に祈ることが出来た。私は、彼の十字架だった、と思う。そのため神学校へ行ったのだろう。その覚悟が、私の受洗と成りました。」



背負う十字架に無意味なものはありません。祝福されます。