2016年1月31日日曜日

いやすキリスト

[聖書]ヨハネ5118
[讃美歌]280、18、511、
[交読詩編]32:1~7、
[聖書日課]ヨブ23:1~10、ヤコブ1:2~5、

 

いやす、いやし、最近目立つ言葉の一つです。爆買いよりもっと古く1980年代頃から用いられています。漢字を用いるなら、治癒・癒着など治療・医療系の文字で表します。癒し系のタレントがもてはやされています。20世紀末頃から始まった言葉。それ以前は安らぎ系と表現されていました。

多くの人が犬や猫などにいやし効果を認めています。それどころかロボット・アシモフ君などを超可愛い、として癒し効果を認めています。

多忙で、ストレス、プレッシャーの多い時代であることの証拠のように感じられます。

 

私自身は、鈍感な性質のためか、余りストレスも感じませんが、それでも、いやされる空間を感じてきました。ひとつは富士山です。10歳ぐらいから、豊島区の大塚に住みました。高台で、縁側に立つと、西の方角に池袋を越えて富士山が見えました。視力を養うには、遠くを見ると良い、と聞いて、富士山と馴染みになりました。神学校の寮生活は1年半だけでしたが、ここでも西の方角に富士が見えました(東に東京タワー)。卒業後は、暫くご縁がなかったのですが、富士山麓、御殿場教会に赴任しました。毎日富士山を仰いで生活しました。私にとっては、素晴らしい2年半でした。富士を見ると心が落ち着きました。

多分最近、多くの人が言われる「癒される」ことだったのでしょう。

 

東京生活の中では、もうひとつ癒しがありました。電車に乗って原宿まで。降りるとそこは明治神宮内苑入り口。神宮の森は、代々木が原と呼ばれた荒地を、大正4年から造林した人工の原始林だそうです。素晴らしい森です。その中に明治帝のお妃、昭憲皇太后様が愛された御苑があります。その中には、最近パワースポットと呼ばれるようになった『清正の井戸』があります。

 

明治神宮御苑は、江戸時代初期熊本藩主加藤清正、後に彦根藩主井伊直孝の下屋敷の庭園でしたが、明治時代に宮内庁所管となり代々木御苑と称されていました。 ここの菖蒲田は、 明治天皇が明治30年、苑内の隔雲亭で静養される 皇后のために、 全国から菖蒲の優良品種を集めて植えさせたものです。

明治天皇は御苑について次のようにお詠みになりました。

「うつせみの 代々木の里は しづかにて 都のほかの ここちこそすれ」

菖蒲田の外れ、その外に清正の井戸があります。加藤清正は築城の名人として知られています。彼は庭造りにも優れ、ここのほかにも目白の椿山荘にも井戸を掘り当てています。癒される思いがするところです。

 

地所に寄れば、癒しとは、肉体的・精神的に疲労している状態において疲労回復をもたらし心地よいと感じることの出来る物事・要素を指す。

 

新約聖書の日本語訳の中にイエス・キリストが人々を「癒した」という記述が何度も出てくるように、本来は宗教的な奇跡(奇蹟)的治癒を行う動作の意味で使用されており、「癒し」という名詞での使用はあまり一般的ではなかった、とされます。

1980年代を中心とした「癒しブーム」以降に頻繁に使用される「癒し」という言葉は、宗教学や宗教人類学で、未開社会の暮らしを続ける人々の間で呪術医が、病に陥った人を治す悪魔祓いの行為について言ったものだといいます。上田紀行の『覚醒のネットーワーク』(かたつむり社 1990年)で、セイロンの悪魔祓いについての言及の中で使用されたのが、この言葉の今日のような用法での最初だとのこと。こちらの意味では、なんらかの原因で、地域社会や共同体から、孤立してしまった人を再び、みんなの中に仲間として迎え入れること、そのための音楽や劇、踊りを交えて、霊的なネットワークのつながりを再構築すること、これこそが癒しだといいます。

 

ヨハネ福音書5章は、ユダヤ人の祭りがあった、と記されます。ユダヤの三大祭は、過ぎ越し(麦の収穫の初め)、五旬節(収穫期の終わり)、仮庵祭(ブドウなど果物の収穫)

いずれも農業祭でありながら、出エジプトの出来事に結び付けられ、ヤハウェを讃美するようになっています。ここでは、多くの学者によって過ぎ越しであろう、と推定されています。

 

場所は、エルサレム城の『羊の門』の傍ら。エルサレムの城門は合計8箇所ありますが、北に向かってダマスカスゲート。シリアのダマスカスへ行くための門。東は、オリブ山を越えて朝日が神殿へ射し込む門、ゴールデンゲート。その間、東北隅にあったのが『羊の門』です。後にステパノ門と呼ばれたようです。

この近くにベテスダ(口語訳)或いはベトザタと呼ばれる池があります。ベテスダは『憐れみの家』を意味します。ベトザタは『オリブの家』を意味します。旧い、優れた写本はベトザタなので、これに従います。その傍らには、病人や、からだの不自由な人が大勢集まり、横たわっていました。

 

ここに38年間も病気のため苦しんでいる人がいました。恐らく、初めの頃は家族が一緒にいて、面倒を見ていたでしょう。水面が動いたとき、最初に水の中に入れば病気が良くなる、と伝えられているから、何とかして入れてやろう、と考えていました。病気の苦しみを共有するものがいたのです。そして38年間。ひとり減り、ふたり減り、誰もいなくなったようです。意地悪でもない、悪意でもありません。弱って行くのです。付き添って、お世話する力が失せるのです。

4節の最後に十字のマークがあります。ギリシャ語聖書にも同じものがあります。「ネストレ25版までの本文」、即ち、翻訳底本とされた写本の信頼できる旧いものはこれを欠いている、ということです。新共同訳の場合、その文章はその書(ヨハネ福音書)の最後212pに記載してある、ということです。

 

主イエスは、この病気の人と出会います。問われます。「良くなりたいか」。

下手な質問です。良くなりたいからこそここにいるに決まっています。そのように考えるのは、38年間の闘病の苦悩や絶望感を全く察しない、非常識もはなはだしい言葉だと言えるかもしれません。しかしこの言葉は、絶望的に見える境遇にあってもなおこの病人が心の内にともし続けていた望みを見届けるイエスさまの言葉でした。その望みがたとえどんなに小さくても、またたとえ心の隅におしやられていたとしても、イエスさまはそれを見ることができるし、それを知っていてくださるのです。絶望してしまう状況の中で、なお希望する勇気と信頼を見出そうとする主イエスのお言葉です。

 

しかし、病人は「はい、良くなりたいのです」とは答えませんでした。自分が良くなれないことの言い訳をしています。私は治りたいからここに38年間。ああ、それなのに周りの人は、私を押しのけて先に入り、さっさと治ってしまう。

「水が動く時、わたしを池の中に入れてくれる人がいない、他の人が先に降りていってしまう。だからわたしは良くなれない」と言うのです。

私たちも同じようなことがないでしょうか。イエスさまから問われているのに気付かず、良くなれない言い訳を考えてしまう。そして自分は価値のない者だ、良くなれなくて当然だと思い込もうとする。全く救いようがない状態なのかもしれません。このような否定的な人は救われる道がないというのが世の常識かもしれません。

 

でも、聖書ではそうではありません。この癒しの物語は、神さまの無条件な愛をよく表しています。この病人は、行いがほめられたのではないし、強い信仰を持っていたのでもない。まして、イエスさまを救い主だと理解していたわけでもありません。けれどもイエスさまはそんなことにはめげません。イエスさまには、病人に対して愛のまなざしがあるのです。私たちが横たわっているのを、慈しみ、長い間病気で苦労してきた人生を憐れまれます。そしてそれは、「良くなりたいか」と問いかける前から私たちに注がれています。イエスさまは私たちの返事にならない返事に最後まで耳を傾けてくださいます。私たちの飢え、渇きを理解し、そして言われます。「起き上がれ、床を担いで歩け」イエスさまの言葉で癒され、救われてしまうのです。

 

神さまの言葉は私たちの弱さを超えて、大きいということが明らかにされています。水も、池も、手助けしてくれる人も、先に降りていってしまう人も関係ないのです。イエスさまの口から癒しの言葉が出る時、癒しが実現するのです。

 

癒しの働きは、今でも常時続けられています。

イエスの癒しの言葉が今も生きて働いています。

天地創造の神は七日目に休まれました。しかし天地を支える働きは休むことなく続きます。

造られた人間を支えて、神は働き、み子イエスも共に働かれます。

 

福音書は、癒しの問題から安息日問題に移行します。

そこでは、安息日が悦びではなく恐れの時、してはならない日、拘束日のようです。

安息日の本質は何でしょうか。イエスはその本質を取り戻されます。

2016年1月24日日曜日

教えるキリスト


[聖書]ヨハネ82136
[讃美歌]280,6,412、
[交読詩編]125:1~5、
[聖書日課]ヨブ22:11~28,Ⅱヨハネ1~13、

 

教えるキリスト、次週はいやすキリスト

 

主イエス・キリスト生前の姿を憶える期間、という主張がなされていたと記憶。

創世記・出エジプト記を欠いているので、教会暦の中に確保する。

 

ヨハネ8章は、わたし達が誰の弟子であるかに関心を寄せる。

シモンとアンデレ、ヨハネとヤコブ、彼らはガリラヤの漁師。父親がその師匠。

イエスは、ナザレの大工の息子。小さい頃から父親に仕込まれた腕前があり、父の死後、家族と家計を支えることができた。カナンの地、その建築材は石が多く、木材はアカシヤの木、樫、レバノン杉等高級品が多い。家具なども製造、木材に関する何でも屋。

パウロは天幕作り。織物を材料とする製品。皮革を素材とするものもあった。家庭用、軍隊の宿営用、放牧など牧畜用、そして宗教儀礼のために。

 

イスラエルの律法は、子どもの手に技術を仕込むよう求める。

エデンの園では採集生活。限界がある。  産めよ増えよ地に満てよ

人口論、「食糧は算術級数的に増える。人口は幾何級数的に増大する。」

人口が増大するには、第一に、食糧生産の技術が革命的に進歩することが必要。地理上の大発見、新しい食物がもたらされた。

  第二に、死亡率の低下。歴史的には食料が不足すると病気が流行した。大規模な戦争が起こった。

 

人口増加は、新大陸発見と産業革命を契機として起こった。ジャガイモやトマトなど、旧

大陸の食生活を一新するような変化をもたらした。

戦争と病気は、人口減少を引き起こした。地域限定的な戦争であれば人口減少も地域的で

あった。今や地域限定は終わりを告げた、と考えられます。地球規模で多くの事象が生ま

れ、世界同時の悲惨事を経験しています。グローバル世界、私たちの世界が広がってゆく、

何と素晴らしいことか、と感動しているだけではいけません。

テロ攻撃が地球規模で拡大してゆく時、同時多発する時、感動できません。

 

最近何かの記事にあった言葉、直接宗教が契機となった抗争、テロなどはありません。

直接、という語で現実から離れてしまいます。

宗教が原因になっています。しかも近縁同士が、厳しく攻撃しています。

北アイルランド、イラン・イラク戦争、イスラム過激派。

現代の十字軍という言葉すら出てきました。

 

 

人口増加に応えることを可能とする考え方を、古代人の聖書が示している。

必要な技術の継承、互いに他を必要とする、補い合う。

弟子は師匠に学びその技を習得する。弟子は、師を超えることはできない。

他の相弟子、更に師匠をも超えようとするなら孤立を恐れず、自立、独立する。

 

イスラエルの掟は、神に従うことを求めます。

同様に父・母を敬い、これに従うことを教えます。

その手に技術がなければ働くことができません。飢えに困窮するようになるでしょう。

犯罪に走るしかありません。神と人、両親すら呪うでしょう。

手に業をつけさせないことは不信の輩を生み出すこと。

技術があれば平和に暮らすことができる。神を讃美するだろう。

自立独立することができ、神との関係も新たに構築することができる。

 

イスラエルの者たちは、子や孫がいて、自分の死後、墓を守り、主を賛美してくれること

を最大の祝福、と考えてきました。ダビデ王家の系譜を読むと判ります。王上1520

王上1531「レハベアムはその先祖と共に眠って先祖と共にダビデの町に葬られた。」

主なる神ヤハウェのみ言葉の内に留まることが、何よりも大切なことでした。

 

世の中のものは相対的であり、変化を繰り返します。価値観も変わります。

世のものはいつかは朽ちるものです。それで人々は世の中には絶対的なものはないと言います。

しかし、そうした世にあっても神の御言葉は永遠に変わりません。そのゆえに真理である、と認められています。第一ペテロ12425は次のように語ります。

「人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。」またヘブル138は次のように言っています。

「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。」

主イエスとその御言葉は、永遠に変わることのない絶対的な真理です。    

 

 

東京都北区に聖学院という名の学校があります。幼稚園、小学校、中学、高校(各男女別)。

埼玉県上尾市に幼稚園と大学、大学院があります。

アメリカ、アトランタ市には、国際小学校があります。

アメリカの宣教団体、ディサイプルスが外国伝道に乗り出した結実です。

教会としては、滝野川、中野桃園、秋田・本荘、大阪・玉出。

主要な伝道地、関東、京阪、東海道、山陽は先発諸団体が活動しています。

福祉事業では、病院、乳児院など。

ディサイプルスは、無信条、新約主義、会衆主義政治、全浸礼、主日ごとの聖餐。

明確な主張をもって、同意する者たちの集団を形成。やがて教会の結成に進みました。

 

キリストは、2000年昔、パレスティナで、弟子たちに教えられました。

何を教えたのでしょうか。真理・アレセーヤ、そして真理を学び得た者は、自由を獲得し

ます。キリスト者の自由、マルティン・ルターの著書の題となりました。

「罪からの自由、仕えることへの自由」

真理は自由を得させる。 弟子であることは、自由を得ることです。

恐れからの自由、孤独になり死んでゆく恐れ。イエスは共にいてくださる。

自我からの自由、自分一身の成功を夢見ている。他の困っている人のために何かできる。

他の人々からの自由、他人の思惑に左右される人生、仕来たりや習わし。

罪からの自由、罪を激しく憎むようになります。血を流すほどに抵抗します。

 

教えるキリスト、救い主は、教えの内容に関し、率先垂範。

弟子たちが道を迷わないように見守っていてくださいます。

2016年1月17日日曜日

最初の弟子たち

[聖書]ヨハネ13551
[讃美歌]280,8,510、
[交読詩編]119:9~16、
[聖書日課]サムエル上3:1~10、ガラテヤ1:11~24、

 

『典礼暦年と典礼に関する一般原則』というローマ・カソリック教会の公式文書。

ローマ教会の公式文書は、教会暦の由来・定め、守り方などを、大変丁寧に説明しています。神学校では、ローマ教会には、司祭の挙措動作まで規定するものがある。教団では、そこまでは不要だが、牧師の個人的経験や考えで気ままに行っているのは、改善した方が良い、と語る教師が居られました。その後、新しい式文の出版もありました。まだ試行版のままです。各地の教会が試しに使って、評価することが求められている段階かな、と思いますが、少々長過ぎるかな、と思います。

 

主イエスが弟子たちを選び、招かれたことは、共観福音書で読んできました。

新共同訳聖書は、大変親切です。小見出しをつけて、内容を要約し、捜しやすくしてくれました。これは便宜上のものですので、礼拝の聖書朗読では読まない方が良い、とされています。更に、福音書の場合、同じ記事がある箇所を小見出しの下、カッコ内に示しています。

したがって、弟子たちの選任の記事は、マタイ、マルコ、ルカにあったはずだから、ヨハネ福音書の本日の小見出しの下にあるだろう、と思ってそこを見ると何もありません。

驚きました。

 

私たちは、同じ人たちが選ばれ、招かれ、弟子となるのだから同じ出来事と考えます。

2:13~22、「神殿から商人を追い出す」、ここには並行記事が三箇所記されます。

135以下に関しては、恐らく学問的に、並行記事と認めることが出ないのでしょう。似てはいるが、同じではありません、と言われているようです。異なる部分があることに注意しながら読みましょう。私たちは、同じところを見つける方が力づけられる、と考えています。しかし、違う部分からも福音の力を受けることができるはずです。

 

13542、ここでは、前回と同様洗礼者ヨハネの言葉「見よ、神の小羊だ」が記されます。

それを聞いたヨハネの弟子・ふたりは、イエスに従って行きます。ここにはイエスの招きもないし、ふたりの心情も語られていません。弟子になるには主イエスからの招き、召命

が必要だ、と考えてきました。この二人の弟子は、自分たちのそのときの考えだけで弟子となろうとしているようです。これは、共観福音書の語るところとだいぶ違います。

主は彼らに尋ねられます。「何を求めているのか」

 

この問答には、食い違いが見られます。

ふたりは、「ラビ、どこに泊まっておられるのですか」。彼らは夕方になった、自分たちの泊まるところを確保しようとしている。一宿一飯を求めています。

イエスは、彼らの思惑などに関係なく、付いて来れば判るよ、COME  AND SEE

彼らは、人間的な求めをもって答えました。その求めは、満たされました。人間として生きるための必要は、叶えられます。『主の祈り』では、日毎の食べ物が与えられるよう祈ることが教えられました。主イエスは、彼らの求めに応えました。そこで終わりません。彼らを弟子として生きる道へと導かれます。

 

マルコ11620、マタイ41822、ルカ5111をご覧ください。

場所はガリラヤ湖畔、シモンやゼベダイの子らの居住地、ベツサイダの岸辺でしょう。

主イエスは、「人間をとる漁師にしよう」、と言われます。それを聞いたのは、シモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ。この四人です。マタイ、マルコはほぼ同じように語ります。ルカは、疲れ果てた漁師達に奇跡を示され、彼らを弟子にします。アンデレの名前は見られませんが、この人の名前はしばしば抜けています。

 

同じ福音書でもはじめの三つと四番目ではだいぶ違う、ということをご理解いただけたでしょうか。ここでもう一つ混乱させるようなことを申し上げます。お赦しください。

『共観福音書対観表』という本があります。ヨハネ福音書も入っています。全部ギリシャ語で、説明が必要な場合はドイツ語です。これを見ると、ヨハネ13551は、「四人の漁師を弟子とした」出来事の並行記事となっています。

新共同訳は、並行記事とは認めないようです。

 

シモンの改名の記事を読みましょう。ヨハネより前の時期に書かれたマタイ福音書16章。

聖書では、改名は救いの歴史で新たな役目を神から授かることを意味します。創世17参照

イエスの意図はマタイ1618が明示しています。

 

マタイ16:13 イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。

14 弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」

15 イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」

16 シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。

17 すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。

18 わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。

19 わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」

 

大変難しい問題が出て来ました。第一は、「ケファ、岩という意味、」主イエスは、お前は岩だから、教会・エクレーシアの礎です、と言われました。長い間、東西の教会は、岩とされた人物、ヨハネの子シモン・ペトロがその人格によって、教会の礎石である、と信じて疑いませんでした。

十字軍の時代以降、教会の様々な問題が露わになりました。免罪符販売、教皇の堕落に始まる聖職者の腐敗。

ルターは、ローマ教皇の権能に問題を感じ、討論の主題を提起しました。

当時は、ルネサンス教皇と呼ばれる教皇が輩出しました。人間味のある、自由闊達な人たちだった。民衆は支持し、期待した。サヴォナローラでさえ、アレッサンドロ6世に期待しました。裏切られます。期待する方が悪い。

 

それらに対して改革者達は、岩とされるのは、あの時のペトロの告白である、と主張しました。告白か、人格か、私たちは告白と考えてきました。人間には到底淘汰ゆすることのできない難しい告白。主イエスによって、神の霊によってなされるものとされた告白。

あなたこそ生ける神の子キリストです。この告白の上に、キリストの教会は建てられます。

 

第二は、鍵の権能と呼ばれることです。赦しの権能がペトロの後継者、歴代の教皇にある

との主張です。どんな問題も、教皇が赦せば、すべて赦されます。

一般に、ローマ教会の信徒は離婚は認められません。特例として、教皇がその婚姻の無効を宣言することがあるようです。

ある信徒が話してくれました。旧長老主義教会で受洗し、戦後数年して改宗しました。

「司祭様にいろいろお世話になりましたからねー」

「私たちはいい加減であっても良いの、大丈夫なの。教皇様がいて、全部お許しくださるから。意見の違いがあり、争っていても、教皇様がおっしゃるとおりにすれば、収まるから心配なし。新教は、争いばかりでお気の毒。」

なるほど、そういうところで惹き付けられるのか、と納得。

しかし私たちは、神と人間の間にキリスト以外の仲保媒介者がたつことを拒絶します。

教会の中に身分・階級制度が存在することも拒絶します。

全ての人は、キリストによる贖罪を必要とする罪びとです。

51節は、ヤコブの夢を描く創世記2812と殆ど同じ。

ヤコブの見た梯子の代わりに、これからはイエスが天地を結ぶ唯一の仲介者となることを示しています。

2016年1月10日日曜日

イエスの洗礼

[聖書]ヨハネ12934
[讃美歌]280,55,431、
[交読詩編]36:6~10、
[聖書日課]、イザヤ4219、エフェソ2110

本日の教会暦主題は、ローマ教会の典礼原則を継承しているものと考えられます。

『典礼暦年と典礼に関する一般原則』という文書、ローマ・カソリック教会の公式文書。

そのうちの、「典礼解説・降誕節」部分には次のようにあります。

降誕節

32 例年の過越の神秘の祭儀に次いで教会が行ってきた最古の祭儀は、主の降誕の記念と、主の初期の公現の追憶である。これは、降誕節中に行われる。

33 降誕節は、主の降誕の「前晩の祈り」に始まり、主の公現後、すなわち、1月6日の直後の主日まで続く。

38      1月6日直後にくる主日は、主の洗礼の祝日となる。

 

イエスの受洗【主の洗礼】

 (上述したように、・・・省略部分)ヨルダン川で洗礼者ヨハネからイエスが洗礼を受けた出来事の記念は東方教会が起源であり、主の公現の出来事の一つとして祝われていました。やがて、ローマ教会で占星術の学者たちの来訪を1月6日に独立して記念するようになると、主の洗礼もその1週間後の1月13日に個別に祝われることとなり、1969年の典礼暦の改定までこの日に祝われていました。

  現在の一般ローマ暦では、主の洗礼は1月6日直後の主日に祝います(「典礼暦年と典礼暦に関する一般原則」38参照)。日本では、上記のように主の公現の祭日を主日に移動するので、移動された主の公現の祭日直後の主日に主の洗礼を祝います。ただし、主の公現の祭日が1月7日か8日にあたる場合は、その翌日の月曜日が主の洗礼の祝日となります。降誕節はこの主の洗礼の祝日をもって終わり、翌日から「年間」が始まります。

[A年]

第1朗読 イザヤ421-4, 6-7 見よ、わたしの僕、わたしが喜び迎える者を

第2朗読 使徒言行録1034-38 神は、聖霊によってイエスを油注がれた者となさった

福音朗読 マタイ313-17 イエスは洗礼を受けると、神の霊が御自分の上に降って来るのを御覧になった

 

この一般原則では、受洗の祝日(ABC年)の朗読聖書にヨハネ福音書は用いられてい

ません。マタイ・マルコ・ルカ福音書が、この順に用いられています。

 

さて本題に入りましょう。舞台は、「ヨルダンの向こう側のベタニア」とされます。

エルサレムの東、オリブ山を越えたところのベタニアは有名です。マルタとマリア、ラザ

ロの村。今回はヨルダンの向こう側です。エルサレムを中心に考えています。東側

トランスヨルダンのベタニア、ここと、3261040に現れます。

「イエスはまたヨルダンの向こう岸、即ち、ヨハネが初めにバプテスマを授けていた所に

行き、そこに滞在しておられた。」1040

主が洗礼を受けられた場所は、ヨルダン川の東西二箇所が考えられています。ほぼ向かい

合うところです。6世紀中ごろまで、東岸にアタナシウス帝(518年没)によって建てられ

た《小四角教会》があり、西岸の《聖ヨハネ修道院》の場所と向かい合っていた。残念な

がら、東岸にベタニアという地名は発見されていません。

 

322以下によると、主イエスはユダヤ地方で、多くの人にバプテスマを授けていた、とあ

ります。それにも拘らず、イエスは実際、バプテスマは授けていない、と多くの学者は考

えています。

同じ箇所に、ヨハネは、「サリムの近くのアイノンでバプテスマを授けていた」と語られま

す。このアイノンという地名も知られていません

 

ヨハネ福音書では、洗礼者ヨハネの証言は繰り返されます。しかし、イエスがバプテスマ

を受ける場面はありません。たとえば、マタ315には、次のように書かれます。

「今は受けさせてもらいたい。このように、すべての正しいことを成就するのは、我々にふさわしいことである」 。そう言って洗礼を受けられたのです。しかしヨハネ福音書にはありません。ローマ教会が、「受洗の祝日」の朗読聖書にヨハネ福音書を選ばない理由が判ります。とすれば、教団の聖書日課はどのような理由付けをするのだろうか、興味が湧きます。

 

三福音書(共観福音書)イエスの受洗に際し、神は三つの徴をもって、メシアの自覚を保証されました。

1、 天が開け、2、聖霊が降り、3、天からの声が聞こえた。

 

一般的に、洗礼とはどのような意味を持つのでしょうか。

洗礼、水による清め、すすぎは諸国・諸民族、諸宗教に見られます。

衛生思想が発展するにつれ、普通のこととなる。例えば、参拝前に手を洗うこともすすぎの儀礼だったものが、手を綺麗にすることへと変化。

 

水の洗い、穢れを清める、穢れを取り除く、脱ぎ捨てる。そして新しい衣を着ることになる。即ち、キリストを着ることになります(ローマ131214)。また復活のキリストに生かされる者になること示されます(Ⅰコリント155354)。

Ⅱコリント524、ガラテヤ327等参照

こうしたことで、水による洗いは、異教徒がユダヤ教に改宗するとき行われました。

汚れた異邦人は洗われなければならなかった。旧いものを脱ぎ、新しい衣を着る。

 

洗礼者ヨハネは、自分の方へやってくるイエスを見て、言いました。信仰の告白。

「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」。これはもう一度136に現れるが、それだけ。

  いろいろな意味が考えられています。択一ではなく総合するべきでしょう。

過ぎ越しの祭りに捧げられる「過ぎ越しの小羊」

神殿で毎日捧げられている贖罪の小羊

預言された苦難の僕

偉大な勝利の象徴としての小羊

 

福音書記者は、洗礼者ヨハネが、「知らなかった」ことを繰り返しています。

何を知らなかった、というのでしょうか。

イエスが『神の小羊』であること、私よりも先に居られたこと、このどちらか一つではなく、二つを考え合わせたものであろう、と考えます。先在の神の小羊、と言えるだろうか。ヨハネは、イエスを知っていました。

親戚の男子、半年後に生まれた、これは知っていました。人間的なことは知っていたが、そこには神的な深い意味が隠されていたことを今知った、ということです。

 

福音書記者は、洗礼者ヨハネが神の小羊にバプテスマを授けたとは言わない。洗礼に際して霊がイエスに降ったとも言わない。しかし福音書記者は、霊が降って来てイエスの上に留まったということを、力いっぱい強調する。洗礼者はこれを神的な徴として見ました。即ち、このかたこそ神の子である、ことの徴であると証言するのです。

 

証言することによって彼は、自分にとって悔い改めの洗礼を授けることも、洗礼者と呼ばれることも、洗礼の形式も、全く問題ではないことを明らかにします。

彼は洗礼者と呼ばれるよりも、先駆者ヨハネと呼ばれる方がふさわしいのです。

彼は、神の子イエスの証人であることが、福音書記者によって明らかにされました。

証人であることが、明らかにされることも重要なことではありません。全ては背後に退いて、あのイエスが、神の子キリストであることを示すことこそ、最重要なことです。

 

今、私たちは、キリストを信じる者として、いわば弟子として立っています。終わりまで主に仕えようとしています。8日(金)キ保連札幌の研修会、詩編23を説教。

汝のしもと、汝の鞭、我を慰む。牧者が持ち、外敵と戦う武器だから、私の慰めとなる。

羊である教師は同時に牧者となる。そのとき、武器は何か。聖書、愛、または祈りだ。証人に必要な武器も同じ。これをもって牧場へ、荒野へ出て行こう。主守りたもう。