2015年5月10日日曜日

信仰に酬いる主

[聖書]Ⅱテサロニケ3:1~5、旧約・ダニエル6:10~23、福音書・ルカ7:1~10、
[讃美歌]575,11,461、
[交読詩編]34:2~11、

今日、5月10日は母の日です。これを教会暦と間違われる方もあります。
元日に始まり似たものがいくつかありますが、これらは教会行事と呼びます。
教団出版局は、牧会手帳を出しています。教団の教師が使うため、と考えています。それなら無料で支給したらいいのに、と思いますが、使いたい者は購入するようになっています。神学校卒業以来、使い続けています。初めの数年分は見つかりませんが、1976年以来、40冊ほどが机の引き出しに溜まっています。長女が生まれ、名を付けた時のことが、書いてありました。

手帳の最初のほうに、教会暦・行事、という一ページがあります。二種が分類されています。牧師が使うものなら、その程度のことはよく知られていて、書くほどのことはないだろうに、と感じます。意外と意外、牧師でも解っていないのかも知れません。この二つに関しては、共通の理解をもつことが大事である、と考えたのでしょう。

教会暦は、待降節に始まり、降誕、受難、復活、聖霊降臨など主イエスのご生涯に関わる日々を数えあげます。これは、キリストの諸教会に共通です。
それに対し教会行事は、キリストのご生涯に起源を持たず、教会が信仰生活上有益であることを認めたものです。母の日は、アメリカの教会に起源があります。
母の日(ははのひ)は、日頃の母の苦労を労り、母への感謝を表す日。日本やアメリカでは5月の第2日曜日に祝うが、その起源は世界中で様々であり日付も異なる。例えばスペインでは5月第1日曜日、北欧スウェーデンでは5月の最後の日曜日に当たる。

アメリカ
アメリカでは南北戦争終結直後の1870年、女性参政権運動家ジュリア・ウォード・ハウが、夫や子どもを戦場に送るのを今後絶対に拒否しようと立ち上がり「母の日宣言」(Mother's Day Proclamation)を発した。ハウの「母の日」は、南北戦争中にウェストバージニア州で、「母の仕事の日」(Mother's Work Days)と称して、敵味方問わず負傷兵の衛生状態を改善するために地域の女性を結束させたアン・ジャービスの活動にヒントを得たものだが、結局普及することはなかった。

ジャービスの死後2年経った1907年5月12日、その娘のアンナは、亡き母親を偲び、母が日曜学校の教師をしていた教会で記念会をもち、白いカーネーションを贈った。これが日本やアメリカでの母の日の起源とされる。

アンナの母への想いに感動した人々は、母をおぼえる日の大切さを認識し、1908年5月10日に同教会に470人の生徒と母親達が集まり最初の「母の日」を祝った。アンナは参加者全員に、母親が好きであった白いカーネーションを手渡した。このことから、白いカーネーションが母の日のシンボルとなった。アンナ・ジャービスは友人たちに「母の日」を作って国中で祝うことを提案。
1914年に「母の日」はアメリカの記念日になり、5月の第2日曜日と定められた。

日本
日本では、1931年(昭和6年)に、大日本連合婦人会を結成したのを機に、皇后(香淳皇后)の誕生日である3月6日(地久節)を「母の日」としたが、1937年(昭和12年)5月8日に、第1回「森永母の日大会」(森永母を讃へる会主催、母の日中央委員会協賛)が豊島園で開催された後、1949年(昭和24年)ごろからアメリカに倣って5月の第2日曜日に行われるようになった。母の日にはカーネーションなどを贈るのが一般的。
5月第二日曜キューバ、中国、リヒテンシュタインなど多数の国
5月10日に固定している国もある。メキシコ、エルサルバドル、グアテマラ、

今週の木曜日14日は、昇天日または昇天祭とされます。これはキリストに起源を持つ教会暦の一日です。使徒言行録1:3に次のように記されます。
「イエスは苦難を受けた後、ご自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。」
そして宣教命令をお与えになり、9節、「こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天にあげられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。」

教会暦は、教会がその信仰内容を証しするため、またそれを再確認するため、主日ごとの礼拝で共に読むように編み出してきたものです。キリスト起源
教会行事は、教会が共に楽しみ、喜ぶことが出来、それらによって信仰の確信を深めることが出来るような事柄です。軽んじることは出来ません。然し、教会暦と同じ扱いは出来ません。明らかに第二次的です。

教会暦による礼拝では、その礼拝の主題が定められています。聖書日課から導き出されるもの、と考えていました。それだけではなく、教会暦から引き出され、定められるものでもあるようです。私たちの本日の説教題も、暦に従い、選定された聖書から導き出された主題です。三つのペリコーペ全体を読まないと、この主題が出てくる意味が判りません。
ペリコーペとは、ギリシャ語で「断片」の意味です。聖書日課の個々の箇所を意味します。

旧約日課、ダニエル書6:1~23、十二小預言書の一つ、黙示文学に数えられます。
紀元前539年にバビロンが滅びます。そして5章31節に「メディヤ人ダレイオスが、およそ六十二歳でその国を受け継いだ。」とあります。6章は538年、537年辺りの出来事です。
従って、1章でダニエルがバビロンに捕え移されたのが紀元前605年ですから、すでに67年ぐらい経っています。ダニエルは既に80歳を越えています。バビロンは、メディヤ・ペルシヤの軍隊に征服され、ベルシャツァル王も殺されました(5:30-31)。その後は、「メディヤ人ダレイオスが国を受け継いだ」とされます(5:31)。メディヤ人ダレイオスは、ペルシヤのクセルクセス大王の息子でした(9:1,11:1)さっそくダレイオスは120人の太守を任命し、さらに「王が損害を受けないように」彼らの上に三人の大臣を置きます。それは政治的権力の濫用や歳入のごまかしを防ぐためでした。その一人がダニエルでした(2節)。ダニエルは、既に80歳を優に過ぎていたと思われますが、大臣として起用されます。彼の優秀さは、誰の目にも明らかであり(3節)、ダレイオスは、ダニエルに全国を治めさせようと考えたのです。

ダニエルは、長い年月、異教徒の地、征服者達の国で生活してきました。多くの苦難を経験します。それでも彼の堅い信仰は、少しも揺らぎませんでした。ダニエルが信じるイスラエルの神は、異教の地にあっても、ダニエルを守り、支配者達の上に主であることを現されてきました。イスラエルの神は、世界の主。

福音書・ルカ7:1~10、この聖句は、様々な時期に読まれています。復活後に限らず、受難の時期にも読まれています。
百人隊長の信仰によって、一人の僕は元気になりました。僕のために、ただひと言おっしゃって下さい。その求めを主イエスに告げた百人隊長、そのとりなしによって、名を伝えられない一人の僕は生きることが出来るようになりました。百卒長とその僕は、その信じる神に顧みられ、救いを得ました。ただ存在するだけではなく、生きるために。私たちをこの世へと遣わすべく、主イエス御自身が執り成し、捉え、遣わされる。そのことを深く覚えさせられたいと思います。

詩34編は、讃美頌と呼ばれるに相応しい内容です。
主を恐れる人、主を仰ぎ見る人は、助けを得る。光り輝くようになる。

そしてテサロニケ第二書です。まず、祈って欲しい、と始まります。
祈って欲しい、これは多くはありません。パウロの手紙を読んでいて、「私のためにも祈って欲しい」という文言に驚いたことがあります。大伝道者パウロは、弱気になっているのだろうか。何があったのだろうか? 自分のために、何かを求めることなどないものと考えていました。
Ⅰテサ5:25、「兄弟たち、私たちのためにも祈ってください。」
ローマ15:30以下、「兄弟たち、私たちの主イエス・キリストによって、また、霊が与えてくださる愛によってお願いします。どうか、私たちのために、私と一緒に神に祈ってください。ユダヤにいる不信の者たちから守られ、・・・あなた方のもとで憩うことが出来るように。平和の源である神が、あなた方一同と共におられるように、アーメン。」296p
ピレモン22、「あなた方の祈りによって、そちらに行かせていただけるように希望しているからです。」
エペソ6:19、「私が適切な言葉を用いて話し、福音の神秘を大胆に示すことが出来るように、私のためにも祈ってください。」
ヘブル13:18、「私たちのために祈ってください。」
19、「どうか私が、あなた方のところへ早く帰れるように祈ってください。」

一般的には、祈願は自分たち一家の繁栄、安全無事を獲得するためになされます。
日本の寺社仏閣での祈りを思い出せば充分でしょう。パウロの祈りや、この祈ってくださいという求めは、少しばかり違っているように思えます。
パウロが求めていることは、何時でもキリストの福音が広まることです。更に多くの人々が、この良い知らせ・福音を聞いて喜ぶことを願っているようです。
ここにパウロの信仰があります。そしてこの信仰の姿勢が、聖書日課に共通しています。更に、主なる神は、その信仰に応えて下さいます。神に属すること、神の業を最優先する信仰、ついで、周囲の人々の利益を重んじる信仰です。

このために必要なことは、神の愛とキリストの忍耐を悟ることです。
神の愛は、ヨハネ3:16でご覧ください。
キリストの忍耐は、ヒュポモネー。キリストは、私たちのために、十字架への道を進まれました。ゲツセマネの園で、「できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るようにと」祈られました。「御心に適うことが行われますように。」
ここにキリストの忍耐があります。持ち場、立場を堅く守り通すことです。

主が、あの苦しい十字架を耐え忍ばれたことを悟り、感謝して受け入れたいものです。

2015年4月26日日曜日

命のパン

[ヨハネ福音書]6:34~40、
[讃美歌]280,528,56、
[交読詩編]78:23~39、
出エジプト16:4~16、Ⅰコリント8:Ⅰ~13、

 

本日の聖書はヨハネ福音書からです。

連続講解説教を続けていたら、私はヨハネ福音書を選ばないでしょう。難しいからです。

好きな聖句はあります。断片的には好むけれど、全体としては好みではありません。説教し難いのです。

聖書日課に従って説教しようとすると、今までとは違うことをしなければならなくなります。それは文脈研究です。前後の脈絡を意味します。連続なら、当然一回ずつ、解っています。福音書では、場所、状況、その前の場面の出来事。手紙であれば、その序論があり、論理的な構成もあるわけです。

その上、各巻概説・緒論的なことも話さなければなるまい、と感じます。かなり時間がかかることになります。最低限必要なことであっても、それを感じるのは、私だけであろう、と考えて、時には省略させていただくことになりそうです。

 

多くのことは省略。この6章に記されていることだけに留めましょう。

まずここでは、5000人に対する給食があります。場所はユリウス・ベツサイダ。ガリラヤ湖の北、ヨルダン川を少し上流に行った辺り。時は、過ぎ越しの祭りが近いころです。

200ディナリ分のパンでも足りないだろう、とフィリポが答えています。それをパン五つと魚二匹で満腹させ、12のかご一杯のパンくずが出ました。これも一つのパンの奇跡物語。

そして、水上渡渉の奇跡。それから、パンに関わるレクチャー、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。場所は、カフェルナウムに変わります(25節)。

「永遠の命の言葉」に続いてシモン・ペトロに12人の一人がイエスを裏切ることを預言される。

ペトロに語られた、ということに特別な意味を見出します。ここでの「裏切り」は、イスカリオテのユダのことである、とされるが、これを聞くペトロ自身、最後の時に裏切り、そこから立ち直る人物です。

 

イエスは、いかにも温かく、多くの人を包み込むような人柄。眼を瞠るような奇跡を行い、胸に染み入るような教えを語った。それでも、これを見たり聞いたりする者たちの全てが信じるわけではないことを知っておられた(36節)。

 

本日の旧約聖書日課は、出エジプト16:4~16,です。この31節で主がお話しになりました。

荒野でイスラエルは、エジプトの肉なべを恋しがる。

神は、夕べには鶉を与え、朝にはマナをお与えになった。

 

それを聞いた人々は、飢えることなく、渇く事もなくなるパンがあるのなら、自分たちも欲しい。与えてください、と願いました。するとイエスは答えられます。

エイペン アウトイス ホ イエスース        イエスは言われた

エゴー エイミ ホ アルトス テース ゾーエース  私が命のパンである。

私に来るものは、決して飢えることなく、渇くことがない。

    エゴーエイミは、ここで初めて出てくるが、ヨハネの中で重要事項に用いられる。

人は、食べるものによって生きることが出来る。

料理されたものを食べることを知っている人は、恐らく人間らしい生活を生きるだろう。

火を知らず、料理することを知らない人間は、野獣に近い、原始的な生き方をすることになるだろう。人間進化の段階に従って食べるもの、食べ方に変化が生まれるでしょう。

他方、どのような生き方を、そして死に方を求めるかによって、その食べるものも変わってくる。「われ、渇しても盗泉の水を飲まず」という言葉があります。「武士は食わねど高楊枝」と似たようなことでしょうか。一つの生き方です。それには相応しい食べ物があり、食べ方があるわけです。

 

山形県には修験道の修行地としてよく知られた出羽三山地方があります。月山、湯殿山、羽黒山。修行者は、昔から『即身仏』を修行の頂点としてきました。生きながらミイラになる。最後には、食べるものは木の実と少量の水だけ。骨と皮だけになるのでしょうか。生き方であり、死に方です。

 

最近はグルメという食べ方、生き方があります。特別に高級な食材を、特別手の込んだ料理法で造り上げたものを食べる。これなどは豊かな社会で富の偏りが生まれた格差社会のあだ花と感じています。ローマ帝国の宮廷、貴族や富裕な人々の間

でも同じことが起こりました。帝国の没落と共に消えました。以来、一部の豊かな社会層で楽しまれました。自分の富、資産を使うのだ、勝手だろう、という生き方です。

それは、承認できません。高級食材を自分たちのためにかき集める。波及効果として普通の食材まで不足し、高くなる。一般のつましい生活、食生活の人たちが困窮します。

 

70年前、戦争の惨めな結果がこの国のいたるところを覆っていました。棲むところもなく、糧を得るための仕事もなく、着た切りで、少しの食べ物を分けて、かろうじて生きていました。多くの母親達は、食べたふりをして、自分の少しばかりの食物を子どもに分け与えました。その母達は殆ど死にました。その子ども達は、後期高齢者となっています。彼らは余り食べるものに関与しません。その次の世代以降ではないでしょうか。グルマンは。

 

父も母も、子どもには食べさせようとします。自分のものを削ってでも。

それでも食べようとしない子供がいます。理由は簡単です。外で食べてきたか、家で盗み食いをしているのでしょう。要するに、栄養や愛情とは無関係な食べ物で満腹しているからです。

 

父の御心は何か? 食べ物を供給することです。食べて、成長することです。

それが、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、終わりの日に復活させること。

これだけはっきり話しておられるのに、それを受け入れ、信じる者は少ない。

何故か、ユダヤでは、無理もない、と感じます。

 

イエスの裂かれた肉と流された血とが、まことのパンである、食物である、ということは、当時のユダヤ人にとっては、躓き以外の何ものでもなかった。なぜなら、彼らには血を口に入れるということは堅く禁じられていたからである。ヨハネもユダヤ人。

 

レビ記17:10以下(口語訳)

17:10イスラエルの家の者、またはあなたがたのうちに宿る寄留者のだれでも、血を食べるならば、わたしはその血を食べる人に敵して、わたしの顔を向け、これをその民のうちから断つであろう。

17:11肉の命は血にあるからである。あなたがたの魂のために祭壇の上で、あがないをするため、わたしはこれをあなたがたに与えた。血は命であるゆえに、あがなうことができるからである。

17:12このゆえに、わたしはイスラエルの人々に言った。あなたがたのうち、だれも血を食べてはならない。またあなたがたのうちに宿る寄留者も血を食べてはならない。

17:13イスラエルの人々のうち、またあなたがたのうちに宿る寄留者のうち、だれでも、食べてもよい獣あるいは鳥を狩り獲た者は、その血を注ぎ出し、土でこれをおおわなければならない。

17:14すべて肉の命は、その血と一つだからである。それで、わたしはイスラエルの人々に言った。あなたがたは、どんな肉の血も食べてはならない。すべて肉の命はその血だからである。すべて血を食べる者は断たれるであろう。

17:15自然に死んだもの、または裂き殺されたものを食べる人は、国に生れた者であれ、寄留者であれ、その衣服を洗い、水に身をすすがなければならない。彼は夕まで汚れているが、その後、清くなるであろう。

17:16もし、洗わず、また身をすすがないならば、彼はその罪を負わなければならない』」。

それでは、この部分はどのように理解するべきなのだろうか。福音書記者ヨハネは、人となった言葉にして神の子たる方と人間との出会いこそ、何より重要なこと、と伝えます。

 

使徒書日課は、Ⅰコリント8:4~13、です。

この弱い兄弟のためにもキリストは死なれたのである。食物の故に弱い兄弟を躓かせてはならない。と記されています。

8:1偶像への供え物について答えると、「わたしたちはみな知識を持っている」ことは、わかっている。しかし、知識は人を誇らせ、愛は人の徳を高める。

8:2もし人が、自分は何か知っていると思うなら、その人は、知らなければならないほどの事すら、まだ知っていない。

8:3しかし、人が神を愛するなら、その人は神に知られているのである。

8:4さて、偶像への供え物を食べることについては、わたしたちは、偶像なるものは実際は世に存在しないこと、また、唯一の神のほかには神がないことを、知っている。

8:5というのは、たとい神々といわれるものが、あるいは天に、あるいは地にあるとしても、そして、多くの神、多くの主があるようではあるが、

8:6わたしたちには、父なる唯一の神のみがいますのである。万物はこの神から出て、わたしたちもこの神に帰する。また、唯一の主イエス・キリストのみがいますのである。万物はこの主により、わたしたちもこの主によっている。

8:7しかし、この知識をすべての人が持っているのではない。ある人々は、偶像についての、これまでの習慣上、偶像への供え物として、それを食べるが、彼らの良心が、弱いために汚されるのである。

8:8食物は、わたしたちを神に導くものではない。食べなくても損はないし、食べても益にはならない。

8:9しかし、あなたがたのこの自由が、弱い者たちのつまずきにならないように、気をつけなさい。

8:10なぜなら、ある人が、知識のあるあなたが偶像の宮で食事をしているのを見た場合、その人の良心が弱いため、それに「教育されて」、偶像への供え物を食べるようにならないだろうか。

8:11するとその弱い人は、あなたの知識によって滅びることになる。この弱い兄弟のためにも、キリストは死なれたのである。

8:12このようにあなたがたが、兄弟たちに対して罪を犯し、その弱い良心を痛めるのは、キリストに対して罪を犯すことなのである。

8:13 だから、もし食物がわたしの兄弟をつまずかせるなら、兄弟をつまずかせないために、わたしは永久に、断じて肉を食べることはしない。

この日課は、不思議の思いを呼びます。命のパンならば、聖晩餐に結びつくのではないか、何故そうなっていないのか、という考えです。むしろ疑問といってよいでしょう。

ヨハネは、生命的な存在である主イエスを、聖晩餐にだけ結び付けようとはしなかったのです。広く誰でもが主イエスと一つになれる、と伝えているのです。

 

肉と血とは、イエスの全人格を指し示す言葉であり、この方と出会い、この方を知り、受け入れて生きることが出来る、とヨハネは伝えています。

イエスを命のパンとして受け入れ、私の血肉とするなら、そこには、真善美聖愛を基盤とする生き方が始まります。私たちが求める生き方は、この中にあるはずです。

 

 

2015年4月19日日曜日

復活顕現・彼らの真ん中に

[聖書]ルカ24:36~43、
[讃美歌]280,441,401,77、
[交読詩編]4:2~9、

 

説教の方法を、少しだけ変えてみます。これまで、パウロ書簡や福音書を連続して読み、学ぶスタイルを試みてきました。最近は、ルカ福音書、だいぶ読み進み、もう少しで終わりが見えてきました。ここで一応終わりにします。すでに復活主日から、教団の教会暦・聖書日課に基づく説教に入っています。たまたま教団の教会暦、それに基づいた聖書日課もルカ福音書でした。余り変わりがないかも知れませんが、主題と聖句の選択において私の主観は極力排されている、とご承知ください。教団の教会暦、聖書日課に基づいた説教をするように務めます。

 

前主日は、エマオ途上の弟子達に現れた甦りの主イエスの記事を読みました。主イエスは、無理解な者、不信仰な者たちに現れ、自ら聖書を解き明かしてくださったものでした。

更に、一緒にいてくださり、パンを裂いてお渡しになっている時、弟子たちの目が開けました。彼らは主イエスを見分け、起こっていることの重大性を理解したのです。

本日は、その次に語られることです。ルカ福音書24:36~43、このペリコーペと、詩編4:2~9は日課の記載のままです。ほかに旧約・イザヤ51:1~6、使徒書・Ⅰコリント15:50~58が挙げられています。

    

二人の弟子は、急いでエルサレムに戻りました。十一人とその仲間達が集まり、主の復活は本当だ、シモンに現れた、などと話しているところでした。クレオパともう一人の弟子も、自分たちが経験したことを全て、順序良く話しました。とりわけ、パン裂きの時にイエスだと解るようになったことを伝えたようです。いろいろ質問が出たり、確認されたりで、かなり心が燃えた状態になっていったことでしょう。

 

エルサレムへ戻ったことは、教会の歴史を考える時、重要な意味を持っています。

この朝、イエスの亡骸を求めて墓を訪れた女達、街中の弟子たちのもとへ帰りました。

其処から出発した二人はエマオの宿から、直ちにエルサレムへ帰りました。

どちらも自分たちの体験を伝え、分かち合い、証言しました。ユダヤの律法は、証言する者は、必ず複数であることを求めます。教会は、常にキリストに関わる証言を複数で行うようにしてきました。ホーリネス派では、今に到るまで、伝道者は夫婦揃っていることを定めています。またアメリカの教会は、海外宣教に赴く宣教師の任命は、基本的に夫婦一組単位にします。独身の婦人宣教師は、あったようです。

明治中ごろ、他の教派に遅れて、ディサイプルス派が宣教師を日本に送りました。全て夫婦一組単位です。大坪先生が赴任された秋田の本荘教会も、そうした宣教師達によって生み出されたものです。夫人が病死され、失意の内に帰国された方もあります。

大きな犠牲を払って宣教師達は、來日されました。それは十字架と甦りのキリストを信じ、それを宣べ伝えるためです。その喜びを伝えずには、いられなかったのです。

 

エルサレムへ戻ったことは、もっと深い意味を弟子たちの教会に示し、教えました。

主イエスは、その生涯の最後を、このエルサレムで迎えることにされ、ここに戻ってこられました。そして新しい命の始まりをこの地で始められたのです。まさに永遠の福音は、ここエルサレムから始まります。

パレスティナの宣教旅行を終えて戻ってきたシモン・ペトロ(言行録9~11章)、また宣教旅行を終えるたびごとに戻ってきたパウロ(言行録13~21章)にも当てはまることです。

これによって人々は、キリスト体験を分かち合い、力づけあうことが出来ます。

 

その最中のことです。話題の中心になっている主イエスご自身が、彼らの真ん中に立ち、言われました。「あなたがたに平和があるように」、ギリシャ語聖書では、エイレーネー フミン と書かれています。これは間違いなく、ユダヤ人の日常の挨拶の言葉、シャロームそのままです。これも、平和があるように、と言う意味です。讃美歌Ⅱ編202番

弟子たちの一団は、主イエスの亡骸がなくなった、主イエスは甦った、私は甦られた主イエスにお目にかかった、裂かれたパンを渡されました、などと報告し、話し合い、興奮状態を続けていました。彼らは自分の体験を分かち合っていました。良い知らせを分け合いました。決して平静な状態ではありません。主イエスは、そうした状態の人々の唯中に現れ、心を鎮めなさい、平和があります、と言われるのです。

 

主イエスの言葉通り平静になるかと言いますと、なかなかそうは行かないものです。受け入れていないからです。主イエスの言葉によれば、彼らは、うろたえています。彼らは、恐れおののき、亡霊を見ているのだ、と感じていました。

彼らが不安や恐怖に支配されるのではなく、真実に拠って平安を得るために、主イエスは御自身を差し出されます。「手や足を見なさい。亡霊には肉も骨もないが、私にはそれがある」。これで真実がわかり、安心できるでしょうか。死んだはずだよ、お富さん。

もっと不安になります。こんなはずは無い、と思うからです。

 

この頃、と言うかもう少し前から、私たちの周囲では妖怪の人気が高まっている、と聞きます。水木しげるさんの魅力もあるのでしょうか。最近の妖怪ウオッチになると、まるで判りません。辞書は、同じような事象を指す言葉・類語を次のように分類します。

妖怪は人外が化けて出たもの。人間を見境無く脅かす。

幽霊は人間が化けて出たもの。未練が残っているため成仏できない。

お化けはこの2つを合わせたもの。

お化けを信じて、ここで現れると思っている人には、そこで見えるそうです。そのようには考えず、信じていない人には見えない。木の枝が作り出す陰や、風の生み出す物音が、人によっては幽霊・妖怪に見える、と言われています。感覚が非常に繊細な方のようです。

私は、そういう時でも見えたことがありません。

 

さて、なかなか信じることが出来ず、半信半疑の弟子たち。甦りの主は、食べ物を要求されます。ご自分が空腹になられたわけではありません。肉体を備えた実存在であることをお示しになるためでした。

焼いた魚の一切れが差し出され、彼らが見ている前で、主はそれを食べられました。

この部分は、ヨハネ福音書からの借り物である、とする説があります。多分そうなのでしょう。然し、信頼できる大文字写本は、本文通りです。この部分を削除する必要はないでしょう。古くから教会が採用してきた本文には、深い意味があります。

甦りとは、ギリシャ的な霊魂不滅の考えではありません。肉を伴う体の甦り、この手で触れ、目で見ることが出来る形への甦りなのです。甦りのキリストは十字架に死んだイエスである、ということです。この弟子たちの証言に私たちの信仰は立っています。見たことがない主イエスの甦り、私は、それだからそのことを信じます。

2015年4月12日日曜日

復活顕現・エマオで

[聖書]ルカ24:13~35、
[讃美歌]280,457,57、
[交読詩編]16:1~11、

エマオへ向かう二人の弟子、その日の夕刻のことでした。エマオはエルサレムから西へ60スタディオン、約11kmのところ、意見の相違があり、確定はされていません。

同じ日の朝早く、婦人たちが主イエスの亡骸に油を塗ろうと願い、出向いたところ、墓が空っぽであることを見出しました。そこで起きたこと、起きなかったことを他の弟子達に伝えました。必ずしも喜び迎えられたわけではありません。戯言のように感じられたようです。然し、ペトロは違いました。直ちに墓へ行き、イエスを捜します。何も見つけることは出来ません。

ヨハネは、もう一人の弟子が先についた、と記します。これは福音書記者、若いヨハネだったのでしょう。ルカが24:24で「仲間の者が何人か」とするのは、この事でしょう。

 

クレオパともう一人の弟子の間ではこうした一切のことが、話し合われていました。彼らは、暗い顔をしていたそうです。無理もないですね。ガリラヤでイエスと出会い、人生の希望を託しました。イスラエル解放の希望です。この方に従って行けば間違いない、と感じ全てを委ねました。ところが思いもよらず、突然取り去られました。目先が真っ暗になる思いだったでしょう。まだまだ、明るい将来を思い描くことは出来ません。

私たちもこの社会で、将来の希望を思い描くことが出来ない、と感じた時、暗い顔になっているのです。失望や絶望が怖いので、何ものにも希望を抱こうとはしなくなることもあります。この二人の間に一人の男が顔を出します。福音書記者は、それはイエスである、と明かしています。然し、二人の眼は遮られていたのでイエスとは判りません。

 

二人は、このイエスにいろいろ説明します。その結論は、世にも不思議なことが起こった。

葬られたイエスの亡骸がなくなっていた、というものでした。

 

イエスは、二人の者が、実に物分りが悪く、心が鈍い、と嘆きます。古の預言者のこと、ご自身がなさったメシア予言のことなど、モーセと預言者から初めて、聖書全体にわたって、説明されます。イエスが聖書を説明されるのです。

私たちは、聖書がイエスはキリストであることを説明している、つまり、聖書がキリストを解き明かす、と考えています。ところが、ここでは、キリストが聖書を解き明かしています。

ルカが伝えるこの出来事の要点は、キリストによる聖書の解き明かしと、エマオの宿で、キリストが弟子たちにパンを裂いて与えられた、という二つのことです。つまり、聖書の解き明かしとパン裂きがエマオ途上の復活物語の内容です。

私たちはしばしば忘れていたり、気付かなかったりすることがあります。それは、聖餐式がキリストに起源をもっているように、聖書の解き明かしである礼拝説教もキリストが起源である、ということです。従って牧師は、聖餐式と説教を、起源がキリストにあるように正しく執行し、 正しく語らなければなりません。説教者は恣意的にならないよう教えられ、訓練されてきました。自分の話芸を誇るのなら、噺家、漫談家になればよいのです。

そして、信徒も聖餐と礼拝説教を、キリストに起源をもつものとして、正しく受け取らなくてはなりません。聖書の福音が語られることを求めるのです。聖書の解き明かしとパン裂きこそが、復活のキリストに出会う奥義であることを、ルカは、指し示しています。

 

15・16節に戻ります。この最初の段階で二人の弟子の目は遮られていました。『人は見るだろうと期待している、予期しているものを見るものだ』と言われます。見るだろうとは思ってもいないものは見ても見ないのです。目が開かれたのは、イエスが彼らと「一緒に席についた」ときです。この「一緒」という言葉、ギリシャ語ではシュンまたはスンと発音する語。シンフォニー、シンパシーなどでよく知られます。気を付けたいのは、一緒に別々になっていることです。砂場で幼児が遊ぶ姿を見ていると、一緒にいるのですが別々に遊んでいる、ということがあります。本当に共にいるなら、其処では何か新しいことが起きてきます。

イエスは「一緒に歩き始め」(15節)、「一緒に泊り…共に泊まる」(29節)、「一緒に席につく」(30節)というように、つねに彼らと「一緒に」おられました。其処では新しいことが起きました。「私たちの心は燃えていたではないか」、これは新しいことが起きたことを示しています。甦りの主イエスとの出会い。初めてのことです。彼らが知らなかったこと、気付かなかった事が起こりました。同じことが我々にも起きます。

 

じつは、イエスが我々と一緒におられるのに、それに気付かないという話が聖書にあります。最後の審判のとき、キリストが「わたしが餓えたとき、渇いていたとき、旅をしていたとき、病気のとき、牢獄にいたとき、わたしによくしてくれた」(マタイ25章36節)と言いますと、言われた人々は、「わたしはあなたにお目にかかったことはありません」というのです。そのときキリストはこういいます。「わたしの兄弟であるこの最も小さい者にしたのは、わたしにしてくれたことである」(マタイ25章40節)。つまり、我々は苦しんでいる「最も小さな者・弱い者」と出会うとき、復活のキリストと会うのです。

復活のキリストが「最も小さな者」としていつも我々の目の前におられることに、気付くことが出来ます。甦りの主キリストは、このような形で、私たちの目の前に現れてくださいます。感謝しましょう。