2015年11月15日日曜日

救いの約束

[聖書]出エジプト2:1~10、
[讃美歌]194,155,467,77、
[交読詩編]106:7~15、
[聖書日課]ヨハネ6:27~35、ヘブライ3:1~6、

 

前主日は、函館教会との交換講壇。ここには松本紳一郎牧師が立って説教されました。

50年前、母教会の小学生そして大学に入った頃を知る者としては、時の流れ、時を支配される主なる神のご計画の不思議を、感じざるを得ません。御名を賛美いたします。

小学校中級クラスのヘルパーにさせられたのは、洗礼を受けた私を育てようとの牧師の計画だったでしょう。メインの教師は、青学の教育学部の女子学生と三菱銀行銀座支店の女子行員。お二人は一つ年上、教会歴も長く、既に洗礼を受けておられました。生徒は、瑠璃ちゃん、滋雄ちゃん、泰洋君、徹君、そして紳ちゃん、この五人は高校時代も一緒でした。

やがて松本先生は深沢教会へ転会。岩瀬君は今も同じ教会で、多分役員。瑠璃ちゃんは結婚して諸国へ。先日お父様を御国へ送られました。松江の教会役員で、100才を超えておられました。

この二人が、50年ほどの時を経て、海峡を越えた北国で、講壇交換をするようになるとは、一体誰が考えたでしょうか。

 

さて、本日の聖書、出エジプト記1,2章の背景を、少しお話しましょう。

ナイル川のほとりでは、紀元前6000年頃人々が集落を作り、牧畜・農業の生活をしていました。麦と羊、牛・豚などの共通項から西アジアの人々との関連が推測されます。

集落が成長し大きな社会を造り、王国が形成されます。長大なナイル川、流域に10カ国。

 ナイル川は世界最長の川。全長6690km。ヴィクトリア湖から流れる白ナイルとエチオピア高原から流れる青ナイルがスーダンのハルツーム付近で合流し、砂漠地帯を北流してエジプトを流れ、下流に大三角州を作って地中海に注ぐ。古代ギリシアのヘロドトスが「エジプトはナイルのたまもの」と言っているとおり、ナイル川の定期的な氾濫によって形成された肥沃な土壌がエジプト文明を形成した。また人々はナイルの水を利用した灌漑技術を発展させ、高度な文明社会を築き、流域にいくつかの都市国家が生まれ、それらを統合するエジプト王国を出現させた。エジプト王国はたびたびメソポタミア方面まで力を伸ばし、またアッシリア帝国以来西アジアからの勢力の支配を受けることもあった。

 

聖書では、アブラハムの時代に、既に関係を持っています。

その頃から、豊な国であり、飢饉の時には、食糧供給力もある大国でした。

出1:1には「イスラエルの子ら」とあります。これは民族名ではなく、族長ヤコブ・イスラエルの12人の子ども達を指しています。カナンの地が飢饉に襲われたとき、ヨセフが宰相に成っていたエジプトへ避難したことです。

ひとつの家族として避難し、今や民族的な規模となっています。

それ以上と言っても間違いではないでしょう。エジプトを脱出するイスラエルは60万人超とされます。後世言われるような単一民族集団ではなく、いわゆる奴隷階級に属する者たちの集団と考えたほうがよさそうです。

余談ですが、エジプトの地理・歴史には上下(かみ・しも)エジプトという言葉が出てきます。これはおおよそナイル川の上流部、下流部に基づいています。二重の王冠もこの二つを示しています。

 

1:8には、「ヨセフのことを知らない新しい王が、エジプトに起った。」とあります。

イスラエルの人々がエジプトへ下った時代は、西アジア系のヒクソスがエジプトに侵入した後のヒクソス王朝時代、末期であったと考えられます。外国人が支配した時代、イスラエルは彼らと近縁の者たちだったようです。彼らは歓迎され、ナイル河口デルタ地帯東側ゴセンの地で羊を飼いながら生活することを許されました。これはイスラエルにとって伝統的な生活様式を維持できることでした。また自由民としてヤハウェ礼拝を続けることもできました。しかし、歳月と共に、事情は変わります。

 

1:13・14節では、イスラエルはその人口が増え、自由を失い、奴隷の身分に落とされ、厳しい労役が課されています。世界の事情が変化しました。ヒクソスは勢力を失い、エジプト人の王朝が復活しています。紀元前1275年、ラムセス2世が即位します。この王の時代は、2:11にあるピトムとラメセスの町を建てさせられた時に当たるようです。そして王は、2:23に語られますが、人の常として死去します。従って、この王は出エジプトの王ではない、ことに成るはずです。ところが、ハリウッドが製作した映画、セシルBデミルの『十戒』、最近の『エクソダス 神と王』にしてもラメセスが出エジプトの王である、と描いています。聖書学者の中にもこれを支持するものが多いのかもしれません。2:23を承認するなら、出エジプトの出来事はラメセスではなく、その後継者、メルネプタの時に起こった、と考えるでしょう。今のところ、決定的な証拠が見付からず、判定不能のままになっています。

 

先走りました、少し話を戻します。奴隷であったイスラエルの人口問題です。

イスラエルの人口が非常な勢いで増加する、これではエジプト人を圧倒するようになってしまう。ファラオは、心配し厳しい労役を与えました。それだけでは効果が薄い、と見たのでしょう。ヘブルの助産婦に一つの命令を下します。「ヘブル人の女が出産したなら、女の子は生かして置け。男の子なら、ナイルに投げ込め」というものでした。それに対し助産婦は、したがいませんでした。「私たちが行く前にヘブルの女は生んでしまいます。大変元気です」この助産婦達の名が伝えられています。シフラ(美)とプア(光輝)。王の権力よりも神を畏れた女性として今に至るまで、尊敬されています。

 

さて、その頃、レビの家の男子が、同族の娘と結婚します。男の子が産まれました。ファラオの命令に従えば、ただちにナイル川に投げ込まれます。三ヶ月間、密かに育てられました。これ以上隠し通すことはできない、となったので、流域でよく作られる葦舟を造り、アスファルトと樹脂を塗って、子どもをその中に入れて岸辺近くに流しました。

ある人は、王命に従う異なる方法だ、と言います。投げ入れてはいないが、ナイルに浮かべたのだから。むしろそうではなく、神の御手に委ねた、と理解すべきだ、と考えます。

 

葦の籠は、葦の間を流れて行きます。姉が、その後をつけて行きます。籠は、ファラオの娘が見つけ、侍女に命じて取ってこさせます。嬰児は泣いています。どうしよう。

そこへこの子の姉が姿を現し、乳母に適任の者を連れて来ます、と申し出ました。

彼女は、その母親を連れて来ました。ファラオの娘は、「私の代わりにこの子を育てなさい。報酬を与えます」。こうして、男の子はファラオの娘の子どもとして、実の母親によって育てられました。成長後、とあるのは乳離れしたので、という意味でしょう。これ以降、ファラオの娘の子どもとして王宮で育てられます。

 

へブルの家庭の慣習は、割礼を施すこと、名前を付けることを求めていますが、それらは何も触れられていません。

 

王宮において、モーセという名が与えられました。『水の中から引き出された者』という意味を持ちます。ファラオの娘が、自分のしたことに基づいてつけました。名を付けただけではありません。王宮の教育は、王として、国を指導するためのすべてが含まれています。

実はこの王宮で育てられること、この名には、神のご計画が秘められています。

引き出された者が、やがてイスラエルをエジプトから引き出す者となる。

奴隷の身分から自由な民として、神に従い、礼拝するように指導する者となる。

私たちが生きている場には、神の恵みが豊かに然し秘められた形で、備えられています。

それに気がつき、見出し、知るには、長い時間がかかるかもしれません。40年、50年もたってようやく、神の恵みであった、と気付くかも。明日、見つけるかも。

救いの恵みは既に与えられています。讃美しましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神さまのご計画の不思議さ、本日の説教の準備のように函館で、出エジプトのことを説教させられていました。《旅路のイスラエル》イザヤ書43:1~7、

  讃美歌(旧版)54よろこびの日よ、ひかりの日よ、

283河べの樹に かけし緒琴、

         259天なる主イエスの こよなき愛は、

  交読詩編139篇(11~18節)

長い時間をかけてこの説教を書きました。普段は、次の説教も並行して準備しますが、このときは全く頭にありませんでした。

 

 

イスラエルは、40年間荒野をさすらった人々、と言われます。彼らは40年間自分達の紙を礼拝できる約束の地を求めて旅をしました。彼らは、目的地のないさすらい人ではありません。彼らは旅人です。

その祖先、族長アブラハムは行く先も知らず、カルデアのウルを出立、まことの神礼拝の地を求めて旅を続けました。目的の地が何処であるかは知りません。でも旅人。

その子孫イスラエルは、エジプトで奴隷となっていましたが、神の導きにより奴隷の頚木を振り払い、約

束の地カナン目指して荒野へ旅立ちます。

 

カナンの地へ入るまでの40年間の旅路、唯一神礼拝に習熟する期間。実は、定住後もまた旅を続けたのではないか、と考えています。

イスラエルは、周囲の異教徒と戦い、時に敗れ、圧迫を受けました。そうした折、ヤハウェ礼拝から逸脱することもありました。彼らの唯一神礼拝は、絶えず挑戦を受け、守るための困難な戦いを繰り返したのです。戦いの旅の連続でした。

 

イスラエル民族は、幾度かの大きな旅を経験しながら成長し、神の民となりました。

 

 

第一の旅は、楽園追放に続く旅、族長アブラハム・イサク・ヤコブへと続けられ約束された地で唯一の神を礼拝するようになります。

第二の旅は、ヨセフの時代、エジプトへの逃避行に始まり、モーセの時に神の憐れみによる出エジプトの旅となります。これは第一の出エジプトと呼ばれます。

エジプト支配からの解放

第三の旅は、バビロン捕囚の旅、そして帰還の旅となります。これは第二の出エジプト。

  バビロン支配からの解放

第四の旅は、全く新しい世界への歩み、宇宙への旅かもしれません。

現代のわたし達、新しいイスラエルに必要なものは、第三の出エジプトです。

  罪の支配からの解放、

2015年11月1日日曜日

神の顔を避けて


[聖書]創世3:1~15、
[讃美歌]194、218、492、
[交読詩編]51:3~11、
[聖書日課]ヨハネ3:13~21、ローマ7:7~13、

 

本日は、「聖徒の日」永眠者記念日として礼拝を守ります。

新約聖書では、聖徒・聖なる者・聖人をハギオスで表し、

すべてのイエス・キリストを信じる人、キリスト教会の信徒を指しています。

 

宗教改革記念日、10月31日

マルチン・ルターは、1517年のこの夜(万聖節の前夜) all saints day

ヴィッテンベルク城教会の門扉に95か条の論題を公示。全教会内外の論議を求めた。

主要な論議は、ローマ教会の贖宥権販売に反対することでした。ローマ教会・教皇庁の伝統的な権威に敢然と挑戦します。サンピエトロ大聖堂・ヴァティカン宮殿の建築資金のために作られた制度、教義に何の権威があるのか。諸聖人の余分な功徳、それを職宥権としてなどとんでもない。罪人の罪の赦しは、ただキリストの十字架による贖いにより果たされた。獲得された。そのほかどんなものも、贖罪を果たすものはあり得ません。

 

ばんれいせつ【万霊節】これは11月2日

All souls' day キリスト教特にカトリック教会や聖公会の一部で,万聖節の翌日である11月2日になされる死者の記念日。死者の日。

 

ローマ・カトリックなどは、この前の日を万聖節 all saints dayと呼んで、

すべての聖人達を記念しているようです。これが11月1日。

我々の教会・日本キリスト教団では、聖書に出てくる《聖なる者、聖者》はすべてイエスを主キリストと信じる者、信仰者と理解しています。そこで、11月第一日曜をすべての逝去者を記念する時と考え、守っています。万霊節、万聖節を一緒にしたのでしょう。

したがって、本日はすべての信仰者、すべての死者を心に覚え、祈り、主なる神の主権を讃美するときとなります。

 

ハロウィンHalloweenブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

アングロ・サクソン系民族の祭日。 10月 31日すなわちキリスト教の万聖節の前日をいう。古くはケルト人の祝日で,ケルト暦の大みそかにあたり,この夜悪霊や魔術師たちが戸外を駆けめぐって次の年の予報を声高に叫び歩いたといいます。

 

カソリックの万聖節の前日に、死者を覚え、死者に扮装し、日本の盆や彼岸のように歓迎する俗習がハロウイン、となります。

 

創世記3章は、創造された初めの男アダームとその相応しい助け手である女の物語。

蛇が登場し、女を言葉巧みに誘惑する物語。その後の主なる神との対話が続きます。

ご一緒に改めて読んでみましょう。新しい発見があるかも知れません。

 

創造物語は誰が見て、書いたのでしょうか。昔は、モーセが神より啓示されて、それを書いて伝えた、と教えました。

今では、古代イスラエル人が紀元前10世紀、ダビデ・ソロモンの統一王国、繁栄の絶頂期に自分達の信仰告白として書いた、と考えます。第1章は、捕囚の時期にイスラエルが同様に告白した、と考えています。天地創造物語は、当時の人間の自己認識とも言えます。

 

誘惑者は、美しく、真実を身にまとっている。蛇であり女です。

誘惑の虚言は、90パーセントの真実に混ぜて乗せられる。

虚実はあざなえる縄の如し、儲かりまっせー、というのはだいぶ違う。人間の欲望を刺激する。

 

誘惑者エヴァは、自分の弱さを知り、一人を恐れる。常に同伴者、随伴者を求める。

一人ではなく、ふたり一緒に食べよう。その結果も二人なら怖くない。責任は感じない。

神のように賢くなれる、と思って食べる。その結果は、裸の恥を知ること、神の足音を恐れ、身を隠す。神の言葉に背いた自分を知ったこと。

 

裸であることが判った。性的な意味を強調する向きもあるが、これは人間が守られ、隠されている状態から、それらを剥ぎ取った状態を示しているのだ。ありのまま。

ありのまま、良い意味だけではありません。恐ろしく、弱く、汚れたことも含まれる。

それを知った者は、それを何とか隠そうとする。それがイチジクの葉。

主なる神は、そんな人の弱さを獣の皮をはぎ、衣として与え、守ることになります。

 

衣類の意味が教えられます。ファッションとして美しく飾る以前に、衣裳は人間の弱さ、欠点を隠すものだ。現代風にはスタイルの欠点・欠陥を補正する、と表現するのだろう。

 

これ以前、彼らは神と顔を合わせることを怖れず、親しく話ができた。しかし今や、神のようになったはずの彼らは、神を恐れる者となった。ある時、園の中を歩まれる神の足音を聞き、怖れて身を隠した。隠したことでかえつて彼らは、その犯したことを明らかにする。ここに用いられている表現は、ヨナ書に全く同じように顕れます。P1445以下

 

預言者ヨナは、神を知らず、悪行を行うアッシリアの都ニネベへ行って予言せよ、と命じられます。勿論悔い改めて唯一の神を礼拝しなさい、と語ることです。ヨナは、あんな悪逆非道のアッシリアに預言するのは真っ平だと拒絶します。預言の結果、彼らが悔い改めたら、神様は必ず考えを変えて彼らを憐れむに決まっている。オー嫌だ、私の面子はどうなる、彼らと一緒に神礼拝するのかい、いやだいやだ。

遂にヨナさんは、身を隠そうとします。《神の顔を避けて》1:3タルシシへ行く船に乗り込みます。しかし、何処へ行っても、神から逃れることはできません。

 

罪の責任は、自分で担うには重過ぎる。責任転嫁。アダームはエヴァに、エヴァは蛇に。

しかもその中で、アダームは、「神さま、あなたがわたしと一緒にしてくださった、あの女が」と言い、神に責任転嫁。エヴァは、「蛇がわたしを騙したのです」という。お造りになったもののうちもっとも賢いから、わたしが騙されるのは当然。悪いのはお造りになった、あなたですよ。

 

こうして二人は、神との約束を破り、楽園を追放されます。

繁栄の絶頂にいたイスラエルは、その只中で自分達の罪を、罪責を見つめ、認めました。

 

元来、旅の始まりは楽園喪失の時、エデンの東、ノドの地へ移されたことにあります。

創4:16カインは、主の前を去って、エデンの東、ノドの地に住んだ。

その時主は、ご自身が造られた獣の皮をはいで、衣として二人に与えた。

裁きの中にも、神の恵みと憐れみは示されていました。

 

人間は、神のもとへ帰るまで真の平安は得られません。

死は恐怖ではなく、まったき平安の時です。

その間の人生が平安に満たされるのは、神の御心に従う時なのです。

詩編102:19『主を讃美するために民は創造された。』

目的の地に辿り着かないまでも、この地上を歩みつつ、人は充足することができる。

讃美しつつ歩もう、ハレルヤと歌、唄いつつ歩まん!

 

こうした人間の救いのために、御子イエスは、この世、この世界に来られました。

この神の愛を明らかにするのが、ヨハネ3:16です。

 

 

2015年10月18日日曜日

天国に市民権をもつもの


[聖書]ルカ19:11~27、
[讃美歌]6,441,463、
[交読詩編]78:1~8、
[聖書日課]士師記7:1~8、ヘブライ11:32~12:2、

 

本日、私たちに与えられた主題の背景を、少しだけお話しさせてください。

新約聖書の時代の市民権は、ローマ帝国における市民権であり、イタリア半島内のラテン市民権と呼ばれるものでしょう。それが共和制国家を取り巻く情勢の変化によって、拡充されたものです。共和制国家も帝国も戦争に勝利すると、敗戦国・民族をラテン市民権を持たない非市民層として処遇しました。奴隷と並ぶ労働階級としました。

 

市民の権利は、税金を納めること、武装を整え兵役に服することでした。他にもあります国のため奉仕することが出来る権利。やがてこれらは権利ではなく義務になって行きます。

パウロは生まれながらのローマ市民権保持者、皇帝に訴え、裁きを受けることが出来ました。裁判は、自分の権益・名誉を守るためのものである、と理解されています。

それに対してローマ軍団の千卒長・千人隊長は、自分の代に大変な苦労の末、ようやくその市民権を金で買うことが出来た人です。

 

この事からわかるように、当時の市民権にはいくつかのレベルがあったようです。ベテランズと呼ばれる満期除隊の軍団兵、解放奴隷、服従した敵国の市民、いろいろ考えられます。レベルによって権利に制約がつけられました。投票権のない市民権もありました。

また、市民権は生得のものではなく、権力者(元老院、皇帝、征服者)の側から授与されるものでした。

現代社会で、私たちが市民権を口にするとき、それは市民革命を背景に、特に法的な権利と義務との関わりで用いられるでしょう。聖書の時代とはだいぶ違います。

 

福音書の譬え話で、主イエスが市民権を題材にお話になっているか、と言えば、それはありません。本日の主題が《天国に市民権をもつもの》となっているのは、聖書日課を設定する担当者の考えによります。私には理解しがたいものです。

イエスの十字架によって罪の手から贖い取られたものが、神の国の市民です。

 

さて、ルカ福音書19:11以下ですが、始めに文脈を見ましょう。

18:35~43、エリコの近くで、ある盲人・物乞いを癒される。

三福音すべてが、時間的順序や人数の違いなどはあっても、取り上げています。

眼が不自由であることは、イスラエルの構成メンバーの地位を失わせるものです。

 

19:1~10、エリコの町を通っておられると徴税人の頭、ザアカイと出会います。

徴税人の頭ザアカイは、格別に背が低かったように記されます。恐らく幼少期の病気のため未発達だったのでしょう。障害のあるものはイスラエルの宗教共同体から排除されました。誰からも嫌われる仕事につくことしかできなかったのです。裕福な生活を送ります。しかし、彼を助ける友人は一人もいませんでした。そんなザアカイ、イエスの噂を聞いて、何とかお目にかかりたいと願っていました。町の人たちは邪魔をします。遂にイチジク桑の木に登りました。下を通りかかったイエスは、ザアカイよ、と話しかけてくれました。ザアカイは大喜び。

「主よ、私は財産の半分を貧しい人々に施します。また、誰かから何かだまし取っていた

ら、それを四倍にして返します。」 イエスはザアカイの家に泊まることを話しました。

この流れは、財産・資産を持つものは、それをどのように用いているか、という問いがあ

る、と指摘する人もあります。ここでは障害を持つ人、貧しい人が恵みに与るものとされ

ています。ユダヤ人たちの神の国到来に対する熱が一挙に高まったことでしょう。

それが次のイエスの教えに反映するのです。

 

もう一つの視点

視点を変える。盲人の物乞いは何も持っていない。彼にあるのは、イエスに対する信頼だ

け。むしろ、当初はイエスに憧れていた、と言いたい。現代のミーハー的な憧れではない。

もっと熱く、自分の生き方を変える希望に直結している。

彼は何故、無一物の物乞いになったのか。誰も自ら望んでそのような境涯になりはし

ない。中東には、或いは古代世界には眼疾が多かった。砂埃と衛生・医療状況のため。

この盲人の乞食は、視力を失ったために自分自身の居場所を失ったのではないか。さらに、

生きるために必要な最低限度の資産すら失ってしまった。

 

もう一人の人物が登場する。彼は仕事を持ち、豊かな資産を持っている。しかし持ってい

ないものもある。背の高さがない。彼は背が低かった、とある。子どもの頃病気になり、

成長が止まってしまった、と推測されている。

友情を持っていない。イエスの姿を見るために行列・人間の壁の前に出たい。背が低いの

だ。彼が前に出たところで誰の妨げにもなりやしない。しかし、目引き袖引き彼の邪魔を

する。意地悪をする。決して助けようとはしない。

これがザアカイの現状です。有能な徴税人、金はあるが、親しい友はいない。

そのザアカイの家に泊まりましょう、と主は言われます。11節以下は、このときザアカイ

の家で話されたことと考えられます。

35:4心おののく者に言え、「強くあれ、恐れてはならない。見よ、あなたがたの神は報復を

もって臨み、神の報いをもってこられる。神は来て、あなたがたを救われる」と。

35:5その時、目しいの目は開かれ、耳しいの耳はあけられる。

35:6その時、足なえは、しかのように飛び走り、おしの舌は喜び歌う。それは荒野に水が

わきいで、さばくに川が流れるからである。

 

ルカ7:22、マタイ11:5,12:22、20:30、21:14、などにも引用されています。

当時のユダヤ人にとってメシア到来の予言としてよく知られていた聖句です。

 

さて、11節以下「ムナのたとえ」は何を告げるのでしょうか。

マタイ25:14~30に、ほぼ同じ物語が「タラントンのたとえ」という小見出しになって出

ています。タラントンもムナもギリシャの通貨の単位です。

タラントンは、計算用の単位で、6,000ドラクメに相当。

ムナは、ギリシャの銀貨で、1ムナは100ドラクメに相当。

ドラクメは、ギリシャの銀貨で、主さ約4.3グラム、デナリオンと等価。

1ムナは、ギリシャ・シリアの金銭価値では約100ドラクマに当たります。これは労働者の

三か月分の賃金に相当します。

 

人々は、ザアカイの家の客となったイエスのザアカイとのやり取りに耳を傾けていました。

すると、イエスはひとつの譬を話し始められました。

立派な家柄の人が、王位を受けるために遠い国へ旅立つことになりました。そこでこの人

は十人の人を呼んで10ミナを渡し、「これで商売をしなさい」と命じました。

 

この譬えのところどころに、歴史的な事実が目に付くように挿入されています。

ヘロデ大王の息子アルケラオスは、父親の死に際して父王の後継者として王位を受けるた

めローマに上ります。彼は非常に嫌われていました。ユダヤ人は、自分たちの代表55人を

王位継承阻止のためローマに送りました。結果、アルケラオスは王にはされず、短い期

間ユダヤを治めることを許されました。同時代の出来事が語られています。

 

主イエスの譬の内容が重なります。ユダの人々が考えているような神の国は来ません、と

いうこと。彼らが考える「神の国」は、あらゆる恩恵、自由、喜び、平和が直ぐに自分た

ちのものになるというものでした。それにたいして主は、この譬を語られます。

十人にムナ・タラントが預けられました。これはすべての者に与えられているもの、何で

しょうか。能力でしょうか。現代のタレントの語源はタラントです。しかし能力には大き

な格差があります。時間では如何でしょうカ。タイム イズ マネーと言われますので、

これも当たっているようです。もっと良さそうなのは命です。誰でも命ある限り生きてい

ます。人それぞれは、与えられた命を時間の許す限り、その能力を生かして生きてゆきま

す。

私たちは、それを誠実に生きる責務を担っています。結果が問われるものではありません。

既にその家の者になっている私たちは何かを証明するのではなく、主人に対して忠実であ

ることだけが求められます。

神の国の市民権は、神の国の主権者によって、既に与えられました。市民たるものは、ど

のように評価されるでしょうか。その人の成果ではありません。成果によって市民となる

のではありません。プロ野球の監督・選手は、契約金・給与に相当する働きを求められま

す。

神の国の市民は、神に対する忠実が求められます。その人が、どれほど与えられた能力を

用いたか、与えられた時間を終わりまで無駄なく用いたか、その命がどれほど輝いたか。

たとえ一瞬でも良い、誰かがその人の光によって、輝きによって導かれ、歩むことが出来

たなら、その一生は価値あるものとせられます。

 

 

 

2015年10月11日日曜日

審きの日

[聖書]フィリピ1:1~11、神学校日・伝道献身者奨励日、
[讃美歌]6,480,481、交読詩編9:2~13、
[聖書日課]創世記6:5~8、ルカ17:20~37、

 

教会暦に基づく聖書日課に従い礼拝を構成してきました。週報の礼拝次第の上部に、神学校日・伝道献身者奨励日とあります。これは教会暦ではなく、教会行事と呼びます。

この仲間には、元旦礼拝に始まり社会事業奨励日まで、合計20項目が挙げられています。

間もなくやって来る宗教改革記念日、収穫感謝日も行事の一つです。これらは、信徒教育・訓練の一環として有用であることは認められるが、世界の教会が一致して認めるものではない、一部の地域教会で発生し、ある程度の広がりを持っている、ということが多いようです。たとえば、有名な『母の日』です。アメリカで生まれ、アメリカの宣教師が活躍した地域・国家の教会に広まりました。「有名な」と申し上げましたが、この国の中での話です。恐らく韓国、フィリピンなどでも良く知られているでしょう。歴史の長いヨーロッパの教会では、恐らく受け入れられていないでしょう。批判もあります。

このようなことは、各家庭で考えれば充分であろう。

主旨は、よく理解できるが、教会として受け入れる余地はありません。

母だけに感謝というのはおかしい、父の日があってしかるべきである。

 

神学校日・伝道献身者奨励日に関しては、説明するまでもないと思いますが、少しだけ。

日本基督教団立神学校は東京神学大学(東京都三鷹市)だけです。 

関西学院大学神学部(兵庫県西宮市) 教団認可神学校

東京聖書学校(埼玉県吉川市) 教団認可神学校

同志社大学神学部(京都府京都市) 教団認可神学校

日本聖書神学校(東京都新宿区) 教団認可神学校

農村伝道神学校(東京都町田市) 教団認可神学校

神学校を支え、入学し伝道者になる人たちがまし加えるように祈りましょう。

 

1970年までの神学校は、学生数も今よりは多かった。私のクラスは、40名を超えていた。学園・教会・教団紛争以来入学者は激減。神学教師達も苦労しました。各地の教会を回り、現状を訴え、伝道に献身する人が多く志願するよう語りました。その結果、定年退職後、神学校に進み、寮生活をしながら勉学に励み、卒業し、教師検定試験に合格して各地の教会・伝道所に赴任する人が多くなりました。10月25日の礼拝で御奉仕くださる先生も、大阪の玉出教会から東京神学大学で4年間学ばれた方です。玉出教会は、このときもう一人、退職校長を聖書神学校へ送りました。岡山県の教会に赴任され、たいへん良いお働きをされましたが、既になくなられました。次主日礼拝には、このかたの奥様が、ここへ来られる予定です。

また11月8日礼拝で御奉仕くださる松本牧師も、東大出身で、三菱系の企業の研究者でしたが、定年前に退職され、東神大に学び牧師となりました。

このような神学校の働きを理解し、学生の成長のために祈ってください。教職養成において教会と神学校は車の両輪である とよく言われます。次代の教会のために教職養成は重要です。祈り、献金してくださるようお願いします。

 

「教団立」であることの意味は、日本基督教団が設置主体として経営の責任を負っている、ということではありません。そうではなくて、日本基督教団の成立(一九四一年) において合同した諸教派が持っていた神学校のほとんどが合流して東京神学大学が生まれた、という歴史的経緯を語っているのです。つまり東京神学大学は、日本基督教団 を構成している旧教派の諸神学校による合同(ユニオン)神学校です。英語名がTokyo Union Theological Seminary であることがそれを示しているのです。

 

さて、本日の聖書フィリピ書を見ましょう。

フィリピの信徒への手紙は、初代教会を形成した大伝道者パウロが、書き送ったものです。

このフィリピ教会・始まりの事情は、使徒言行録16章に記されています。アジアの西側で、

御言葉を語ることを聖霊から禁じられたパウロは幻を見ます。その中で一人のマケドニア人が、「マケドニアへ渡ってきて私たちを助けてください」と願います。パウロは、これを神の召しである、と確信して、直ちにマケドニアへ向かった。トロアスを出航してネアポリスの港に着き、マケドニア第一の町フィリピでの活動を始めます。

この時から、キリストの福音は、世界の辺境アジアを出てヨーロッパに向かい、世界の中心ローマに至ります。

その一方、フィリピの教会とパウロとは固い絆に結ばれ、教会はパウロの活動に加わり、パウロを助けました。簡単に言えば、この支援活動に対するお礼状がこの手紙です。もっと詳しいことを知りたい、と思われたら、水曜日午前の聖書研究会においでください。フィリピ書の勉強が始まりました。今週が第三回目です。歓迎致します。

 

1:1~2は、当時の手紙の慣わし通り、初めのご挨拶です。発信人の自己紹介と受信人の特定。この部分でたいていの手紙はパウロの使徒職の弁明がありますが、ここでは「キリストの僕」、ドゥーロス・奴隷と紹介します。長い間の親しい関係とそこに生まれた信頼は、使徒職の主張も不必要にしたようです。

それに続いて前文祝祷があります。これはパウロ書簡に共通の「父なる神と主イエス・キリストからの恵みと平和が」あるように、との祈りです。この手紙が、牢獄の中で書かれた事を思うと、不思議に感じざるを得ません。パウロ自身が、その状況を恵みが満ちている、平和な心境だ、と感じていなければ、こうは書けないでしょう。

投獄された中にも神の恵みがある。だから平安が満ちているのです。

1:3~11には、フィリピ教会の人々のためのパウロの祈りが記されます。

 

ここには「感謝」、「祈り」、「喜び」という言葉が出てきます。これらの言葉を聞くと、テサロニケの信徒への手紙一5:16~18に記された「常に喜べ、絶えず祈れ。すべてのこと感謝せよ」との御言葉を思い出します。

 

パウロは、何故、感謝を捧げずにはいられないのでしょうか。

それはただ単に、フィリピ教会の人々との間にある人間的な親しさ故に、感謝を捧げ、祈り、喜んでいるのではありません。フィリピの人たちが、あのヨーロッパ宣教の初めから、今に至るまで、「福音に与っているからです。」福音を共有してきた、という意味です。

 

それにしても、「福音にあずかっている」とは非常に面白い表現です。福音とは、喜びの知らせと言うことです。もう少し具体的に、その中身を説明すると、

主イエス・キリストが私たちのために世に来てくださり、十字架で死に復活して下さった。そのことによって、私たち人間の罪が贖われ、罪と死の力から解放されるという形で、神様の救いの御業が成就した、ということです。

これは、全ての人に伝えられるべき良い知らせであり、私たちは、それを聖書の御言葉を通して聞くことができます。そのようなことを考えると、ここでパウロが、「あなたがたが福音に聞いているからです」と記していたならば、遙かに分かりやすいでしょう。しかし、パウロは「あずかっている」と言うのです。この「あずかる」、と言う言葉はコイノニアと言う言葉で、「交わり」とも訳されます。元の意味は、同一のものを分け合って受けていること、即ち受けることにおける分担、ということです。或いは、一つのものを与えるにせよ、受けるにせよ、他と共有であること。

 

この共有の内容については、7節最後の行がそれを示しています。

「あなた方一同のことを、共に恵みに与る者と思って、心に留めているからです。」

恵みの共有です。これは良い業であって、イエス・キリストによって私たちの中で始められたものです。始めた、と言うからにはその終わり、完成の時がある、と予期されています。それは審きの日であり、キリストの日です。

最後の審判といえば、日本人にとっては、地獄極楽に分けられる時、閻魔大王などが思い起こされる恐ろしい言葉です。

西欧のキリスト教国であっても恐ろしいイメージが与えられています。モーツアルトやヴェルディのレクイエムを聴くとそのことがよくわかります。『怒りの日』と名付けられています。ラッパの音とともに、というイメージがあります。そしてフォーレの作品では、通常の「怒りの日」がなく、6曲『リベラメ』、終曲『天国にて』イン パラディスムが静かに流れます。

 

ブロッホの作品に『コル・ニドライ』があります。学生時代、従姉妹の世話があり、大手町にあった産経ホールでヤヌーシュ・シュタルケルの独奏会。著名なチェリスト、その夜の演奏曲目の一つ。彼は、この曲をステージに乗せるのは初めてということで譜面台を立てての演奏。その所為でしょうか、緊張感のある素晴しい出来でした。私も始めて演奏会で聴きました。以来いつも思い出します。

コル・ニドライは、『神の日』を意味するヘブライ語です。神の裁きが行われる日。

 

どうやらどの国でも、人間は、審判があり、その後、赦された者、義を認められた者は天国へ上らされる、と考えてきています。しかし、パウロはそのようには語っていないようです。

まずあなた方の中には、すでに良い業が始められています。始められた方が、それを完成させてくださいます。その方とはキリストです。私たちが、あくせく自分の義をたてようと行動してもそれは何の役にも立ちません。本当に重要なことはなんでしょうか。

簡単なことです。私たちの中に与えられた神の恵みを受け入れ、神の栄光と誉れを褒め称えることです。自分の義を自分で立てようとする試みは放棄しましょう。

キリストによる救いに身を委ねましょう。審きの日は、私たちの救いが完成する時です。

感謝と喜びをもって祈りましょう。