2013年10月20日日曜日

大空は、御手の業を示す

[聖書]詩編19115
[讃美歌]6,224,530,78、
[交読詩編]36:2~10、

前週は、台風26号が列島の太平洋側を通り抜けました。伊豆大島は,大きな被害を出しました。86年の三原山大噴火には、全島一万人の一斉避難を実現させ、驚かせました。今回は、町長、副町長共に不在だったためか、事前の避難勧告等が出ず、災害の大きな一因と考えられているようです。

幸か不幸か、16日の厚別では、大雨は降りました、強風も吹きました。日が変わった頃には、それも収まり、時には晴れた夜空が見えました。私が見たのは、そんなつかの間の晴れ間だったのでしょう。午前二時前後、南の空に、厚別ではこれまで見たことのないような夜空が開けていました。いつもは10個程度だった星が、数を十倍二十倍にも増していました。

決して星が降るような夜ではありませんでした。それでも綺麗でした。

 

 さて、この詩編は、三つの部分から成ります。

第一、天空に示された神の主権をほめたたえる讃歌、1~6
第二、律法とその美しさと善のための力をたたえる讃歌、711
第三、神の御心に適う生涯を送るための力を求める祈り、1214

更に、この三部分は、それぞれ異なる時代の異なる詩編に属するものであった、と推定されています。それらが、最終的には、捕囚後のある時期に、一つの詩としてまとめられたものでしょう。

文語訳でお読みします。

「もろもろの天は神の栄光をあらはし 
 穹蒼(おほぞら)はそのみ手の所作(わざ)をしめす
 此の日言(ことば)を彼の日につたへ 
 此の夜知識を彼の夜におくる
 語らず言はず その聲きこえざるに
 その響きは全地に遍(あまね)く 
 其言は地の極(はて)にまで及ぶ
 神は彼處(かしこ)に帷幄(あげばり)を日のために設け給へり
 日は新郎(にいむこ)が祝筵(いはひ)の殿をいづるごとく
 勇士(ますらお)が競走(きそひはし)るを喜ぶに似たり
 その出立つや天の涯(はし)よりし 
 その運(めぐ)り行くや天の極(はて)にいたる
 物としてその和煦(あたたまり)を被(かうぶ)らざるはなし」

 劇作家木下順二氏は、「この詩編19編の文語訳はほとんど『奇跡』とでも言っていいほどの名訳である」と絶賛しています。

 また、何方が書かれたのか確認できませんが、次のような文章もあります。

「詩編第19編冒頭の六節の文語体による邦訳ほど見事な文章はないという気が、そこを読み返すたびにする。…………どの英訳よりもすぐれている。二種類の現代語訳もむろんとうていこれに及ばない。私はこの数節から、信仰の有無ということとは別のところで、われら人間なるものに強く訴えかけてくる高らかなひびきを感じとる。われらが宇宙と自然と生とは、まさにかくのごとく壮麗であり荘厳であり厳粛でありそして繊細であるのか。…………

 大空に現れた神の栄光の賛美である上掲の六節を読むと、無条件にその通りだと感じないわけにはいかぬ。これらの言葉が耳の中であるいは遥かな高みで鳴り響いていることを、読み返すたびに私はほとんど実感する」。(「ちくま」8819768月刊)

おそらく筑摩書房の書評誌であろうか、と愚考します。

 

この詩を読むたびに思い出すものがあります。旧讃美歌74番です。

〈木岡英三郎編、英語讃美歌300選、23番〉、何故21は、これを削除したのかなあ。

1節 はてしも知られぬ あまつ海原を わたるや朝日の うららに匂いて
   み恵みあまねき 父なるみかみを あらわす光ぞ 日々に新たなる。
2節 暮れ行くみ空に 月星ほのめき、 みちかくる影に 変わるきらめきに、
   ときわに変わらぬ みかみの真理を あらわす光りぞ 夜々に明かなる。
3節 昼はものいわず よるは語らねど、 声なきうたごえ 心にぞひびく。
   「われらのいのちに まします御神の おきてはかしこく みいつこよなし」と。

音楽は、ハイドン『天地創造』第13曲(第1部終曲の独唱付き合唱)、「天は、神の栄光を語り」第4日の終わりの讃美です。そこでは、いまだ野の獣や空の鳥、人は造られていません。

この詩を書いたのは、ジョゼフ・アディソン(16721719)。1712年。オックスフォード大学出身、官職に就くが、賛否両論があった。後国務大臣。Jウェスレーはアディソンの高潔な人格を高く評価した。父親は、同じ大学出身、厳格な国教会の教職。リッチフィールド教会の牧師。アディソンはこの地で生まれ育った。そこは、サムエル・ジョンソンも少年時代を過ごし、歩き回った所。丘が連なり、池や流れは、風、雲、霧を映し、そして鳥や獣が鳴く。

イギリスの真ん中にあるリッチフィールドという町。この近辺は結構きれいな所で、自然があり、古い建物も有ります.リッチフィールドはあまり大きくない町ですが、有名なポイントはいろいろあります。12世紀の大聖堂、エラスムス・ダーウィンの家、英語辞書の作者サミュエル・ジョンソン博士の生地、それとタイタニック (客船)の船長の生地など。

スタッフォードシャー州は産業革命で大切な場所でした。18世紀の運河が近くにあります、今の時代はほとんど旅行者のナローボートです。

「アディソンが少年時代をすごしたこの自然の景観こそは、詩編23編〈主はわが牧者なり〉をも念頭に入れて書いたものであろう。自然の美がアディソンの心に不滅の感化を与えたのである。」
  アディソンは、1719年、47歳で逝去。遺体は、儀杖兵に送られ、文人として最高の栄誉であるウェストミンスターアベイのエルサレム室に安置されました。

 

アディソンは、この詩を新聞紙上に発表する時、次のように書いています。

「信仰と敬虔とは理性ある人々の心に自然に成長してくるものである。彼らは彼らの眺めるあらゆる事物において神の力と知恵との顕現を見るのである。至高者なる神は天と地との形成に於いて自分自身の存在の最善の証明を示しておられる。そしてこれらの証明こそ日常生活のあわただしさと騒がしさとを離れて分別ある人が耳を傾けざるを得ないものである。・・・詩編の詩人はかの高い調子を有する詩句〈詩編19編〉に於いてこの点を美しくうたっている。かかる大胆なまた崇高な思考が詩に貴い材料を提供する例として読者は次のような詩を読まれたい。」アディソン

 アディソンは、この詩編を読むとき、この世界の中にあっても神の自己啓示の声を聞くことができる。現に聞いている、と語っているのです。いつの時代も、決して平穏無事なときはありません。彼の時代は、クロムウェルの清教徒革命から王政復古の後です。新大陸までが、大きく揺らいだ時です。変動極まりない世にあって、変わることのない、大声を出すこともない自然界の事物を見て、神の声を聞いています。

 現代の私たちは、日進月歩の時代を生きています。生きていたら、いつの間にか、このようなことになっていた、と言うことでしょう。古びたもの、時代に不適合なもの、時代に遅れてしまい、役立たなくなったものは棄てられます。多くの嘆きが聞こえてきます。
なんと惨めなことか、こんなはずではなかった。神も仏もあるものか。神は居ない。
神の声なんか聞こえない、聞こえない声が聞こえます。

 詩人は、7節までで、うたいます。神に造られたこの世界の中で、造られたものを見て、神の声を聞きます。私たち人間の声ではないでしょう。その意味では、ただ沈黙があるだけです。人の声が黙する所にこそ、神の声を、神の言葉を聞き出しています。創造主の意志を、聞いています。

 8節から11節では、神から与えられた律法の優れていることを讃美します。詩人は、この掟によって、常に新しく生きることが出来ます。この素晴らしい律法を、声高らかにほめたたえます。人が求める財貨の頂点にある純金よりも素晴らしい。砂漠に生きる民にとって生きる糧となる、栄養源となる蜂蜜よりも、口に甘い、とうたいます。

 12節以下では、この素晴らしい律法も、それを一生懸命守る人間によっては、おごりを生み出すことになる、と詩人は知っています。主なる神の導き、守りがあってこそ、律法も本来の働きを果たすのです。人の力ではありません。

律法を福音と置き換えてみれば、詩人の信仰がより深く理解できるでしょう。

神に従い、大きな報いを受けようと願います。そのような私を驕り昂ぶりが襲います。律法に熱心になればなるほど、掟を護ろうとすればするほど、私たちは傲慢になり、あなたの御心から離れてしまうのです。どうぞ、正しくあなたの御心に従うことが出来ますよう導いてください。

私たちは、この詩人の祈りを共有することへと招かれています。感謝して祈りましょう。