2013年11月10日日曜日

テオフィロさまに献呈

[聖書]ルカ114
[讃美歌21]17,402、Ⅱ編144、
[交読詩編]105:1~15、

 

本日からルカ福音書を学ぶことにしました。クリスマスに合わせて選びました。

水曜日の集会、聖書研究・祈祷会では、使徒言行録を読み、学んでいます。

同じ人が書いた第一巻がこの福音書、その続き、第二巻が使徒言行録です。

ちなみに、役員会でも毎月の例会の冒頭に、使徒言行録を読んでいます。

 

イエス・キリストと同じ時代を生き、キリストと出会い、信じ、従う者になった人たちは、福音の第一世代と呼ばれます。この世代からそれを受けた人たちも、伝えられたことを次の世代のために書き残しました。これは第二世代、続く人々も同様にして第三世代、と呼ばれます。このように、多くの人が、イエス・キリストに関わる経験を書き残しました。やがてそれは、『福音書』と呼ばれる特別な文学形式になりました。60年代末から100年頃に掛けて書かれたもののようです。聖書正典には四つだけ残されました。

ご存知のマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネです。

 

この順序は、絶対のものではありません。これとは別のものもあります。

西方型本文と呼ばれ、「使徒ふたりとその弟子たち」、マタイ、ヨハネ、ルカ、マルコの順です。べザ写本Dはその良い例です。ご参考までに。

 

塚本虎二訳、をご参考までに供しましょう。

お聞き戴きご理解いただけるでしょうか。お読みいたします。

1、わたし達の間で(近ごろひとまず)完結しました出来事を、(すなわち、イエス・キリストの福音の発端から、それがローマにまで伸びていったことの顛末を、)

2、最初から実際に見た人たちと御言葉の伝道にたずさわった人たちとが(語り)伝えてくれたとおりに、一つの物語に編もうと企てた人が数多くありますので、

3、テオピロ閣下よ、わたしも一切の事の次第を始めから精密に取り調べましたから、今順序を正して書き綴り、これを閣下に奉呈して、

4、閣下が(今日までこのことについて)聞かれた話が、決して間違いでなかったことを知っていただこうと思ったのであります。

 

塚本訳は、分かりやすいことと、正確さを大事にしている、と感じられます。

そのために、言葉を補充しています。重複しますので、くどいような感じもありますが、分かり易くするためには止むを得ないことでしょう。

 福音の出来事には、多くの目撃証人がいて、御言葉を伝えてきた人たちがいること。

しかも、それを書き綴ってきた人たちもあること。この福音書を捧げられたテオフィロ様も、すでにこの教えを聞いていること、著者ルカもキリストの出来事を書いたので献呈したい、と著述と献呈の意図を明らかにします。このことは後ほど。

 その結果も想定します。受けた教えが確実なものであることが分かるでしょう。

 

それでは、福音書を構成する資料に関して、少しだけお話します。

マルコ福音書、または原マルコ、M資料

マタイとルカに共通している資料(仮説)、Qquelle)語録、

 例、ルカ379(マタイ3710)、ルカ4312(マタイ4310

ルカ独自の資料、L資料、大きな特別な譬話など。

大雑把に言えば、この三つのものが認められています。

 

ルカによる福音書、この物語を残して、イエスこそキリスト・救い主であると伝えたのは、どのような人物だったのでしょうか。ルカという名は、どこにもありません。

 

使徒言行録169、「一人のマケドニア人が、マケドニア州に渡って来て、私たちを助けてください」と告げた。このマケドニア人こそ医者のルカ、との説が強力。

このマケドニア人が、ローマに至るまで、パウロの同行者、主治医であったルカであり(コロサイ414、フィレモン24、Ⅱテモテ411)、福音書、使徒行伝を書いた、とされます。

説得力があります。魅力的でもあります。この人物が、言行録を書いたに違いない。とすれば、その第一巻である福音書も同一人物によるものに違いない、と考えられてきました。

 

すでに2世紀の終わりごろには、ガリア、北アフリカ、イタリア、エジプトで、この伝承は広まっていました。しかし、決定的な証拠を欠いています。それ以上のことは分からないので、仮に、著者をルカと呼んでいます。

 

確実に判ることは、何でしょうか。

「私たち」は、キリストに関する教えを受けた人たちの集団、初期の教会、おそらくはその第二世代、第三世代だろう、と考えられます。著者は、その一人なので、直接の目撃証人とはいえないのでしょう。それでも第一世代から、直接聞くことができた人たちの一人です。

 そして著者、彼は、この集団の一人で、その調査者であり、また研究者でした。3節の「詳しく調べています」とあるのは、この意味でしょう。

 文体からは、教養ある文化人であることがわかる、と言われます。更に、ギリシャ・ローマの文化によく通じた人らしい文章である、とも言われます。

 また、ギリシャ語訳旧訳聖書との密接な関係も認められるので、ユダヤ教を経た改宗者とも考えられ、その可能性はかなり高い、とまで言われます。

 

 次に、この書を献呈された人物について、考えましょう。

「閣下」、という言葉は、私たちの実用するものではありません。ギリシャ語では、クラティストス、最も強力な、最も高貴な。クラティステ は尊称として用いられ、「閣下です」。

英語訳では、most excellent Theophilus となっています。このエクスセレントが、閣下に相当する語。辞書では、「excellency直接、間接に、呼びかけて閣下。もとは王族にも用いたが、今では大臣、大使、全権公使、使節、総督、植民地知事などに対しても用いる。夫人にも用いる」。

 

テオフィロという名は、テオ・神とフィレオー・愛する、という二語が結合したものです。この福音書がどこで書かれたか、どの土地へ向けられたものか、一切不明です。たいへんコスモポリタンな性格を持っているように感じられます。時と所にお構いなし、

この名に関しても、唯一神を信仰する者一般、「神の友」を意味している、という説もあります。とすれば、「閣下」ではなくなるでしょう。「高貴な」と訳すべし、となるかもしれません。個人名となれば、当然その人物像に関心が向くでしょう。

『聖書人名事典』には、以下のように、簡潔に記されます。

「ルカの友人。ルカによる福音書および使徒言行録はこの人物に献呈された。献呈の辞

からすると、彼はかなり高い地位にあった人物らしい。ローマの元老院の議員か総督であったかもしれない」とあります。これ以上書くことがないのでしょう。

福音書記者と親しく、当時のローマ世界で高位高官に属する人。しかも、ユダヤ起源のキリストの教えに耳を傾け、更に学ぼうとする人物。それでいて、このところにしか、名前が現れてきていない人物。

 

 この福音書が書かれた時期も分かりません。ルカ194144212024が、ルカによるエルサレム陥落の知識であるなら、ユダヤ戦争後の余り遅くない時期に書かれた、と推定することになるでしょう。マルキオンの正典表は、紀元140年頃のものですが、その中には、ルカ福音書が入っています。ある学者の意見では、紀元8090年が妥当な年代。これなら。福音の第二、第三世代という推定とも一致します。

 

 キリストの十字架と甦りから半世紀。その教えは、弱く貧しい人たちの間で受け入れられました。それだけにとどまりません。閣下と呼ばれるような一握りの支配階層の人々の間にも受け入れられるようになっています。

点が連続して線となり、線が面となるように、ウシオのように神のご支配が確実に広がって行きました。それは人間の力ではありません。あくまで神御自身の力によります。

我々が、人間の力によって福音宣教を支援し、完成させるなどと考えるなら、おかしなことです。そのようなものは、必要としておられません。小さな人間の力にも、参加させてくださっているのです。

 

 福音書記者は、いずれも自らの名を記していません。キリスト・イエスの事跡を伝える時、自分の名前など必要とは考えませんでした。実に、自分の力、働きすら不要だ、と言う自覚があったのでしょう。無名に徹しました。その名を明らかにしようとするのは、この覚悟、信仰を侮辱するものでもあります。

オラトリオは、素晴らしい作品が多く、その影響も大きなものがあります。そこでも、福音史家、と言う言葉が用いられ、決してマタイ、ルカのような名前は使われません。優れた音楽家の卓抜した見識、信仰が見えます。私たちも、同じ信仰の流れを歩んでいます。

神の働きに用いていただける幸い、その業に加えて頂くことを喜び、無名であることに徹し、主キリストに讃美と感謝を捧げましょう。