2014年1月12日日曜日

神の恵みに守られて

[聖書]ルカ23952
[讃美歌]21-194,21-280,21-504、
[交読詩編]36:6~10、
 



最初に語られるのは、降誕の出来事の続きです。イエスとその家族は、律法に忠実であり、定められた時に、定められたことをすべて行いました。こうして、神の民イスラエルの一人となりました。現代では、ユダヤ人と呼びます。イスラエル12部族が消滅し、ユダの部族を中心にわずかばかりの民が残されました。ダビデの出身部族ユダは、南王国を形成していました。バビロン捕囚を経て、帰還し国を復活させますが、それはユダ族とベニヤミン族だけのものでしたので、「ユダの部族の」という意味でユダヤと呼ばれました。

 

此処ではナザレが、「自分たちの町」と呼ばれています。ヨセフにとっては、ベツレヘムが、父祖ダビデに由来する自分の町でした。ナザレは、マリアの町でした。ヨセフは、マリアを通して示される神のご計画、ご意思に徹底的に従います。自分の主張や考え、誉れや利益以上に大事なものがありました。そして、神のご計画は、イエスを「ナザレの人」とすることでした。それは、イエスを偉い人にすることではなく、最も低い人としてその姿を現すことでした。ヨセフは、このご計画に従っていることが示されます。

 

こうして、幼子は成長します。その有様は、民族の大先輩であり、大預言者サムエルの姿と重ね合わせられます。それは、サムエル記上226、に記される言葉が用いられることで分かります。「童サムエルは育って行き、主にも、人々にも、ますます愛された。」

童サムエルや、幼子イエスにとどまらず、この世界のすべての子どもたちは、周囲の人々から愛され、神に守られていることを実感しながら成長・発達することが必要です。

残念なことにそうした環境は、実現しているとは言いがたいものがあります。

一人の子どもの成長は、その家庭の喜びです。しかし、その家庭だけの力によるものではありません。周囲の人々、地域社会、環境の力が働きます。

 

日本は、治安の良さをアピールして五輪を招致しました。その日本で、犯罪容疑者が逃亡しました。何も知らない子どもたちが親から虐待を受け、学校内でいじめられ、それを苦にして自殺しています。高齢者は、肢体不自由のため、また認知症のため、介護困難と言われ、居場所を失って行きます。日本国憲法は、基本的人権の考えを取り入れ、生きる権利を、最低限度の文化的生活を保障しました。これをめぐっては、様々な意見があります。憲法は理想を書いたのであり、具体的な保障を明言するものではない。そもそも、最低限度の文化的生活とはどのようなものか。戦後半世紀を越える間に、大きく変化しているだろう。変化するものを保障すると憲法に書き出すことをするはずがない。

 

自民党からは、自己責任が主張されるようになりました。強者の論理です。

弱い者が正直にしていれば無理なく暮らせるようにすることは、強者の責任であり、義務です。高貴な者の義務として受け入れるべきである、と考えます。弱者にも生きる権利があります。子どもの権利条約の基本的な考え方です。

 

さて、41節以下は、神殿における少年イエスの物語です。

此処で、福音書記者は、イエスの年齢を明らかにします。「12歳になったとき」。

何か特別な意味があるのでしょうか。私たちの時代では、この年代は中学生、確かに少年期、しばしば反抗期です。イエスにも反抗期があったと言いたいのでしょうか。

反抗期は、大人から見れば、大変厄介なものです。大人はそれを嫌います。反抗することのない子どもは、素直で良い子、と言われます。大人のご都合でしかありません。子どもは成長するに従って、自己主張を試みます。大人にとっては、未熟な半人前の考えであり、受け入れがたく、蹴散らしたくなります。しかし、ご自分もかつて同じところを通ってきたのです。未熟な考えと付き合い、どうにかして、成熟させて行くのです。

 

私は12歳のイエス様に反抗して欲しいのです。ユダヤでは、12歳で成人となります。息子たちは、律法の子と呼ばれ、律法を守る義務が生じます。律法の子として最初のエルサレム巡礼です。刺激的で興奮もあるでしょう。やはり、神への反抗は考えにくい。父と母に対する反抗は考えられます。福音書記者は、イエスは成長したとは書きませんでした。「幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、」と書きました。こうした生育は、反抗によってなされるし、その危うさの故に、それを守り、導く神の恵みが不可欠なのです。この中に、肉体的に、知的に、霊的に、バランスよく成長したことが語られています。

 

41節もマリアとヨセフお二人が、律法に対しいかに忠実であったか、語ります。エルサレムから32キロの範囲に住む成人男子は、過ぎ越しの祭りにはエルサレムに参る義務がありました。さらに、エルサレムの祭りに生涯に一度でも直接参加することは、ユダヤの成人にとって、きわめて誇らしい喜びでした。中でも過ぎ越しの祭りは、ユダヤ最大の祭り、麦の収穫祭であり、パン種を新しくするとき、新年の祭りでもありました。

ユダヤの三大祭、過越し祭(パスオーバー)、刈入れの祭(ペンテコステ)、取入れ祭(タベルナクル)

ナザレを出てエルサレムまでは、直線距離で110キロ余り。普通なら四日の行程。巡礼者たちの中には老若男女、様々な人がいます。こうしたときは、もっとも弱い人に合わせるものです。楽しい旅路、神の都での一週間、帰途につくときが来ました。

 

 巡礼団は、足の弱い女・子どもから出発します。間に入る少年は、どちらになるでしょうか。世話役もいたでしょうが、点呼を取ることもなく宿泊地まで来ました。少年イエスがいません。誰も知りません。マリアとヨセフは、来た道を引き返します。途中、いろいろな所に立ち寄りました。何か普段と違うことはなかったでしょうか。事故は、犯罪は。

ついにエルサレムまで来ました。街中を探し回りました。誰も、何も知りません。少年がいそうもない所が最後に残されました。神殿です。供犠・礼拝に関わる人と礼拝者がいるところ。少年には関わりのないところと考えられています。

古代からの伝説、伝承に心奪われないほうが良いでしょう。

 

少年イエスは、神殿の境内で、話しを聞いたり質問したりしていました。ユダヤの最高議会・サンヘドリンは、過越しの期間に合わせて、神殿の庭で大討論会を開き、神学や政治の諸問題を公開で討議しました。イエスは、その中にいた、と考えられています。このとき、イエスは大きく進歩したことでしょう。新しい自己認識を獲得します。

 

マリアとヨセフは、イエスの父と母が、その息子の居場所を探していたことを伝えます。

息子イエスは、答えます。

「私が自分の父の家にいるのは当たり前だ、ということを知らなかったのですか」。

地域社会では、ヨセフの息子として知られていたはずです。いつから、神の子である自覚が生まれたのでしょうか。12歳、律法の子となったとき、この神殿での学者たちとの討議の結果、だったかも知れません。判りません。どこかで、何かに触発されるように起きたことでしょう。

 この時以来、この認識に従い、自らを成長させて行きます。もはや反抗によって主張し、成長する時は過ぎました。神の御旨を捜し求め、従うことを学び、実行する時です。

「天が下、よろずの事に時あり、季あり」です。Time and seasen愛するに、信ずるに、時期がある、と言われます。イエスの成長も、神の時のうちにあります。

イエスは、ナザレに帰り、両親に仕えて、暮らします。もちろん父なる神も含まれます。

たいへん祝福された生活でした。悲しみや苦しみがなかった、という意味ではありません。

いつのときか、父ヨセフを失います。それでも祝福された生活でした。インマヌエル故に。

大島本村教会の牧師であった相沢先生は、日本のクリスティアンのために勧められました。

『仏教徒は、南無阿弥陀仏。それに代わって、

キリスト教徒は、インマヌエル、ハレルヤ、アーメンがよろしい。』

感謝して祈りましょう。