[讃美歌]21-194、旧74、21-268、
[交読詩編]89:2~15、
本日の聖書は、学者によっては、神殿のイエスを主題とします。非常に正統的です。
聖書は、神からの手紙、神の奥義、秘密を明らかにする書物です。また神のご計画を明らかにする所。神の自己啓示ともいえます。また神学は、神の学であって、神を明示しようとするもの、人間が主要な主題ではない、とされます。したがって、ここでも神あるいは、神の「独り子」こそ主題として理解されるべきだ、と考えます。
しかし、被造物のいない創造主はいないし、神の民がいない神だけの世界も考えられないのではないでしょうか。神の手紙は、神同様に受取人が重要です。神の学は、造られた者にも充分眼を配ります。
私は、神に用いられた人々が何をしたのか、その事に考えを向けたい、と願っています。
ご一緒に読んで行きましょう。
22節、ここでも、これまで同様、イエスの家族が、イスラエルの律法を確実に守る神の民である事が示されます。出産後の母親の清め(レビ12:1~8)、長子を神に捧げる(出エジプト13:2、12~16)。24節の定めは、レビ12:8に記載されています。
このように、旧約の民の務めを忠実に守る家庭で、嬰児は守られ、育てられました。
嬰児は成長し、公生涯に入られ、主イエスと呼ばれます。
その主イエスは神殿を拒否されてはいません。神は、神殿を拒否していない。心変わりされてはいません。神殿が、祭司、ユダヤ教が、イエスを拒否したのです。
ことによると、現代の説教者が、教会が神殿を拒否しているかもしれません。
主イエスは、決して神殿を、ユダヤ人を、拒絶されてはいません。
25節、神殿にシメオン老人が居りました。彼は、聖霊に導かれ、メシア・救い主にお目にかかれると確信を抱いており、今この時、この所に来たのです。恐らく『神殿の婦人の庭』であった事でしょう。ここまでは、ユダヤ人の女性が入る事が出来ました。
29節、シメオンの讃歌は、ヌンク ディミティスと呼ばれます(ラテン語訳の最初の二語)。老人は、この出会いによって、いまや、心残りはない、と感じました。
シメオンは、救いの業を美しく、詩的に語ります。この嬰児の未来を明るく預言し、驚く両親と子どもを祝福しました。
34節、そしてシメオンは、マリアに対し、彼女とその息子が支払う大きな代価を詩的に語ります。私たちにとっても理解しがたい言葉です。マリアとヨセフにとっては、なおの事理解しがたい事だったでしょう。予期せぬ言葉であり、予告だったからです。
「イエスは真理を明らかにし、それによって彼に近づいてくるすべての人を決断の危機的状況に投げ入れる。この決断において、上がるか下るか、生か死かが決まる。神へと近づくか、神から遠ざかるか。・・・〔影響を与えるmaking a difference文字通りには『違いを造る』という表現が意味する事柄なのである。〕」クラドックp74は書きました。
イエスの前では、中立とか、無関心は存在しないでしょう。真剣に生きようとする者は、誰でも態度決定を迫られる、と感じます。そこで聞いていないフリをします。それでもなお、彼の全存在は、言葉、ロゴスそのものであり、語りかけ、決断を迫ってきます。
説教する事は、誰かの人生の決断の責任を分かち合う事です。無責任でいたいなら、「影響を与える事のないように」と、何事かを語ることを避けるようにしなければなりません。
説教する事は、他者に対して大きな責任を負う事なのです。
この負担を覚悟して、その務めに身を捧げる者こそが、真の献身者と呼ばれます。
シメオンの預言が真実である事は、アンナによって確証されます。
ユダヤの掟は、ひとつの事柄も、二人以上によって証言されることを必要としました。
マリアとその息子の出来事も、こうして二人の人によって、証言され、律法の求めが満たされた事になました。
アンナは、信仰深い老齢の預言者でした。84年、という数字は、84歳とも読めるし、一人身になってから84年、とも読むことができます。当時、女性の結婚年齢が14・5歳であったことを考えれば、前者が妥当するでしょう。
独り身、ということで思い出しました。ある教会が、この新年・元旦礼拝の後、単身者昼食会を開いたそうです。牧師が単身者だからかな、と思いました。
しかし、私も単身者。そうであっても、これは考え付かない。何故なら、クリスマスから年末年始にかけて、家族の誰かがやってきて、一時的に単身者ではなくなるからです。大晦日、息子ととろろ蕎麦を食べて、年越しをしました。明日、元旦の雑煮はどうしようか、と考えながら、就寝。雑煮は、何とか好評だったようです。欧米キリスト教国では、クリスマスはホームに帰ろう、と言います。日本では、盆と正月は家に帰ろう、と言います。日本のクリスチャンにとっては、とても難しいことです。
彼女は預言の賜物を与えられ、神殿の境内で生活していたようです。
プロフェーティス、プロフェーテースの女性形、祭司職は男性だけ。預言者は、女性の職分として認知されていたのでしょうか。確立されたものではなく、現実先行の偶発的なものだったように考えます。
男性祭司は、神殿の中の小部屋で暮らす事が出来ました。預言者であっても、女性が、男性の居住空間に侵入することは許されなかった、と考えています。ただし、血の穢れがなくなった後の事は、考えていません。アンナは、境内の柱廊の間などで過ごす事が許されたのではないでしょうか。断食と祈祷が常でした。
38節、エルサレムの救いとは、神の前のイスラエルの希望全体を表しています。
イエスは、このエルサレムを嘆きます(ルカ19:41~44)。それは、この町が救い主の訪れの時を見抜けなかったからです。今、ここにある救い、希望の成就を受け入れなかったため、エルサレムを嘆きました。
「19:41 エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、 19:42 言われた。「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。しかし今は、それがお前には見えない。19:43 やがて時が来て、敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、19:44 お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。」
シメオンとアンナの物語を囲む枠組み部分、22~24、39~40節、ここにルカの主張を読むことができるでしょう。嬰児イエスの家族、少年イエスが成長する家庭は、モーセの律法を確実に守ろうとする純良なユダヤ人家庭であった、と語られています。家庭と神殿と会堂がイエスの人格を形成しました。ユダヤ教の道徳とその儀式・慣習に沿った生活の中で育てられました。
マケドニア人と考えられているルカは、何故このようにユダヤ人イエスに拘泥するのでしょうか?福音書記者ルカは、ユダヤ人社会の異邦人、まさしくアウトサイダーです。
その故に、彼はユダヤ人を外から見る事が出来ます。理解できる事があります。
内部のユダヤ人には自明の事柄も、新しい視点で見直す事が出来、それによって関心を深める事が可能になります。
それ以上に、彼としては、見た事、聞いたことを語らざるを得なかったのではないでしょうか。彼が、歴史家を自認していた、とか、なろうとしていた、とか言うつもりはありません。彼は、自分の経験に即して書き綴りました。イエスの少年時代のこと、それ以前のことなどに関して、ずいぶんと大仰な事どもが書き残されています。そのことを知っている私たちにしてみれば、ルカ福音書の記者が書いた事は、ずいぶん控え目で、節度のある、抑制の利いた記述になっている、と言わざるを得ません。
ルカの主張は、およそ次のようになります。
1神の預言の成就を。神のご計画は、間違いなく進行・発展している。
2その中では、私たちにも役割があり、用いられようとしている。
ユダヤ教とキリスト教、神殿・会堂と教会、律法と福音これらは、ひとつのことの完成、成就と考えられ、主張されます。
今私たちは、嬰児イエスをめぐる二人の老人の証言の前に立たされています。
待ち望んでいる人々とは、誰あろう、私たちのことです。今、アンナは、あのイエスについて語りかけています。シメオンが告げた事は、真実である、と証言しています。
救いを待ち望むとは、救いを必要とすることです。自分の義を、正しさを主張する限り、救いを待ち望む事はないでしょう。青年の頃、書いた覚書を記憶しています。
「罪がないなら、キリスト教の救いは不要である。しかし残念ながら、自分の義を主張することは出来ない。自分には罪がある、と認めざるを得ないから。キリストによる救いに身を委ねよう。」