2014年1月19日日曜日

洗礼者ヨハネ

[聖書]ルカ3120
[讃美歌]21-194,21-530,21-511、
[交読詩編]100:1~5、

 

ルカ福音書は、祭司ザカリアへの、妻エリサベトが男を子出産する、との予告で始まりした。そしてガリラヤの乙女マリアへの御告げ、ベツレヘムの家畜小屋の出来事。

エルサレムの神殿における出来事が続きました。12歳のイエスの姿を見せて、降誕に関わる記事は、いったん終わります。

筆を改める感じでおよそ20年後、成人したイエスの姿が現れます。ここでもまた、イエスの姿の前に、あのザカリアの妻エリサベトが産んだ息子ヨハネが姿を現します。ここに、ルカが特に注意を払う先駆者ヨハネの姿があります。

 

この「時」を記者は、私たちから見れば、独特な書き方で示します。

15「ユダヤの王ヘロデの時代」、

21「そのころ、皇帝アウグストウスから・・・勅令が出た」。

31「皇帝ティベリウスの治世の第15年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、リサニアがアビレネの領主、32アンナスとカイアファとが大祭司であった時、」

 

ローマ帝国の側から見れば、天下泰平の時代でした。共和制から帝政に移行して二代目。

皇帝になりたくなかったティベリウスが即位しても、帝国は安定成長し、拡張をやめず、パックスロマーナ、ローマの平和へと進んでいました。

その一方、ユダヤからは異教徒、偶像礼拝のローマ人による支配がますます露骨になり、厳しいものになり、耐え難いものになっていました。このことは、ユダヤ以外の各地、各民族の間でも同じでした。一見平和に見えるが、その実、対立と抗争の火種を抱えて、爆発点に向かっている時代なのです。ルカは、あの時代が現代と変わりがないことを告げています。

 

ルカの書いていることは、イスラム暦やキリスト暦のない時代では、ごく普通の方法でした。中国の歴史を書いた司馬遷も同様の書き方で、その時代を告げています。もっと分かりにくい書き方もありました。「大きな地震のあった年から数えて何年目」、あの火山の噴火があった年」、タキトゥス、これは困ります。ヨーロッパからアジアにかけて地震は、火山噴火は、いくつも起きています。極東の私たちにとっては、イタリアで噴火と言えばヴぇスビオス火山と考えます。それ以外にもあるようです。大きな天変地異を、ひとつの時代区分の印とすることは、その同時代人にとっては分かりやすいし、理にかなったことでしょう。年月が過ぎ、世代が変わると、分からなくなります。不明確になるものです。

異論もありますが、在位第15年は、紀元2829年と考えられます。

そして、ポンティオ・ピラトは、紀元26年から36年にかけてユダヤの総督。

 

大祭司職は、本来終身制。アンナスは6年~15年、カイアファは、娘婿で後を継ぎ36年までこの職にあった。人々は、アンナスこそ真の大祭司と感じていた。

ローマはこの任免権に介入、権威をも入手しようとした。その結果がこの記述。

平和の都エルサレムが対立・抗争の火種であり、発火点であると示されます。

こうして、福音書記者は神の力が時代を超えて人の営み(歴史)の唯中に介入することを示します。そこにはローマ帝国とユダヤのあらゆる人々が、悲喜こもごも暮らしています。

キリストの福音は、その唯中に入って行きます。

 

46節は、イザヤ4035の引用です。

このところは、第二イザヤと呼ばれ、バビロン捕囚のユダヤ人たちに対して、エルサレム帰還を預言しています。捕囚の時代には、この第二イザヤ、創世記のヤハウェ資料が生み出されています。いずれも、世界的な視野で記述していることに注目してきました。

 

ヨハネのもとへやってきたユダヤ人の中には、形式的、律法主義者が多かったようです。

それが悔い改めに相応しい実を結べ、という言葉になりました。

血統主義の考えも多かったのでしょう。「こんな石ころからでも、アブラハムの子達を作り出すことがおできになる」と言って彼らを退けます。

何の功績もないときに神の恵みによって選ばれたこと、そのしるしとして律法を与えられたこと、などを忘れていました。

 

そこでヨハネの倫理的教えが語られます。罪を悔い改めることと生活を改善すること、真の意味で、イエスを主と仰ぐことです。血筋や悪行は、救いの保障にはならない。神の恵みによるものでした。一言で言えば、隣人への愛に生きることでしょう。 

これは、新しい律法主義ではありません。ましてや、宗教的気分などであろうはずがありません。ヨハネは、神への完全な回帰、立ち返りを求めています。

 

ヨハネは、先駆者と呼ばれます。後からやってくるものを本体として指し示します。ローマの慣わしでは、高位の者が行くとき、その身分に応じて先駆するもの何名、と定められていました。二つとも、民族主義を超えた世界主義的な発想を感じさせます。

ヨハネの役割は、その方の道を備えることでした。むしろ、先触れ、と呼ぶほうが良く分かります。その役割を示すでしょう。大名行列で、「下にー、下にー」と呼ばわる者。あるいは、天皇の地方行幸に際して、先乗りして整備する者。大相撲では、露払いです。内部的には、巡業地への先乗りなども考えられるでしょう。

 

私は水で洗うが、やがて来る方は、聖霊の火によって清める。聖霊は「風」と訳せます。

聖霊は、神の力の臨在と裁きのシンボル。打ち場の麦は、風によって吹き分けられ、からは火によって跡形もなく焼き清められる。

 

この部分の最後で、ヨハネとヘロデ王のことが語られます。具体的には、ヨハネが「その女をめとるのは、よろしくない」マタイ14:4、と公言したことです。

ガリラヤの領主は、ヘロデ・アンティパス。異母兄弟であるヘロデ・フィリポは、紀元34年までガリラヤ東部と北部を治めていました。アンティパスは、フィリポの妻ヘロデヤと通じ、このころ自分の妻とします。ヨハネは、悔い改めと生活の改善を要求しました。その線上で、この二人を批判したものです。これは、二人を悩ませました。自分にとって不都合なものでした。とりわけヘロデヤの怒りを買い、やがてヨハネは殺されることとなります。

 

 他の福音書に書かれた印象的なことを、ヨハネは採用しません。ヨハネの服装や生活の様式(マタイ34、マルコ16)、ヨハネの活躍(マタイ35、マルコ15)、洗礼と罪の告白との結合を指示する言葉(マタイ36、マルコ15)などがそれです。ルカは、総花式にヨハネを語ろうとはしません。あくまでもイエスの先駆者、先触れ役として伝えようとしています。 

 

 ヨハネは、いわゆる下々の者から始めて、ヘロデ王家に至るまで、罪の中にあり、そのままでは、神の恵みに与ることはできないことを語ります。これを聞いた者が、この言葉を受け入れ、自らの罪を認め、心から悔い改めるようになることを求めています。そして、そのためにヨハネは命を落とします。命をかけた証言は力があります。

私たちもこのヨハネに耳を傾ける者となりましょう。さらに、主イエスの声を聞く者になろうではありませんか