2014年12月24日、燭火礼拝
讃美歌94(旧)、255,269,278,252,265、
今から3000年昔のベツレヘム、エッサイと呼ばれるお父さんがいました。
立派な息子たちがいました。兄貴達は、その頃のイスラエル王サウル様に仕える兵士でした。一番下、8番目の息子は年も若いし、小さいので、お父さんの羊の番人をしていました。これが、讃美歌にも歌われる、エッサイの子ダビデです。ベツレヘムと言うのは『パンの場所』を意味します。それほど小麦がたくさん取れました。
青草と水があるところは、いつでも羊が好み、羊飼いが羊を連れて行くところです。
詩編が歌うとおりです。
詩23編 賛歌。ダビデの詩。
主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。
主はわたしを青草の原に休ませ
憩いの水のほとりに伴い
魂を生き返らせてくださる。 (23・1-3a)
主は御名にふさわしくわたしを正しい道に導かれる。
死の陰の谷を行くときもわたしは災いを恐れない。
あなたがわたしと共にいてくださる。
あなたの鞭、あなたの杖
それがわたしを力づける。 (23・3b-4)
羊飼いのダビデさんは、やがてイスラエル王国の二人目の王様になりました。
それから1000年、ダビデさんが羊を飼っていた青草の原には、また違う若者たちが羊の番をしながら、厳しく寒い夜を迎えていました。
真ん中に大きな焚き火、羊達はその周りに集まって、折り重なるように眠っています。
羊飼いも半分は眠っています。残る者たちは、周りで立ち番です。
眠らないように二人が組になって、静かに話などしています。
寒いね、静かだね、眠くなりそうだよ、気をつけようよ、こんなに静かな夜は何か起こるものだって。ちょうどそんな時でした。今まで見たこともない光が、輝きました。
今まで知っている光は、熱を発しながら輝きます。しかしこの光に熱はない。あたり一面を厳かに照らすばかりでした。その中から天使が現れ、羊飼いに告げました。
「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなた方は、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」
世界の民に大きな喜びが与えられる、そのしるしとしてあなた方は、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている赤ちゃんを見つけるだろう。この方こそ主メシア・キリストである。
この時代、羊飼いは、安息日を守ることも出来ないため、人々から軽蔑されていました。そのうえ、盗賊や野獣の襲撃から羊を守る命がけの仕事です。労多く、報われることが少ない人々でした。そのような人たちに、すばらしい知らせが最初に告げられました。
現代の世界でも、孤独な人、危険にさらされている人、苦労が報われていないと感じている人、病の中にいてこの苦しみを理解する人がいないと感じている人、その他同様の人に、神はそれを見て、聞いて、知っている、解っている、と告げておられます。
これを聞いて、羊飼い達はダビデの町・ベツレヘムの町外れにある宿屋の家畜小屋へ急ぎました。そしてマリアとヨセフ、飼い葉桶の嬰児を見つけました。彼らは礼拝しました。
間違いなく、預言されたメシア、キリストの降誕だからです。
旧約聖書の時代から、イスラエルの人たちは、教えられてきました。
『誰も空し手でわたしの前に出てはならない』出エジ23:15,34:20。心をこめた捧げ物を携えるように、ということです。何も持たずに・・・
羊飼いさんたちも、一番良いものを、大事にしているものをお捧げしました。宝物を待っているはずもありません。さあ、何をお捧げしたでしょうか。
羊のミルクとチーズ、そして羊飼い御自慢のヨーグルト。野蜜があります。これらは彼らの食事です。一番大事なもの、マリアさんたちに喜んでいただけるものです。
まだありますね。そうです、羊の毛皮と毛糸、毛織物。寒さに備えて余分に蓄えていました。羊飼い達は、これは自分たちのものだから、とは考えませんでした。嬰児イエス様の役に立つから、と考えました。そんなものを自分たちが持っているとは、なんと素晴らしいことだ、と考えました。お役に立てることを喜びました。
それから、遠い東の国から来た三人の学者さん、黄金、乳香、もつ薬を捧げました。
クリスマスは贈り物、神さまからは大きな喜び、世界の救い主。
そして、わたし達から神さまへの贈り物は、与えられているもののうちから最善のものを。私たちの能力・才能もおささげできます。あなたは何をお捧げするのでしょうか。
何もない、と言いたい人も居られるでしょう。あなたには、キリストを信じる心が与えられています。その信仰をお捧げしましょう。