2014年12月28日日曜日

イエスの弟子となる


[聖書]ルカ14:25~35、
[讃美歌]241、旧411,483、
[交読詩編]21:2~8、

 

今年最後の主日礼拝となりました。

歳晩礼拝と呼ぶ習慣が何処から来ているか、私には判りません。

同志社系、東神大系、福音系、様々な教会でこの言葉が用いられているようです。

「歳晩礼拝」…あまり最近は聞かなくなった言葉のようですが、一年の最後の礼拝を呼ぶものです。ある人は、こんなことを言われたそうです。

「歳晩礼拝はな、とっても重要や。一年の守りを感謝するときなんやから…」。

クリスマスと正月に挟まれたこの日曜日は、私たちそれぞれの家庭の忙しさも相まって、「とても重要」という扱いにはなかなかなれず、教会でも大掃除をする日だったりと…。

一年を守り導いてくださった神の恵みを感謝しながら、来年を望む礼拝が歳晩礼拝。

旧讃美歌411、旋律は旧82と同じです。讃21は異なる翻訳、違う旋律。馴染めません。

4115節、まが幸よしあし ゆきかうなかにも、われらのよろこび やすきはしゅにあり。災いも苦しみも、生き死にも、主にあってのことであれば感謝し、賛美できるのです。

黙示1413、また、わたしは天からこう告げる声を聞いた。「書き記せ。『今から後、主に結ばれて死ぬ人は幸いである』と。」“霊”も言う。「然り。彼らは労苦を解かれて、安らぎを得る。その行いが報われるからである。」

 

 もうひとつ、教会の慣わしを御紹介しておきましょう。多分日本の教会だけのもの、と思われます。間もなく1231日になります。町や村の寺にある梵鐘が鳴り始めます。百八つの煩悩を打ち払い、綺麗な心で新年を迎える習慣、と教えられました。

昔はラジオで中継しました。その音を聞きながら、初詣に履いて行く靴を綺麗に磨き上げていたこともありました。同じ時に第二放送は、バッハのロ短調ミサを流していました。

教会へ行くようになると、それは除夜祈祷会に変わりました。除夜の鐘を教会的にしたものだろう、と感じます。いつの頃からか、なくなって行きました

 

ルカ1425以下をお読みいただきました。小見出しは、『弟子の条件』となっています。

この部分は、直前の箇所とは全く無関係な聞き手と内容になっている。

大勢の群衆は、無関心で尊大な人々ではなく、何事かを期待して集まってきた人々である。

自発の意志でイエスのもとへ来ているのであって、イエスが弟子になるようにと呼び出しているのではありません。彼らは、イエスの旅が受難を目指していることは知らない、と思われます。

2633節の「誰であれ・・・ない者は、私の弟子になりえない」という繰り返しの形式は、インクルージオと呼ば 

れます。262733節に現れますが、同じ表現を用いて資料の一塊を初めまた閉じる、というやり方です。

自分が生まれ育った環境そのものを憎まなければ、弟子と呼ばれるに相応しくない。

「父・母、妻、子供、兄弟、姉妹、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら」

これが、文字通りに憎むことであるなら、私の理解を超えています。 

少し私的なことをお話しすることをお許しください。証になります。

高校三年生の二学期も終わる時、友人が言いました。「俺、このごろ教会へ行ってるんだ。

牧師は親戚で、今アメリカへ行っている。留守中、二人の子どもの相手を頼まれているんだ。もうじきクリスマスだ。たくさんプレゼントをもらえるよ。行ってみないか。」

考えました。大学受験のことなど。「俺は江戸っ子だ。物を貰いに行くのは嫌だ。文系を受けるので西洋文化の背景キリスト教は知らなければならないと思う。新年になったら行ってやるよ。」と恩着せがましく言いました。

彼はうまいことを言いました。「きっと小難しく感じるだろうけど、二・三ヶ月は続けてくれよ。」こうして私のキリスト教との付き合いが始まりました。

受洗した時も同じ友人の誘いでした。水曜日夜の集会に出席して、彼と一緒に帰りました。

私は大塚、彼は田端。間もなく彼から電話がありました。「俺、洗礼を受けることにしたんだ。牧師が、持田も誘ってごらん、と言うけどどうする。」

「受けてみよう。どうしたら良いのかな」、「俺が牧師に電話しておくよ」そして復活主日。

 

親には何も言いません。相談もしていません。いつも叱られました。「お前はいつでも相談ではなくて、決めてから報告をするんだね。」これは親の教育の結果だ、と思っています。

「自分のことは自分でしなさい。」考え、分析し、決断する。間違っていればその責任は自分が取る。

 

神学校へ行く時も相談はしていません。報告したのは、就職はどうするんだ、と言われて、それに対する答えでした。「神学大学へ行くから」。出て行け、と言われるだろう、と覚悟していました。でも何も言われません。「ふーん、そうかい。」そのままの生活です。それでも、申し訳ないから、出来るだけお手伝いはしよう、と考えました。父や母が出かける時の運転手もしました。

アルバイト料をいただきました。卒業の時には、「これで耶蘇道楽も終わりだと思っていたのに」、と言われました。「一子出家すれば九族天に生ず、というから仏教の出家になったと考えよう」。「人より楽な生活が出来ると思ったら間違いだぞ」。坊主と役者は親の死に目に会えないと覚悟しなさい。」牧師になる私へのはなむけの言葉でした。

こうして一つの道が開けました。今日まで続いています。

この親、家族を憎むことは出来ません。

 

26節に「憎め」という言葉があります。これは、セム語的表現であって、背を向けるとか、身を引き離す、という意味です。これを、私たちが普通に用い、意味するような憎むことと考えるなら、間違って大きな困難と直面することになるでしょう。

新旧約聖書を貫く、愛し、世話をし、養う、とりわけ自分の家族をそうしなさい(Ⅰテモテ58)、という呼びかけを無視することになります。

 

自分自身の命を憎めるでしょうか。生まれてきた日を呪う、ということはあるでしょう。

自分を嫌悪し、自らを虫けらとみなし、自分をこの世のごみの山に投げ出す。これは、自分で自分を裁くことです。裁きは、神がなしたもうことです。それが求められることであれば、聖書は愚者の楽園、とでも言って放り投げるしかないでしょう。私たちは、誰でも自分の家族を愛し、命が大事なのです。この命を守るためなら他の命を奪うことも正当化されます。殺し、奪うための戦場は言うまでもなく、普通の社会であっても、正当防衛の権利は保障されています。父・母を敬え、と言う聖書の教えとも矛盾します。

 

2832節は、二つの小さな譬となっています。

塔を建てようとする人は、必要な諸経費を見積もりして、それを整えてから建築に取り掛かるでしょう。また、一国の王は他国の軍勢が圧倒的な力で攻めてきた時、勝てないと見極めたなら和睦を求めるだろう、と語ります。

人生において、それをやり遂げることが出来るかどうか、綿密に計算する。或いは、犠牲を払うに値するか否か、しっかりと考え、決断する。本質的にひとつのことです。

 

自分は何者か、何処から来て、何処へ向かっているのか。

『我われはどこから来たのか、我われは何者か、我われはどこへ行くのか。』これは19世紀末のポール・ゴーギャンの大作に記された言葉。人生を、人間存在そのものを問う言葉。

私たちは、綿密な計算は苦手です。必要なことが見えないし、想定外のことを入れることも出来ない。計算そのものを放棄してしまいたくなる。それでも、私の人生を築き続けています。何故でしょうか。この命が神さまからの贈り物だからです。この命が尽きる時は必ずやって来ます。誰もが、必ずやって来る、逃れることの出来ないこの死に向かって生きています。

何もかもが、自分のものであり、自分で決定できる、計算しつくせる、と考える。自分が主となり、支配していると考えていたものを、自分から引き離してはじめて見えてくるものがある。この生は、自分のものではなく主のものである、と。

こうしてイエスを主とする生き方そのものが、私たちにとっては十字架です。

自己中心を捨て、キリスト中心の生き方へと招かれています。