2015年1月4日日曜日

大きな喜びは天に

[聖書]ルカ15:1~10、
[讃美歌]289,358,470、
[交読詩編]84:6~13、

 

新しい年を迎えました。2015年、昔は新しい年、を呼ぶことが、なかなか難しかった。たとえば、昭和27年、1952年、12歳、中学1年生、バリカン刈りでクルクルの丸坊主。この頃ガンジー暗殺、新聞に大きな写真、共通点があり、ガンジーと呼ばれた。剃り上げたガンジーの頭はてらてら光っていた。私の頭もまめに刈るので青白く光っていた。

なかなか新しい年に馴染めなかったのです。今では、直ぐ馴染んでしまうのが不思議でなりません。

 

イスラエルは、アブラハム・イサク・ヤコブと並び称されるヤコブの別名(創世3229)。エジプト移住と脱出を経てカナンの地に定住した民族の名称、イスラエルの十二部族。

預言者サムエルの時代にサウルを王に頂く王国の名とする。その後ダビデ、ソロモンが継承、拡大するが四代目レハベアムの時南北に分裂、その北王国がイスラエル。北王国は、紀元前8世紀(720年)アッシリアにより滅亡。南ユダ王国にその名称は移る。捕囚後は南王国ユダの残滓がイスラエル。その呼称がユダヤ、「ユダ族の」を意味する。

その末裔は、世界中に散らされたが、それがイスラエルであり、ユダヤであった。現代でも。人種としてはユダヤ人であり、パレスティナに建国された国名がイスラエルである。ユダヤ人は必ずしもイスラエル人ではなく、アメリカ国民、ロシア国民、フランス・ドイツ・オランダ・ポーランド・スペイン・ポルトガルなど多くの国の市民である。これらがディアスポラのユダヤ人と呼ばれる。

キリスト信仰による新しいイスラエルが生まれている。

 

新約聖書の時代、アム ハー アーレツという言葉があった。 「地の民」卑賤の者たち、律法を守ろうとしない者たちを総称する語。ベツレヘムの羊飼い、徴税人。罪人達とはどのような人だろうか。異教徒達と関係する仕事、汚れたものに触れる仕事。

正統派であるパリサイ派の人々は、こうした人々と交わることを避けた。自分を汚すことになるからである。彼らは、「罪びとが一人でも神の御前で抹殺されるなら、天に喜びがある」と考えた。

主イエスは、「罪びとがひとりでも悔い改めれば、天に喜びがある。」と言われる。

 

ルカ福音書15章から18章にかけて、ルカ特有の譬え話が現れる。途中にマタイ福音書と共通の譬え話が入ってきます。15:Ⅰ~7は、マタイ181214と共通の譬。長さがだいぶ違う、と解る。マタイでは、小さい者への責任を弟子達に自覚させる譬ですが、ルカでは、罪人と交わるイエスの行動の理由付けのためのものとなっています。

羊飼いと羊の群れに関するもう一つの情報。

羊は個人の所有であっても村落や部族・氏族の共同管理にされることが多かった。 

羊はその村、共同体の共有という感じ。その一頭が失われるなら村全体が悲しみに打ち沈み、見出されるなら全体が喜びに沸き立つ。

羊飼いは、村の人たちが、たとえ一頭であっても、見出されるなら大いに喜ぶことをよく知っている。羊を肩に担いで、「喜びを分かち合おう」と呼びかける。

エゼキエル34章の、羊を食い物にする羊飼いとは、全く違う。

この譬は、イザヤ4011を念頭に置いたものであろう。

イザヤ40:11 主は牧者のようにその群れを養い、そのかいなに小羊をいだき、そのふところに入れて携え行き、乳を飲ませているものをやさしく導かれる。

 

イエスが、徴税人や罪人を近寄らせたのは、彼らの意志に任せただけではありません。それ以上に、主が招いておられたのです。多くの正しい人は、自分たちの正しさを守るために、これらの人たちを拒絶していました。しかし、主イエスは、これらの人たちを歓迎されました。この世の正しい人、清い人が私たちを拒絶し侮蔑する時、主イエスだけは、私たちを招き、歓迎し、受け入れてくださいます。

 

神が、人間よりもはるかに思いやりがあるということはなんとすばらしい真理だろう。

正統派の人々は、収税人や罪人を埒外の人間、滅びる以外にどうしようもない人間と決め付けた。神は、そうではない。

人々は、罪人に対する望みを放棄するかもしれない。神はそうではない。

神は一方で、決して迷い出ない群れを愛している。しかし他方、たとえ迷子になるものがいても、それが見つけられ、家に帰ってきた時には、神の心には大いなる喜びがある。

 

8節からは、失くした銀貨が発見される譬、ルカ独自の譬です。

ここで用いられる貨幣は、ドラクマ銀貨。およそ390円に相当(1970年)、むしろ5600円ではないか。この女性の全財産6000円の一割。同時代のある書物は、一枚1000円相当とする。また、当時の労働者の労賃10日分、10デナリ。

新共同訳の通貨表には、ドラクメはギリシャの銀貨、重さ約4.3g、デナリオンと等価。デナリオンは、ローマの銀貨、1ドラクメと等価、一日の賃金に当たる。

 

貨幣が中心となる貨幣経済は十字軍時代、香辛料の取引に貨幣が使われ、発達した。

それ以前にも貨幣そのものは存在し、貴重な財物であった。中国の司馬遷が書いた歴史書『史記』には、貨幣に関することだけを書き、また財政、商取引に関することなどを取り上げている。エジプトやギリシャ・ローマの文物展を観に行けば、たくさんの通貨、コインが展示されている。多くは王の肖像が刻まれている。

日本の考古学的な展示でも多くの通貨が展示されている。肖像が入るのは明治以降。

それらはどれほど通用したのだろうか。通用量よりは、蓄財量として、所有者の富を誇るものとして示されているように見える。それは、皇帝の肖像が刻印された通貨も同じ。

皇帝がどれほど権威があるか、どこまでを支配領域としているかを示すのが貨幣である。

後世の私たちは、通貨がまとめて発掘されると、皇帝の支配力を改めて認識するのだ。

 

ローマが支配するユダヤでは、銀貨10枚は、財産としては少ないかもしれないが、ゆとりのある生活を示すものである。使わない貨幣が、それだけある。

何故あるのだろうか。ある学者は、当時ユダヤでは、既婚女性のしるしは銀の鎖に10枚の銀貨をつけた髪飾りであった、と記す。結婚指輪と同じ意味であると言います。

残念なことにこの事は、他の書物には記載がありません。大変面白いことですが、確認することが出来ないので、ここまでにしましょう。

 

当時の住宅事情を考えると、これは大変難しい作業になる、と理解できます。

小さい一間だけの家、窓は一つ程度、床には藁を敷き詰めてある。通常、ともし火は置いていない。明るいうちになすべきことは終わらせる。暗い夜は悪の支配するところ。

ともし火をつけるのは、本当に大事なことだからでしょう。

 

この女性は、敷き藁をホーキで掃き出し、念入りに捜すだろう、と語られます。それほどに、この失われた銀貨は大切であり、なんとしてでも見つけたい、取り返したいものなのです。彼女は、それを見つけたら、ご近所の人たち、友人達と一緒に喜ぶのです。

 

譬の結論で、失われた銀貨はひとりの罪人であり、一人が見出されるとは、罪人の悔い改めに他ならない、と明示されます。

 

この譬を聞く私たちは、一体どのようなものなのでしょうか。私たちは、掟を守らない人たち、行儀作法を弁えない人たちが来ると、眉を顰めることはありませんか。服装が整えられていないのを見ると、何を感じているでしょうか。

主は、この譬を私たちに向けて語ってくださいました。パリサイ人でありながら、同時に深い罪人であるキリスト教会の私に対してです。