2013年2月10日日曜日

日や年のしるし

聖書]創世記1619
讃美歌21]487,355,224、
[交読詩編]107:10~22
 
1:6神はまた言われた、「水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ」。 1:7そのようになった。神はおおぞらを造って、おおぞらの下の水とおおぞらの上の水とを分けられた。 1:8神はそのおおぞらを天と名づけられた。夕となり、また朝となった。第二日である。
1:9神はまた言われた、「天の下の水は一つ所に集まり、かわいた地が現れよ」。そのようになった。 1:10神はそのかわいた地を陸と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた。神は見て、良しとされた。 1:11神はまた言われた、「地は青草と、種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ果樹とを地の上にはえさせよ」。そのようになった。 1:12地は青草と、種類にしたがって種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ木とをはえさせた。神は見て、良しとされた。 1:13夕となり、また朝となった。第三日である。
1:14神はまた言われた、「天のおおぞらに光があって昼と夜とを分け、しるしのため、季節のため、日のため、年のためになり、 1:15天のおおぞらにあって地を照らす光となれ」。そのようになった。 1:16神は二つの大きな光を造り、大きい光に昼をつかさどらせ、小さい光に夜をつかさどらせ、また星を造られた。 1:17神はこれらを天のおおぞらに置いて地を照らさせ、 1:18昼と夜とをつかさどらせ、光とやみとを分けさせられた。神は見て、良しとされた。 1:19夕となり、また朝となった。第四日である。
 
 
天地創造の第一日は、混沌の闇の中に光が生まれました。ここで、光の昼と闇の夜が出来ました。神は、これをご覧になり、良しとされます。
闇を神が創られた、というのではなく、神が光を創られたことにより、闇の存在が明らかになった、ということです。
 
第二日は、大空の創造。大空は天と名付けられ、その上と下に水が分けられます。
その間に乾いた土地が現れます。これは、陸と名付けられます。水の集まった所が海と呼ばれます。そして上の天に明けられた穴から落ちる水が雨となります。
乾いた土地は、下の水の上に浮かび、柱によって支えられている。
泉や川が地上にあるのは、下の水が、湧き溢れるのです。
これらは、メソポタミア・中近東に共通する宇宙像です。
 
第三日は、植物の創造、となります。ある学者は、次のようにまとめます。
「種がないように見える草、そのもの自身が種子である草、種子を包む実のある植物の三種です。」光が創られ、陸地と水の場所が分けられました。その次が植物の創造です。
この順序にも意味があります。動物や人間の創造以前に、その生存のための環境を整えておられるのです。食糧の準備、確保です。
 
 14節以下は、太陽、月、星の創造です。
地を照らす大きな光に昼をつかさどらせ、小さな光に夜をつかさどらせます。
ここでは、太陽とか月という言葉を使わないよう、避けています。何故でしょうか。
「当時の近東世界における太陽神とか、月神とかいった異教の神々との混同を避けるためです。同時に、人間の運命と天体の動き、とりわけ星の運行とを結びつける占星術の影響も全く見られません。」(米倉33ページ)
第四日も、こうして創造主に祝福されて、夕となり、朝となります。
 
いつの時代でも、このところを読んでいて、最初に出てくる疑問、質問があります。
これは、誰が書いたのだろうか、誰が見ていたのだろうか、ということです。
『初めに』とありますから、その前には何もなく、何者もいなかったのでしょう。当然、これを見た者、目撃証人はいない、となります。
昔から、この点に関しての答えが用意されていました。
「モーセが、神の啓示によって、書いた」というものです。
創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記、この五巻を『モーセ五書』と呼び、いずれも、モーセが、主なる神の命じられるままに書いたものである、としてきました。
申命記34章は、モーセの最後を書きます。これは、後継世代による加筆、と考えます。
 
 アメリカでは、今でも世界の始について、創世記そのままを教えなければならない、とするところがあるようです。おそらく、すこぶる保守的とされる、南部諸州でしょう。
(北米南東部は、バイブルランドと呼ばれるが、西部も負けず劣らず保守である。)
進化論や現代の宇宙物理を取り入れるべきだ、とする人たちと裁判沙汰になります。 
 
これは、教育と宗教の正しい分離が出来ていないしるしでしょう。
『政教分離』、国家の宗教への関与を禁じる。特定の宗教の国家への関わりを禁じる。
これは、個人の信教の自由を守るためでもあり、表裏一体のものである。
フランスや日本の憲法規定は厳格なものであり、イギリスは国教会制、ドイツは公認制を取っている。アメリカは、建国の事情から、国教会の首長である国王を排除する方向にあった、と考えられる。特定の宗教による関与を排除するので、諸宗教が繁栄している。
 
私たちが手に持ち、読んでいる天地創造物語は、決して世界の歴史物語ではありません。歴史は、科学であることを求められます。今読んでいる創造の物語は、科学であることをはっきり拒絶します。実際に起こった事柄についての叙述ではありません。
むしろ、特定の時代状況の中で、イスラエル人たちを生かし、希望を抱かせ、ひとつの民族意識を与えるようにした神学的主張です。
 
私自身は、これは神話的表現を用いた、イスラエルの信仰告白である、と考えています。
信仰告白は、自身のうちから発する叫びであり、他の人に聞いてもらうためのものです。何よりも神に聞いていただくのが、告白です。前回、『歴史に働く神――朗唱としての神学』という書名に触れました。朗唱、リサイタルです。告知されたものは、聞かれることを求めます。リサイタルであれば、真心から生まれた音楽は人の心をうちます。聞くものの心に響きます。信仰の告白は、神と人の心に届き、心を打つでしょう。人は誰でも、自分が本当に信じていることしか語ることはできません。
 
 1119までに関しても、歴史叙述としてではなく、特定の時代状況の中で語られ、告げ知らされ、聞かれ、受け容れられた、意味ある言葉として聞きたいのです。
1124aは、さまざまな研究の結果、祭司資料、略称Pと考えられています。祭司資料と呼ぶのは、これが祭司によって礼拝において告げられたもの、と想定されるからです。時代は、バビロンにおける捕囚時代であり、捕囚の民こそこれを読む者たち、聞く者たち。
 
 彼らの状況を考えてみてください。戦争に負けました。バビロンへ連れて来られました。
敗戦国の民として二流、三流の存在です。生存は出来るけれども、そのことに意味を見出すことが難しい。故郷で保持していた信仰も薄れて行くように思える。望郷の念は募る一方。帰りたい、帰れるのだろうか。バビロニア人からは侮蔑され、嘲笑されている。
 戦争に負けたのはなぜか。捕囚民たちは、自分たちの罪がこれを招きよせた、としか考えられないのです。決して自虐史観などと呼ぶべきではありません。既に、預言者たちが警告して来ました。真の神を礼拝し、正義と公正を行えと聞いてきました。思い起こせば、神の愛は絶えずイスラエルに注がれていました。それを拒絶してきたのです。
 
このような失意と落胆、絶望と怒り、嘆き、悲しみの中にいる人々に対して、祭司たちは何を語ることが出来るだろうか。そもそも語る内容を持っているのだろうか。
これは今日の私たちにとっても、問題であり続けていることです。何を語ればよいのか。
悲しむ人、怒る人、失望・落胆する人、実にさまざまです。こうした現代の状況の中では、神の言葉は慰めと希望になり得ない、と考えているのではないでしょうか。
 
 紀元前500年代の祭司たちは、大胆に語りました。
このカオス(混沌)的混乱の中にあっても神は大能の御力を保持している。無秩序の中に神の秩序をもたらそうとしておられる。
当時の諸民族共通の認識では、戦争は民族が信じる神と神との対決、というもの。
民族、国民は、その土地の神の力により戦い、勝利は、神の勝利とされた。
しかし今や、イスラエルの主なる神ヤハウェは、カナンの地を遠く離れたバビロニアにあって、その力を揮い、イスラエルを守り、導き、勝利を与えようとしておられる。
メソポタミアの民は、自分たちの力を誇る。その占星術の力を自慢し、生活のすべてを、この占いによって決定する。しかし祭司は、それすらもイスラエルの神ヤハウェが創られたものと明言する。
 
 こうした状況は、イスラエルの詩人によって、見事に捉えられ、歌われています。
詩編8058では、あなたは涙のパンを私たちに食べさせ
 
詩篇126篇 都もうでの歌
1
主がシオンの繁栄を回復されたとき、われらは夢みる者のようであった。
2
その時われらの口は笑いで満たされ、われらの舌は喜びの声で満たされた。
その時「主は彼らのために大いなる事をなされた」と/
言った者が、もろもろの国民の中にあった。
3
主はわれらのために大いなる事をなされたので、われらは喜んだ。
4
主よ、どうか、われらの繁栄を、ネゲブの川のように回復してください。
5
涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る。
6
種を携え、涙を流して出て行く者は、束を携え、喜びの声をあげて帰ってくるであ
ろう。
 
祭司資料の記者、祭司の信仰は、まさにこの詩人の信仰です。
私たちは、この信仰の言葉を聴き、共にこの信仰に加わることが求められています。