2013年2月3日日曜日

天地を創造された

[聖書]創世記1:1~5[讃美歌21]487,149,361、[交読詩編]103:1~13、
 
これから暫くの間、創世記による説教をさせていただきます。
説教者は、主題説教であれ、講解説教であれ、あるとき、ある所で説教する時、そのことについて理由を語れるものだ、と考えています。今、何故創世記なのか?
理由は、余り読まれず、語られることも少ないから。聖書66巻の冒頭に置かれているのには、それなりの理由がある、と思います。そうしたことを読み解くには、かなり力量が必要だと思います。自分にそれが備えられているとは考えません。しかし説教者は、挑戦しなければなりません。
神学校の説教学の時間で、『註解書があるから』と言うのも大きな理由になる、と言われました。残念ながら、今の私には、これは相当しません。ダンボール箱に入ったままで、目に触れるものは3冊ばかりです。むしろ、私が好きだから、と言う理由になりそうです。
もうひとつ、理由があります。私は、神学校の頃から、創世記をどのように考えたらよいのか、悩んでいました。決して深刻なものではありません。モーセ五書の資料なるものを学んだ時、こんなことにどんな意味があるのだろうか、と考えたのが始まりです。祭司資料P、ヤハウェ資料J、エロヒム資料E、申命記資料D、鈍根の私にとっては、大変分かりにくいものでした。以来長い間、どのように説教に結びつけるのか考え続けました。多くの書物に教えられました。その成果を、お話したい、と願っています。
 
計画をお話いたしましょう。
本日より310日まで、6主日で第2章を読みます。
317日は、大坪先生の壮行礼拝、先生が説教し、聖餐式も司式されます。
324日は、3章《禁じられた木の実》、31日、復活主日礼拝《キリストは甦られた》
47日、《善悪を知る者となる》、14日、《追放も神の恵み》、3章の終わり。
一応、ここまで計画しています。続けるかどうか、考えながら、となります。
どれだけ理解していただけるように、お話出来たか、ということもあるでしょう。
 
「始めに神は天と地をお造りになった。」口語訳
「元始(はじめ)に神天地(あめつち)を創造(つくり)たまへり。
地は形なくむなしくしてやみわだのおもてにあり。神の霊水の面を覆ひたりき。」文語訳
「巨人・大鵬・玉子焼き」の時代は、既に文語は分からんと言われました。
それから既に、450年が過ぎ去りました。大鵬って何、誰の時代です。新訳登場です
 
「初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。『光あれ。』こうして、光があった。神は光を見て良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。」新共同訳
 
 たくさんの問題があり、それに応じてたくさんの解答があります。その中でも印象的であり、記憶に残っているのは、内村鑑三です。次のように書いて、称賛しています。
「聖書の創造神話は、実に素晴らしい。日本の創造神話とは、比べることも出来ないほどだ。なんと言っても、あの光の創造だ。電磁的な光、オーロラのような光であり、熱を帯びることがない。このような光をどの国の、どの民族の創造神話に見ることが出来ようか。」
 
彼の死後にも、内村の著作は聖書注解全集、信仰著作全集、日記所感全集が教文館
から出版され、全集が2度にわたって岩波書店から刊行されました。 歴史の教科書には
内村鑑三不敬事件」や日露戦争での「非戦論」で、彼の名前が記されています。
「聖書註解全集」は、内村30年にわたり『聖書之研究』その他に発表してきた聖書注解を、聖書の順に従い章を追って配列。著者の全生涯にわたる聖書研究と伝道活動の成果の集大成。
 
内村鑑三は、札幌農学校出身、独立伝道者として文書伝道に励み、無教会を唱えました。彼は、はじめ黒岩涙香の『萬朝報・よろずちょうほう』紙に加わりますが、考えの違いもあり、退社します。多くの文書を公刊しました。特に力を注いだのは、聖書注解、聖書研究です。
同じ箇所について、繰り返し違う側面から書いています。そのことは創世記に関しても、良くわかります。アメリカのアマースト大学で、最初化学を学びました。
 
明治15年、福沢諭吉『時事新報』を創刊。
明治2511月、都新聞を退社した黒岩涙香は、『萬朝報』を創刊。よろず重宝にあやかる。
簡単、明瞭、痛快をモットーに、社会悪を徹底的に究明する姿勢、涙香自身による連載翻案小説の人気により急速に発展。明治32年末には、東京市内の新聞中一位となる。明治3610月には、日路交渉の危機に臨み、なお非戦を堅持する幸徳秋水、堺利彦、内村鑑三が退社。これを機に次第に衰微に向かい、昭和1510月、『東京毎夕新聞』に合併された。
近代日本の新聞史上異色の新聞であり、その功績は大きい。
ただし、今日の視点からは、余りにも個人攻撃に偏り、センセーショナリズムに走りすぎる、と批判され、赤新聞(一時期ピンクの用紙であった)とも呼ばれた。
 
以下、順を追って読むことにしましょう。
1節、『初めに』、この語に関しては、考えるべきことがたくさんあります。何の始でしょうか?難しい解釈もありますが、単に創るはじめ、それ以前に何もなかった、と言っているようです。
旧約学の先生のお一人は、「ここは、ベレーシース バーラー」、
「何の初めか、君たち分かりますか? 私にも分からん。」
船水衛司教授、「天地創造は、バビロン捕囚のイスラエル人たちの心象風景です。」と言われ、それ以上の説明がなかった、と記憶します。それだけに考えさせられたようです。
ある時、ある教授が言われました。「神学校での授業は、知識の切り売りとは違う。卒業後、牧会と伝道の現場で、考え続け、学び続けるための基礎を作ることが目的です。自分で神学する、ために。」
これは、保育でも教育でもあるいは医学、看護学、農学、法学、経営学でも同じでしょう。どんな学問も大学で学べば、それで完了、完成ではありません。
 
『学びて思わざれば即ちくらし、思いて学ばざれば即ちあやうし』「論語」為政篇より
どんなに勉強したとしても、自分で考えたり、研究したりしなければ本当の知識にはならないし、
かといって、自分ひとりで、考えるだけで、人の知識や経験を学ばなかったら、独善に陥ってしまい
正しい知恵にはなりえない。人に学び、自ら考えるその両方を行なってこそ、自分の身につく知識となるもの。学ぶ姿勢を忘れずに、考える気持ちを大切に、歩んでいきたいものですね。
自分だけの考えでは、独善に陥ります。
 
 
2節、『混沌』カオス、形なくむなしく。創造以前の状況は、バビロン捕囚の人々にとって、まさに混沌そのものでした。形は、秩序、筋道、と考えます。むなしく、中身のない容子です。カオスの淵は暗黒。光なく、音もなく、何の動きすらない所。時間の動きすらありえません。
これは、聖書を学ぶ中で必ず現れる「シェオール」陰府・黄昏と同じです。
「すべての死者が必ず下る所。光も、音も、そして動きすらないところ。死者は、ここで審判の時まで横たえられる。」と考えられています。
捕囚の民は、ある意味で、全く、死んだ者でした。
 
3節、「神は言われた」、そして創造の業は、すべて言葉によるものでした。
「光あれ」、「こうして光があった。」神が語られると、その言葉の通りになりました。
 
4節、イスラエルの神ヤハウェは、混沌の中に秩序をもたらされる方です。
光が作られ、闇と分けられることによって、昼と夜が生じる。
光が作られたことにより、一日の時間が決まる。時間は、すなわち歴史の始まりを指し示す。歴史の創始を承認することは、そのまま歴史の主なる神を告白することです。
G,E,ライト『歴史に働く神』God who acts、朗誦(リサイタル)としての神学、が副題。
 
「光を見て、良しとされた。」ご自身の作品に満足されました。承認されました。
バビロニアとの戦争に敗れ、バビロンに捕囚としてつれてこられたイスラエル、ユダヤ人たちは、バビロニアの豊かな光に、神の創造の力を知りました。敵国であっても、神の力は、なお働いていることを確信しました。
 
 その確信は、繰り返されます。「夕べがあり、朝があった。」異国にあっても、創造主なる神の力は働いている。一日一日が確実に流れて行く。朝の来ない夜はない。
今は、光が薄れる夕方であるかもしれない。しかし、確実に光溢れる朝となる。
捕囚のイスラエルよ、頭を上げよ、光を仰ぎ、神を讃美せよ。
 
 「第一の日である。」第一には、第二、第三が続きます。光によって時間が生み出され、
一日が連続し、歴史が作られます。そのときのユダヤ人にとって苦しい歴史ですが、それもまた主なる神ヤハウェが支配される歴史です。
苦難の中にいるイスラエルに向かって、主なる神は、今も生きて働きたもう。希望を持て。
神の民として、讃美して生き続けよう、と語りかけています。
 
現代に在っても、苦しみ、悩みの中にある人々は、この創造物語を読む時、慰めと望み、そして力を与えられるでしょう。