2013年2月24日日曜日

祝福し、聖別された

[聖書]創世記214a
[讃美歌21]487,357,470、
[交読詩編]130:1~8、
 
11から天地創造物語が始まりました。実に壮大、華麗なドラマです。説教は四回目。
この部分が、祭司資料と呼ばれています。初めて聖書に触れた時は、何がなんだか分かりませんでした。50年を超えると、多少は、理解も進んだようです。
 
24a「これが天地創造の由来である。」口語訳も新共同訳も、全く同じ言葉、文章です。これは、珍しい例です。11に始まる天地創造物語の締め括りの言葉です。初めて読んだ時は、面食らいました。2章の途中、4節の初め。ここから物語が始まるのだろう、と感じたものです。そうではなく、次の行から新しい物語が始まる。
それにしても、天地創造が二つあるとはどういうことだろうか?天地創造と、人間創造なのかな、と考えたりもしました。
答えは、口頭伝承を組み合わせた(編集)もの、ということでした。
24節の初行までと次行以降では、資料が違う。文体も内容も全く違っています。ここまでは、祭司資料、紀元6世紀のバビロン捕囚時代の編集。希望を失った捕囚のユダヤ人たちを励まそうとしている。イスラエルの神は、この世界の創造主である、と宣告しています。
 
神は、六日の間に天地の間の、すべてのものをお造りになられた。
それらをご覧になって、それらを祝福された。「良しとされた」
第五日の水の中と、大空の生き物。そして、第六日の生き物、地の獣、家畜、土を這うもの。そして、人については、もうひとつの祝福が与えられた。
「産めよ、増えよ、地に満ちよ」。そして、男と女とには、更なる祝福が与えられます。
2829節、生き物を支配せよ。草と木を食べよ。
 
創造のすべてを終えられた主は、七日目に休まれた。創造の主の安息である。
丁寧に読むと少々違っています。131「第六の日である。」とあります。続いて、
213、「天地万物は完成された。 第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。 この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された。」 となります。
安息の日は、すべてを完成した翌日ではありません。安息日は、すべての完成の日です。
休むことによって仕事を離れ、仕事を完成されました。この安息なしでは、完成もなかったのです。
 
旧約聖書、ユダヤ教では、この七日目の安息を覚えて、この日を休息の日とし、すべての働きを休むことにしています。神が、祝福し、聖別されたからです。祝福は、肯定すること、聖別は神のものとすることです。
 
古代社会では、労働を休む制度などは考えられなかっただろう。そうした社会で、七日目ごとの休みをこのような形で保障したことは、大変偉大なこと、と考えるべきだろう。奴隷を初め、弱い立場の多くの労働者に、休む権利を与えたことになります。古代において、このような権利を保障する旧約聖書は、ずいぶん進歩的な、人権思想を持っていた、と言うべきでしょう。
しかも、労働する人の雇用主からの恩恵とせず、宗教的な権利、義務とした所が凄い、と感じます。雇用主であっても、その社会であっても、これを奪うことが出来ません。聖域に属することです。不可侵の権利とする、これはたいへん優れた発想です。
 
この日は、単なる労働から離れることが出来る日、と言うことにとどまりません。
「安息日を覚えて、これを聖とせよ。」モーセの十戒に刻まれました(出208、第四戒)。すべての安息日は、労働から離れて、創造主なる神を讃美する時です。礼拝する日としなければなりません。
「聖」という語は、「神の専用のもの」を意味します。第七日は、だれのものでもありません。ただ主なる神のものですよ、ということです。主を讃美する礼拝の日です。
私たちの意識はどのようなものでしょうか。
 
英国、ダーラム市では、サンデイランチが生きている、と書かれていました。
『ダーラム便り、ある英国留学記』(山田耕太著、すぐ書房1985年)の一節です
ダーラムのクリスチャンは、土曜日のうちに日曜の食事の用意を済ませる。
教会で礼拝を済ませると、帰宅してサンドイッチなどのランチを摂る。その際、教会に客人があれば、連れて来てランチを共にする。これをしないと、客人は、食事が出来ないことになる。著者の山田さんは、これを経験された。『これが有名なダーラムのサンデイ・ランチか!』と書きました。
 
ダーラムには、日産自動車が工場を開設し、岩槻の家庭集会の出席者が、お連れ合いの転
勤(日本人トップの安藤さん)で、行くことになった。そうした関連で、この本を購読し
たのだろう。
この著者は、現在、新潟県新発田市にある、敬和学園大学の教員のようです。
今では手に入れにくいこの本を読みました。幾つかのことが記憶に残りました。
ダーラムは、ハドリアヌス・ウオールの東の基点である。その北はスコットランド。
かつてダーラム大聖堂があり、その修道院の大食堂は、ダーラム大学の学生食堂。
ダーラム大学は、かつてCHドッドなど、名だたる碩学が教授であった。
 
ハドリアヌス・ウオール、ローマ帝国時代に建設された時代の城壁。長城と訳されること多し。
現在のニューキャッスルからカーライル北部にかけて東西に延び、全長はおよそ120kmに及ぶ。
スコットランド人(ケルト人)の侵入に苦しんだハドリアヌス帝が防御のために122年からおよそ10年間かけて建設したもので、拡大政策を進めてきたローマ帝国の転換期を物語っている。土塁を石で補強した壁は厚さ約3m、高さは約5mあったと推定される。
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年にアントニヌス帝がここから北方約160kmのところに防塁を築いたが、後にこの長城まで撤退している。ローマの影響が去ってからも、この長城はイングランドとスコットランドの境界線として認識されていた。
1987年に世界遺産に登録され、2005年にはドイツのリーメスの長城跡と合わせて「ローマ帝国の国境線」として登録名称が変更されている。
 
 神の安息、ということでは、ある時期、こんなことが言われました。『神は死んだ』。
ドイツの哲学者、ニーチエの言葉でした。あるいは、「神は眠っている、永遠の休息に入った。」などとも言われました。
 
あるいは、作家、遠藤周作さんの小説『沈黙』。これは、殉教者と背教者の物語です。宣教師が殉教する場面では、宣教師を呑み込んだ海が静まり返っている様を描き、神の沈黙を暗示する。
スエーデンのラーゲルクヴィストは、1950年のノーベル賞作品『バラバ』、最終場面。
「バラバだけは、まだひとり生き残ってぶら下がっていた。あれほどに恐れ続けてきた死が近いと感じたとき、彼は暗闇のなかへ、まるでそれに話しかけるかのようにいった。
--お前さんに任せるよ、俺の魂を。  そして彼は息たえた。」
 
 神は、創造の働きをなし終えて休まれたかもしれない。そうすることで、人間に休息することを教えられた。その後の神は、休むことをしておられない。人を守ろうとしている。
「監視」という言葉を私たちは嫌う。これの本来の意味は、『見守る』ことにある。
 
私たちは、しばしば、他の人を傷つける。傷ついた人は、誰も自分を守ってはくれない、という気持ちになる。皆が自分を笑っている、ざまあ見ろ、と言っている、と思う。
実は、周囲の人たちは、自分のことをとても心配してくれているのに、そのようには考えられない。そうして自分の殻のなかに閉じこもってしまう。
 
神は何もしてくれない。神はいない、お休みだ。神は死んだ。そうではありません。
神様は、私たちを見守り、支え、助けてくださっていたのです。
今でも思い出します。1997104日。東京から埼玉へ車を走らせている時、突然飛び上がりました。広い通りで、他の車の後ろになっていました。何が起こったかわかりませんが、バットで殴られたような痛みがありました。車を脇に寄せて、休んでいるうちに収まりました。自己診断では、脳内出血。それ以上は、医師が判断すること。自分で決めたら怒られるぞ、なんて気楽に考えていました。脳動脈瘤の破裂によるくも膜下出血でした。
 
金曜日、朝のニュースで、タクシーが川の対岸へ10メートルのジャンプ、着地に成功したが乗客の一人は重傷。運転手はくも膜下出血、意識不明の重態、とありました。
97年に、そのようなことになっていてもおかしくなかったのだ、と感じます。
もっと悪いことにならないよう、守られていました。
 
安息日は、働きをしない余分な日ではありません。創造主は、この日にその業を完成させられました。安息することによって完成、成就に至らせたのです。
 
安息日は、金曜の夕刻に始まり土曜の夕刻に終わります。かつて、イスラエル南部のスデボケールのキブツ(集団農場)で2週間を過ごしました。そのなかの金曜日、夕刻になり、食堂へ行きました。ユダヤ人たちも座っています。いつもと違って、なかなか食事が始まりません。ワインも出ています。オイルサーディンもあります。御馳走です。何かがありそうです。やがて皆が静まって行きます。視線がラビの顔に向かいます。そして西のほうの丘の頂を見ます。私たちも見ました。太陽が沈んで行きます。その最後の輝きが消えました。その瞬間、ラビたちのテーブルから歌声が起こりました。皆が和して、大合唱。
安息日の始まりに、私たちも立ち会うことが出たのです。鮮烈な出来事でした。
 このように、厳粛な思いをもって安息日がはじめられているのです。それだから未だに安息日を厳守できるのでしょう。明らかに、他の日々とは違います。
 
 キリストの教会は、この安息日を、主イエスが甦られた週の初めの日、日曜日に移しました。命の主キリストの甦りを喜び、感謝し、讃美するためです。
私が集めたLPレコードの一枚に『真夏の夜のジャズ』がありました。1958年の第5回ニューポート(カリフォルニア州)ジャズフェスティバルのエッセンス。愛聴盤と言えるでしょう。同じフェスティバルを同名の映画にしています。これも観ました。感動します。
今思い出しているのは、その中で、ゴスペルの女王と呼ばれるマハリア・ジャクソンの場面です。司会者に呼び上げられ、中央に立ったマハリアは、「まるでスターになったみたい」と興奮を隠しません。雨も上がった会場でお客さんに告げます。『日曜日です』。
そして唄い始めます。マロットの作った『主の祈り』。繰り返し聴いて、覚えるほどでした。
その数年後、私は聖歌隊で同じ曲を合唱します。嬉しいことでした。
この会場で、今は日曜日になった、主イエスの甦りを讃美する礼拝の日です。
祈りましょう。こう呼びかけて祈った歌手がいる。
 
 私たちも、甦りの主イエスを日曜ごとに賛美するようにと招かれています。誠実に応えて、生きて行きましょう。