2013年3月3日日曜日

エデンの園

[聖書]創世記24b14
[讃美歌21487,298,225、
[交読詩編]86:5~10、
 
2:4 これは天と地が創造されたときの経緯である。神である主が地と天を造られたとき、
2:5
地には、まだ一本の野の潅木もなく、まだ一本の野の草も芽を出していなかった。それは、神である主が地上に雨を降らせず、土地を耕す人もいなかったからである。
2:6
ただ、霧が地から立ち上り、土地の全面を潤していた。
2:7
その後、神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった。 2:8 神である主は、東の方エデンに園を設け、そこに主の形造った人を置かれた。
2:9
神である主は、その土地から、見るからに好ましく食べるのに良いすべての木を生えさせた。園の中央には、いのちの木、それから善悪の知識の木とを生えさせた。
2:10
一つの川が、この園を潤すため、エデンから出ており、そこから分かれて、四つの源となっていた。
2:11
第一のものの名はピションで、それはハビラの全土を巡って流れ、そこには金があった。
2:12
その地の金は、良質で、また、そこには、ブドラフとしまめのうもある。
2:13
第二の川の名はギホンで、クシュの全土を巡って流れる。
2:14
第三の川の名はヒデケルで、それはアシュルの東を流れる。第四の川、それはユーフラテスである。
 
昨年12月から、この冬の降雪量は、異常なほどに多い、と報道されています。
そこで悪い冗談を言ってしまうのが私です。これが昨年の冬だったら、尻尾を巻いて逃げ出しました、最初の冬がこれほど大雪だったら逃げ出しただろう、と言うわけです。
これは冗談です。どれほど真剣そうでも、真面目な顔でも、ジョ-クです。赴任した年の冬が大雪だったとしても、男の意地に掛けても逃げ出したりはしません。出来ません。
どうぞ誤解なさいませんように、お願いしておきます。
 
さて、本日は創世記第24節以下になります。第1章とはだいぶ容子が違います。
1章は、繰り返しの多い荘重な文体。礼拝で朗読されるのに相応しい感じです。事実、バビロン捕囚の民の間で、その礼拝の折に読み上げられたのでしょう。
2章以下の、第二の創造物語は、擬人法を用いて、生き生きとした語り口で話を進めます。おそらく聞く人たちも、生き生きと伸びやかに生きているのではないでしょうか。
学者たちは、適切な状況を推定しました。紀元前10世紀、ダビデ・ソロモンの統一王国時代を、この背景とします。
 
この部分が、ダビデ・ソロモンの統一王国時代に編集され、読まれた、と考えるとよく理解できるようになります。あの時代、イスラエルの民衆は、周辺諸国と同じような中央集権国家にすることを求めました。その求めを神に取り次いだのが預言者サムエル。厳しい警告とともに初代の王サウルが立てられました。彼は南のベニヤミン族の人。二代目がダビデ王、ユダの部族の人。三代目が、その息子ソロモン。ダビデ・ソロモン時代は、イスラエルの歴史の上で、忘れ難いほどに繁栄しています。王国の領土を示すのに、「北はハマテの入り口から、南は紅海まで」と言われますが、これは、イスラエルの最大版図の表現であり、最大の繁栄を示す言葉です。
 
ある国の繁栄は、その軍事、経済、文化、そして宗教など多様な力の総合でしょう。この時代、北のアッシリア、バビロニア、南のエジプト、クシなどは内紛もあって、内治に勢力を取られていました。その隙を狙ったようにイスラエルは、勢力を伸ばし、国土を拡張しました。
 
繁栄する時に起こることは、いつの時代でも同じです。物がたくさん入ってくる。それとともに人がついてくる。更に異なったものの考えも入ってくる。
このことは、私たちの国でも起こりました。1945年夏を境に、日本国は敗戦国となります。対戦国が勝利者として進駐してきました。占領軍です。物資が入り、人が来て、その思想も入ってきました。生活スタイルは一変しました。靴を履き、洋服を着て、パンとスープ、肉を食べ、クリスマスやバレンタインデイを喜ぶ。独立を回復したものの、同盟の名の下に、戦勝国の意志が優先されることは変わりません。経済大国になりました。繁栄を楽しむことも出来ました。
 
繁栄の時代には、人間たちの間に、自力ですべてを成し遂げた、という満足感と誇りが見られるようになります。多くの場合、神を忘れた傲慢になって行く。そして、自分たちの力が、豊かで余裕があるこの生活を築いたのだと誇るようになります。
力を持ち、繁栄すると、人間社会のどこでも傲慢さが出てきます。自分の力でこれを築いた、俺たちの力だ、神は、我々のいうことを聞くものだ。願いは何でも聞いてくれる。
こうした傲慢な人々に向けて、この物語は、語られました。
 
初めの人、アダームは、土のチリから形づくられました。いわば泥人形、わが国には多く産出されていた。信楽焼きの狸、博多人形も、古代の埴輪もこの一種。素材としては、至極ありふれたもの。それ自体には、値打ちなど全くありません。
神に造られ、命の息を吹き入れられ、生きたものとなったことに、大きな価値があります。人の素材は、価値のないものです。それが、神の息を吹き入れられることで生きるものになりました。神の息は、ルアッハ、ギリシャ語に訳すとプニューマ。霊と訳される言葉です。人間は、それ自体としてはなんでもないけれど、霊を吹き入れられ、生かされて生きています。これが、他の被造物との決定的な違いです。
 
人間の壊れやすさ、無価値であること。神の霊によって生かされて生きていること。
楽園エデンも神がお造りになったものであり、人は、その中に置かれたものであること。
これらは皆、傲慢な人を戒める警告の予言として語られました。
 
エデンの園は、神が造られた世界です。創られた人間は、そこでこそ生きるべきものとされました。被造物である人間、男と女は、神の世界の中に生きることが定められています。自分が造った世界に生きるのではありません。神の世界で、他の被造物たちと共に生きるべきもの、とされました。
 
エデンは、人間にとっての楽園、理想郷と理解されています。
世界中に理想郷の伝説があります。
中国では、桃源郷の名で知られています。
 
スコットランドはブリガドーン。ハリウッドのMGMは、ジーン・ケリー、シド・チャリシーが主演したブロードウェイ・ミュージカルの映画化作品『ブリガドーン』を、1954年に送り出しました。これは、スコットランドの伝説の理想郷。100年に一度、高原の霧の中から姿を現す村の名。『雨に唄えば』『パリのアメリカ人』の路線です。
この村の住民が一人でもここから出て行くと、この村は二度とこの高原に姿を現すことが出来なくなる。ところが、失恋した青年が、この村を出て行く、と言って姿を消す。
 
ユートピア、空想上の実在しない理想郷。
イギリスの作家、HGウェルズは『タイムマシン』1895年を書いた。時間旅行者の見た80万年後の世界。地上に暮らす人間は、ユートピアにいるもののようである。ところが、それは表面だけのことで、実は地下に暮らすモロク人の捕食生物であり、彼らの食用に放牧されているだけであることが示されます。
私たちは、働くことなしに衣食住が保障されるようなら、それこそ理想郷、ユートピア、エデンの園、私の楽園と考えるだろう。しかし、どのように理想的であり、楽園であっても、人が生きる所には、悲しみや、苦しみがあります。
 
 創造主は、被造物である人間に対して、そのようなユートピアを備えようとはしていない。彼らに、なすべき仕事を与えておられる。
また、何でもしてよいとも言われない。そこには厳しく禁止を告げておられる。
 
川への言及は、どのような意味があるのでしょうか。
四本の川は、11節から14節に記されます。
2:11 第一のものの名はピションで、それはハビラの全土を巡って流れ、そこには金があった。
2:12
その地の金は、良質で、また、そこには、ブドラフとしまめのうもある。
2:13
第二の川の名はギホンで、クシュの全土を巡って流れる。
2:14
第三の川の名はヒデケルで、それはアシュルの東を流れる。第四の川、それはユーフラテスである。
 
第一の川は、不明です。インダス川と推定する人も居ます。
第二は、ナイル川と見て間違いないでしょう。
そして、ティグリス・ユーフラテスの両河です。
 
これを書いた人は、川の畔に生じ、繁栄した古代文明を知っていたのでしょう。
 
イスラエル民族には、エジプトを脱出してから、荒野をさまよった40年間の記憶が刻み込まれている、と考えるならば、水のない、過酷な生活での水に対する渇望が潜んでいるのでしょうう。これは詩編465が暗示しています。
 「大河とその流れは、神の都に喜びを与える。」
また、黙示録2212も、川のほとりの、命の木の実を示します。
 「命の木があって、年に12回実を結び、毎月実を実らせる。そして木の葉は諸国の民の病を治す。」
 
エゼキエル47112も、同じようなことを記しています。聖所から流れ出る水が、水質を浄化し、木の葉と実は、諸国民の食物と癒しの希望となる、と。
これを読んで、驚かされます。エゼキエルの時代にも、水質汚濁の問題があったのか、と言うことです。「人間が住み始めると、そこには公害問題が発生、拡大する」、と書かれていたことを思い出します。聖所から流れ出る水によって川が浄化され、賜物としての生命は、生かされるのです。
 
エレミヤ213も語ります。
 「真に、我が民は二つの悪を行った。 生ける水の源であるわたしを捨てて
 無用の水溜を掘った。 水をためることのできない こわれた水溜を。」
預言者も、創世記記者も、神への本当の信頼を忘れた人々への警告の予言を発しています。それは、現代の私たちへの警告でもあります。活ける水によって生きるものとなりなさい、と。私たちも活ける命の水によって生かされましょう。