2013年3月31日日曜日

主は甦られた

[聖書]Ⅰコリント15311
[讃美歌217,325,510、78、
[交読詩編]66:1~9、
 
 人間が社会生活を営む世界では、さまざまな利害が、各自の権利が衝突し、裁判沙汰になります。欧米人は、各自が、その権利を主張し、相手の権利を認めないようにします。日本人も、かなり欧米化しました。それでもなお、自分の主張よりも相手の権利も重んじなければ、と考える向きがあります。
 
 あるとき、機会があり、ベテランの裁判官に、裁判において最も重要なことは何でしょうか、とお尋ねしました。少し首を傾げて考えておられました。
「何が真実であるか、判断することです。」そのために裁判官は、訓練されてきている。
今、司法の世界は、裁判員裁判を行うようになりました。現職裁判官の中にも、この制度に反対する方がいるのは、このためでしょう。我々裁判官は、真実を見極め、判断する責任を担うために特別な訓練を受けてきました。そのための訓練を受けていない一般人にこの重責を担わせることが出来るのですか。担わせて良いのですか。裁判官が、鼎の軽重を問われることになるのですよ。声が聞こえるように感じられます。裁判員にはカウンセリングをすればよい、という発言もありました。
 
 大きな問題は、私たち自身が、日常的に裁判官になっていることです。どちらが正しいか、見極めることなく、個人的な感覚で正邪を裁く。真偽を決定しようとしていませんか。
そして、法廷でも、裁くことが出来ると思い込んでいる。実は、それが困難だから、プレッシャー、ストレス、神経の問題を引き起こしているのです。
 
 さて、このような裁判で、真実を見極めるために、証人の役割が重んじられます。証人は、自分自身が見た事、聞いたこと、触れたことを、そのままに語ることが求められます。
又聞き、推定、虚偽を語ってはなりません。
聖書の中には、法廷用語がずいぶん用いられている、と指摘されます。あるいは、言葉ではなく、法廷そのものが、想定されていることがある、とも言われます。
本日の復活の証言は、法廷で、復活を証言できる人たちの名簿を読み上げているように感じられます。
 
 『墓に葬られたイエスが、甦られて、その姿を弟子たちにお示しになった。その名前は以下の通り。彼らは、いつでもそのことを証言するでしょう。その一番最後にいるのが、この私です。』この手紙の発信人であり、証人の最後は、異邦人伝道のチャンピオン、パウロです。パウロは、自分自身を語ります。
 
「月足らずに生まれたような私。私は、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でも一番小さなものであり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。・・・他の全ての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実は私ではなく、私と共にある神の恵みなのです。」
 
 パウロは、かつてサウロと呼ばれていた頃、キリストを信じる者を迫害していました。
生粋のユダヤ人、ファリサイ派の一人としては、当然のことでした。迫害のため、ダマスコへ行く途中、甦りの主が顕われ、彼を導きます。彼は、迫害する者から、宣べ伝える者へと変えられました。このことは、使徒言行録9章に書かれていて、良くご承知の通りです。甦りの主が顕われたのは、私たちに、主のみ名を宣べ伝えさせるため、主の甦りを証言させるためだった、と語っています。主のなさることには、目的があります。
復活信仰は、キリスト教会の中心に据えられる事項です、着任して以来一年、厚別教会の「しんこうのことば」に、ある種の違和感を覚えていました。三位一体の神への信仰は、何とか表現されている、と認められるが、甦りに対する信仰が薄い、と考えたからです。教会総会の報告にもありましたが、2012年度の初めに、甦りの項目を入れることが出来ました。
 
福島の聖光学院高校はキリスト教主義の学校です。伊達市にあり、もとは工業高校として出発。各種運動部の活発な活動により、全国にその名を知られるようになりました。中でも硬式野球部は、甲子園出場も回を重ね、強豪校として知られています。
2013323日(土)選抜高校野球第二日、初戦突破。第2戦では、鳴門工業高校を破り、ベスト8に進出。今日も、11時から、敦賀気比高校と戦っています。勝利の度ごとに校歌が歌われます。
 
 
聖光学院高等学校 校歌
平 野 彬  子 作詞
増 田 瑠々子 作曲
1.桃李一時に咲き競う
         春たけなわな信達野
         希望に燃ゆる若人が
         復活の主 仰ぎゆく
         高き望みに 恵あれ
         ああ わが母校 聖光学院
2.青嵐の彼方吾妻嶺に
         夏来るらし雲湧きて
         希望に燃ゆる若人が
         山上に訓 守りゆく
         清き望みに 光あれ
         ああ わが母校 聖光学院
3. 錦繍の野に風立ちて
              北斗は青く空に冴ゆ
              希望に燃ゆる若人が
              世に勝ちし主に倣いゆく
              望き希いに 守りあれ
              ああ わが母校 聖光学院
 
 
 
 
 
 
 
校章の由来
中央にある「聖光」は、マタイによる福音書第5章14節の「あなたがたは、世の光である」に由来する。  本校で学んだ者は、世の如何なる変遷にも変わることのない真理の生活の基盤とし、光の中を歩み、信仰と希望、愛を持って人々と交わり、自らもまた聖なる光を仰ぎ、人生を全うする者であるようにとの願いがこめられている。 また、校章の地は「X」と「工」を組み合わせたもの。「X」はキリストを表すギリシャ文字の頭文字であり、「工」は「工(たくみ)の家の人となった」キリスト、前身の工業高校を表し、総じて校訓「神と共に働く人に」の神の同労者の意味を表しています。
 
 
ローマ8:34、
主が、「甦って、神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである」
このことを信じて喜ぶことが出来るのである。
 
かつては、桜美林高校が甲子園でキリスト賛美の校歌を歌いました。
 
Ⅱコリント48を読みます。
「私たちは、四方から苦しめられても行き詰らず、途方に暮れても失望せず
虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。」
 
桜美林学園は、清水安三先生が、戦後創立。先生は、戦前、北京朝陽門外に崇貞学園を
開設。中国人、朝鮮人、日本人が共に学ぶ所とした。これは、ポーランド、ワルシャワで、
コルチャック先生が作った学校と同じ理念です。ポーランド人、ドイツ人、ユダヤ人の共
学。清水先生の愛唱聖句、モットーは、「詮方尽くれども望みを失わず。」
この強い信仰、その実践は、何故可能となるのでしょうか。
 
同じⅡコリント414の言葉を読みましょう。
「主イエスを復活させた神が、イエスと共に私たちをも復活させ、あなた方と一緒に御前に
立たせてくださると、私たちは知っています。」
この言葉は、後方から支える役割を果たしています。戦争に負け、全てを失った時にも懼れ
ることがありませんでした。信頼する中国人の手に学園を委ねました。今も同じ所で、校名
だけを変更して学園は続いているそうです。
北京陳経綸中学です。現在も桜美林学園とは姉妹校の交わりを保っています。
無一物で帰国した先生は、都下町田市に学園を開設しました。学校名は、母校であるオベリ
ン大学から取った、と聞きました。教えてくれたのは神学校の同級生です。畏友と言ったほ
うが良いかもしれません。彼は、中国帰りのご縁で清水先生とは親しくしていたようです。
先生の後継者にぴったり、と思いましたが、早くに、60歳で隠退しました。
この学校には1960年代の前半に、行ったことがあります。質素な校舎でした。
   今では、たいそう立派な大規模校になっているようです。
 
学園の建学の精神は、『学而事人』  学びて、人に仕える。
学問には、目的がある。他者に仕えること。
キリストに学び、神と人に仕える者となるように。
 
桜美林高校野球部は、
1976年第58回全国高等学校野球選手権大会初出場、初優勝(東京勢60年ぶりの優勝)
      6739回選抜、7345回選抜、7749回選抜、
   勝利のたびに、校歌が演奏されました。合唱されました。2節では、復活の主が讃美されて
います。
   
   主イエスの甦りは、最初の目撃証人たちにより、証言されました。
   また世々の信仰者たちの、不屈の精神によって確証されました。
   彼らは、尽きることのない新しい命を信じ、平安を獲ました。
同じ道を歩む者たちによって、更に伝えられて行きます。
   この信仰者の群れが、キリストの教会です。