2013年5月19日日曜日

福音の前進のために


[聖書]フィリピ11220
[讃美歌21]194,152,529,78、

厚別の気温も、ようやく20度近くまで上昇したようです。5月下旬になろうとする頃、春の花たちが競うように咲き誇っている、と言いたいのですが、そうでもないようです。

大通り公園の桜は、蝦夷山桜がほぼ満開。他の種類、染井吉野、里桜などはまだまだでした。レンギョウは盛り。コブシは盛りを過ぎたところ。ユキヤナギは、白いものがちらほら、モクレン、チューリップは膨らみ、色づいて見えました。各種の花が、一斉に咲きそうだな、と感じます。これも最近の寒さのお陰、と思います。北海道らしさ、その素晴らしさを知るために、ひとつの、大きな恵みと感じています。

本日はペンテコステ、聖霊降臨日です。これは、クリスマス、イースターと並ぶキリスト教の三大祭の一つです。ペンテコステは、ギリシャ語で「50番目」という意味の言葉です。元々、ユダヤ教に過越の祭から50日目に「7週の祭」と呼ぶ、小麦の収穫を祝う祭がありました。そして、紀元70年以後、この日を律法授与の日として大切にしています。その「7週の祭」をギリシャ語に翻訳したのが「ペンテコステ」、つまり7週(=49日)を経過して50日目、という言葉なのです。新共同訳聖書では、「五旬祭」と訳されています(使徒言行録2:1)。旬は10日という意味ですから五旬は50日となります。
 この五旬祭、ペンテコステの日に、聖霊(神の御霊、真理の霊とも言われる)が、天から降りました。当時、主イエスの12人の弟子を初め、120名ほどの者が一緒に集まって、主イエスが約束された聖霊が降るのを、熱心に祈りながら待っていました。彼らは約束の聖霊に満たされ、神の力を受けて、いっせいに様々な国の言葉で神の福音を語りだしました。言行録第2章です。このとき、ペトロの説教を聴いて、3000人ほどの人が洗礼を受け、仲間になりました。これが教会の始まりです。ペンテコステは教会の誕生日です。

さて先ほど、フィリピ11220をお読みいただきました。

先ずこの部分で、パウロは、自分の最近の状況をフィリピの人々に知らせています。それも大変嬉しげに、喜びをもって知らせます。ひとつは、自分が監禁されている、という既知の知識を伝えます。いつからか分かりませんが、兵営に捕らわれていたようです。此処では、プライト―リオンという語が用いられています。これは、間違いなくローマ軍の兵営です。なぜなら、パウロが活動した地域、を支配していたのがローマ帝国だからです。他の国の支配は、排除され、ローマの支配権が優先されるようになっていました。

そしてパウロは、生まれた時からローマの市民権を有する自由民でした(言行録2227)。総督ペリクス、千卒長クラウデオ・ルシア。カイザリアで、2年間、監禁される。

  プライトーリオン、①総督プロクラトールの官邸、公邸。カイザリアではヘロデの建てた宮殿が総督官邸として使われ(行伝2335)エルサレムでは市内西部「ヨッパの門」の側にあった北西のアントニアの兵営が使用された(マタイ2727、マルコ1516、ヨハネ1828等)。②(皇帝の)近衛兵団、近衛隊、兵営、または皇帝の裁判所の役人たち、フィリピ113は、この意味で用いられている。     上訴の経過は、言行録2511.総督はフェストに代わる。

パウロの監禁場所は、このほかにエフェソとローマが考えられています。フィリピ教会への手紙がどこで書かれたか、不明です。フィリピからの距離を考えると、エフェソという説が有力です。残念なことに、この説には大きな弱点があります。言行録は、エフェソでの監禁を記録していない、ということです。

ローマ市民の権利としてパウロは、皇帝に上訴しました。出廷までローマ市内で監禁されます。一軒の家の中に監禁され、外部の人が自由に訪ねてくることが出来たようです。

上訴した人間を警護する目的の監禁だったようです。

半世紀近く、聖書を勉強してきたことになります。最初に教えてくださった先生方の多くは、彼岸の人となられました。その書かれたものも、多くは入手困難になりました。

今は、自分よりもお歳若な先生方が、教えていますし、その著書なら手に入る時代となりました。更に、その若い先生も定年退職するようになりました。驚くような変化です。

神学校に入った年、『ローマ書二文書縫合説』が公になりました。なかなか受け容れられないようです。しかし、その手法、考え方は認められたようです。研究者の中から、フィリピ書二文書説、あるいは三文書説などが出るようになりました。

本来の感謝の手紙、律法主義者を警戒せよと教える手紙、贈り物への感謝、

もっと細かく分ける考えもあるようです。ただし、その分け方などは、人によって違うし、一致は見られません。

昔は考える必要もなかったことを今は考えなければならない。情報過多の時代となり、その中から選択することが求められる。たくさんの出版企業が、それぞれ出版活動をしている。その中で、読者から選ばれなかった出版物は、廃刊される。企業は倒産するか、他の領域へ転進することを余儀なくされる。選ばれなかったのは、その出版物の内容が、知るほどのないものとして退けられた、ということを意味している。情報は吟味され、必要に応じて蓄えられ、用いられる。 

パウロの投獄は、当時の教会の人にとって、何のための信仰か、何のための福音なのか、という疑問を抱かせたに違いありません。世俗一般の人たちも同様の疑問を持ったでしょう。そればかりではありません、パウロは犯罪者なのではないか、と言う疑いを持ったかもしれません。

そうした事情だからこそ、彼はこの手紙を書き送る必要を感じたのです。パウロの監禁は、不法行為を働いたためではなく、ただキリストを信じ、宣べ伝えたためです、と。

そうした事情が、監禁されている所の人々に理解されるようになったことを、パウロは喜び、伝えようとします。私の身に起こったことが、かえって福音の「前進」に役立った。

活動していた人が捕らえられてしまえば、その活動も中断され、停滞するのが当たり前です。ところが、その活動、福音宣教の業が、進展した。これが、パウロの喜びの報告でした。ある学者は、これは監視の兵士が洗礼をうけたことを示している、と考えます。

そこまで行くと考え過ぎになるでしょう。ローマ市民が、ユダヤ人の信仰問題で訴えられているので、本来自由の身である、ことが理解されたのでしょう。

 

パウロは、血筋では生粋のユダヤ人です。同時に法律の上では、生来の権利所有者としてローマ市民です。二重国籍であることが、パウロの宣教活動を助けました。ユダヤ人の迫害を逃れて、ローマの支配者に身を委ねることを得させました。

更にパウロにひとつの信仰、確信を与えた、と言えるでしょう。それは、「我らの国籍は天にあり」ということです。一人の人間が、地上に存在する二つの国で市民権を同時に持つことが出来るように、同じ人が、同時に地上の国と天の国の二つの市民権を持つことが出来る、と考えることが容易でした。

 

日本とユダヤは、国籍を血筋によるものとしています。それも主として、父親による者としていることもよく似ています。それに加えてユダヤは、信仰をひとつの条件とします。ユダヤ教であり、その割礼です。割礼があれば、肌の色や話す言葉の違いなどがあってもユダヤ人と認めます。

アメリカとローマ帝国は、移民による多民族国家という性格にもよるのでしょう。領土内での出生を条件とし、二重国籍を認めます。徴兵制度があります。その時点で、二つの国籍のうちどちらかを選択します。どちらの国家に忠誠を誓いますか、という問いと向き合うことになります。

 

「かえって福音の前進に役立った」

奇跡的な逆転は、誰の力でもなく、聖霊の力、その働きによって起こされます。

「体が弱くなったことがきっかけで、あなた方に福音を告げ知らせました」ガラテヤ413、「かえって福音の前進に役立った」フィリピ112

 

これらのパウロの言葉は、驚くべき逆転が、彼自身の力ではなく、神の聖霊の力によることを語っています。

『聖霊によってのみ教会は、主が居られる所には苦しみはないとする態度から、苦しみのあるところに常に主が居られるという態度への奇跡的な転換を経験することができるのである。』クラドックp55

 

それにしても、福音の前進とは何でしょうか。何を指して語るのでしょうか。

使徒言行録の中で、しばしば教会の進展報告がなされています。24147、67

此処では、洗礼を受け、多くの者が仲間になった、と語られます。しかし、パウロの場合は、そのようなことではありません。パウロの事情が周囲の者たちに明らかになった、と言っています。それが福音の前進になるのです。

 

キリスト教は、ローマ帝国東部の辺境で始まりました。パレスティナは、帝国の東の辺境です。パウロは、エルサレムでその活動を始め、シリアのダマスコ、アンテオキアに移り、そこを根拠地として西へ西へと活動を広げました。目指すのは帝国の首都ローマです。

自力では無理だったようです。不思議なことに、軍団兵の護衛つきで、ローマへ行くことになりました。パウロの活動に対する理解、上訴の事情に関する理解が、役に立ちました。

 キリストの福音をローマへ至らせることが前進。当時のローマは、悪の巣窟、バビロンと呼ばれています。パウロは、この地を目指していました。数量や、支配力や、改宗者の数でもない。諸悪の巣窟へ福音を至らせる。

 

 私たちは、神様も自分の利益に奉仕してくれるもの、と考えるような世界に生きています。ごく自然に、信心をしているから、問題はないはず、大丈夫、と考えています。ところが私たちの現実は、信仰のあるなしに関係なく、思いがけない時、都合の悪いときに大問題が襲い掛かってきます。そして、神も仏もあるものか、とつぶやきます。

牧師も同じです。天地創造の神への信頼を語り、四季折々の神の恵みを讃美することを勧める説教者。礼拝を終え、玄関へ出ると雨になっている。なんだ、雨か!

どこかへ行く予定があったのでしょうか。それとも、家路に着く信徒たちの足元を心配してのことでしょうか。いずれであっても、神を自分の都合のために存在していることに変わりはありません。

 

 パウロは、私たちを、共に喜ぶものになるよう、招いてくれています。

神は、間違いなく、私たちの苦しみの時に、私たちの傍らに共にいてくださるのです。

私の好きな祈り、文章、201088日、玉出教会説教《家族》より確認、引用

この家の主はイエス・キリスト、
  すべての食卓に見えざる客あり、
  すべての会話に沈黙の聴き手あり。