2013年5月26日日曜日

動機は愛か欲か



[聖書]フィリピ11220
[讃美歌21]351,481、
[交読詩編]99:1~9
 
この手紙は、パウロによって書かれました.その生涯の終わりごろ、紀元60年前後に、ローマ帝国内のどこかにある牢獄の中で書かれています。その場所は、カイザリヤ、ローマ、エフェソのいずれかであろう,と言われています。

パウロ、元の名はサウロ。ユダヤ人の中でも、とりわけ熱心に律法を研究し、それを守ろうとするファリサイ派のひとりでした。彼は生粋のユダヤ人でしたが、同時に生まれながらのローマ市民でした。この市民権は、当時の世界では、特権を保証するものでした。千人隊長クラウデオ・ルシアという人が登場しますが、この人は、長い軍団生活における功績の報奨金、戦利品によって、この権利を買い取っています。

パウロは、キリストを迫害する者でしたが、キリストを宣べ伝える者に変わります。彼は、シリアのアンテオケ教会を根拠地にして、外国伝道に出かけました。当時のアジア州、今のトルコから、マケドニア、ギリシャにまで伝道しました。このあたりの西はアドリア海です。その向こうはイタリア半島。当時の世界の中心です。

彼の行く先々へは、かつての仲間、ファリサイの律法主義者たちが、押しかけて、活動の妨害をしました。ユダヤ人の訴えにより捕縛されたパウロは、此処で切り札を出します。

ローマ市民の権利により、この件を皇帝に上訴する、とクラウデオ・ルシアに申し出ました。隊長は、無罪放免にするつもりでしたが、パウロの権利を尊重せざるを得ません。パウロを警護する兵士を整え、ローマへ向かいます。

パウロは、ローマ軍の兵士たちに守られ、首都ローマへ向かいます。これまで三度に渉る伝道旅行では、アドリア海を渡ることは出来ませんでした。パウロの熱意も能力も、首都へ行き、キリストを伝えることは出来ませんでした。

投獄される、ということは、普通なら都合の悪いことです。不具合なことがたくさん起きてくるでしょう。マイナスの出来事です。ところがパウロは、却って「福音の前進に役立ちました」と書きます。マイナス、と考えていたけど、現実は、プラスになった、と感じています。

どのようなことが起きたのでしょうか。

第一は、前回お話したように、パウロが、不法行為のために投獄されたのではない、と言うことが理解されるようになりました。当時、監視の兵士は、囚人と手鎖で結ばれていたそうです。さまざまなことが語られたでしょう。パウロは、キリストを宣べ伝えていたので、こうして皇帝の法廷に訴え出ることになった、と話したでしょう。そのことが理解されるのは、福音の前進に役立ちました。

第二の点は、パウロが投獄された結果、多くの者たちが、キリストを宣べ伝えるようになったことです。これまで、その仕事は、パウロの独壇場でした。すっかり、彼に任せられていました。彼が投獄され、自由に動けなくなった時、人々は、パウロが出来ないならば、自分たちが少しでもそれを補おうと考えました。パウロを助けよう、と考え、教えを伝えた人たち、逆にこの際パウロの勢力を、名声を傷つけてしまおう、という考えの人たちもいました。

キリストを宣べ伝える動機は何でしょうか?

15節では、妬み、争いの念、善意から、と語ります。

「キリストを宣べ伝えるのに、妬みと争いの念に駆られてする者もいれば、善意でする者もいます。」
18節「口実であれ、真実であれ、とにかくキリストが告げ知らされているのですから、わたしはそれを喜んでいます。」

118は、少々驚かされる言葉です。どのように理解するべきでしょうか。
ある学者は、これをパウロの諦めの心境、と考えます。
「厳しく監視されていた監禁生活の終わりの頃となれば、(諦めの気持ちは)当然のことである」アルフレッド・プラマー

此処に現れた党派的宣教者とは、パウロ終生の敵、ユダヤの律法主義者(フィリピ3)ではない、と考えます。彼らは、異なる福音、福音と呼ぶべきでない教えを語りました(ガラテヤ169)。パウロは、このような宣教であれば、生命を賭して闘うでしょう。

「党派心」、エリセイア、特段、悪いことではありません。「賃金のために働く」「報酬を取って働く」。これは現代でもごく普通のことです。自分の利益のため、他人を押しのけても自分の得となり、権益となることのために働く。職業的な仕事、自分を見せ付けるための仕事。今では自己アピール、パフォーマンス、と言う言葉で表現されています。
我々は、馴らされてしまいました。これが普通のこと、当たり前のことと考えるようになりました。70年代までは、容子が違っていました。
ボランティアが、本来の意味で用いられていました。無報酬で奉仕の活動をすること。
ボランティアで報酬を求める、と言うのは論理矛盾です。
パウロは、他の人々の宣教が正当かどうか判断する基準として、その動機を取り上げました。動機の正しさは、必ずしもその方法、手段に結びつかないかもしれません。良い動機であっても、悪い手段を選ぶことがあるでしょう。悪い動機であっても、たまたま良い方法、内容に至ることもあるでしょう。動機がどうであれ、伝えられているのがキリストなら、私はそれを喜ぶであろう、とパウロは考えました。それは諦めだ、とする学者もいます。私はもっと積極的なことを考えます。

 

アドニラム・ジャドソン(1788-1850)のことをお話しましょう。
少年時代から大変な秀才。父親は名声を得ることを期待し、少年は野心を持った。
大学に入る前、病気となり、その病床で不思議な声を聞く。長く記憶する。
「我々にではなく、我々にではなく、神のみ名がほめたたえられるように」
大学時代、友人の影響で無神論者になります。大学卒業後、旅先で、この親友の死を経験し、野心を棄てる。
さまざまな経験の後、神学校に学び、宣教師となる。1812年、ケープコッドを出航。
この地は、ピルグリム・ファーザーズが上陸した所。

ジャドソンが、ビルマで大変困難な活動をしていることは、レポートによって米国内に知られていた。休暇で帰国すると、多数の教会が彼を招き説教、講演を依頼した。彼は、それを引き受けて、語った。キリスト・イエスの愛を。

彼の支援者たちは言った。「もっとビルマでの困難や、危険を話して下さい」。

「私にとって最大の発見・経験は、キリスト・イエスにおける神の愛です。これ以外のことを話すつもりはありません」。

パウロにとっても同じだったに違いありません。
自分が称賛されること、認められることも、かかわりのないことでした。キリストにおける神の愛が、それだけが大切でした。神に背く罪人を愛してくださり、独り子を犠牲にして、罪人の罪をお赦しくださる。この愛が伝えられることに引き換えられるものは、どこにも見つけられません。

 キリストを証するようになった人たちの動機は、パウロに対する愛でした。
同じことをしている他の人たちの動機は、自己拡張の自己愛だったようです。妬みです。
彼らを問題にしないパウロの動機は、神の愛を知ったことでした。何物にも換えがたいアガペーの愛です。これを顕してくださったキリスト・イエスに対する愛も働いています。
アガペーは、代償を求めず、与える無私の愛です。最もこれに近いのは、母の愛である、と言われます。

 子どもは、本能的に、直感的に本物を知ります。母の無償の愛を知ります。その中に代償を求めるような気配があると、抵抗します。ジャドソンが無神論になったことはそのひとつの顕われです。野心家になり見返してやろう、あるいは、非行に走り困らせてやる、と言う形が多いのです。キリストを通して神の愛を知る時、私たちは待った気合をもって愛することが出来るようになります。