2013年7月14日日曜日

エパフロディト

[聖書]フィリピ22530
[讃美歌]419、120,456、
[交読詩編]102:16~23、

219の頭に、「テモテとエパフロディトを送る」との小見出しがありました。前主日は、その前半、テモテに関して学びました。とりわけ「送る」ペンポーの意味について学ぶ所がありました。使命を与えられて送り出されることでした。本日は、その後半になります。

先ず、エパフロディト、その名の意味は何か? 「魅力ある」ということです。
彼は、パウロの友人であり、同労者。パウロが獄につながれていた時、フィリピ教会からの贈り物を持ってきたフィリピの信徒。

コロ1:174:12、ピレ23には似たような名前、エパフラスが出ています。これは、エパフロディトの短縮慣用形ですが、パウロ書簡中のふたりは、おそらく別人でしょう。
エパフラスは、コロサイ生まれ(コロサイ412)、おそらく異邦人。コロサイ教会を建てた人物(コロサイ17)、彼は更にコロサイの近くにあるラオデキアやヒエラポリスの教会の人々のために熱心に祈っていました(コロサイ413)。彼は、パウロと共に投獄されたこともあります(フィレモン23、コロサイ書とフィレモン書とは堅く結びついている。これがローマの入獄中に書かれたと見る伝統説と、エフェソの獄中で書かれたとの両説があるが、後者の可能性が高い。)・・・彼は元来パウロから教えを受けたのではないが、パウロを尊敬し、パウロの指導を受けつつ、パウロの伝道活動の一翼を担って、自分の故郷のリュコス河流域の諸都市の伝道に志し、そのために労苦した人物であろう。(木下順治)
 パウロは、エパフラスだけに重々しく「キリスト・イエスの僕」という句を入れて呼び(コロ412)、また「わたしたちと同じ僕」(17)とか「キリストの忠実な奉仕者」(17)と呼んでいるのは、パウロの信頼と尊敬とが並々ならぬことを示しているようです。

東京のある牧師の説教を短く引用しましょう。大変優れた説教者、牧師のようです。
「エパフロディトは、牢獄にいるパウロのために フィリピ教会から遣わされた人物です。 当時の牢獄は、割と自由に面会の人に会うことができ、食事の差し入れをすることができたようです」。

私たちは、パウロ自身も「獄中」と語るものですから、まるで彼が囚人であり、拘束されている、と考えてしまいます。事実は違います。彼は自由なローマ市民であり、自由の身として皇帝の法廷に訴え出た人です(言行録25章)。この告訴人は、自由を阻害されず、むしろ警護されるのがあの時代のローマ法だったようです。緩やかな行動規制・拘束はあったでしょう。基本は、囚人ではなく告訴人です。皇帝は、告訴人を被告訴人の暴力から守らねばなりません。パウロは、自分の借りた家に住み、多くの人と話すことも出来たのです。使徒言行録2830は、このように理解されるはずです。
「パウロは、自費で借りた家に丸二年間住んで、訪問する者はだれかれとなく歓迎し、全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた。」

エパフロディトは、ローマ到着後、大病にかかりました。それを聞いたフィリピの信徒たちは非常に心配したので、パウロは彼の健康が回復するのを待って、直ぐにフィリピに帰すことにしました。そのとき携えたのがフィリピの信徒への手紙、と考えられています。

塚本虎二は、次のように訳しています。
「しかし、(とりあえず今は)私と共に働き、共に戦い、また君達の使いとして私の窮乏を助けてくれた兄弟エパフロディトを君達の所に遺ることが必要だと考えた」。

「窮乏を補ひし」は「必要の奉仕者」でパウロに対する献金をエパフロディトに持参させたことを指します。「奉仕者」レイトウルゴス  は祭司の職を行う者を指す語であって、ピリピの信徒は、パウロの必要を満たすことによって神に仕えているのです。

エパフロディトは、フィリピの教会からパウロのもとへ送られた人、その目的は何か。
獄中のパウロ先生の日常を、フィリピの人たちに代わって助けること。これが彼の使命。
彼は、パウロを助けてよい働きをしたようです。ところが残念なことに病気になり、使命を終わりまで果たすことが出来ませんでした。これは、教会にとり、パウロにとり、そして彼にとっても大きな挫折。またエパフロディトにとっては、教会とパウロへの申し訳なさを強く感じさせられたことでした。
要するにエパフロディトは主キリストに対する熱愛より、主の使徒たるパウロに仕え、かつピリピ人の代理としてパウロに全心、全力を尽くして仕え、これによってピリピ人の不足分を充たそうとしました。この熱心のために彼は瀕死の病にかかります。
 
エパフロディトの病状に関しては、瀕死の重病とあります。生命が危険な状態になったようです。パウロを助けるために来た者が、助けられる者になってしまいました。これは、大きな挫折、心苦しくもなるでしょう。そうした経過で、彼は癒されました。

やがてやまい癒され、元気を回復したエパフラスの望郷の念。そして、そのエパフロディトを帰郷させようとするパウロの心が示されます。
 当時、(そして現代でも)生まれ故郷から一歩も出たことのない人が多くいます。遠く離れたところで病気になったらずいぶん心細いことでしょう。パウロは、そうした気持ちが、良くわかる人でした。パウロ自身、多くの弱さを身に持つ者であり、危機的な状況を経験してきたからです。苦しみ、悩み、悲しみ、そして病を知る人でした。

 それにしてもパウロは、何故急いでエパフロディトを急いで帰そうとするのでしょうか。
決して厄介払いをしようとするものではありません。
「直ぐに帰す」,此処ではペンパイ、ペンポーが用いられています。
テモテに関しては、19節「遣わす」、23節「送る」。まるで異なった二つの言葉だったように訳されましたが、もとは、同じ言葉でした。結論的になりますが、パウロは「使命を与えて派遣する」意味の強いアポストローを避けるかのようにペンポーを使っています。ごく普通の意味です。
エパフロディトに関して、口語訳は送り返す、黒崎、塚本は「遣る」、前田は「送る」と訳します。新共同訳の「帰す」では異なった意味を考えるでしょう。現象としては、間違いなく帰郷です。しかし、パウロがペンポーに持たせていた、アポステロー、「使命を与えて派遣する」意味が消えます。これは残念なことです。なぜなら、パウロは、単なる帰郷とは考えていなかったからです。

 エパフロディトは、死ぬほどの大病から回復しました。暗黒の淵から光へと帰ってきました。経験のある人はわかります。単なる帰還ではない。新人の誕生、再創造。
「ここからは、これまでとは違う生き方を考えなければならない。新しい命だから」。
199710月、脳動脈瘤の破裂によるくも膜下出血になり、開頭手術。
これは、今考えれば、エパフロディトを体験することだったのです。新しい生。

 フィリピ教会からの贈り物を持ってきたエパフロディト、フィリピの人たちの愛を身に帯び奉仕してきたエパフロディト、病のため挫折し、フィリピ教会とパウロに対し負い目を感じているエパフロディト。神はこのような彼を憐れんでくださいました。病が癒されました。病気になったエパフロディトによって、神の憐れみが顕されました。
フィリピの教会の人たちは、彼の病気を知り、心配しました。そのことを知ったエパフロディトは、かえつて申し訳なく思ったでしょう。回復しました。帰れます、帰りたい、帰れない、という状態になりました。
 故郷、郷里とは、自分が、本来的にいるべき所です。フィリピに行きたい、帰りたい、という想いには、切なる物があります。パウロは、この心情を理解しました。
 パウロは、エパフロディトを帰すのではなく、派遣する、と考えました。それがペンポーに表された心です。元に戻すのではありません。使命を受けて送られてきたエパフロディト。彼を逆にこちらから派遣する心です。その使命は、生きる喜びです。

「あなた方は再会を喜ぶでしょう」と訳された28節。
黒崎訳は、「再び会して喜ぶ」、会うことよりも再び喜ぶことに重点が置かれます。
パウロによる派遣は、喜びを内に抱き、喜びをもたらし、分かち合うことを使命とします。
人の考える使命は、さまざまな事情によって、挫折します。しかし、神はそれをも用いて神の使命へと変えてくださいます。挫折からの派遣

 パウロは締めくくります。
「彼のような人を敬いなさい」キリストの業のために命をかける人は、尊敬される値打ちがあります。しかもそのことを誇ろうともしない人です。