2013年8月11日日曜日

喜び、喜べ

[聖書]フィリピ427
[讃美歌]425、12、152
[交読詩編]128:1~6、

カイレテ エン キュリオー パントテ、パリン エロー カイレテ。
Rejoice in the Lord always ;and again say, Rejoice.AV
FarewellI wish you all joy in the lordI will say it againall joy be yoursNEB

あるとき、教会のことを雑誌に載せる、ということで写真撮影に来た。記者と助手、カメラマン。話をして、教会内を案内し、最後に牧師の写真、ということで教会の玄関前に立ち、カメラ目線で、と言われてポーズした。と言うよりごく自然な形が良かろうと考えて、造った。出来上がりを見た人から、自然な笑顔が大変良かった、と言われた。「いつもああいう顔をしていたら良いのに」とも。このときは何も問題がないから、屈託のない笑顔ができる。しかし普通は多くの問題を抱えています。プレッシャーを、ストレスを感じているのに、笑っていられるか、と感じたことを憶えています。

喜べ、という言葉に対しても同じことを感じます。パウロ先生の言葉だから、私たちは、恐れ入らなくてはならないのだろうか。へそ曲がりといわれるかもしれない。それでも矢張り、喜べる状況でもないのに喜ぶことは出来ない、と感じる。単純だな。

パウロは、牢の中にいて、自分は喜んでいるのだから、君たちも喜べる、喜べ、と言っている。だから、恐れ入りなさいよ、とどこからか声が聞こえる。
さてさて、パウロの喜びって、一体どんなものなのだろうか。

23節には、ふたりの女性に関するパウロの、一人の人への言葉が記される。
ふたりの女性は、ユウオデアとスントケ。ふたりの間にはいわゆる確執があるらしい。
中身は不明。婦人たちを支えるように求められている人が誰であるか、これまた不明。
この頃、パウロの教会の婦人達は、祈りや説教をすることもあったようです(1コリント1115)。とりわけフィリピの教会は、パウロが、祈りの場に行って、「集まっていた婦人たちに話しをした」使徒1613、ことが発端です。またパウロは、手紙の中で、実に多くの女性を覚えて、挨拶しています。

「真実な協力者」と訳された語は、どのように読まれ、理解されるのだろうか。
グネーシー スンズゲー、くびきを共にするものを意味する。
gnēsie suzuge は難解。諸種の解釈がある。(1)スンズゴスという人名と見る。(2)パウロ自身、(3)パウロの妻、(4)シラス、(5)テモテ、(6)エパフロデト、(7)バルナバ、(8)ルカ、(9)ルデヤ、(10)ピリピにおける有力な監督等種々あるが不明。「軛を共にする者」とは夫婦、仲間等の関係に用いることが多く、パウロはこの場合ピリピの信徒の中でも、特にパウロと共にこの事態を憂うる者に呼びかけたのであろう。

「支えてあげてください」ス(ン)ランバノー、スンは、共に、一緒に。ランバノーは、取る、捕まえる、取り上げる、受ける、招く、に会う。ここでは、「捕える」というような意味の語で、この二人を同志の中に取り込むような心持を示しています。

クレメンスは、パウロとフィリピ教会の間では、知られた人物。おそらくピリピの教師であろう、との考えもあります。あるいは、紀元1世紀にローマ教会の長老で、であろう、戸も言われます。その名が記された手紙が残されているので、この人であろうとする説。いずれも根拠が薄いので、結論としては、不明。

「命の書」云々はすでに死せる聖徒を指す(B1)か否かは、不明です。

4節からは、再び『喜び』の調子に戻ります。
もう一度、この「喜び」という単語についてお話しておきましょう。ギリシャ語のカイローです。辞書にはこのようにあります。①喜ぶ、大いに喜ぶ ②(挨拶用語として普通、命令形で)カイレー、カイレテ,ご機嫌よう、ようこそ、こんにちは、さようなら、(普通、喜びなさい、と訳される;フィリピ3144)。このことは、忘れていました。
NEBは、ここでさよならの意味を捉えています。調べることができた翻訳には、同じものはありません。
FarewellI wish you all joy in the lordI will say it againall joy be yours

『北星教育と現代』第1号(北星学園キリスト教センター刊行)を読みました。
北星余市高校,第三代校長 馬場達先生は開校20年を振り返って、次のように表現されました。その文章を塩見耕一現校長が、「北星余市のキリスト教」と題した一文に、余市高校20年記念誌より引用しています。孫引きで申しわけありません。
「キリスト教主義にもとづく北星余市の教師たちは、この子ども達と一緒に苦しみをともにしながら、伝統の自主、自立の旗を高く掲げ前進を続けてきたと言えよう。」
「生徒達の現実に体当たりしながらともに汗を流し、喜び合い、苦しい思いや苦しさを乗り越えてきた。」

北星余市の先生は、苦しみ、悩みがなくなったから喜んだのではありません。その只中で、一緒になって喜び合い、祈りあうことが出来たのです。どのように祈ったでしょうか。
『神様、苦しみがなくなることではなく、苦しみを乗り越える力を与えてください』と。
喜べる状態だから喜ぶ、これは当たり前のことです。苦しみの中で、なお喜ぶ。

「あなた方の広い心を」、「寛容を」moderation[AV]、エピエイケイア
寛容は、他人が自分に対する悪しき態度や、他人より受ける損害等に対して、これを忍耐して柔和なる態度をもって接することです。これはキリストの再臨の近いことを知り、その際に受けることになる栄光を思う時、容易にこれを実行することができるでしょう。そうしてこれを、一般の人に示すことは、キリスト者の務めとされます。私には難しい。
クリスチャンに良く見られるのは、自分の失敗などは棚上げして、他の人の欠陥をあげつらうことです。有能であり、正義の側に立っていると確信しているため、そのことを証明、立証しようとします。江戸っ子は淡白、お人好し、お節介、自分のことより他人様の面倒を見る。
自分の側の非を認め、他者の立場を重んじることを先行させようではありませんか。
浄土真宗、親鸞の教えの一つは、自立他尊です。

「主は近い」、此処には、二つの解釈があります。一つは、主は直ぐ隣にいて、直ぐに助けの手を伸ばしてくださる、と言う意味です。私たちを安心させてくれる考え方です。
もう一つは、「主の日が近い」、終わりの裁きのときは、時々刻々近づいている、という考えです。Ⅰコリ1622の「マラン・アタ」はそのアラム語です。日常的に、口にされていた、と考えられます。多分、世間からの迫害等、苦痛に遭う時「今一息だ」というような心持で「主は近い」と言い合ったのでしょう。寛容の徳も、この信仰により可能となります。当時の信徒間の合言葉にとなっていたかも知れません。

「思い煩うな」、これは自分たちの幸福について臆病と疑いで一杯の、思い煩いの心に対して適用されるのであって、他人の状況には全く無関心で、自分だけぬくぬくと毛布に包まっていてよいという保証ではない。・・・配慮しないことを是認する聖句ではありません。
「思い煩いは心が神から離れて自己に、または物に向った時に起ってくる心である」(マタ6:2534)。
パウロ自身は、Ⅱコリント1128で「日々私に迫る厄介ごと、あらゆる教会についての心配事を抱えている」と語ります。当然のことでしょう。自分で処理すべきことを「神様よろしくお願いします」、と言って重荷を降ろす人もいる。自分で処理、解決できたら、有り難味もないし、信仰が不要になってしまう、と言う人もいます。そんな先のことを煩う必要はありません。いくらでも問題は出てきます。解決不能という事態もやってきます。
パウロは、テモテをフィリピへ送ろうとしています。これは、心配していないからではなく、真剣に心配しているからこその決断です。送ってからも心配し続けるでしょう。
主が助けようとして、すぐ近く、限りない近くで待っていてくださるから、自分の思い煩いを棄てることが出来ます。主は、棄てて良いのだよ、と優しく語り掛けてくださいます。

教会に与えられる平和は、教会の内側に根拠を持つものではありません。そこには不和と対立があります。教会の外にもありません。そこには反対と攻撃があります。教会の平和は、ただ神にその根拠を持ちます。この神の平和が、私たちの心と考えを守ります。
教会も主イエスを信頼して、思い煩いを棄て、歩むことが許されています。

そこで教えられる歩み方が、1テサロニケ51618と同じことです。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなた方に望んでおられることです。」
神は、私たちの見張り番となってくださるでしょう。