2014年11月16日日曜日

悔い改めなければ

[聖書]ルカ1319
[讃美歌]490,11,483,77、
[交読詩編]77:2~21、

 

3月以来の千歳空港でした。帰りの羽田も同様でしたが大変な混雑振りでした。空港会社、航空会社、関連の諸企業は笑いが止まらないことでしょう。

田浦教会は、札幌教会や厚別同様、メソジスト教会でした。横須賀基督教社会館の活動から生まれた教会。阿部志郎館長も会員で、ご出席でした。現在は無牧、四月には、同じ教区内の教会の副牧師を迎えるようです。

初めての経験もありました。献児式です。式文試用版が、新しく採用しました。私には孫になりますが、吉住家の三人の子ども達のために、執り行いました。私的なことのようですが、教会の大事な使命の確認になるかもしれない、と考えお引き受けしました。式の前に、次のように話しました。(『献児式に関する覚書』参照)

 現代の教会では、幼児洗礼に対する批判が強い。主体的、知的理解に立った告白でなければ意味がない。それは理解するが、息を引き取ろうとする者、知的理解力に問題がある者、などは救いからはずされるのか。幼児洗礼の起源は、何処にも書かれていない。未知のことなので、推測してみる。迫害の時代、殉教しようとする信徒が、自分たちの子どもの養育を教会に依頼し、教会はその責任を担うことを決意し、それを幼児洗礼に表したのではないか。献児式は、そうした事情を語らないが、示している。

今でも事情は同じだ。戦争、事故、病気、等々、生命の危機は大きい。これは教会の責務だ。

 

礼拝後、感動しました、と言われました。お礼状もいただきました。

「献児式では、教会員としての責任を痛感いたしました。神に愛され、神の家族に見守ら

れ、立派に成長されるように祈ってまいります。」

 

久しぶりの経験もありました。聖餐式のニーリングです。年齢と共にひざが弱り、曲げることができなくなります。椅子が用意され、着座して聖餐に与る方もありました。

翌日は、三笠公園にある記念艦三笠を見学しました。ご存知のように、日本海海戦のとき、連合艦隊旗艦として、東郷司令長官が座乗した歴史的戦艦です。日本人よりも諸外国の海軍軍人、海事関係者の間で人気が高く、評価されています。

 

その後は、隣にある横須賀学院に旧知の院長先生を訪ね、お昼をご馳走になり、歓談。羽田に向かいました。横須賀学院は、戦後創立されました。アメリカ海軍基地司令官の要請と青山学院の決断、鎌倉雪ノ下教会牧師初めとする三浦半島の教会の協力によります。

院長は、学院は地元の教会に支えられることを大事に考えている、と話しました。

前日の礼拝で司式者は、代務者と学院をお守りください、と祈りました。

大変良い関係が、出来上がっている様子に嬉しくなりました。

 

横須賀学院の概要  太平洋戦争後、横須賀は大変な混乱でした。司令官デッカー大佐は、キリスト教教育による平和を作り出すことを考え、地元の教会とキリスト教学校に相談。旧海軍工機学校(海軍機関学校)跡地に、古坂嵓城・松尾造酒蔵らが横須賀におけるミッション・スクールとして法人設立。当初は学校法人青山学院横須賀分校として設立、その後横須賀学院として名称を変更するが教育提携は学校法人青山学院である。青山学院大学への推薦入学者も多い。小・中・高の一貫教育、高校への外部入学あり。音楽・英語・武道に実績あり。男女共学、『敬神愛人』を建学の精神とする。

 

お天気は、暑かったの一言。スーツを着ているだけで汗が出てきます。10月末まで夏日があったそうです。帰って来ると、多くの人は、コートにマフラー、手袋。私も、新札幌で車両から出るときはコートを着ていました。

 

さて、ルカ1319は、二つの部分に分かれていますが、どちらもルカ福音書独自の記事となります。一読するだけでは、無関係な話が二つ続いている、と感じるかもしれません。それでも、しっかり結びついていることを確認したい、と願います。

 

最初のエピソードは、残酷な出来事の報告で始まります。イエス様は、この出来事をご存じなかったのかもしれません。少なくとも、これを知らせた人たちは、そう考えたようです。実際の出来事がどのようなことか、どのような意味を持つかは判りません。書かれていることからは、総督ピラトが例によって気紛れで残虐な性格を発揮した、と言うことがわかります。ガリラヤの人たちを殺し、彼らが捧げた生贄の血と混ぜた、神殿に対する冒涜でもあります。

これを知らせた人たちは、このような災難に遭った人たちは、他の人たちよりも罪深い、と考え、イエスの見解を聞こうとしていました。彼らの考えの底には、この犠牲者達は、エルサレムの人間よりも罪深かったのだ、という考えがありました。ユダヤ人一般の考え、信仰に、「罪なき義人は健康で繁栄し、罪深い者は病気で窮乏する」というものがありました。それを主イエスは否定されます。

エルサレム城中に、有名なシロアムの池があります。その塔が倒れて18人が亡くなりました。これも同様に考える人が多かったのでしょう。彼らは罪深いから、自業自得。

ヨハネ9章には、生まれながらに眼が見えない人の癒しが描かれます。人々は、この視力障害は、誰の罪によるのでしょうか、と質問します。主イエスは、誰の罪でもない。「神の業がこの人に現れるためである。」と言われて、目が見えるようにしてあげます。

 

知らせた人たちは、自分はガリラヤ人や、シロアムの人たちとは違う、自分たちは大丈夫だ、と考えていたことでしょう。悔い改める、メタノオー、方向転換することです。どの程度転換すれば悔い改めになるかは判りません。180度の転換が期待される、と言う人もあります。過去に属するすべてを否定すると、根無し草になってしまいます。

それ程に方向転換が求められているのでしょうか。確かにそうでしょう。

「罪を激しく憎むほどでなくては、罪から離れることは出来ない」と聞きました。

 

イチジクの木の譬では、実がならない状態と、実を付けるようになることの間に、悔い改めと同様の方向転換を見ることが出来ます。結実しない木が、結実するように変化します。実を結ばなくても生きることは出来ます。自己完結的に、自己中心に生きることは出来ます。自己満足も出来るでしょう。然し、実をつけて周囲の人を、そして神を喜ばせる生き方も出来ます。大きな悔い改め、方向転換です。その次の年がどうなるかは問題にされません。来年だけです。継続するかどうか、誰にわかるでしょう。その命は、来年限りかもしれません。問題は「今」です。  

Ⅱコリント62でパウロが語ります。「今や、恵みの時、今こそ、救いの日。」

口語は少し違います。「見よ、今は恵みの時、見よ、今は救いの日である。」

原文ではイドゥーがあります。これは間投詞化(さあ、ごらん、ほれ)しているが、『見よ』と言う命令法の要素が残っていて、純粋に命令の形で用いられることがあります。

新訳は、この語を不必要なものと考えたようです。文章を書く人は、たった一つの言葉にも意味をもたせます。不必要なものなどありません。書いた人の気持ちを考えるべきです。

 

しっかりと、今の時を見極めることです。神は、より多くの人が悔い改めることができるように、主の日の到来を遅くしておられるのです。

恵みを感謝して、今の時のうちに、悔い改めようではありませんか。