2014年11月23日日曜日

安息日にいやす

[聖書]ルカ131017
[讃美歌]490,17,474、
[交読詩編]18:47~51、

私の母教会では、待降節に入る前の主日は『終末主日』、と呼ばれていました。

待降節・アドベントから教会暦の一年が始まります。それが来週に迫りました。

わたしたちの信仰は、聖書にその起源を持ちます。その聖書は、全てのことには初めがあり、はじめがあれば終わりがあることを示します。この世界は、初めから終わりに向かって直線的に進んで行きます。

特別に、終わりの時を覚えて礼拝を捧げよう、と考えるのが『終末主日』です。教会は、世俗とは別の、独自のカレンダーを持って、時の流れにメリハリをつけ、信仰生活に必要な事柄を学び、考え、伝えて行こう、と考えたようです。

 

厚別教会は、創立50周年記念礼拝、感謝会をひと月ほど前に守りました。その短い歴史のうち22年間、半分近い時を、この教会の牧師、幼稚園の園長、宗教主任としてお働きくださったのは、荒木勇先生でした。金曜日未明、天に帰られました。私より45歳年長の先輩。御遺族からは、土曜日10時から大谷地ベルコで葬儀。ただし、近親者だけで行いたいので、参列は辞退する、と教区に連絡があったようです。それを聞いて私も自粛、といったん決めましたが、朝になって行くことにしました。学校の後輩が一人でもお見送りした、と言えるように。

終末主日の前に、医師の見立てでは、もっと早い時期だったようですが、苦しかったでしょうが、頑張って生き続けました。ぎりぎりまで生きた。私たちに終末があることを知らせようとされたのです。

終末は、この地球が崩壊することではありません。この私が、神のみ前に進み出て、裁きを受けることです。

 

『イエスの時代』と題された書物があります。ドイツ人の神学者コンツェルマンなどが、ラジオで放送したものを一冊の書物に編集したもの。1966年原書出版。その第9章はエドウアルト・ローゼが書いた「神殿と会堂」に宛てられています。その起源を探り、現代の様子に及びます。

会堂は、証拠はないが、ディアスポラ(前587年、バビロン捕囚)のユダヤ人たちが、神の言葉と戒めを聞ける場所を設けたのが最初であろう。その後各地に広まっていった。イエスの時代には、ユダヤ人が住んでいる所には会堂がある、という状態であった。

「其処でユダヤ人共同体は礼拝をなし、律法を研究し、子ども達を教えた。」そればかりではありません。帝国内では、国家の保護を得ていました。集会の自由の権利を行使できました。「財産を所有し、貧民に施与をなし、財政を自主管理し、固有の墓地を設け、固有の裁判さえ行うことができた。」146p

会堂長(会堂司)は、一人の会堂役人の補佐を受け、幹部会(通例3人)を指導して、神の礼拝を秩序よく遂行することに務めた。

礼拝を始めるには、少なくとも男性10人の出席を必要とした。

礼拝の式次第は、現代に到るまで、その根本的な特長に変わりはない。二部構成。

 

最初の部分は、唯一神に対するイスラエルの信仰告白によって始まる。有名なシェマー・イスラエール、「聞け、イスラエルよ。われらの神、主は唯一の神なり」(申命64)。

それに続いて十八祈願。これは先唱者が唱える言葉に会衆が「アーメン」即ち「その通りです」と答える。最後になる前に祝福(民数62426)があるが、このとき祭司がいれば祭司が、いなければ会衆の一人が神に向けた祈願の形で祝福を口にする。その後頌詞。

「汝の平和をその民イスラエルの上にたれたまえ、且つわれら一同を祝福したまえ。汝の讃えられんことを、平和を創りたもう主よ! アーメン」。これが18番祈願。

 こうして礼拝は第二部にはいる。具体的な、教える部分である。

聖書の律法つまりモーセ五書と預言書から読まれる。会衆の中に、この言葉の解釈をすることができる者がいる時は、説教が行われる。ルカ41621は、ナザレの会堂での礼拝の様子を描いている。安息日、会堂でイエスは朗読しようとして立ち上がる。会堂の役人は、預言者イザヤの巻物を差し出した。イエスは61章の最初の部分を読み、そして話された。驚くことにたった一言。『この聖句は、あなた方が耳にしたこの日に成就した。』

 

 ユダヤ人が、ローマ帝国内で享受した諸権利は、ユダヤ戦争の後もそのままであった。

従って人々は、神を讃美し聖書を学ぶために、引き続き集結し、宗教の違う世界の只中でもユダヤ人として生きることが出来た。

 

 イエスの頃の会堂の魅力は大きかった。神の肖像もなく、供物をささげる事もない簡素な礼拝は、多くの者に深い印象を与えた。 

多くの非ユダヤ人にとっては、会堂でのユダヤ人の集会は、まるで聖書を研究するために古の賢者達の例に倣って集う、哲学的教養人の世界のように思われた。

 

 現代の日本社会では文字を読み、書き、考え、それを他人に話すのは当然のこととなっている。良いことだと考えるが、これが要求となり、価値判断の基準となるようでは、悪いことになる。自分ができることを他の人にも要求する、人生いろいろ、生き方様々。

古代世界では、識字率はとても低いものだった。

 

徳川時代の国民識字率は、7080%にも達していました。もちろんこれは世界一の識字率であり、日本人は高い教養を誇っていたのです。これは寺子屋の数、寺子屋へ入塾した人数の記録或いは推計をもとにした数字。絶対なものではないし、正確さは求むべくもありません。ただ、幕末期、來日した外国人が、誰でも文字を読み書きすることが出来る、と驚いています。識字率は、国民の教養、民主化度などを測る尺度の一つ、とされます。

18世紀の識字率は、ロンドンが20%程度、パリが10%未満でした。日本はダントツです。

 

William V. Harrisは、紀元1世紀のローマにおいて、識字率が10%を超えていたことはありそうにないとしている4。またRohrboughは社会科学的な見地から、マルコ福音書が成立した農耕社会では、識字率は2-4%であったと見積もっている。

 

イスラエルでは、聖書を読めないのは罪である、との考えから、非常に高い識字率であった、と言われる。読むよりも記憶することが大切であり、読むことは暗誦能力を妨げる、とも言われる。印刷・出版・購買の技術的問題を考えるなら、個人が聖書を所有することは考え難い。読むより暗誦を重んじたという説を支持したい。また聖書自体が暗誦のための工夫を施していることも考慮されたい。アルファベット歌など。

こうした状況の中で、イエスは会堂に入り、いつものようにモーセ五書や預言書を朗読されます。ユダヤ人イエスは、決して会堂・シナゴーグに反対するようなことはなかったのです。また、イエスの弟子達もかなり後まで、会堂に出入りしていたことが知られています。

おそらく、そこで朗読された聖書に関して教えられたことでしょう。何処を読まれたか、知りたいですね。でもルカはそうした関心を切り捨てています。ここでの出来事に急ぎます。やはり、福音書です。福音の出来事に集中しようとしています。

私たちもそうしましょう。

 

 どこの会堂でも、律法について厳しく教えていました。当時、教育は家庭と会堂、二つの場が中心でした。家庭では、日常生活のしつけの形で行われます。安息日に関しても。病気のいやしを求める者たちがやってきますが、彼らには、癒しのためには、安息日以外の日々がある。その時に来なさい、と。それでも突然のことで、来なくてはならない事情もあったでしょう。

 ここに展開されたことは全く違います。意外なことでした。

この会堂に一人の女性がいました。どのような事情でここにいたのかは分かりません。婦人の席の大勢の一人です。きっと片隅にいたでしょう。その故に目に付くこともあります。イエスは、この人に眼を留められました。そして呼び寄せられます。どうして、この人の状態や求めに気付かれたか、何も語られません。椅子に掛けていても、その姿勢から分かることもあるでしょう。なんら、会話がないのにイエスは、事情に通じておられます。

会話とか、誰かほかの人が事情を説明したことが省略された可能性はあります。

この婦人は、18年間も腰が曲がったまま、伸ばすことができないのです。

ルカは、病の霊に取り付かれている、と記します。痛みもあったのでしょうか。病と書くのは、この人が病気の苦しみを感じているからです。病の故に、一般の女性の中からも除外されました。この苦しみもあります。

 

 ある教会の会計役員をしている年輩のご婦人、長年にわたって腰がくの字に曲がっていました。それでも買い物籠を片手に、杖は持たずに、一人で何処へでも出かけられました。血色もよく、話し方もしっかりしています。病気とは考えていないようです。御主人と末娘さんと御一緒の生活です。教会の皆さんからも頼られていました。

 

 イエスは、18年間、腰が曲がる病のため苦しんできた婦人を、その苦しみから解放してあげます。病の霊の束縛を解き放ち、自由にしてあげました。

この出来事には特徴があります。これまで、いやしの出来事を読むことがありました。ここでは、この女性は何も求めていません。いやしを求める声もあげず、何らかの仕草もしてはいません。またイエスの側で、この人の信仰を問うようなこともありません。

 

 会堂長は、イエスが癒しをなさったことを怒ります。そして直接ではなく、会衆に向かって、六日の内に来るが良い、といつもの教えを繰り返します。勿論イエスに対する言葉です。イエスは、会堂長に言われます。「偽善者よ」。ヒュポクリテース、仮面劇の俳優、演技、

そして、ここでは取り上げられていない別の教えを語ります。安息日に関する細則のようです。安息日に許されていること、許されないことを具体的に定めています。

安息日であっても、牛やロバを飼い葉桶から解いて、水を飲ませに連れて行く。牛やロバはその縄目を解かれる。この女は、自由な者、アブラハムの娘として生まれたわれわれの同胞、同族の者なのに18年間もサタンの縄目に苦しんでいたのだ。その縄目を安息日であっても解いてやるべきではないか。会堂長こそ慣わしに縛られています。

現代のアラブ人、イスラム教徒もアブラハムの娘。何故戦争をするのか。

 

 人々は、様々なものに縛られ、拘束されています。ユダヤ人は、モーセの十戒やレビ記、申命記の律法。更に、後の時代の学者達が造った細かい掟に縛られていました。

パウロは、ガラテヤ4910でこうした縛りについて語っています。

「しかし、今では神を知っているのに、否、むしろ神に知られているのに、どうして、あの無力で貧弱な、もろもろの霊力に逆もどりして、またもや、新たにその奴隷になろうとするのか。あなたがたは、日や月や季節や年などを守っている。」

主は、私たちを、創造の時の自由の民へと返してくださいました。私たちを押さえつける悪の霊、それは病気であり、悪い慣わしです。それらを追い払い、自由にしてくださいました。愛と正義、自由と公平な世界へと向かいましょう。