[聖書]ルカ24:1~12、
[讃美歌]433、151,309、[交読詩編]22:2~22
ふっかつ、復活 Resurrection 死んだイエスが甦(よみがえ)ったという主張で,キリスト教の使信の中核をなす考え方。もっとも、死人が再び甦る、という思想はキリスト教に限られているわけではなく,仏教においてもみられるし,さらに新約聖書においても,イエスに限らず何人かの甦りについて語られています。
マルコによる福音書5:21以下,会堂長ヤイロの娘。
6:14,ヘロデはこれを聞いて、「私が首をはねたあのヨハネが、生き返ったのだ。」
マタイによる福音書27:52、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。
ルカによる福音書7:11以下,ナインのやもめの息子。
ヨハネによる福音書11:17以下,ベタニア村のマリアとマルタの兄弟ラザロ。
辞書は、復活 について次のように説明しています。
生きかえること。よみがえること。蘇生。
衰えたもの・廃止したものを再び用い,盛んにすること。 「対抗試合を-する」
ユダヤ教・キリスト教で,一度死んだ者が再びよみがえるという信仰。特に,キリスト教で,イエス-キリストの復活をいい,教理の核心をなす。
新約聖書のギリシャ語では、アニステーミ(アナ+ヒステーミ)で、おこす、起き上がらせる、立たせる、立てる、甦らせる(死者の中から起き上がらせる)、甦る、復活する。
類語 エゲイローは元来眠りより覚ますこと、アニステーミは倒れて(横たわって)いるものを起こして立たす。
アナは、「上へ」が基本的意味。の真中に、の間に、
ロシアのロマノフ王朝最後の皇帝一家には、アナスターシャと呼ばれる皇女がおられたそ
うです。ハリウッド映画では、主人公になっていたそうです。
さて、ルカ24章は、最初の復活主日の出来事を語っています。見えてくるのは、空っぽ
の墓、ということです。それを見たのは婦人たちでした。ここには、その名前さえあり
ません。彼女達の名前は、ようやく10節に現れます。
空虚な墓は、死体がそこにない、ということを意味しているだけなのです。
復活された方は十字架につけられて葬られたイエスなのだ、という実に重要なポイントを
支える働きをしています。
墓を訪れた婦人たちは、意外な状況に驚き、戸惑いました。その中で、イエスの言葉を
思い出し、仲間の使徒たちに知らせようと、急いで帰ります。
彼女達は、甦られた主イエスとは出会っていません。ただ空っぽの墓とそこに現れた二人
の若者のこと、復活なさった、と告げられたことを知らせなければ、と考えました。
未曾有の出来事を知らされた使徒たちは、それを信じませんでした。当然のことですが、信じることが出来なかったのです。彼らは、大事な先生が亡くなられた。その体(ギリシャ語のソーマ、英語のボディが使われています)が無くなった、そこまでは認めることが出来ます。経験上ありうることです。甦らされた、これは常識と違います。
大部分の者たちは、そんな馬鹿なことがあるものか、と感じ、座り込んだままでした。
然し弟子たちの中でペトロだけは違いました。
何故か、ここでペトロにスポットライト・照明が当てられています。
ペトロは、12人の者たちの代表格。
それ以前は、ガリラヤ湖の漁師。自前の漁船を持ち、働き手を雇っていたようです。
イエスに従うようになってから大きな失敗がありました。悪意ではなく、善意から先生を諌めようとするものです。
落ち込み、沈んでしまい、とても立ち上がれなさそうなこともしています(22:31以下)。
主を裏切った絶望感の中で、あの主のみ言葉を思い出し、すがり付いていました。
大祭司の中庭で、ペトロを見つめた主イエスの眼差しを思い返していました。
その後、外へ出て、激しく泣いた自分自身を思い出していました。
ルカ22:31シモン、シモン、見よ、サタンはあなたがたを麦のようにふるいにかけるこ
とを願って許された。
22:32しかし、わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈っ
た。それで、あなたが立ち直ったときには、兄弟たちを力づけてやりなさい」。
22:33シモンが言った、「主よ、わたしは獄にでも、また死に至るまでも、あなたと
ご一緒に行く覚悟です」。
22:34するとイエスが言われた、「ペテロよ、あなたに言っておく。きょう、鶏が鳴
くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」。22:54以下
大事な12節を、塚本訳は削除しています。前田訳はカッコ内に入れています。
英訳でも、RSV(1971年版)や NEBその他で、注の部分に入れられています。
恐らくD写本がこれを欠いているためでしょう。ベザ写本と呼ばれ、6世紀のものです。西欧型本文の代表格で、自由な編集が特徴。より古い3世紀のP75,2世紀のP77或いはシナイ、アレキサンドリア、バチカンなどの大文字写本(4~6世紀)は、これを本文の中
に保持しています。
削除する理由は、これをヨハネ20:3からの借用、と考えたもののようです。
「ペトロともう一人の弟子は、外へ出て墓へ行った。」
もう一人の弟子は年若いヨハネと考えられています。
同じ記述であってもルカ福音書の調和を乱すものでもなく、このままで良いでしょう。
イエスの甦りは、沈み込んでいたペトロを、立ち上がらせました。
絶望の中で死んだようなペトロを、生き返らせました。自分の悲しみに打たれてい
たペトロを、他の人々を励ますことのできる者に変えました。隠したい自分の失敗
を、大胆に語る者に変えられました。
甦りは、望みを失った者に希望を回復させます。
神は、イエスを死の中より甦らせ、全ての人に死に打ち勝つ、慰めと希望をお与えになりました。感謝して祈りましょう。