[聖書]マタイ28:16~20、
[讃美歌]575,457,402,77、
[交読詩編]105:12~24、
[日課]エゼキエル43:1~7a、使徒1:12~26、
5月14日(木)は、昇天日または昇天祭とされます。これはキリストに起源を持つ教会暦
の一日です。
キリストの昇天の祝日はキリスト教の典礼暦の中でもっとも大きな祝いの一つであり、教
派を超えて広範に祝われている。日本語表記は教派によって異なりますが、「主の昇天」
や「昇天祭」などと呼ばれています。 この日は復活祭に連動して動くため、西方教会の
場合早くて4月30日、遅くて6月3日になります。本来、昇天は復活祭から40日後(復活祭
の日を第1日と数えるため、実際には39日後。正確な表現では、復活祭から数えて6回目の
日曜日後の木曜日)のことで木曜日にあたりますが、西方教会では、平日に教会に集まり
にくい信徒の事情を考慮してその次の日曜日に祝われる地域や教派・教会もあります。
カトリック教会ではイエスの他に聖母マリアが、死後直ちに天にあげられたという信仰が
有り、これを聖母被昇天
聖母無原罪被昇天の教義』という名称にまとめられ、ローマ・カソリック教会ヴァチカン
によって認められました。勿論プロテスタント教会は与り知らぬことです。
大西洋にあるイギリス領のアセンション島は、昇天の祝日にヨーロッパ人に発見されたた
め、「昇天」を意味する名前がつけられました。パラグアイの首都アスンシオンは聖母の
被昇天の祭日である8月15日に開かれたため、スペイン語で被昇天を意味する名?がつけ
られているので、イエスの昇天とは無関係である。いや、パラグアイの首都の名称(「ア
スンシオン」)はキリスト昇天に由来する、とも言われます。
使徒言行録1:3は、次のように記します。
「イエスは苦難を受けた後、ご自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たち
に示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。」
そして宣教命令をお与えになり、9節、
「こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天にあげられたが、雲に覆われて彼
らの目から見えなくなった。」
主イエスは、墓に葬られた後、三日目の朝早く甦られました。主の日の礼拝は、このこと
を記憶し、神を賛美するものです。
主はその後、40日にわたって地上で多くの人々に自らを現し、神の国について話され、食
事を共にされ、宣教命令を与えられました。
この宣教命令は、マタイ28章末尾にもあるものです。
『マタイによる福音書』は、ガリラヤの山でイエスが弟子たちに世界へ福音を伝えるよう
命じて終わっており、昇天に関する記事は見られません。マルコ、ルカ、使徒言行録以外
では聖書に昇天に関する言及はない、ということになります。
ルカ福音では決してイエスが復活後すぐに天に挙げられたと言っている訳ではないことが
わかります。また聖書学的には、マルコ福音書の本来の末尾は16:8であり、それ以降の
部分は後代の付加であろう、という説が有力になっていることにも留意していま。
イエスはそこで昇天し、雲の間に消えました。そこへ白衣を着た二人の男が現れて、イエ
スがやがて同じように再臨する、と告げました。
教会暦に従う礼拝説教に、まず求められることは、主日毎の四つのペリコーを調べ、そこ
に共通するメッセージを読み取ることだ、と感じています。これはかなり厳しいことです
。
落語の世界には、三題噺と呼ばれるものがあります。随意に御題を三つ頂戴して、一つの
話しに造り上げる、というお遊びの勝った話芸です。力量を要求されるようです。
主日のペリコーぺにしても同じかな、と感じます。一つ一つが、一つの説教を導き出すの
に充分なものです。幾つもの説教を書いているような感じに捉えられるのは当然でしょう
。
さて、使徒言行録は、昇天の具体的な事象を描いていません。キリストのみ姿は、雲の中
に消えてしまいます。私は、これを読んで、日本画の龍の図を思い出します。
1
手元に《ボストン美術館・・・日本美術の至宝》と題された美術展のパンフレットがあり
ます。2012年3月~6月10日、東京国立博物館。東北大震災の一年後、当教会就任の一年後
、ここから観に行っていました。詳細は省きますが、この中に二種の龍の図があります。
長谷川等伯1606年慶長11『龍虎図屏風』、これはポスターにも使われ、呼び物になってい
ました。そして曽我蕭白1763年宝暦13『雲龍図』。どちらも美術館の収蔵品の中でも誇り
とする逸品です。変幻自在な龍を描いて、息を飲ませるものがあります。そしてどちらも
龍の大きさは解らない様に描き、観る者の想像力を掻き立て、その力に委ねています。
イエスは昇天され、雲に包まれ、見えなくなりました。なんと龍に似ていることか。具体
的に描かれていないから、私達の想像力が掻き立てられ、多くのことを考えるように招か
れているのです。考えることが許されています。「最も具象的なものはもっとも抽象的で
あり、最も抽象的なものはもっとも具象的である」と聞いたことがあります。
私たちも聖書に即して、考えましょう。
昇って行かれた天とは、どのような所でしょうか。
新約的に考えれば、そこは勝利と支配、統治のところ。黙示22:1、命の水の川。
旧約的には、エゼキエルが告げるように、主の栄光が輝くところ、豊かな川が流れ出ると
ころ、すべての水の源となる。この日本の国では、水源はいくらでもある。一本二本枯れ
ても少しも差し障りはない。ところが中近東では如何だろうか。砂漠の国、荒地の国では
、一つのオアシスが地図に記載され、多くの民が、それを頼りに旅をする。何十年、数百
年。
同じところから水を得ることが出来る。他のところではない。恵の源だ。
この水によって人は生きることが出来る。力を獲得する。
キリストが昇られたのは、そういうところ、そこから力を注ぎ、人を生かし、証し人にな
さるためでした。
殆ど半世紀前、神学校の礼拝堂で説教演習の授業がありました。学長が担当、指導します
。
学生の一人ひとりは、自分に割り当てられた主題、聖句に基づいて説教を造り、みんなの
前で語ります。終わると同級生達の批判や賞賛にさらされます。ある時、5月だと考えら
れます、台湾から来ている留学生が担当しました。徐謙信先生。戦前、お若い日に日本新
学校を卒業しておられる。高崎学長とはその当時、同級生だった方。主題は、『昇天日の
説教』。
福音的な格調高い立派な説教だったことを覚えています。それまで、昇天日説教は記憶に
なかっただけに、非常に感動したものです。学長も高く評価されました。
徐先生は、カルヴァンの綱要初版を巡る諸問題を研究され、修論を書かれました。
『カルヴィン基督教綱要初版の律法論―特にその問題と内容とについてー』 1967年
先生は、いろいろなことを教えてくださいました。とりわけ大きなことは、四寮の洗面所
で、昼休みに交わした立ち話です。多くの学生は、ICUの食堂へ行っていますが、そのと
き、私たち二人は自室で軽食を済ませたのでしょう。先生は言われました。
「もちださん、僕のおじさんは台湾の牧師だったよ。でもね、戦時中特高に連れて行かれ
たまま、帰ってこなかったよ。とても悲しいね。苦しんだよ。でもね、僕達は、もう赦し
たよ。将介石総統はクリスチャンで、日本の罪を赦そうじゃないか、と話した。僕達は、
信仰にかけて赦したよ。」
天に昇らされた主イエスは、このような証し人を生み出し、支え、生かす力となられまし
た。多くの証人は、自分では知らずに、大きな働きをなしています。
「証人は証しすべき事柄がある場合にのみ意味がある」。竹森満佐一
信仰は、私たちの人生を意味のあるものにして行きます。