2015年5月10日日曜日

信仰に酬いる主

[聖書]Ⅱテサロニケ315旧約・ダニエル61023、福音書・ルカ7110
[讃美歌]575,11,461、
[交読詩編]34:2~11、

今日、510日は母の日です。これを教会暦と間違われる方もあります。
元日に始まり似たものがいくつかありますが、これらは教会行事と呼びます。
教団出版局は、牧会手帳を出しています。教団の教師が使うため、と考えています。それなら無料で支給したらいいのに、と思いますが、使いたい者は購入するようになっています。神学校卒業以来、使い続けています。初めの数年分は見つかりませんが、1976年以来、40冊ほどが机の引き出しに溜まっています。長女が生まれ、名を付けた時のことが、書いてありました。

手帳の最初のほうに、教会暦・行事、という一ページがあります。二種が分類されています。牧師が使うものなら、その程度のことはよく知られていて、書くほどのことはないだろうに、と感じます。意外と意外、牧師でも解っていないのかも知れません。この二つに関しては、共通の理解をもつことが大事である、と考えたのでしょう。

教会暦は、待降節に始まり、降誕、受難、復活、聖霊降臨など主イエスのご生涯に関わる日々を数えあげます。これは、キリストの諸教会に共通です。
それに対し教会行事は、キリストのご生涯に起源を持たず、教会が信仰生活上有益であることを認めたものです。母の日は、アメリカの教会に起源があります。
母の日(ははのひ)は、日頃の母の苦労を労り、母への感謝を表す日。日本やアメリカでは5月の第2日曜日に祝うが、その起源は世界中で様々であり日付も異なる。例えばスペインでは5月第1日曜日、北欧スウェーデンでは5月の最後の日曜日に当たる。

アメリカ
アメリカでは南北戦争終結直後の1870年、女性参政権運動家ジュリア・ウォード・ハウが、夫や子どもを戦場に送るのを今後絶対に拒否しようと立ち上がり「母の日宣言」(Mother's Day Proclamation)を発した。ハウの「母の日」は、南北戦争中にウェストバージニア州で、「母の仕事の日」(Mother's Work Days)と称して、敵味方問わず負傷兵の衛生状態を改善するために地域の女性を結束させたアン・ジャービスの活動にヒントを得たものだが、結局普及することはなかった。

ジャービスの死後2年経った1907512日、その娘のアンナは、亡き母親を偲び、母が日曜学校の教師をしていた教会で記念会をもち、白いカーネーションを贈った。これが日本やアメリカでの母の日の起源とされる。

アンナの母への想いに感動した人々は、母をおぼえる日の大切さを認識し、1908510日に同教会に470人の生徒と母親達が集まり最初の「母の日」を祝った。アンナは参加者全員に、母親が好きであった白いカーネーションを手渡した。このことから、白いカーネーションが母の日のシンボルとなった。アンナ・ジャービスは友人たちに「母の日」を作って国中で祝うことを提案。
1914年に「母の日」はアメリカの記念日になり、5月の第2日曜日と定められた。

日本
日本では、1931年(昭和6年)に、大日本連合婦人会を結成したのを機に、皇后(香淳皇后)の誕生日である36日(地久節)を「母の日」としたが、1937年(昭和12年)58日に、第1回「森永母の日大会」(森永母を讃へる会主催、母の日中央委員会協賛)が豊島園で開催された後、1949年(昭和24年)ごろからアメリカに倣って5月の第2日曜日に行われるようになった。母の日にはカーネーションなどを贈るのが一般的。
5月第二日曜キューバ、中国、リヒテンシュタインなど多数の国
510日に固定している国もある。メキシコ、エルサルバドル、グアテマラ、

今週の木曜日14日は、昇天日または昇天祭とされます。これはキリストに起源を持つ教会暦の一日です。使徒言行録13に次のように記されます。
「イエスは苦難を受けた後、ご自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。」
そして宣教命令をお与えになり、9節、「こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天にあげられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。」

教会暦は、教会がその信仰内容を証しするため、またそれを再確認するため、主日ごとの礼拝で共に読むように編み出してきたものです。キリスト起源
教会行事は、教会が共に楽しみ、喜ぶことが出来、それらによって信仰の確信を深めることが出来るような事柄です。軽んじることは出来ません。然し、教会暦と同じ扱いは出来ません。明らかに第二次的です。

教会暦による礼拝では、その礼拝の主題が定められています。聖書日課から導き出されるもの、と考えていました。それだけではなく、教会暦から引き出され、定められるものでもあるようです。私たちの本日の説教題も、暦に従い、選定された聖書から導き出された主題です。三つのペリコーペ全体を読まないと、この主題が出てくる意味が判りません。
ペリコーペとは、ギリシャ語で「断片」の意味です。聖書日課の個々の箇所を意味します。

旧約日課、ダニエル書6123、十二小預言書の一つ、黙示文学に数えられます。
紀元前539年にバビロンが滅びます。そして531節に「メディヤ人ダレイオスが、およそ六十二歳でその国を受け継いだ。」とあります。6章は538年、537年辺りの出来事です。
従って、1章でダニエルがバビロンに捕え移されたのが紀元前605年ですから、すでに67年ぐらい経っています。ダニエルは既に80歳を越えています。バビロンは、メディヤ・ペルシヤの軍隊に征服され、ベルシャツァル王も殺されました(5:30-31)。その後は、「メディヤ人ダレイオスが国を受け継いだ」とされます(5:31)。メディヤ人ダレイオスは、ペルシヤのクセルクセス大王の息子でした(9:1,11:1)さっそくダレイオスは120人の太守を任命し、さらに「王が損害を受けないように」彼らの上に三人の大臣を置きます。それは政治的権力の濫用や歳入のごまかしを防ぐためでした。その一人がダニエルでした(2節)。ダニエルは、既に80歳を優に過ぎていたと思われますが、大臣として起用されます。彼の優秀さは、誰の目にも明らかであり(3節)、ダレイオスは、ダニエルに全国を治めさせようと考えたのです。

ダニエルは、長い年月、異教徒の地、征服者達の国で生活してきました。多くの苦難を経験します。それでも彼の堅い信仰は、少しも揺らぎませんでした。ダニエルが信じるイスラエルの神は、異教の地にあっても、ダニエルを守り、支配者達の上に主であることを現されてきました。イスラエルの神は、世界の主。

福音書・ルカ7110、この聖句は、様々な時期に読まれています。復活後に限らず、受難の時期にも読まれています。
百人隊長の信仰によって、一人の僕は元気になりました。僕のために、ただひと言おっしゃって下さい。その求めを主イエスに告げた百人隊長、そのとりなしによって、名を伝えられない一人の僕は生きることが出来るようになりました。百卒長とその僕は、その信じる神に顧みられ、救いを得ました。ただ存在するだけではなく、生きるために。私たちをこの世へと遣わすべく、主イエス御自身が執り成し、捉え、遣わされる。そのことを深く覚えさせられたいと思います。

詩34編は、讃美頌と呼ばれるに相応しい内容です。
主を恐れる人、主を仰ぎ見る人は、助けを得る。光り輝くようになる。

そしてテサロニケ第二書です。まず、祈って欲しい、と始まります。
祈って欲しい、これは多くはありません。パウロの手紙を読んでいて、「私のためにも祈って欲しい」という文言に驚いたことがあります。大伝道者パウロは、弱気になっているのだろうか。何があったのだろうか? 自分のために、何かを求めることなどないものと考えていました。
Ⅰテサ525、「兄弟たち、私たちのためにも祈ってください。」
ローマ1530以下、「兄弟たち、私たちの主イエス・キリストによって、また、霊が与えてくださる愛によってお願いします。どうか、私たちのために、私と一緒に神に祈ってください。ユダヤにいる不信の者たちから守られ、・・・あなた方のもとで憩うことが出来るように。平和の源である神が、あなた方一同と共におられるように、アーメン。」296p
ピレモン22、「あなた方の祈りによって、そちらに行かせていただけるように希望しているからです。」
エペソ619、「私が適切な言葉を用いて話し、福音の神秘を大胆に示すことが出来るように、私のためにも祈ってください。」
ヘブル1318、「私たちのために祈ってください。」
19、「どうか私が、あなた方のところへ早く帰れるように祈ってください。」

一般的には、祈願は自分たち一家の繁栄、安全無事を獲得するためになされます。
日本の寺社仏閣での祈りを思い出せば充分でしょう。パウロの祈りや、この祈ってくださいという求めは、少しばかり違っているように思えます。
パウロが求めていることは、何時でもキリストの福音が広まることです。更に多くの人々が、この良い知らせ・福音を聞いて喜ぶことを願っているようです。
ここにパウロの信仰があります。そしてこの信仰の姿勢が、聖書日課に共通しています。更に、主なる神は、その信仰に応えて下さいます。神に属すること、神の業を最優先する信仰、ついで、周囲の人々の利益を重んじる信仰です。

このために必要なことは、神の愛とキリストの忍耐を悟ることです。
神の愛は、ヨハネ316でご覧ください。
キリストの忍耐は、ヒュポモネー。キリストは、私たちのために、十字架への道を進まれました。ゲツセマネの園で、「できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るようにと」祈られました。「御心に適うことが行われますように。」
ここにキリストの忍耐があります。持ち場、立場を堅く守り通すことです。

主が、あの苦しい十字架を耐え忍ばれたことを悟り、感謝して受け入れたいものです。