2015年9月6日日曜日

十字架を背負う

[聖書]ガラテヤ61418

[讃美歌]522,297,436、
[交読詩編]142:2~8、

[聖書日課]サムエル下18:(243031191、ルカ142535



十字架、キリスト教のシンボル、いろいろな形があります。20種以上かな

装身具にもなっています。首や耳その他、デザインされたものは数限りがないでしょう。



昔は、その人の信仰を顕すものだったのでしょう。

今は、信仰とは無関係に、その人の美的感覚を顕すものになっているようです。



十字架を首から提げる。腰から吊るす。両手で掲げる。

教会では壁や家具など、いたるところに十字架があるものと考えている。

改革以来、十字架を装飾のような感覚でつけることを避けるようになった。たとえば、

改革長老主義教会では、一つの教会堂に十字架は最も高いところにただ一箇所だけ。

会堂建築の時には、その場所を何処にするか、長い時間を費やして討議された。

外壁の最も高い所、切妻屋根の頂点、塔屋を建ててその先端を、建屋の脇に丈高い十字架を地面から建て上げる。礼拝堂正面の高い所、説教壇の正面、玄関ホールその他。

ある教会では、この問題を討議して一年が過ぎてしまった、と言います。牧師は、とても良い時間だった、教会の方向を共有することが出来た、と語りました。

「教会堂を建てるとは、教会を形成することなのだ」という言葉が理解できます。



ある教派では、「イエスは十字架にかかったのではない。ただ一本の棒杭にかけられたのだ。」と教えるそうです。これは、多分イエスが背負わされた十字架が一本だけだったことによるのでしょう。二本、横棒、縦棒を担いだとは何処にもありません。一本だけでも大変でした。クレネのシモンに無理やり担がせたほどです。



当時の習慣を学ぶ必要があります。当時処刑される人は十字架の横棒を担がされたようです。それでもかなりの重さがあります。縦棒はどうしたか、といいますと、これは最初から刑場にありました。担当のものが穴を掘り、その傍らに用意して置きます。死刑囚が到着しますと、担いできたものを横木にして、腕を縛り付けます。体は、縦木に縛り付けるか、釘付けにします。準備が出来たところで穴の中に下し、根元を固め、固定します。決して一本の棒杭ではありません。このようにすると、十字架に打ち付けられている人は、胸を持ち上げなければ息が出来なくなります。手には釘が打ち付けられているから、自分の胸を持ち上げるとかなりの痛みを伴います。この残酷な痛みと共に死刑囚は血を流しながら息絶えていくのです。

実は十字架は、古代ローマ帝国においてローマ市民権を持たない(特に奴隷など身分の低い者)犯罪人を死刑に処するためのもっとも痛みを伴った道具だった。当時諸民族にあったさまざまな刑罰の中で、十字架刑は最も残酷な重刑の一つであった。



十字架は、このように凶悪な犯罪と処刑のシンボル、残酷な苦痛を伴う死の象徴、そしてなんらの罪もない人が多くの人の身代わりになって、罪の赦しを獲得したことの象徴です。

その意味では、罪に対する勝利のしるしでもあります。そのことを信じ、イエスを主キリストと仰ぎ、従う者にとってはその信仰のシンボルです。首や耳から提げた小さな十字架、或いは腰に巻いた帯から下がるやや大きめの十字架も、2000年の昔、エルサレムの処刑場に立てられた十字架を指し示しています。



ローマの皇帝コンスタンティヌス(位306337)は、マクセンティウスとの戦いを控え、夢の中で敵に勝つためには十字架の印のもとに身を置くようにという神のお告げを受け取りました。「友よ、これにて勝て」トウイトーニ ニカ、予言に従って十字架を掲げて戦ったコンスタンティヌスは戦いに勝利し、分割されていた帝国を一つにしました。

313年に彼は「ミラノの勅令」によって信教自由の原則に基づき、キリスト教を公認宗教として認めます。324年コンスタンティヌスの母であり、キリスト教信者であったヘレナはキリストの受難の地を巡礼し、ローマ神殿を徹底的に破壊させ、イエスの釘付けられた十字架を発掘しはじめました。すると、三本の十字架が発見されます。三つの中のひとつに触れると病気が治ったり、死者が復活したりしたため、その十字架こそ、主がはりつけにされた聖十字架であると確信されました。

4世紀になると十字架が勝利のシンボルとして公然と掲げられた。また十字架は教会堂につけられ、欧州諸国の国旗や王冠、騎士団の紋章などにも広く用いられるようになった。今日では、十字架の形をした旗・アクセサリー・看板・標識・イヤリングなどのものが多く見られる。



十字架に掛けられ、死んで墓に葬られたイエスは、三日目に甦らされ、死に勝つ命の主であることを明らかにされました。ですから十字架は、死に勝つ命の象徴・しるしでもあります。



十字架上のキリストは、主なる神のもとに安らう永遠の生命のシンボルとなりました。私たちはテレビあるいは教会で、ローマ教会の信徒・野球やサッカーの選手、たちが祈る姿を見たことがあります。右手で上下左右額、胸、左肩、右肩の順に触れて、十字の形を描きながら祈りの言葉を唱えます。あの人たちは十字を切ることによって、十字架上のキリストの死によって人類が救われたことへの信仰をあらわしている、と考えられています。英語ではNo cross, no crown(十字架なしに王冠なし=苦難なくして栄冠なし)という諺があり、死を乗り越えたキリストの勝利を人間のあるべき生き方と重ね合わせています。

キリスト教が広く伝えられていくとともに、「十字架」という語は抽象化されて、広く一般的な「苦難」を意味するようになりました。教会に掲げられている十字架は、キリスト教やヨーロッパ文化の歴史的発展を背景に、主イエスの恵みと勝利の力を語り続けていると言えるでしょう。





旧約日課は、サムエル下18:(243031191、イスラエルの王ダビデは、愛する息子アブサロムの反逆のため都を追われ、逃亡しました。反乱軍に対抗する時が着ます。軍司令官ヨアブに、アブサロムを殺してはならない、と命じますが、殺されてしまいます。その知らせを聞いてダビデは、激しく嘆きます。

18:32王はクシびとに言った、「若者アブサロムは平安ですか」。クシびとは答えた、「王、わが君の敵、およびすべてあなたに敵して立ち、害をしようとする者は、あの若者のようになりますように」。

18:33王はひじょうに悲しみ、門の上のへやに上って泣いた。彼は行きながらこのように言った、「わが子アブサロムよ。わが子、わが子アブサロムよ。ああ、私が代って死ねばよかったのに。アブサロム、わが子よ、わが子よ」。



私も四人の子どもの親です。孫も四人になりました。人の子の親としては、ダビデの嘆きを彼の十字架である、と認めさせようとする考えは、理解します。然し一般的には子どもをなくした親の悲しみを十字架とするにしても、それが聖書に即しているか、となると疑問が残ります。厳しいかもしれませんが、これはあくまでダビデの自己責任、彼の失策の結果ではないでしょうか。イエスがかかりたもうた十字架は、他の者たち、すなわち私たちの罪を身代わりになって担うものでした。





福音書日課、ルカ1427は、弟子の条件として『自分の十字架を背負う』ことを語ります。

弟子は師匠に学び、師を真似るものです。師を超えたら、弟子ではなく、新しいもう一人の師匠が、教える者が出現します。

主イエスが担われた十字架は、決して御自身のためではありません。父なる神に背いたすべての罪の赦しのためでした。その故に、私たちはこの十字架を誇ることが出来ます。そしてこの十字架を背負います、と言うことができるのです。



ルカ92324には、次のようにあります。

『私についてきたい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、私のために命を失う者は、それを救うのである。』

自分の罪の赦しのための十字架は、すでにイエス・キリストが担ってくださいました。今、私が背負うべき『自分の十字架』は、他の人の罪の赦しのためです。自分を捨てて、他の人の罪の赦しのために働く。

自分を捨てる。できないことです。自分の利得を考えないことです。少なくとも第一優先事とはしない。



ある教会の長老さん、退職後神学校へ。卒業して赴任、数年で死去。

ある人は、彼も最後は無駄なことをしましたね、と語りました。

後日、追悼会があり、大学以来の友人という出席者の一人が語った。

「彼は信仰を知らない私のために20年間、『心の』友を送ってくれた。一度もお礼を言ったこともないのに。今は教会へ行き、洗礼を受けた。病床の彼にそのことを報告でき、共に祈ることが出来た。私は、彼の十字架だった、と思う。そのため神学校へ行ったのだろう。その覚悟が、私の受洗と成りました。」



背負う十字架に無意味なものはありません。祝福されます。