2015年9月27日日曜日

金持ちと貧者

[聖書]ヤコブ219
[讃美歌]522,7,431、
[交読詩編]73:21~28、
[聖書日課]アモス6:1~7、ルカ16:19~31、

 

先ほど司式者にお読みいただいたのはヤコブ書でした。マルティン・ルターはこの手紙の解説の中で『わらの書簡』と評しています。わらのように無価値なもの、ということです。

確かにわらは価値が低いかもしれません。それでも時にはなくて困ることもあります。

東京の中心地、環状線の内側に住んでいると、庭の養生に使うわらを手に入れることが難しい、と言うことになります。埼玉の岩槻にいた私が入手して、運んだこともありました。

それ以外のときは、庭師・植木屋が来るのを待つことになります。

このような考えからすれば、ルターの言葉は、全く無価値と言うのではなく、相対的に値打ちが低いと言っているように理解されます。

 

『ヤコブ書は わら  の書簡か』と題した主張があります。結論部分だけ、ご紹介しましょう。網掛け部分。

 ルターは「聖書への序言」(岩波文庫に「キリスト者の自由」と合わせて収録)の中でヨハネ伝とヨハネ第一の書、ロマ書、ガラテア書、エペソ書、ペテロ第一の書をすぐれたものとし、ヤコブ書を何ら福音的な性質をそなえていない全くの わら の書であると批判した。ヤコブ書の主張は「自分は信仰を持っていると言うものがいても、行いが伴わなければ、何の役に立つでしょうか。…行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです。」(ヤコ2:1417)につきる。

 

 ヤコブ書は行為だけを主張しているのではなく、信仰と行為の両者の相補性をのべている。ルターが信仰に重点をおいたのは、彼の生きた時代の背景を考える必要がある。教会はいろいろまちがいをおかし、宗教改革につながっていった。教会は免罪符を購うという「行為」を信仰のしるしとして要求した。教会のあり様に疑問を持ったルターは「信仰への回帰」を主張したのである。

 私達が聖書を読むとき、聖書の各巻の特質を承知しておく必要があるだろう。たとえば、マタイ伝はユダヤ的思想が色濃く、明らかにユダヤ世界を意識していたし、地中海世界に伝道したパウロと行動をともにしたルカは異邦人のためのイエス伝を書いたといえるだろう。

 聖書66巻は、どの巻もそれぞれの役割をになっており、聖書を記した人々は、それぞれの立場で神をそしてイエスを伝えている。

 ヤコブ書は信仰によって裏打ちされた行為についてのべているのであって、信仰よりも行為に重点をおいているのでは決してない。(2001.6)

 

ヤコブという名前は、世界中にあります。サンティアゴ(Santiago)またはサンチアゴ、サンチャゴ は、スペイン語・ポルトガル語で、聖ヤコブにちなむ名。

ホタテ貝はサンティアゴのシンボルで、フランス語では帆立貝を「聖ヤコブの貝」(coquille Saint-Jacques、コキーユ・サンジャック)と呼ぶ。

サンティアゴ・デ・コンポステーラは、スペインの北西部、ガリシア地方の都市。

ヨーロッパの中央部からピレネー山脈を越えてサンティアゴを目指す道は「サンティアゴの道(Camino de Santiago)と称され、由緒ある聖堂や修道院があります。

この地域は世界遺産に指定されており、毎年多くの巡礼者が世界各地から訪れています。

サンティアゴ、聖ヤコブは、ガリラヤ湖畔の漁師で、父はゼベダイ、母のサロメはイエスの母マリアの従姉妹、弟は福音記者聖ヨハネ。

伝説によると、イエス・キリストの十二使徒の一人であるサンティアゴがエルサレムで殉教した後、弟子たちによって船に乗せられ、その遺骸がガリシアに流れ着き、この地で墓が発見され、記念に聖堂が建てられました。これがサンティアゴ・デ・コンポステラの起源とされています。星空の平原の聖ヤコブを意味します。

巡礼者は胸から帆立貝をつるしていることが特徴で、巡礼に行ってきた証となっている。

 

スペイン、ポルトガル系の地名が、各地に残っています。

サンティアーゴ・デ・クーバ - キューバ南東部にある都市。

サンティアゴ・デ・チレ - チリの首都。

 

聖ヤコブは、英語ではセントジェームズ、フランス語ではサンジャックと呼ばれます。

聖書のヤコブ書は、英語版ではジェームス。ジェイコブで捜しても見付かりません。

このヤコブ書は何時ごろ、誰が書いたのでしょうか。大ヤコブ、小ヤコブ、知られないヤコブ。もし著者が義人ヤコブなら、書簡が書かれた場所はヤコブが62年の殉教まで暮らしていたエルサレムでしょう。本書が「ヤコブ」の名による著者不明のものとすれば、成立時期の可能性としては50年代から2世紀初めまで広く考えることができます。

 

小見出しには『人を分け隔てしてはならない』とあります。

非常に具体的に書かれています。

外面の装い、見掛けによって異なる接遇をすることは間違っている。

豊かな資産を有している者たちを優遇し、貧しい人たちを軽視するような態度をとることを戒めています。これは、決して昔のことではありません。このような態度は、今日のキリスト教会にも存在する、と指摘されます。4節以下に明らかなように、最も非キリスト者的な心から生れて来る悲しむべき現象、と言わざるを得ません。

 

23節のような態度は、私たちが自らを審判人にすることです。この悪しき思い(誤った考え)とは、富んでいる者に諂(へつら)うことによって利益を得ようとする思い、または貧しい者を軽視して自らを高しとする誇りのようなものを指します。

 

神が示される態度とキリスト者の取る態度とは同一でなければなりません。神は、とりわけ、貧しい者にその愛を注ぎ、彼らを選ばれました。そうして彼らを現在においてすでに信仰による富める者となし(M0C1)、種々の霊の賜物に富ましめ、また未来においては神の国の世嗣(ロマ8:18。ガラ3:294:7)としてその栄光に与らせてくださる(勿論信じることのない貧者をもこのようにしてくださるという意味ではない。また信ずる者を除外されるというのでもない。唯、神は特に貧者にその愛と憐みを与え給うことを示しています)。神の目には貧富の差別がなく、悩める者を一層憐み給う愛があるだけなのです。

 

多くの富める者は、何れの時代においてもその実力をもって弱者を圧迫することを権利のように考え、これを実行します。しかし、神はこのような行為を憎まれます(詩72:4。イザ11:4)。ヤコブは、このように語ることで富める者に対する敵慨心を挑発しようとしたのではありません。貧しい者を軽んじ富める者を優遇する理由が全く存在しないことを示しています。

 

富める者は前述のように神と人とに対して罪深き者です。だからと言って、ことさらに彼らを憎み、迫害し、放逐せよというのではありません。わたしたちが終始一貫して完全に守らなければならない最高の律法は聖書によるつぎの句です。すなわち貧富を問わず凡ての隣人を自分のように愛することです。もしこれだけでも完全に行っているならば、全く申し分のない状態といえるのです。

 

貧しい者を軽視し、富める者を重視することは、愛の律法に反する行為であって、罪とされます。このようなことを行う者は律法によってその違反者として判決されます。

 

旧約の日課、アモス617

6:1「わざわいなるかな、安らかにシオンにいる者、また安心してサマリヤの山にいる者、諸国民のかしらのうちの著名な人々で、イスラエルの家がきて従う者よ。

6:2カルネに渡って見よ。そこから大ハマテに行き、またペリシテびとのガテに下って見よ。彼らはこれらの国にまさっているか。彼らの土地はあなたがたの土地よりも大きいか。

6:3あなたがたは災の日を遠ざけ、強暴の座を近づけている。

6:4わざわいなるかな、みずから象牙の寝台に伏し、長いすの上に身を伸ばし、群れのうちから小羊を取り、牛舎のうちから子牛を取って食べ、6:5琴の音に合わせて歌い騒ぎ、ダビデのように楽器を造り出し、

6:6鉢をもって酒を飲み、いとも尊い油を身にぬり、ヨセフの破滅を悲しまない者たちよ。

6:7それゆえ今、彼らは捕われて、捕われ人のまっ先に立って行く。そしてかの身を伸ばした者どもの騒ぎはやむであろう」。

6:8主なる神はおのれによって誓われた、(万軍の神、主は言われる、)「わたしはヤコブの誇を忌みきらい、そのもろもろの宮殿を憎む。

 

アモスは、その頃の人々、南王国ユダの人々を「安らかにシオンにいる者」、北王国イスラエルの人々を「安心してサマリヤの山にいる者」と呼んでいます。シオンは、エルサレムの神殿の立つ丘を指します。サマリヤは、分裂後の北の人々が礼拝所を設けた高きところのひとつです。アモスは、当時のイスラエル人が、分裂はしたけれど、それぞれの考えに従って礼拝していることは認めています。ここが怖いところです。

人間が、自分たちの考えに従って礼拝し、それで大丈夫、と自らに言い聞かせている。自分の心に呼びかけ、安心させようとしている。

 

アモスは、人々の心に語りかけます。自分の側から見て安心できるだろう。しかしもう一つの視点がある。神様が同じことをご覧になったとき、どのように言われるだろうか。

4節は、食事の情景を思わせます。寝台とあるのは、寝るためではなく、身を横たえて食事を楽しむためのものです。

昔、エジプト5000年を回顧する、という美術展がありました。上野の国立博物館。

その中の一点が妙に心に残っています。象牙の寝台です。小さく、華奢なつくりでした。

古代のエジプト人は、こんなに小さかったのだろうか、と不思議に思いました。

エジプトのファラオ、或いはお妃が横たわったものでしょう。骨格だけですが、こんなものが名誉、地位、財産の象徴だったのか、と冷めていたことも記憶されています。

 

豊かな階層の人々が、いかに一般の暮らしからかけ離れた暮らしぶりであったかが記されます。古代の人にとって家畜はたいそう有益なものでした。ミルク、毛の生産、乗り物、運搬、肥料、殺すには勿体ない。とりわけ成長前の子どもの家畜を食べることは、余程ゆとりのある者だけがすることでした。それ以外には宗教祭儀のためでした。

 

貧しい人たちの生活に触れることなく、見ることもなく、富める者は力で押さえつけているのが現実です。古代も現代も。

キリストの父なる神は、貧しい人、弱い者たちをとりわけ愛してくださいます。私たち一人ひとりも愛されています。その感謝が溢れて貧しい者たちへの優しさになるのです。