2015年10月4日日曜日

弱者をいたわる


[聖書]フィレモン125
[讃美歌]6,390,402、77、交読詩編82:1~8、
[聖書日課] レビ25:39~46、ルカ17:1~10、

 

与えられた主題に従い、考えました。弱い者とは誰か、と。久しぶりに思い出した言葉があります。余りにも久しぶりでようやく搾り出したようです。頭の中に浮かびながら、なかなか決まらない状態でした。ようやくはっきり。 『弱き者、汝の名は女なり』

諺のようだが違うかな、調べてみました。出典は、英国の文豪wシェークスピアーの戯曲『ハムレット』。ハムレット解釈は様々、今は触れません。

≪ハムレットの母親は夫(つまりハムレットの父)が死ぬと、すぐに父の弟(つまりハムレットの叔父)に心を動かし、再婚してしまう。それを嘆いてハムレットが言ったのが、この言葉。すなわち《女は誘惑にもろいもの》というのがもとの意味です。『脆きもの』と訳せばまだしも、『弱きもの』と逍遙が訳したばかりに、そんな誤解が生まれました。

本当はいたわっているのではなく、なじっているのです。

 

母親が夫であるデンマーク王の死を悼む間もあらばこそ、ひと月もしないうちに王の弟クローディアスの妻になったことが、ハムレットにはどうしても納得できません。いともやすやすと心変わりする女を軽蔑して吐き捨てるように言ったことば。そこには母に対する複雑に屈折した思いが託されています。又、同時にここに述べられている、女=弱い、という図式は当時の決まり文句のようなもので、シェイクスピア劇の女性達はしばしばこの種の台詞を口にする。例えば『十二夜』のヴァイオラの

Alas,Our frailty is the cause, not we! (II.ii.31)

「ああ、私たち女の弱さがいけないんだわ、私たちのせいじゃない。」のように。

 

 ここに展開されている、女と女の弱さは別物という発想は、聞きようによっては責任逃れにも受け取れますが、 人間の他に、人間の属性をひとつの存在として認める思考法は我々の発想にはないシェイクスピア独自のものの見方とも受け取れる。それゆえ、上の『ハムレット』の例も、ハムレットが責めているのは女の弱さであり、母ガートルードその人自身ではない、という解釈も生まれる。≫

 以上の説明文を書いた人は、続けて書きます。「このことばはまるでことわざのように一人歩きしているが、現代では受けないことばではある。」これは、現代社会では弱い者は女である、とは誰も考えていません、と言いたかったのでしょう。そして、

We soon believe what we desire.《ひとは自分の望むことを、たやすく信じるもの》と。

これは、わざと判りにくく残したようです。人は、何を信じたいのか。女は弱い、という言葉か、それを誰も考えてはいない、ということなのか。どちらでもお好きなものを、気随気ままにおとりください、というのでしょう。弱い者、そのときその場で現れてきます。

 

先ほど、フィレモン書をお読みいただきました。僅か25節の短いものです。2ページ、どこにあっただろうか?  テモテ・テトスへの手紙の次、ヘブライ人への手紙の前。エフェソ・フィリ・コロ・テサロニケ・テモ・テト・フィレモン・ヘブライ書、鉄道唱歌のメロディーに載せて覚えたものです。青年時代でした。日曜学校は経験していません。

なかなか、これを読もうとは思いません。聖書日課を取りあげる大きな利点の一つです。

普通なら説教に取り上げないようなところも、日課に入っていれば取り上げます。

 

これは、パウロの獄中書簡の一つ、きわめて個人的な手紙ですが聖書正典に取り入れられました。事柄が普遍性を持つと認められたからでしょう。書かれたのは60年ごろでしょう。

 

あらすじを申し上げましょう。実は、いのちのことば社から、『オネシモ物語・・・二度目の解放』という小説が出ています(1978年)。パトリシア・セントジョンという人の作品です。あとがきや解説もなく、何も判りませんが、聖書を素材に取り上げ、良く調べて書いています。一つの解釈に推理、推測を加えたものです。お読みいただくと、よく聖書を読み込んでいるなあ、と感心されるでしょう。そのほかにも同種の本があることでしょう。

 

フィレモンの奴隷にオネシモという青年がいましたが、主人フィレモンに対して不都合があったようで、金銭的損害を与えてしまい、悩んだ末にコロサイ信徒の誰かがパウロの元に向かった時に一緒に付いて来て、パウロに相談したと想像します。つまり、人との間に立って問題を収めてくれる人物としてパウロを頼って来たのでしょう。パウロは、この奴隷を自分の身の回りの世話をさせながら、溢れるイエスの福音を教え、キリストを主と信じる者に者しました。パウロはオネシモのことを「わたしが監禁中にもうけたわたしの子」と呼んでいます。オネシモは深くパウロを敬愛し、獄中のパウロに仕え、パウロもまた、この信仰に燃える聡明な青年を心から愛するようになったようです。パウロはオネシモを「わたしの心であるオネシモ」とまで言っています。

 

パウロはオネシモを彼の主人フィレモンのもとに送り帰す為に手紙を書き、それをオネシモに持たせます。パウロは真心をこめ、礼を尽くし、表現に気を配って丁寧に書いています。使徒としての権威で、頼むと一言いうような事をしません。当時、奴隷は主人の持物でしたので、主人の了解の下に、オネシモを解放してほしい、つまり自由な人間として、またパウロの弟子として働かせたいと願い出ているのです。蛇足ですが結びの部分で・・・わたしの協力者たち、マルコ、アリスタルコ、デマス、ルカからもよろしくとのことです・・・このマルコが、以前パウロが嫌ったマルコなのかは不明です(ありふれた名前らしいので)。

 

オネシモのその後

この手紙が保存され、公開されて新約聖書正典に入れられた事実から、フィレモンがパウロの頼みを受け入れたことを物語っていると思いますし、パウロのこのような愛あふれる依頼を断るキリスト者はいないと思います。オネシモについてのその後の記録は、コロサイ信徒への手紙の中に、手紙を届けたティキコと一緒にオネシモがコロサイに派遣されたという記述があります(コロサイ信徒への手紙4章9)。オネシモは解放され、パウロの協力者になった事が窺えます。

2世紀初頭のアンティオキア教会の監督イグナティオスの手紙の中に、エフェソスの教会指導者としてオネシモの名が出てきます。手紙の内容から、きわめて同一人物に違いないと思われています。

 

ここに登場するパウロとその仲間の中で、オネシモは確かに弱い人物です。オネシモは、役立たずの奴隷でした(11節)。彼は、主人フィレモンに損害を与え、借りを作っているようです(18節)。彼の身分は奴隷です。彼は主人フィレモン様の所有物です。主人は奴隷の生殺与奪の権を握っています。オネシモは、どこから見ても弱い存在でした。

よく気がつき、働く奴隷は貴重ですので大事にされたでしょう。しかし奴隷です。値打ちがなくなれば売り払い、放り出されても何も言えません。徹底的に弱い立場の者にパウロは愛を注ぎました。

 

何故、パウロはこうした弱い者を愛し、身内のように、わが子のように感じるほどに守り導くことが出来たのでしょうか。そのことへの答えは、Ⅰコリント811でパウロ自身が書いています。偶像に供えられた肉を食べることは許されるか、という問題に関する答えです。  「弱い兄弟のためにも、キリストが死んでくださったのです。」

複雑な問題ですがパウロは単純化します。偶像の神々など実は存在しない。すべてのものは唯一の神によって造られた。何でも食べるのは自由だ。食べることが出来る。

その自由が、弱い者にとって障害になるなら、それ・私の自由を棄てるでしょう。

これこそキリストの十字架の愛に他なりません。

 

オネシモに注がれたパウロの愛は、やがて芽生えました。フィレモンの内に。その一家の中に、地域の人たちに。大きな木となったでしょう。オネシモ自身も大きな木になったようです。その木々にはやがて花がつき、実がなりました。小鳥がやってきて実をついばみ、

種を各地に運びました。そのようにしてキリストの福音は、世界各地に芽生え、育ち、花開き、根を張るようになりました。そうして世界中に愛を再生産していったでしょう。

愛の欠乏も再生産されます。欠乏や貧困のほうが再生産されやすいでしょう。

愛と自由、悦びと希望こそ私たちに必要なものです。

世界聖餐日はこの愛を確かめ、更に世界の各地へ告知するものです。