2015年11月15日日曜日

救いの約束

[聖書]出エジプト2110
[讃美歌]194,155,467,77、
[交読詩編]106:7~15、
[聖書日課]ヨハネ6:27~35、ヘブライ3:1~6、

 

前主日は、函館教会との交換講壇。ここには松本紳一郎牧師が立って説教されました。

50年前、母教会の小学生そして大学に入った頃を知る者としては、時の流れ、時を支配される主なる神のご計画の不思議を、感じざるを得ません。御名を賛美いたします。

小学校中級クラスのヘルパーにさせられたのは、洗礼を受けた私を育てようとの牧師の計画だったでしょう。メインの教師は、青学の教育学部の女子学生と三菱銀行銀座支店の女子行員。お二人は一つ年上、教会歴も長く、既に洗礼を受けておられました。生徒は、瑠璃ちゃん、滋雄ちゃん、泰洋君、徹君、そして紳ちゃん、この五人は高校時代も一緒でした。

やがて松本先生は深沢教会へ転会。岩瀬君は今も同じ教会で、多分役員。瑠璃ちゃんは結婚して諸国へ。先日お父様を御国へ送られました。松江の教会役員で、100才を超えておられました。

この二人が、50年ほどの時を経て、海峡を越えた北国で、講壇交換をするようになるとは、一体誰が考えたでしょうか。

 

さて、本日の聖書、出エジプト記12章の背景を、少しお話しましょう。

ナイル川のほとりでは、紀元前6000年頃人々が集落を作り、牧畜・農業の生活をしていました。麦と羊、牛・豚などの共通項から西アジアの人々との関連が推測されます。

集落が成長し大きな社会を造り、王国が形成されます。長大なナイル川、流域に10カ国。

 ナイル川は世界最長の川。全長6690km。ヴィクトリア湖から流れる白ナイルとエチオピア高原から流れる青ナイルがスーダンのハルツーム付近で合流し、砂漠地帯を北流してエジプトを流れ、下流に大三角州を作って地中海に注ぐ。古代ギリシアのヘロドトスが「エジプトはナイルのたまもの」と言っているとおり、ナイル川の定期的な氾濫によって形成された肥沃な土壌がエジプト文明を形成した。また人々はナイルの水を利用した灌漑技術を発展させ、高度な文明社会を築き、流域にいくつかの都市国家が生まれ、それらを統合するエジプト王国を出現させた。エジプト王国はたびたびメソポタミア方面まで力を伸ばし、またアッシリア帝国以来西アジアからの勢力の支配を受けることもあった。

 

聖書では、アブラハムの時代に、既に関係を持っています。

その頃から、豊な国であり、飢饉の時には、食糧供給力もある大国でした。

出1:1には「イスラエルの子ら」とあります。これは民族名ではなく、族長ヤコブ・イスラエルの12人の子ども達を指しています。カナンの地が飢饉に襲われたとき、ヨセフが宰相に成っていたエジプトへ避難したことです。

ひとつの家族として避難し、今や民族的な規模となっています。

それ以上と言っても間違いではないでしょう。エジプトを脱出するイスラエルは60万人超とされます。後世言われるような単一民族集団ではなく、いわゆる奴隷階級に属する者たちの集団と考えたほうがよさそうです。

余談ですが、エジプトの地理・歴史には上下(かみ・しも)エジプトという言葉が出てきます。これはおおよそナイル川の上流部、下流部に基づいています。二重の王冠もこの二つを示しています。

 

18には、「ヨセフのことを知らない新しい王が、エジプトに起った。」とあります。

イスラエルの人々がエジプトへ下った時代は、西アジア系のヒクソスがエジプトに侵入した後のヒクソス王朝時代、末期であったと考えられます。外国人が支配した時代、イスラエルは彼らと近縁の者たちだったようです。彼らは歓迎され、ナイル河口デルタ地帯東側ゴセンの地で羊を飼いながら生活することを許されました。これはイスラエルにとって伝統的な生活様式を維持できることでした。また自由民としてヤハウェ礼拝を続けることもできました。しかし、歳月と共に、事情は変わります。

 

11314節では、イスラエルはその人口が増え、自由を失い、奴隷の身分に落とされ、厳しい労役が課されています。世界の事情が変化しました。ヒクソスは勢力を失い、エジプト人の王朝が復活しています。紀元前1275年、ラムセス2世が即位します。この王の時代は、211にあるピトムとラメセスの町を建てさせられた時に当たるようです。そして王は、223に語られますが、人の常として死去します。従って、この王は出エジプトの王ではない、ことに成るはずです。ところが、ハリウッドが製作した映画、セシルBデミルの『十戒』、最近の『エクソダス 神と王』にしてもラメセスが出エジプトの王である、と描いています。聖書学者の中にもこれを支持するものが多いのかもしれません。223を承認するなら、出エジプトの出来事はラメセスではなく、その後継者、メルネプタの時に起こった、と考えるでしょう。今のところ、決定的な証拠が見付からず、判定不能のままになっています。

 

先走りました、少し話を戻します。奴隷であったイスラエルの人口問題です。

イスラエルの人口が非常な勢いで増加する、これではエジプト人を圧倒するようになってしまう。ファラオは、心配し厳しい労役を与えました。それだけでは効果が薄い、と見たのでしょう。ヘブルの助産婦に一つの命令を下します。「ヘブル人の女が出産したなら、女の子は生かして置け。男の子なら、ナイルに投げ込め」というものでした。それに対し助産婦は、したがいませんでした。「私たちが行く前にヘブルの女は生んでしまいます。大変元気です」この助産婦達の名が伝えられています。シフラ(美)とプア(光輝)。王の権力よりも神を畏れた女性として今に至るまで、尊敬されています。

 

さて、その頃、レビの家の男子が、同族の娘と結婚します。男の子が産まれました。ファラオの命令に従えば、ただちにナイル川に投げ込まれます。三ヶ月間、密かに育てられました。これ以上隠し通すことはできない、となったので、流域でよく作られる葦舟を造り、アスファルトと樹脂を塗って、子どもをその中に入れて岸辺近くに流しました。

ある人は、王命に従う異なる方法だ、と言います。投げ入れてはいないが、ナイルに浮かべたのだから。むしろそうではなく、神の御手に委ねた、と理解すべきだ、と考えます。

 

葦の籠は、葦の間を流れて行きます。姉が、その後をつけて行きます。籠は、ファラオの娘が見つけ、侍女に命じて取ってこさせます。嬰児は泣いています。どうしよう。

そこへこの子の姉が姿を現し、乳母に適任の者を連れて来ます、と申し出ました。

彼女は、その母親を連れて来ました。ファラオの娘は、「私の代わりにこの子を育てなさい。報酬を与えます」。こうして、男の子はファラオの娘の子どもとして、実の母親によって育てられました。成長後、とあるのは乳離れしたので、という意味でしょう。これ以降、ファラオの娘の子どもとして王宮で育てられます。

 

へブルの家庭の慣習は、割礼を施すこと、名前を付けることを求めていますが、それらは何も触れられていません。

 

王宮において、モーセという名が与えられました。『水の中から引き出された者』という意味を持ちます。ファラオの娘が、自分のしたことに基づいてつけました。名を付けただけではありません。王宮の教育は、王として、国を指導するためのすべてが含まれています。

実はこの王宮で育てられること、この名には、神のご計画が秘められています。

引き出された者が、やがてイスラエルをエジプトから引き出す者となる。

奴隷の身分から自由な民として、神に従い、礼拝するように指導する者となる。

私たちが生きている場には、神の恵みが豊かに然し秘められた形で、備えられています。

それに気がつき、見出し、知るには、長い時間がかかるかもしれません。40年、50年もたってようやく、神の恵みであった、と気付くかも。明日、見つけるかも。

救いの恵みは既に与えられています。讃美しましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神さまのご計画の不思議さ、本日の説教の準備のように函館で、出エジプトのことを説教させられていました。《旅路のイスラエル》イザヤ書4317

  讃美歌(旧版)54よろこびの日よ、ひかりの日よ、

283河べの樹に かけし緒琴、

         259天なる主イエスの こよなき愛は、

  交読詩編139篇(11~18節)

長い時間をかけてこの説教を書きました。普段は、次の説教も並行して準備しますが、このときは全く頭にありませんでした。

 

 

イスラエルは、40年間荒野をさすらった人々、と言われます。彼らは40年間自分達の紙を礼拝できる約束の地を求めて旅をしました。彼らは、目的地のないさすらい人ではありません。彼らは旅人です。

その祖先、族長アブラハムは行く先も知らず、カルデアのウルを出立、まことの神礼拝の地を求めて旅を続けました。目的の地が何処であるかは知りません。でも旅人。

その子孫イスラエルは、エジプトで奴隷となっていましたが、神の導きにより奴隷の頚木を振り払い、約

束の地カナン目指して荒野へ旅立ちます。

 

カナンの地へ入るまでの40年間の旅路、唯一神礼拝に習熟する期間。実は、定住後もまた旅を続けたのではないか、と考えています。

イスラエルは、周囲の異教徒と戦い、時に敗れ、圧迫を受けました。そうした折、ヤハウェ礼拝から逸脱することもありました。彼らの唯一神礼拝は、絶えず挑戦を受け、守るための困難な戦いを繰り返したのです。戦いの旅の連続でした。

 

イスラエル民族は、幾度かの大きな旅を経験しながら成長し、神の民となりました。

 

 

第一の旅は、楽園追放に続く旅、族長アブラハム・イサク・ヤコブへと続けられ約束された地で唯一の神を礼拝するようになります。

第二の旅は、ヨセフの時代、エジプトへの逃避行に始まり、モーセの時に神の憐れみによる出エジプトの旅となります。これは第一の出エジプトと呼ばれます。

エジプト支配からの解放

第三の旅は、バビロン捕囚の旅、そして帰還の旅となります。これは第二の出エジプト。

  バビロン支配からの解放

第四の旅は、全く新しい世界への歩み、宇宙への旅かもしれません。

現代のわたし達、新しいイスラエルに必要なものは、第三の出エジプトです。

  罪の支配からの解放、