[讃美歌]194,155,467,77、
[交読詩編]106:7~15、
[聖書日課]ヨハネ6:27~35、ヘブライ3:1~6、
前主日は、函館教会との交換講壇。ここには松本紳一郎牧師が立って説教されました。
50年前、母教会の小学生そして大学に入った頃を知る者としては、時の流れ、時を支配される主なる神のご計画の不思議を、感じざるを得ません。御名を賛美いたします。
小学校中級クラスのヘルパーにさせられたのは、洗礼を受けた私を育てようとの牧師の計画だったでしょう。メインの教師は、青学の教育学部の女子学生と三菱銀行銀座支店の女子行員。お二人は一つ年上、教会歴も長く、既に洗礼を受けておられました。生徒は、瑠璃ちゃん、滋雄ちゃん、泰洋君、徹君、そして紳ちゃん、この五人は高校時代も一緒でした。
やがて松本先生は深沢教会へ転会。岩瀬君は今も同じ教会で、多分役員。瑠璃ちゃんは結婚して諸国へ。先日お父様を御国へ送られました。松江の教会役員で、100才を超えておられました。
この二人が、50年ほどの時を経て、海峡を越えた北国で、講壇交換をするようになるとは、一体誰が考えたでしょうか。
さて、本日の聖書、出エジプト記1,2章の背景を、少しお話しましょう。
ナイル川のほとりでは、紀元前6000年頃人々が集落を作り、牧畜・農業の生活をしていました。麦と羊、牛・豚などの共通項から西アジアの人々との関連が推測されます。
集落が成長し大きな社会を造り、王国が形成されます。長大なナイル川、流域に10カ国。
ナイル川は世界最長の川。全長6690km。ヴィクトリア湖から流れる白ナイルとエチオピア高原から流れる青ナイルがスーダンのハルツーム付近で合流し、砂漠地帯を北流してエジプトを流れ、下流に大三角州を作って地中海に注ぐ。古代ギリシアのヘロドトスが「エジプトはナイルのたまもの」と言っているとおり、ナイル川の定期的な氾濫によって形成された肥沃な土壌がエジプト文明を形成した。また人々はナイルの水を利用した灌漑技術を発展させ、高度な文明社会を築き、流域にいくつかの都市国家が生まれ、それらを統合するエジプト王国を出現させた。エジプト王国はたびたびメソポタミア方面まで力を伸ばし、またアッシリア帝国以来西アジアからの勢力の支配を受けることもあった。
聖書では、アブラハムの時代に、既に関係を持っています。
神さまのご計画の不思議さ、本日の説教の準備のように函館で、出エジプトのことを説教させられていました。《旅路のイスラエル》イザヤ書43:1~7、
讃美歌(旧版)54よろこびの日よ、ひかりの日よ、
283河べの樹に かけし緒琴、
259天なる主イエスの こよなき愛は、
交読詩編139篇(11~18節)
長い時間をかけてこの説教を書きました。普段は、次の説教も並行して準備しますが、このときは全く頭にありませんでした。
イスラエルは、40年間荒野をさすらった人々、と言われます。彼らは40年間自分達の紙を礼拝できる約束の地を求めて旅をしました。彼らは、目的地のないさすらい人ではありません。彼らは旅人です。
その祖先、族長アブラハムは行く先も知らず、カルデアのウルを出立、まことの神礼拝の地を求めて旅を続けました。目的の地が何処であるかは知りません。でも旅人。
その子孫イスラエルは、エジプトで奴隷となっていましたが、神の導きにより奴隷の頚木を振り払い、約
束の地カナン目指して荒野へ旅立ちます。
カナンの地へ入るまでの40年間の旅路、唯一神礼拝に習熟する期間。実は、定住後もまた旅を続けたのではないか、と考えています。
イスラエルは、周囲の異教徒と戦い、時に敗れ、圧迫を受けました。そうした折、ヤハウェ礼拝から逸脱することもありました。彼らの唯一神礼拝は、絶えず挑戦を受け、守るための困難な戦いを繰り返したのです。戦いの旅の連続でした。
イスラエル民族は、幾度かの大きな旅を経験しながら成長し、神の民となりました。
第一の旅は、楽園追放に続く旅、族長アブラハム・イサク・ヤコブへと続けられ約束された地で唯一の神を礼拝するようになります。
第二の旅は、ヨセフの時代、エジプトへの逃避行に始まり、モーセの時に神の憐れみによる出エジプトの旅となります。これは第一の出エジプトと呼ばれます。
エジプト支配からの解放
第三の旅は、バビロン捕囚の旅、そして帰還の旅となります。これは第二の出エジプト。
バビロン支配からの解放
第四の旅は、全く新しい世界への歩み、宇宙への旅かもしれません。
罪の支配からの解放、