2012年12月30日日曜日

光に歩む

[聖書]Ⅰヨハネ1526
讃美歌21]268,511
[交読詩編]70:2~6、
 
歳晩礼拝という言葉は、耳に聞きなれないものでしょう。目もまた、見慣れていないと言うかもしれません。私もPCを使っていて心配しました。転換できるだろうか。ところが、簡単に出来ました。法律関係の「裁判」の次にこの文字がありました。後は平仮名と片仮名だけです。一年の終わりをさす言葉です。教会暦を使うキリスト教会では、アドベントの前主日を終末主日とします。おそらくそうした主張があり、最近では使われなくなったのでしょう。私の青年時代、半世紀前のことですが、よく用いられていました。「年末」だけではなく、こうした言葉も場合によっては用いることが出来たほうが、多くのことが伝えられるのではないか、と感じます。新しい言葉、表現は増えています。その一方、古い言葉、古い表現が、使う人が少なくなり、用いられなくなり、棄てられようとしています。
使わなければ通用しなくなり、通用しないから使えなくなる、という悪循環に陥ります。
古い言葉を上手に使って、言葉の豊かさを取り戻しましょう。
 
世界中には、2000年近くに渉り、読み続けられている手紙があります。よくご承知の通り、聖書の中にあるさまざまな手紙です。類例のないことではありません。私は、そうたくさんの例を知りませんが、ユリウス・カエサルが、総司令官として元老院に宛てて書いた手紙があることは知っています。今では『ガリア戦記』と言う題の一書となって、よく知られています。欧米の学校では、ラテン語を学び始めるとすぐに、これを読まされるそうです。文法など全く知らないままで、古典を読むのです。これが欧米人の古典的教養の中核を作ります。
おそらく人間を作り上げる元にもなっていることでしょう。困難に対して、果敢に取り組み、乗り越え、超克し、新しい境地に到達する。こうした人間です。
 
『ガリア戦記』は、共和制ローマが、自国の平和を守るために北の国境を越えてガリア諸国を制圧する遠征の記録です。もちろん、中立公正なものは期待できません。あくまでも、カエサルの立場からの報告です。司令官カエサルが、自分は如何に優れた軍人であり、行政官であるか、元老院に印象付けようとします。ある時には、蛮族相手に敗北を喫しますが、相手を叩いてひるませ、夫々冬営地に戻った、と言うように記します。このような史実の隙間を突いたものが『ケルト人のガリア戦記』です。ケルト人とは、ガリア人を含む古代北ヨーロッパ人の総称のようです。言語、風俗、歌に特有のものがあります。南はスペイン、ポルトガルから欧州中部・北部全域に独自の文化を展開していました。その後、駆逐され、現代ではアイルランドの住民として残っているようです。ここでは、カエサルが書いたことを検証して、その陰に押し込められてしまった真実は何だったか、明らかにしようとしています。
54年版讃美歌444
『世のはじめ さながらに 朝日てり 鳥歌う み言葉に 湧きいずる きよきさま つきせじ』は、オールド ガエリック メロディを編曲、となっています。いつか、ご一緒に歌いたいものです。
ケルティック・ウーマンという名のコーラスグループも、同じケルト、ガリアの女性たちの鯖らしい歌を聞かせてくれます。スカボロフェアー、ユーレイズミーアップ。エンヤ、セリーヌ・ディオン、サラ・ブライトマン、戦前の名テナー、マコーマックもアイルランド出身です。
 
読まれるほどのものを書こうとしたら、かなり、よく物事を知らねばなりません。
ヨハネの手紙を書いた人にしても同じでしょう。この手紙の筆者は、キリストの教えの本質と言うべき愛について書いています。大変難しい主題ですが、主が私たちのために命を捨ててくださったことが愛である、私たちも互いに愛し合いましょう、と書きました。
 
 手紙を書くとき必要なことは、相手と同じ土俵に立つことです。普通の場合、相手を知り、そのときの状況も知っています。書くべきこと、伝え方も決まっているようなものです。しかし聖書の中の手紙は、例外はありますが、多くは、ある地域のクリスチャン全体に向けて書かれています。不特定多数の人に読んで貰おう、と言うわけです。一人一人が異なった生活をしており、異なった問題を抱いています。同じ土俵を見つけることは難しいでしょう。この場合には、相手との共通の関心事などを土俵とするのが有効です。
 
ヨハネは、神は光である、と書きました。新約の時代、ヨーロッパからアジアにかけて、ミトラ教や、ゾロアスター教が流行しました。いずれも光を祀る、または象徴とする宗教です。一般的には、光を祀る宗教が受け容れられる時代は、混乱と暗黒が支配的になる時です。混乱に秩序である光が差し込む。恐るべき暗黒に光が射して望みとなる。
ヨハネの時代は、明確ではありませんが、紀元1世紀後半と次の世紀の始めごろまで、と考えれば、大きく外れはしないでしょう。ローマ帝国が自国の安寧を保持するために、軍制改革を行い常備軍を増やし、国境線を外へ押し出してきました。いわゆる『パックスロマーナ』ローマの平和の実態です。世界が平和であった時代、と考えやすいのですが、ローマ帝国の安全のために、その支配を受け入れ、反抗しなくなることでした。
一国の平和が、他国にとっての不安であり、圧迫に過ぎない、ということは良く見られることです。ある民族にとっての秩序が、他の民族にとっては混乱に過ぎない、光と見られるものが闇でしかない、ということです。
そのように考えれば、ヨハネなど手紙の執筆者が光を土俵にしてコミュニケーションを繰り広げようとする理由が分かります。共通の関心事だったのです。
 
「私たちが、神との交わりを持っていると言いながら。闇の中を歩むなら、それは嘘をついているのであり、真理を行ってはいません。」
 
光に歩む、と言いながら、それが一人よがりになっていませんか。と問われます。
もしそうであれば、光ではなく闇をもたらしていることになります。
ヨハネは、神は光であり、神には闇がない、と語ります。神の本質が光であること、この本質に属するものは、神と同様闇であることは出来なくなることを表現します。
 
光である神と、私たちとの関係に関する優れた考察は、エフェソ5620に残されています。筆者は「以前は、闇であったが、今は光となっている。光の子らしく歩みなさい。」8節、これはヨハネ書とよく似ています。ヨハネ福音書1章にもあるように、『闇は光に勝たなかった』を共通の基盤としています。次が、大変興味をもつ9節です。
「光はあらゆる善意と正義と真実との実を結ぶものである。」ここには光がもつ特別な能力が示されています。光は良い結実をなさしめる力を持つことが語られます。
 
 22日だったかと思います。幼稚園クリスマス礼拝のページェントを見て楽しみ、お話をしてから、夕刻、北広島の植木村へ行きました。高山植物、山野草の専門店岩崎園芸が目当て。実はひと月以上前に、そろそろ福寿草が出ているだろう、と思って行って見ました。まだでした。年末になれば、ということで、その代わりに、コマクサ、イワシャジンを買いました。今回は、三本立て一鉢で出ていました。北海道では2月ごろ花がつきます、ということでした。関東では、お正月の縁起物です。三鉢お願いして持って帰り、日当たりの良い所に置き、日夜見ていました。29日朝、ついに二つの花芽が開きました。やったー、と大喜び。
光は、あらゆる良いものを結実させます。その力があります。ヨハネの手紙、エフェソの手紙、夫々の筆者は、こうした光の性質をよく知っていたようです。更に、光のことは、手紙の受取人たちにもよく知られている、と確信があったのでしょう。
 
13節「光にさらされると・・・すべてのものは光となる。」
明るい光を当てると、薄暗い時には見えなかった片隅の埃も目に付きます。この光は、キリストであることが、次節で示されます。
601「起きよ、光を放て。あなたを照らす光は昇り、主の栄光はあなたの上に輝く。
見よ、闇は地を覆い、暗黒が国々を包んでいる。
しかし、あなたの上には主が輝き出で、主の栄光があなたの上に現れる。」
イザヤ52260135258810、などからの引用です。
 
主イエスの降誕は、朝日が昇ることにも似ています。始めは陰ばかりが目に付きますが、やがて全面が光に満たされ、明るく光り輝きます。まるで一つ一つが光源であるかのように、光そのものとなります。
 
 しかし、まことの光は、主イエス・キリストだけです。ご自身が光り輝きます。私たちが輝くのは、この主なるお方の光を正しく反射する時だけです。この方を正しく主なる神として崇めるなら、栄光が輝き、その光を反射するでしょう。
しかし、私たちが、さまざまな場面で、自らを主と見せようとしたり、自分の業績を誇ったりしようとするなら、主はお隠れになられ、私たちも光になることが出来ません。
あくまでも、主キリストの光を反映・反射して、私たちは光ることができます。
感謝して祈りましょう。