2013年9月1日日曜日

よろしく伝えてください


[聖 書]フィリピ42123
[讃美歌]6,7,511、
[交読詩編]147:1~7、

本書末尾の挨拶。当時の手紙の習慣で、前書き同様、最後に挨拶を書きます。

第二テサロニケ317、ガラテヤ611、コロサイ418には、手紙の最後に、パウロが自ら筆をとり、大きな文字で書いていることが知られています。書記役を用い、口述筆記で手紙を書いてきたパウロは、その最後は、信仰を共にする人々の心に直接、語りかけようとしたようです。

 

本書末尾の祝祷、ここに至るまでにも、いくつか存在しているように感じられます。

「最後に」ト ロイポン、が3149に出てきます。

従来、それはパウロの心の高まりによって終わらなかった、次の文が迸り出たもの、と解釈されてきました。そうして、この手紙の一体性が主張され、守られてきました。

「この手紙の統一性を疑うべき理由にはならない。」なんとなく、はてな、おかしいな、と感じながら、納得し、頭の片隅に押し込んでいました。最近、若い牧師が、その説教の中で、『フィリピ書三文書仮説』を提起されていました。おそらく修士論文のための研究だったのではなかろうか、と感じます。

発表者は、横浜指路教会の嶋田恵悟伝道師、現在は、按手を受けて土浦教会の主任者です。日本基督教会の木下順治牧師は、60年代初めごろ、『ローマ書二文書縫合説』を発表されました。日本の聖書学会は、これを受け入れず、冷淡でしたが、欧米の著名な聖書学者は、木下論文に注目し、それを更に発展させ、ローマ書七文書説等々を発表するようになりました。時代は移り、変わります。若い聖書研究者は、フィリピ書三文書説を発表する。末尾の祝祷は、まさにそのものである、と理解することから詳細に検討しています。受け入れられないかもしれません。それでも黙殺するのではなく、論議して欲しいなあ、と願います。

三文書は、次のように分析・構成されます。

1131B文書、31「最後に」ト ロイポン

3249C文書、49「最後に」ト ロイポン、非難の激しい調子、

410423A文書、感謝と祝祷、

 

 僅か3節の、習慣的な結尾の挨拶ですが、そこにはいろいろな問題が隠されています。

順に読んで参りましょう。

 

21節、「挨拶」、アスパゾマイ、「よろしく」

文語訳では「安否を問へ」。原語 aspazesthe で、その命令形「挨拶せよ」の意味。

口語訳は「よろしく」。信徒相互間に愛の挨拶を交すこと。

文法的には、これが命令形になっていることが気になります。次のように訳せないでしょうか。

『すべての聖徒の間で安否を問いなさい。わたしと共にいる聖徒からも挨拶します・安否を問うています。』

ある教会では、礼拝の中で『相互問安』を組み入れています。隣り合う人たちと挨拶を交わします。初めての人、お客様もいます。厚別教会では、礼拝後にお茶の時間。こうした問安の時間であり、教会がしっかり受け止めるなら大事な時です。

 

挨拶の内容、その本質は何でしょうか。

  エイレーネー(ギリシャ語)「平安があるように」ヨハネ201926

  シャローム(ヘブル語)、朝・昼・夜、いつでもこの一語で挨拶、

 Ⅱ編讃美歌202番、『友よ、また会う日まで』

シャローム ハベリン シャローム ハベリン シャローム シャローム

レヒトラ オーツ レヒトラ オーツ シャローム シャローム

   友よ、また会う日まで、シャローム、シャローム、

恵みの主守りたもう、シャローム、シャローム、

 キブツ、スデボケールのプールの中での、スイスから来た青年との交流を思い出します。

彼は、ユダヤの歌を教えるから、日本の歌を教えてくれ、と言いました。この歌を教えられ、お返しは、『さくら、桜』にしました。

 

口語訳は、「聖徒一人びとりに」と訳しています。黒崎、塚本など個人訳も同じです。

「ひとりひとりに」挨拶する気持ちが現れています。この手紙自体、宛先は、「信徒たちへ」であり、複数の人たち、その集団、あるいは組織が想定されます。しかしパウロの本心は、ひとりひとりの皆に語りかけているのです。教会の礼拝をはじめ諸集会で話すとき、集団全体に話しかけることは稀です。集団としての意志決定を求めるようなことがあれば、全体に向かって語りかけるでしょう。そうした時でも、一人一人を思い浮かべながら語るでしょう。パンタ ハギオン、全ての聖徒、ここでは「一人一人の皆」を考えます。

パウロは、フィリピの信徒ひとり一人を思い起こし、語りかけています。

説得の技術としてそうする人もいるでしょう。しかし、パウロはフィリピの教会のことを考える時、懐かしいあの顔、この顔を思い浮かべ、深い交わりを嬉しく思い出したに違いありません。私程度の者でも、あの礼拝やこの礼拝、何よりも主にある交わりをありがたく思い出します。

 

22節、「皇帝の家の者たちから」、エク テース カイサロス オイキア

この所に関しては、諸説紛々。一応紹介してみましょう。

カエサルは、ローマ帝国皇帝の称号。本来は、ユリウス・カエサル家の家名。

この皇帝の家族を指している、との考え。特別高い地位、名誉を保つ名家なので、別して書いたものだろう。パウロは、地位や名誉、家柄など福音信仰以外のものを格別なものとは考えていないので、この考えは妥当しない。

当時、ローマにおいて伝道が非常な速さで進展し、上層部でも最高の部分に到達したことを示そうとしている。これも前述の理由で退ける。

カエサル家の支配はおよそ百年を経過しました。皇帝の名称、皇帝位そのものを表します。帝国各地に皇帝直属の部下や奴隷が配置され、皇帝に所属する動産・不動産等を皇帝の利益を代表する形で、さまざまな管理を行いました。(皇帝の財産と政府の財産の分離は出来ていませんでした)。代官所のようなものでしょうか。これがカイサルの家であり、お膝元のローマにもありました。

同様に、パウロが居住させられている家も、兵士に護られているカイサルの家と考えられます。

 

パウロが、不本意ながら、皇帝に上訴した結果、カエサルの家にいる多くの人との関わり、折衝が増え、パウロを通してキリストの福音が知られるようになりました。フィリピは、ローマ軍団退役兵士たちの植民都市とされました。当然、ここで言う『家の者たち』も多く、彼らがフィリピ教会にもかかわっていたのでしょう。そうしたことから、パウロは特にカエサルの家の者たちに言及した、と考えられます。

 

23節、「主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にあるように。」

ガラテヤ618は、これとほぼ同じです。Ⅰコリント1623とⅠテサロニケ528は、「あなた方と共に」、となっています。

もっとも有名な祝祷は、Ⅱコリント1313です。

「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなた方一同と共にあるように。」

これは父・子・聖霊、三位一体の神による祝福と呼ばれ、三一定式の祝祷として知られています。祝祷は、これ以外にも幾つもあるので、自由に選ぶとよろしい、と教えられました。明治学院の宣教師、ヴァン・ワイク先生です。祝祷を探してみましょう。

 

 ここでの問題は、「霊」をどのように考えるか、ということでしょう。私たちは、このような場合、ギリシャ的な霊肉二元論の考えをとりやすいのではないでしょうか。確かにパウロの思想・精神はヘレニズムの影響を受けています。しかし、それ以上に彼はユダヤ人です。ヘブライの思想・精神に骨の髄まで浸かっています。ギリシャ人にはギリシャ人のようになることが出来ます(Ⅰコリント920)。それでもその根底にあるものは、霊肉一元のヘブライズムです。ここでも,肉体から分離される霊・内的な精神に限定するのではなくて、人間存在全体を指し示す言葉としての『霊』なのです。全人格と共に恵みがあるように、との祈りです。

 

23節の最後に、「アーメン」を加える写本があります。

大文字写本群、古い時代のものと認められる写本に付けられた略号、先ず信頼性が高い、

D6世紀・ケンブリッジ大学所蔵、eap(一部vac.

  A、5世紀・大英博物館所蔵、eapr(一部vac

  アーレフ、4世紀、大英博物館所蔵、シナイ写本(eapr、新約が揃っている)

46,チェスター・ビーティーパピリⅡ(パピルスに書かれたもの)およそ200年ごろ、

    ボドマ-コレクション、ミシガン大学、最古の写本に属する。パウロ書簡の一部、

    P54P66は同じく200ごろである。

   チェスター・ビーティーパピリⅠは、P45、福音書の一部である。3世紀とされる。

 

現行訳は、これを削除しています。その判断が、正しいとしても、大変古い写本であることをどのように考えるのでしょうか。写本の成立時期を見ると、200年ごろから456世紀であって、かなり早い、と考えられます。その時の写字生がこれを写し終えたとき、この内容に思わず「アーメン」と唱和し、書き込んだであろうことは、推測に難くありません。全内容、または、この祝祷に対し、私たちも率直に、写字生と共に感動することが許されています。