2013年9月22日日曜日

人間は何ものか

[詩編]8110
[讃美歌21]6,37,300、
[交読詩編]90:13~17、

この詩8篇は、創世記126以下との関係が認められています。だから創世記以後に詩8が作られた,ということではありません。以後か以前か、どちらであってもおかしくないし、どちらの可能性もある、と言えます。
先ず創造者の栄光と力に相応しい畏敬と讃美を表現します。そこには驚きが聞こえてきます。詩人は、神の威光が幼子と乳飲み子の口によって讃美されるから驚いています。
神の栄光を讃美するのにふさわしいものは誰でしょうか。
讃美は直き者に相応しい。詩篇331
乳飲み子たちの口に讃美を備えられた。マタイ2116

この詩人は、讃美は行い済ました敬虔な者たちがなすこと、と考えていたのでしょう。
詩人は、幼子、乳飲み子が讃美する、と聞いてびっくりしました。しかし考えました。世の波風に洗われる前の幼子、乳飲み子のほうが、讃美に相応しいのではないか、と。
 旧約ではモーセ、サムエル。新約では嬰児イエスなどが考えられます。

人は何者か、という問い。これは、真理とは何か、という問いと同様古くからあるものです。ユダヤの宗教の課題として読みますが、ギリシャ・ローマの哲学の主題であり、近代の文学・芸術のテーマにもなっています。そうした試みの一つを御紹介しましょう。

『葉っぱのフレディ』レオ・バスカーリア作Leo F Buscaglia
大きな木の太い枝に生まれた、葉っぱのフレディのおはなし。
春に生まれたフレディは、数えきれないほどの葉っぱにとりまかれていました。はじめは、葉っぱはどれも自分と同じ形をしていると思っていましたが、やがてひとつとして同じ葉っぱはないことに気がつきます。
フレディは親友で物知りのダニエルから、いろいろなことを教わります。自分達が木の葉っぱだということ、めぐりめぐる季節のこと...
フレディは夏の間、気持ちよく、楽しく過ごしました。遅くまで遊んだり、人間のために涼しい木陰をつくってあげたり。
秋が来ると、緑色の葉っぱたちは一気に紅葉しました。みなそれぞれ違う色に色づいていきます。

そして冬。とうとう葉っぱが死ぬときがきます。
死ぬとはどういうことなのか...ダニエルはフレディに、いのちについて説きます。

いつまでもここに居たいというフレディでした。ダニエルが「引越し」といった言葉の意味が「死ぬ」ことではないのかと気づきます。フレディは死ぬことが怖くてたまらないとダニエルに訴えます。ダニエルは優しくフレディに話しかけます。
「いつかは死ぬさ。でも”いのち”は永遠に生きているのだよ。」

「まだ経験したことがないことは こわいと思うものだ。でも考えてごらん。世界は変化しつづけているんだ。変化しないものは ひとつもないんだよ。春が来て夏になり秋になる。葉っぱは緑から紅葉して散る。
変化するって自然なことなんだ。きみは春が夏になるとき こわかったかい? 緑から紅葉するとき こわくなかったろう? ぼくたちも変化しつづけているんだ。 死ぬというのも 変わることの一つなのだよ。」フレディは自分が生きてきた意味について考えます。「ねえダニエル。ぼくは生まれてきてよかったのだろうか。」
そしてダニエルも静かに枝を離れて引っ越していきました。
最後の葉っぱとなったフレディは、地面に降り、ねむりにつきます。

「死」について考える作品です。フレディとダニエルの会話を通じて、生きるとはどういうことか、死とはなにかを考えさせられます。「死ぬということも 変わることの一つなのだよ」というダニエルの言葉に、著者の哲学が込められているようです。

レオ・ブスカーリアLeo F Buscaglia1924331 1998612日)は、アメリカ合衆国の教育学者。いのちについての学び方を教える絵本『葉っぱのフレディ』で世界的に知られている。

彼は、イタリア系移民の家族の末子として生まれ、南カリフォルニア大学で教育学を学び、卒業後はパサディナ市の公立学校教員となり、現場の教師時代は主に学習障害の子どもたちのクラスを担当した。同時に大学院にも在籍し、教育学の博士号を取得の後、母校に戻り、同大学で教鞭を採った。教え子の自殺という事件に遭遇し、以後、いのちの教育、いのちのかけがえのなさ、人を愛することなどに関心を抱くようになり、「ラブ・クラス」(Love 1A)という単位の出ないゼミを主催。このゼミでの演習成果から、最初の著書『LOVE(1972)が生まれた。
彼は心臓発作で1998611日ネバダ州のタホ湖に近い彼の自宅で逝去。74歳でした。

この絵本に大傾倒したのが、日野原重明先生です。この方は、ホーリネス系で教団の教会の牧師の家庭にお生まれです。聖路加記念病院院長,その他多くの活躍をしておられます。すでに100歳を幾つもこえておられます。葉っぱのフレディをミュージカルにしよう。
続編のような本を造られました。その初めのほうか、その辺に、ゴーギャンの有名な絵を飾りました。
『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』1898

ゴーギャンは、故郷のフランスよりも素朴で単純な生活を求めて1891年にタヒチに渡りました。キャプテン・クックの航海記により知られるようになるこの島も、その後ヨーロッパ人たちによって変化させられます。特に宣教師たちによって文明化され、倫理化されてしまいました。二度目のタヒチ滞在時代の1897年から1898年に描き上げたこの作品は、高度に独自の様式化された神話の世界を描いた他の作品と同様にゴーギャンの代表作とされており、もっともゴーギャンの精神世界を描き出している作品と言われています。アメリカのボストン美術館ご自慢の収蔵品です。

『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』を描き上げた後に自殺を決意していたゴーギャンは(自殺は未遂に終わる)、この作品に様々な意味を持たせました。絵画の右から左へと描かれている3つの人物群像がこの作品の題名を表しています。画面右側の子供と共に描かれている3人の人物は人生の始まりを、中央の人物たちは成年期をそれぞれ意味し、左側の人物たちは「死を迎えることを甘んじ、諦めている老女」であり、老女の足もとには「奇妙な白い鳥が、言葉がいかに無力なものであるかということを物語っている」とゴーギャン自身が書き残しています。背景の青い像は恐らく「超越者 (the Beyond)」として描かれているのでしょう。この作品についてゴーギャンは「これは今まで私が描いてきた絵画を凌ぐものではないかもしれない。だが私にはこれ以上の作品は描くことはできず、好きな作品と言ってもいい」としています。

ゴーギャンは11歳から16歳まで、フランス中部オルレアン郊外のラ・シャペル=サン=メスマン神学校の学生で、この学校にはオルレアン司教フェリックス・デュパンルーを教師とするカトリックの典礼の授業もありました。デュパンルーは神学校の生徒たちの心にキリスト教の教理問答を植え付け、その後の人生に正しい教義において霊的な影響を与えようと試みます。この教理における3つの基本的な問答は「人間はどこから来たのか」(Where does humanity come from?)、「どこへ行こうとするのか」(Where is it going to?)、「人間はどうやって進歩していくのか」(How does humanity proceed?)でした。ゴーギャンは後半生にキリスト教に対して猛反発するようになりますが、デュパンルーが教え込んだこれらのキリスト教教理問答はゴーギャンから離れることはなかったと言えます。

日野原先生は、何故、葉っぱのフレディの続編に、この絵を登場させたのでしょうか。
バスカーリアの絵本に対して、さまざまな批判があったと聞きます。中身は知りません。すべての人が求めることに答えることは出来ません。書いていないことに対して批判する人が多いようです。批判は,書いてあること,語られてことに限る、と神学校で学びました。日野原先生は、批判するのではなく、欠けていること、表現されていない部分を加えたのでしょう。
彼岸の世界を見出さない限り、人に平安はありません。
創造者によって始まり、終わることが欠けています。
この二点がないからこそ、多くの人に喜ばれました。宗教性が薄いから。
過去・現在・未来を見通すとき、初めて本当の平安を得ることができます。フレディも未知の世界、未経験の事柄を恐れました。あえて日野原先生は指摘しています。彼岸の世界を見ないようにする、気付かないフリをすることはできる。しかし、その状態は必ず破れる。その先には、混乱と不安が生まれます。
日本人が盆、彼岸を暦の中に取り入れているのは、この点から考えるなら、非常に賢いことです。
《人は何ものか》、神から出て、神に帰るもの、この確信に立つことへと招かれています。