2014年6月8日日曜日

イエスの憐れみ

[聖書]ルカ7117
[讃美歌21];57,482,432,77、
[交読詩編]112:1~9、

 

先ほどお読みいただいた聖書には、二つの奇跡物語、出来事が記されています。

一つは百人隊長の部下の癒し、もう一つは、ナインのやもめの息子の生き返り、です。

私たちにとってどのような意味を持っているのか、ご一緒に考えて見ましょう。

                     

ここには百人隊長・ケンチュリオン(ギ、エカトンタルケース)とその部下が登場します。隊長の部下といえば、多くは兵卒です。ギリシャ語原文ではドゥーロスとあるので下僕、奴隷と言ったほうが分かりやすいかもしれない。

百人隊長は、当時の世界で最強を謳われたローマの軍団の要役である。ケンチュリオンは、百人の兵士の中から、兵士によって選ばれたものです。百人隊の実数は80

 

職業軍隊の時代に絞って考察する。80人からなる百人隊を指揮したのが百人隊長(ケントゥリオー)であり、それを補佐したのが副官(オブティオー)と騎手(シグニフェル)、連絡士官(テッセラーリウス)であり、彼らはひとまとめで幹部下士官(プリンキパーレス)の名で知られた。その他にも、多くの補佐職が存在した。

 百人隊長は、一つの特定の階級と言うよりは、むしろ士官の等級ないしタイプの一つと理解した方が良い。第一歩兵隊の百人隊長は、他の軍団の百人隊長よりも高い地位にあった。軍団の残り9人の百人隊長間の関係は、それほど明らかではない。しかし、一個歩兵隊を構成する6個百人隊の百人隊長はそれぞれ異なる称号を持っていた。

 

現代の、大学や士官学校を卒業して任命される者とは、全く違う。兵士が、自分たちの命を託し、戦闘に勝ち、しかも命を全うして満期除隊の日を迎えるように導いてくれる指揮官を自分たちで選びます。

その基準は、高度な戦争技術・戦闘力を持ち、誠実・公正で名誉を重んじ、勇敢で慎重さを併せ持つ豊かな人格であること

 

ベトナム戦争は、アメリカ国内に大きな悲しみをもたらした。国論が大きく二分されたことはひとつの理由。その戦役が、大尉の墓場と称されたことが、もうひとつの大きな理由だ。国内において、将来を嘱望される青年が、期待に応えようと考え、その第一歩を戦場に選んだ。能力を発揮し部隊を委ねられるようになる。中尉で小隊30人、大尉で中隊300人を統率。指揮官たるもの率先垂範。戦場では最前線に立つ。敵兵はそれを狙撃する。

 

戦場は、いつでも夢も希望もあり、能力も豊かな若手将校・兵士たちの墓場となった。妻や母親を初めとする多くの家族が悲しみの涙にくれた。戦争をするとはこういうことです。息子や夫・配偶者を失い、希望を失い、涙に咽び、終日過ごすことです。

 

この百卒長は、ユダヤ人の宗教生活のために、会堂を新築して寄進しています。ユダヤ人は、自分の家ではないのに、大変大きな負担を求められるのです。それを助けて会堂を寄進してくれた。こういう人を聖書は、敬神家と呼んでいます。ローマの偶像の神々よりも、ユダヤの唯一神信仰に真実を見出していたのでしょう。ユダヤ教徒になる儀礼は通過していないけれども、礼拝の参加し、信徒に求められる多くの規定を、十分に満たしている。

 

この隊長の部下が、病気で死にそうになった。部下とは言うものの、実は奴隷のこと。

それでも、奴隷と主人との関係がどのようなものであったかは分かりません。

 主人、所有者は、奴隷に対して生殺与奪の権を持ち、神のように振舞うことが出来た。

 奴隷は、労働の道具であって、所有主は、人間扱いすることはなかった。

 生産のための貴重な道具であり、主人はこれを大事にせざるを得なかった。

 奴隷制の時代、奴隷なしでは生活が成り立たなくなるので、保持することが大事だった。

   モーセのエジプト時代、ファラオは、奴隷の大量脱走を妨げようとする。

   奴隷解放が始まるのは、蒸気機関による生産機械の誕生があったからある。

 大切な道具を大事にし、可愛がるようなこともあった。

 

ローマ時代は、奴隷制時代。この隊長と奴隷の間には、信頼関係が成立していたらしい。

奴隷が、死にそうになったことで、この隊長が苦悩していることは、信仰仲間の間にも知られる。ユダヤの長老が、使いになって、イエスを招き、病気を治していただこうとする。

イエスは、この使者を通して事情を聞き、ただちに出かける。信仰仲間とは言っても、外国人、占領軍の指揮官の一人である。それでも出かけた。

 近くまで来たところで、隊長の友達が来て、隊長の言葉を伝える。

『おいでいただくには及びません。自分は、あなたを家にお入れする資格などありません。

ただお言葉を下されば、それで十分です。癒す権威をお持ちなのですから。』

 

 それに対し、ここまで来ているのにいまさら何を言うか、とか言って怒るようなことはされなかった。むしろ、『これほどの信仰を見たことがない』、と言って称賛された。百人隊長は、自分の命令が一旦発せられるや、必ず実行されることを知っている。言葉の権威。

それをそのままイエスの言葉に当てはめている。離れたところで、そのことを言ってくだされば、必ず癒される、と信じていた。それは実現・成就しました。

ユダヤ人に限らず、外国人にもまことの神の恵みは与えられる、ということが示されます。

 

使徒言行録10章、シモン・ペトロが迷いつつ、聖霊に後押しされて百人隊長の家に入り、教え、洗礼を授け、異邦人と共にパンを裂く。宣教が、その言葉を異邦人の世界にもたらす時が来る。

 

百人隊長の出来事は、イエスがカファルナウムに入られた後のことでした。百人隊長の家がどこにあったかは不明です。同じ町であったか、その外にあったか、判りません。

時間の経過も、時計を持たない時代の人は、大雑把で十分だったでしょう。

 

 間もなく、イエスはナインの町へ行かれます。ナインという名の町は、さっぱり分からない。多くの人々が一緒に動いているので、余り遠いところではなかろう、と考えられています。たぶん、ナザレの南東にあった町の古代名だろう、と推測されています。カファルナウムのあるガリラヤ湖沿岸地帯から、故郷であるナザレ一帯は、主イエスが良く活動されたところのようです。

 町の門に近づくと、ちょうど一人の息子の棺が、担ぎ出されるところに出会います。

ユダヤでは、最も貧しい人でも葬列に泣き女一人、笛吹き二人を求める権利があったそうです。亡骸は、担ぎ台に乗せて運ばれます。家族や友人たちが担ぎます。

一人息子、母親はやもめ、年齢など、何も伝えられません。これを書いているルカにとっては、不必要なことでした。やもめの母親にとって、息子の死は、最後の希望を取り去られることであった。ことによると、彼女の生計の唯一の支え手でもあった、かも知れない。

棺を担ぐ人たちはいるが、親戚の者たちのことは語られていない。孤独さが身に沁みる。

親が子どもを埋葬すると言う、自然の摂理の逆転に伴う悲嘆は、子が親を葬ることとは比べ物にならない。

 

 厚別でも、結婚式を控えた女性が行方不明となり、遺体となって発見され、葬儀が行われました。ほかにもいくつも起きています。かつて、戦争があった頃、多くの男たちが戦場で命を落としました。遺族は、父親、母親たちは立派に振舞いました。「息子は国のため戦いました。天皇陛下万歳」などと語ることが立派な振る舞いでした。その陰でどれほど多くの涙が、人知れず流されたことでしょうか。

 

 イエスは、この母親を見て、「憐れに思い、『もう泣かなくてよい』と言われ」ました。

この憐れに思い、という言葉は、ギリシャ語ではスプラングクニゾマイとなっています。

心臓、肝臓、肺などの内臓器官を指す名詞が元になります。内臓は、人間の深い感情の宿るところ、と考えられ、やさしい思いやり、切なる憐れみ、同情、熱愛などを表すものとなりました。表面的なものとは違う、深い心の動きに対して用いられます。このところでは、悲しむ母親、愛する者を失い、独りぼっちになってしまったやもめの心情を共有するイエスの心を感じさせられます。

 

主は、この母親には『もう泣かなくともよい』と言われ、棺に手をかけ「若者よ、起きなさい」と言われました。棺も国や時代によってずいぶん違いがあるようです。この棺は、日本で馴染み深い木製の桶や箱ではなく、柳の枝を編んだものだったろうと言われます。そこで起きたことは、まさに奇跡です。離れた所から百人隊長の僕を癒したのと同じイエスの言葉(7節)が、ここでは死者を生き返らせる力を持ち、それが発揮されているのです。失われた息子を、その母親の手にお返しくださいました。母親の涙をぬぐってくださいました。

 

異教徒、外国人に対して、イエスはその憐れみを向けられました。

彼らの信仰を、公平にご覧になって評価され、それを受け入れられました。

孤独なやもめの悲しみを共有されました。

失われた命を回復されました。

今私たちは、主イエスを悲しみのときの慰め手として見出すことが出来ます。

喜びの日にも、共に喜んでくださる方として見出すことでしょう。

主イエスの憐れみは、私たちの苦しみ、悲しみ、喜びをもっとも深いところで分かち合うことです。感謝して祈ります。