2014年7月27日日曜日

十二人の派遣

[聖書]ルカ9117
[讃美歌21]361,464,403、
[交読詩編]119:129~136、

 二十四節気では大暑、七十二候では「桐始結花」きり はじめて はなをむすぶ、となります。本州の梅雨が明け、全国的に熱中症が発生しています。かつて東京オリンピックの頃は、同じように暑い日が続きました。それでも、熱中症の多発などは見られなかった、と記憶します。空調設備なども少なかったころのことです。暑さのレベルが違ってきたこともあるでしょう。人間の耐久力が変化してきた、こともあるでしょう。

多くの方々と同様、私も、ほぼ毎月クリニックへ行きます。いつも、水分補給が少ない、熱中症になるレベルぎりぎり、と言われます。それが普通の生活スタイル、と思っています。変える気もありません。札幌にも本格的な夏がやってきました。木曜、20時前ごろ、東側の道路に救急車が駐車、230分ほどしてサイレンを鳴らしながら南へ向かいました。

乗って行ったのは、私ではありません。でも、いつか自分の番が回ってくるようです。

皆様も、どうぞお気を付けください。

本日の聖書は、9117、十二人の派遣、ヘロデの戸惑い、そして五千人への給食、この三つの出来事が記されています。

実は、長過ぎました。6節まででやめておけば良かった、と後悔しています。

口語訳「それからイエスは十二弟子を呼び集めて、彼らにすべての悪霊を制し、病気をいやす力と権威とをお授けになった。また神の国を宣べ伝え、かつ病気をなおすためにつかわして言われた、『旅のために何も携えるな。つえも袋もパンも銭も持たず、また下着も二枚は持つな。また、どこかの家にはいったら、そこに留まっておれ。そしてそこから出かけることにしなさい。だれもあなたがたを迎えるものがいなかったら、その町を出て行くとき、彼らに対する抗議のしるしに、足からちりを払い落しなさい』。弟子たちは出て行って、村々を巡り歩き、いたる所で福音を宣べ伝え、また病気をいやした。」

And went from village to village,

preaching the gospel and healing people everywhere.KJV

 

英語聖書では、Preaching and healing, 宣教と癒し、人間の魂と肉体の問題です。霊肉は切り離されがたいものと考えられているため、このように一対のものとされるのです。

永遠の問題は、今ここにおいて、今の時の問題として始まっているのです。

主イエスは先ず、その弟子たち12人を、神の国を宣べ伝え、病気を癒すためにつまり、人間を全人格として、物心両面から救済するために遣わされました。

 

12人を呼び寄せられたことは、ルカ612に語られています。

「そのころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈って夜を明かされた。朝になると弟子たちを呼び集め、その中から十二人を選んで使徒と名付けられた。

それは、イエスがペトロと名付けられたシモン、その兄弟アンデレ、そして、ヤコブ、ヨハネ、フィリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルファイの子ヤコブ、熱心党と呼ばれたシモン、ヤコブの子ユダ、それに後に裏切り者となったイスカリオテのユダである。」

 

ここでは、お招きになった12人が何をするのか、明確ではありません。

それを知るには、マルコ31315をお読みいただきましょう。

「イエスが山に登って、これと思う人々を呼び寄せられると、彼らはそばに集まって来た。そこで、十二人を任命し、使徒と名付けられた。彼らを自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ悪霊を追い出す権能を持たせるためであった」(マルコ3:13-15)。

 

12人の派遣は、弟子の訓練が、完成ではないが、ある程度出来上がったことです。それでもなお、力を与えられた、とあること心が引かれます。召されて、御旨に従い働く者には、必要な力が備えられる、ということです。希望がわきます。

以下、クラドックp203の書くものを要約します。20年以上前、木下順次牧師は、クラドックの名を挙げられた。翻訳が出る前で、原書を読まれていたのだ。先生は、確か旭川の出身。日本基督教会。

「準備段階にあった12人が、実際に使徒「遣わされた人々」になります。

この任務のために、彼らには権威と力が与えられます。

彼らの任務は、悪霊払いと癒しと神の国の告知である。

到来する神の国を力に満ちた行為によって示す。

二人ずつ組になって行く(マルコ67)のではなく、七十人のとき(10112)までそれを取っておく。」

 

ルカは、後の時代の教会が、必ずしも伝道者を二人一組にして派遣できなかった状況を知っていたのでしょう。現代の教会も同じ状況にあります。教会が小さいために一人しか招聘できないこともありました。奥さんは教職であっても、学校で働いていただきたい、というケースもありました。ホーリネスなどは、教職同士の結婚を推進し、二人一組の派遣を実現しています。また、外国宣教においては、カップルでの派遣を採用する団体が多いようです。長短があり、どちらかを絶対化することは出来ません。

 

出発に当たって、イエスは驚くべきことを言われます。ユダヤ人は、出かけるときには、杖と袋を必ず持ちました。パンや金、着替えなどが入っていたかもしれません。家を出たらば、何が起こるかわからない、不時に備えるのが当然でした。現代でも用心深い人は、十全の準備をし、何事が起きても大丈夫なようにしました。私も学生の頃まで奏しました。そのうちに、何か起きても現金で買うことが出来る、補充できる、と考えるようになりました。金と物に対する信頼感でしょうか。この頃は薄れてきて、元に戻っています。

主は、「まさか・万一」のための安全装備をせずに出かけて行くことを求め、教えられます。そこで、神に対する彼らの信仰や、人々のもてなしに対する信頼の度合いが明らかになる。

   

このことに関して、私の尊敬する先生が、こんなことを言われました。

「我々が、力を与えられているにもかかわらず、それを用いて備えをすることもせずにいるなら、それは怠惰と言うべきだ。会堂建築も、自助努力よりも、全国募金に頼ることを重んじる考えが強くなる傾向がある。それが連帯だ、と主張する。自分たちでできる限りの準備をし、計画の見直しもして、その上で考えることだろう。そもそも減価償却によって資金を積み立てておくべきだ。」

私は、この考えに賛同しています。ある任地の会堂・園舎建築のために、できるだけの積

み立てをしておきました。残念なことに後任牧師は、全国募金を二回もされました。そう

して建てることが出来たのですから、教会の人たちは喜んでいるでしょう。

 

5節には、私たちとは違った習慣が記されます。

ラビは、異教の土地を旅したのち、パレスチナに入るときには、足についた異郷のちりを最後の一粒まで徹底的に払い落としたそうです。弟子たちの活動を受け入れない町があれば、その町との関係を断ち切ることを態度で示しなさい、ということのようです。これは、後の教会の、現実のために書き記されたもの、と学者は推測します。宣教が困難な町、或いは団体、個人があります。それとの関係を絶つことが許される、ということです。

 

帰ってきた弟子たちを迎えて、主は彼らと共にベトサイダへ退かれます。

5000人への供食は、イエスが語り始める(1822)ご自分の死について、読者が耳を傾ける準備をさせるものです。イエスはベトサイダに退きました。ここは、ヨハネによれば(ヨハネ144)ペトロやアンデレ、フィリポの故郷。退いた理由は、民衆の賞賛の底にある誘惑を避けるため、また、祈りと回復のためであろう。然し、群衆は、イエスに求めるものがあります。あとを追いました。主イエスは、彼らの求めを拒絶しません。応えます。

神の国を告げ、癒しを行います。

 

12人はイエスに、人々が宿や食べ物を見つけるために、近くの村へ行かせるように求めました。宿に言及するのは、ルカだけです。

彼らは、イエスの力の現われを見てきたのですが、それ以外のどのような必要にも対応できるのだ、とは思い至らないのです。この頃も、想像力が足りない、という言葉を聞きます。それとよく似ています。見た、聞いたこと以上のことの存在すら考えられないのです。

 

イエスは、五餅二魚を分配する前に、これらを祝福します。

ユダヤ人の諺 「感謝をささげずに何かを享受するのは、神から盗むも同然である。」

『コルチャック先生』、ポーランドのアンジェイ・ワイだ監督作品。一見の価値あり。

ワルシャワゲットーの狭い家、子どもの施設で、貧しい食事。それでも子どもたちと一緒に感謝をささげていた。苦難の中で、悲しみの中で、貧窮と病の只中で。

食事の祝福の言葉、「世の王なるわれらの神ヤハウェ、あなたに祝福あれ。

     地からパンを呼び起こされるあなたに祝福あれ。」

 

ここにその名が記されるヘロデはいったい何者か?

ガリラヤの領主であるヘロデ大王の息子ヘロデ・アンティパスであり、福音書の中で最も多く言及されるヘロデである。それは、ヨハネとイエスの宣教は彼の統治の間に行われたからである。統治の中心地はガリラヤ湖に面したティベリアスなのでイエスに関する報告が彼に届いたのは当然のことであった。

「ヘロデは、これらの出来事を全て聞いた。」

イエスは、政治的権威者の関心を引きました。

 

この活動の結果は、かなり大きなものだったようです。

いろいろな出来事が起こりました。ヘロデ王の反応はその一例です。

「いったいこの方はどなただろう。」825では、同じ言葉が、弟子たちから出ています。いまや、時の権力者ヘロデの口から出ています。

 

「いったいこの方はどなたなのだろう。命じれば風も波も従うではないか。」

実は、この問いに対しては、私たち一人ひとりが答えなければならないのです。

答えることが求められています。答えに必要な知恵と力は、求める方ご自身が与えて下さっています。「あなたこそ、私の救い主・キリストです」と答えてください。

 

 

 

 

 

 

 

〈書かれたものに対する疑念〉  ザマの会戦、第二次ポエニー戦役、 

ザマのあった位置は、カルタゴから徒歩で五日を要するところにあったという。

距離にすればカルタゴの西方約500kmばかりのところだ、ということになっている。

   服部伸六著『カルタゴ人』p.141

Proclamation、宣言、布告、声明、