2014年8月24日日曜日

行きなさい。あなたを派遣する

[聖書]ルカ9571012
[讃美歌]Ⅱ編144、讃美歌21;458,402、
[交読詩編]127:1~5、

 

 少年時代、父に連れられて秩父の長瀞で、キャンプをしたことがあります。戦後のバラック生活時代、あの頃、誰もそんなことは考えもしなかったでしょう。男の子四人が一緒だったのでしょう。川の砂利の上にテントを張りました。暗くなってから雨になりました。かなりの降り方、上流ではもっと降っている、と考えると怖くなりました。父は心配無用、と言いますが、心配性の私は、水際に印をつけてどのくらい水が増えるか調べることにしました。おかげで良く眠りました。

 広島の災害ニュースを見ながら60数年前のことを思い出していました。あの住宅地、せっかく自前の家を持ち、一人前に成れた、と喜んだことでしょう。一切を失い、ローンの支払いだけが残った。本当にお気の毒なことです。大勢の命も失われました。それに連なる多くの方々の悲しみがあります。戦争であれば、もっと多くの人が悲しみと苦しみを味わわせられます。総理大臣を始め政治家諸氏は、見ず、聞かずではなく、良くお考えいただきたいものです。

 

9511928は、多くの学者によって、ルカ特有の枠組みにある、と認められています。或いは、エルサレムへの旅路の出来事、と考えられています。然し、詳細に読み、調べてみると、地理的にはひとつの旅とは考えがたいことがわかります。サマリヤ、ガリラヤ、ベタニアなどが、順序も考えていないように現れます。神出鬼没、学者もお手上げです。

私達が考える旅行ではないようです。目的地へ向かう旅、其処へ到着すれば終了する旅。

そうでないとすれば、どのような旅路にイエスとその一行は踏み出したのでしょうか。地理的な旅と考えることを放棄すると、解りやすくなります。イエスは、エルサレムへ向かいます。道筋は変わります。行きつ戻りつ、という状態です。目指すのは十字架の死、受難です。そしてその旅路の先にあるのは、神の国です。

 母教会の講壇正面の壁面に『ヘッド オブ クライスト』と題された大きな絵の複製がかけられていました。牧師がアメリカで購入してきたものだそうです。斜め正面のキリスト半身像、秀でた額が光を発するように見えました。エルサレムへ向かって、決然進発するさまだ、との説明でした。ある時、立正佼成会の信徒さんたちが集団で見学に来ました。

玄関から、礼拝堂入り口の戸をあけてご案内しました。皆さんは、そこでいっせいに丁寧にお辞儀をされました。正面の複製画を見て、「教祖様ですね」と言われます。その説明は、牧師に任せました。

 

福音書記者ルカによれば、エルサレム行きに備えて、弟子達にどうしても教えなければならないことがありました。弟子は、師匠に倣う者、真似ぶ者、従う者です。生半可なことでは従うことはできません。世の中は、毀誉褒貶が相半ばするのが普通です。

 

9章の最後の部分には、主イエスに従う、と言う三人の人が現れます。その人たちは、教会の時代に現れる新しい弟子達の姿でしょう。安定した生活が営まれ、キリストに従うこともある程度の評価を得ている時代です。ルカの書いたエピソードは、当を得たものとして受け入れられます。95762、イエスに従う者が持つべき覚悟が語られます。

 

 最初の人は自主的、積極的に、「どこへでも従います」と言いました。主は言われます。

「狐には巣穴がある、鳥には巣がある。人の子には枕するところがない」。

動物や鳥類は何のために生きているのでしょうか。繁殖によって、自分の血筋を残すため。

多くの個体は、その使命を果たし終えて、その生涯を閉じます。鮭の一生は良く語られ、知られています。人間には、ずいぶん長い一生があります。その目的はなんでしょうか。血筋を残し、その安全を図るためではないだろうか。「10人の子ども達を育てるため、一生懸命働いたよ」と父が語ったことを思い出します。

イエスに従う者は、それを忘れなければなりません。私は、家を構えることを捨てました。それは、ほかの人に求めることではありません。人によって能力が違います。弟子として働き、結果として家を構えることが出来る者もいる。然し、自分には、それは許されていない。勿論、家内や、子ども達は、私とは別もの、別人格。

どこへでも従って行きます、と言った人も、家を構えることはできない、と聞いてやめたようです。安穏な生活は保障されない、と言うことです。

 

二番目の人、主イエスから招かれた。「わたしに従いなさい」。答えは条件付でした。

「まず、父を葬りに行かせてください」。有名な学者は、アラブ人青年の例を引いています。

この青年は、成績を評価され、奨学金を得て英国の雄牛か剣橋に留学することが認められました。その知らせに対し彼は、「父の埋葬を済ませたらお受けします」と答えました。当時、彼の父親は40歳だった、とのことです。

私自身、同様のことを考えた時がありました。九州の佐賀へ行かないか、一緒に働こう、と誘われたことがあります。岩槻をやめよう、と考えていた時期でした。両親は健在でしたが、高齢になっていました。何かあったとき、帰るのに時間がかかる、と考え、お断りした。内心忸怩たるものがありました。悔い改めました。

その後父が亡くなり、大阪へ。更に母も亡くなり、札幌へ。

 最近の傾向は、若い頃献身を志した人が、定年後、かつての献身の思いを実現する、ということでしょうか。大阪の教会で13年前、二人の人が神学校へ進みました。お一人は、一般企業の社員として働き、定年を前に退職。東神大を卒業、高知県の教会に赴任されました。もうお一方は、高等学校の校長を退職した人。聖書神学校へ。岡山県の教会に赴任されました。昨年、病気のため退任。また牧師として説教したい、と勉強しておられましたが、818日(月)夕刻、心筋梗塞のため逝去。人生の最後に、自分本来の仕事が出来て、お幸せでした。お二人とも若い日の思いの実現でした。

 

三番目の人は、もっと私達に近い。家族に暇乞いをしてから、と言います。別れの挨拶、と言うよりもその諒解を得てから、ということでしょう。家族は、一番理解し合える人の集団になり得るものです。然し現実には、一番期待が強くて、理解から遠いものになり得るのです。そんな筈じゃあなかった、となります。なかなか諒解を得ることが難しいものです。

 

主に従う、と言うことは、それに対して何らかの形で報奨が与えられるようなことではありません。勿論、栄誉が約束されることでもありません。或いは、生活の保障が与えられることでもありません。家族や親しい者たちが賛同してくれることですらないのです。

 

 10章では、ルカ福音書特有の報告が記されます。

KJVをはじめ英訳の多くは『70人』とします。RSVには、「古代の他の写本には『72人』としているものがある」との注があります。

 

101からは、72人を選び、伝道地へ先遣することが記されます。メシアの先駆です。

70は、モーセに助力するために選任された長老達の数(民数1116172425)であり、ユダヤの最高議会・サンヒドリンの議員数。7212×6

創世10章は、70の民族を数えています。この諸民族への宣教が意識されている、という可能性はあります。ただしヘブライ語テキストは70、ギリシャ語訳では72となっています。

 

二人ずつで派遣、二人を代理人とするユダヤの習慣で、正当な信頼が受けられます。

二人または三人の証人の口によって事を定める(申命1915、Ⅱコリント131)。全員一致の議決は認めない、のと同様、ユダヤ5000年の知恵の産物です。

 

102は、マタイ93738と一致します。文脈の違いから、イエスの視界は世界大に拡がり(ヨハネ435)、いたるところで収穫する働き人を待っています。然し、イエスは収穫のときが弟子達によって左右されるとは言っておられません。

 

70人に対する指示は、本質的には91以下で語られたことと同じです。より鋭くなっています。羊と狼の比喩によって、弟子達に迫っている苦難、危機に言及されます。

路傍で挨拶することの戒めがあります。東方世界では、こうした場合の作法があり、大変時間がかかるものです(王下429参照)。それらよりも大事なことがあるのだから、それを避けるように教えられます。

この戒めは、大筋で初代教会のディダケー『十二使徒の教訓』と合致するようです。

ちなみに、このディダケーでは、信徒は日に三度『主の祈り』を唱えることが教えられている、と言います。

 

 語るべきことは、相手の態度によっても変わることはありません。神の国の到来です。

 

 このところには、きわめて厳しい主イエスの教えが語られました。説教者は、いつでも優しい、そして強い、贖い主を示したい、語りたいものです。そうした人間的な思いは一挙に打ち砕かれます。更に、自分自身が自主自立の人間であることを示したいものです。然し、主が示されたことは違います。宣教者は、他の人々のもてなしに全面的に依存すべきである、とされました。ホスピタリティが用いられます。誇り高き自主自立の人格が、他に依存して生きるのは難しいことです。青年時代、ずいぶん注意されました。

私は、その矛盾を解決する道は、他に依存するように見えるが、それは主ご自身に自分自身をゆだねる、依存する、と考えることであろう、と推定しています。私達は、互いの中に、主イエスの姿を見出し、それぞれに与えられた使命を果たしつつ、共に生きて行くことが許されています。感謝して祈りましょう。