[讃美歌]200,358,502、
[交読詩編]43:1~5、
19世紀後半、ロシアの文豪トルストイは、マタイ5~7章、山上の垂訓さえ残れば、聖書の他の部分が全て失われても差し支えはない、と言ったそうです。彼の思想は、キリスト教(的)博愛主義と呼ばれます。広大な領地を受け継いだロシア貴族、伯爵は小作人・農奴と共に生きよう、と考えたようです。世界中から注目されました。日本でも、華族の一員である武者小路実篤さんが共感されて、二箇所に『新しき村』を造りました。日向と埼玉・毛呂山。既に九州は廃止されたようですが、埼玉は後背地東京の消費動向にマッチしたため、続いている、と現地の村人から聞きました。それから30年、どうしているでしょうか。自他共生の精神を守っているでしょう。しかし高齢化の波は、どのような世界にもやって来ます。生活の仕方を根底から変えなければならないのでしょう。
レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ1828年9月9日 - 1910年11月20日は、帝政ロシアの小説家、思想家である。ドストエフスキー、イワン・ツルゲーネフと並んで19世紀ロシア文学を代表する文豪。英語では名はレオとされる。
1905年、十月革命、戦艦ポチョムキン、9月日本に敗戦。 1906年、国会開設
1914年、第1次世界大戦に参戦(日露戦争は1904・明治37年2月~1905年9月)1917年、二月革命(ロシア革命)、ロマノフ王朝崩壊
代表作に『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』『復活』など。文学のみならず、政治・社会にも大きな影響を与えた。非暴力主義者としても知られる。
トルストイの時代背景がそのように言わせた、という面があるでしょう。帝政ロシアの末期、日本では維新前。西欧諸国は産業革命の結果、植民地獲得を競い合っていました。そうした中で、西欧列強は日本の開国を迫りました。対応次第では植民地となっていまし。
トルストイによれば、ルカ福音書は、山上の教え以外のものですから、すべて無価値であることになります。
ルカ福音書には、平原の説教と呼ばれるものがあります。6:17~49、
其処では、苦しみを受けている人々こそこの教えを聞く者であるとされます。
そして、イエスに従う者は、報復するのではなく、愛や赦しや寛大さという神の国の原理に従って、行動すべきことが語られます。トルストイに相応しいかな。
人は、多くの場合、徴を求めます。シンボル、サイン。隠されているものを指し示す明らかな印。これでもわかり難い。山を歩くと、生き物がいるしるしを見つけます。
丸くて黒いころころしたもの、ウサギや鹿の糞。鳥の羽などが、生き物のしるしです。海では、鳥に魚群の印を見る。目に見えないものは、その存在そのものを信じることができない。信じるためには、そのものが存在するしるしが欲しい。しるしがあれば信じます。
これが私たちの一般的な考えではないでしょうか。
Ⅰコリント1:22「ユダヤ人はしるしを求め、ギリシャ人は知恵を探しますが、私たちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。」これは伝道者パウロの言葉です。
人間に絶対はあり得ません。人は皆罪を犯します。
正しい人はいない。一人もいない。「義人なし、ひとりだになし」ローマ3:10。
「主は人の悪が地にはびこり、すべてその心に思い図ることが、いつも悪いことばかりである事を見られた。」創世記6:5。これは、おそらくJ資料です。
「時に世は神の前に乱れて、暴虐が地に満ちた。」創世記6:11
J資料は、ダビデ・ソロモンの時代のもの、と考えられています。この頃は紀元前10世紀、イスラエル王国は周辺諸国の弱体化に付け入るように勢力を拡大し、その繁栄を楽しんでいました。J資料の記者・編集者ヤハウェストは、繁栄するイスラエル王国の唯中に、唯一神ヤハウェ見出し、それをあの創世記に託して、書き綴りました。国土の拡張、財貨の獲得、眼を瞠(みはる)ような王宮や神殿の建築、精強な軍隊組織、交易のための商船隊、これらによってイスラエルは国運隆盛を喜び、誇りました。豊かな生活を楽しみ、自分たちの力を、知恵を、信仰を誇りました。
イスラエルは、紀元前10世紀に王国となりました。初代がサウル、二代ダビデ、三代目がその息子ソロモンです。サウルとダビデは、熱心な信仰者ですが、ある点で対照的でした。ダビデは、悔い改める罪人。サウルは、民衆の手前、格好をつけることを大事にした。その点が、サウル王との違いです。新約学者、吉祥寺教会牧師、東京神学大学学長も勤められた竹森満佐一先生が指摘しておられます。
自分の欲することは行わず、かえって自分の憎むことをしているからである。ロ-マ7:15
マタイ12:40では、ヨナが三日三晩、大きな魚の中で過ごしたことが、イエスの死と復活のしるしとされます。
ルカ福音書においては、ヨナの説教がしるし。ニネベの人々は悔い改めてヨナを受け入れ、南の女王はソロモンから知恵を受けました(王上10:1、代下9:1)。従って、ニネベの人々と南の女王はイエスの聴衆を裁くのである、と言われます。彼らはヨナよりも偉大な預言者を受け入れないのだから。ここの預言者、彼は、イエスを指しています。
彼は、ソロモンよりも賢い。私達は、この方の言葉をどのように聞くのでしょうかか?
シバの国が、どこにあったのかは、これまでに様々な説が考え出されてきた。シバの国は、南サウジアラビアのイエメン地方にあったとするもの、北アフリカのエチオピア地方にあったと主張するもの、または、中東のペルシア地方だとするもの、中には、シバの国は、コモロ諸島(マダガスカル島の西に位置する)にあったとする突拍子もない説まである。もともと、シバの女王など、実在せず、聖書の中の架空の人物で、多神教の女神の化身だという説まであるのだから、どこまでを信用してよい話なのか途方に暮れてしまうのである。
シバの女王が大量に持ってきたという瑪瑙(めのう)、エメラルド、琥珀などの宝石類は、主にアフリカ東部のエチオピアで採れ、南アラビアでは産出しないものである。しかし、乳香を産する高品質の乳香樹は、砂漠を隔てた東の国オマーンの山脈に自生するのである。こういった事実が、かつて、シバの国がどこにあったのか推測するのを曖昧にしてしまうのであろうか。
イエスは悔い改めるべき真理のしるし、福音のしるしなのです。ヨナの時には、罪の宣告と滅亡が予告されました。それを聞いたニネベの民は、罪を悔い改めました。そして、ヤハウェは、予告した滅亡を思い直されました。
悔い改める、メタノオー、心を変える、考えを変える、人生における考え方の根本をすっかり変える、目的・意図を変える;特にnous(心、知性、理性、カルディア)を働かせて神の意志を受け入れ、キリストを自分の生活の主として受け入れるという生活態度の根本における変更をなすこと。
33節以下は、マタイ福音書では、別々に存在していて関連のなかった三つの言葉が、ルカによって『光り』のイメージでまとめられています。
v33;マタイ5:15、v34~35;マタイ6:22,23、v36;マタイ
ニネベの人たちは、ヨナの説教を聴いて悔い改めました。聖書によって、礼拝を通してイエスと出会い、その言葉を聞いて私たちはどうしているでしょうか。唯一の神を信じる者となったでしょうか。何か他のものが、私の心の中で主座を占めていることはないでしょうか。自己中心な考え方、生活態度を根本から変えたでしょうか。
自分の正しさに固執し、知識と能力、地位と財産を誇りとしてはいないでしょうか。
ほかの人より自分のほうがまだましだ、と考えていませんか。
ほかの人が自分の言うとおりにしてくれることを、当たり前、と感じてはいませんか。
悔い改めた人は、その新しい生き方が光り、輝くようになります。