2014年10月26日日曜日

教会の伝統|創立50周年記念礼拝

[聖書]マタイ281620
[讃美歌]475、431、27
[交読文]46編1~12節


創立記念礼拝は、他の牧師にお任せして伝道集会にしたほうが良い、と考えていました。

しかし準備を担当した委員達は、主任者が説教するように、と言うことでまとまりました。

よい機会が与えられた、と感謝すべきでしょう。思い切って自分の考えをお話しすることにしました。とは言うものの、礼拝説教です。講演会ではありません。その制約の中で、お話させていただきます。

 

先ず、はじめに、エミール・ブルンナー(18891966年)のことをお話させていただきます。スイス出身の神学者、1942年にはチューリッヒ大学の学長になります。バルト、ブルトマン、ブルンナー、三Bと呼ばれることもあったようです。晩年、1953年から国際基督教大学で教えながら、日本の教会、とりわけ無教会を研究されました。その頃、ICUには神田盾夫教授、早稲田大学には酒枝義旗教授が居られ、いずれも無教会派でした。お二人がよい案内役になったようです。研究の成果はいろいろあったようです。無教会を高く評価された、と伺っています。病を得て、1955年帰国されました。

チユーリッヒ近郊の街ヴィンタートゥールで生まれる。チューリッヒ、ベルリン、さらにニューヨークのユニオン神学校で学ぶ。

8年間の牧会生活の後、1924年からチューリヒ大学神学部で組織神学、実践神学の教授を務める。また、1942年から1944年にかけては、同大学総長も務める。

キリスト教の布教の不徹底が日本におけるファシズムの勃興の一因だったと考えて日本に赴き、1953年から国際基督教大学の教壇に立つ。そして日本で無教会主義の影響を受けた。本人は永住も覚悟した日本移住だったが、健康を損ねてしまったため、1955年に帰国した。

その後、病のために自らペンをとる力を失いながらも、テープレコーダーを用いながら著述を続ける。

1966年、死去。

 

成果のひとつに数えられているものの一つが、『教会の誤解』と題された書物です。酒枝教授が翻訳されました。待震堂から、1955年出版され、1983年には第三版が出されています。キリスト教書としては売れたし、読まれたほうです。話題に上がることは少ないようですので、大学のテキスト、副読書などに挙げられたのかもしれません。題に惹かれて読み始めました。途中で放り出しました。それでも一文が記憶に残っています。

「すべての教会は、常に形成途上にある。あれこそ教会、これが教会というようなものは存在しない。」

この文章に出会ったから、満足して放り出したのかもしれません。

教会のあるべき姿を求め、それを基準として、自分たちの教会を測り、目指す形を思い定めようとする、こうした伝統的教会像を峻拒された、と感じます。

 

ブルンナーの次の世代の説教者、聖書学者クラドックは、次のように書きました。

私が、神学校卒業後、長年教えていただいた木下順治先生は、クラドックの著書をよく引用されました。ルカ113754の註解(1990年)、2634p

「イエスは、制度化された宗教に非難を浴びせかけるようなアウトサイダーではありません。むしろ彼は、自己を絶対の存在としてしまった宗教に対して、鋭い批判を行う者です。

その宗教は、命のために与えられた原理を、息苦しさと審決をもたらす規則へと硬化させ、敬虔さを計量化し、その本質を失い、要するに自己批判能力を失ってしまっているのです。不断に自己を向上させ、自らを正すということをしないと、あらゆる宗教の構造は、偶像崇拝へと堕落してしまいます。」伝統墨守は偶像崇拝につながる、と言う指摘です。

 

クラドックは、更に語り継ぎます(同書3867p、ルカ20919)。

「実際、かつて世界の中でヨーロッパやアメリカにとって宣教の対象地だと思われていた場所があったわけだが、今やその地の教会は生き生きとして強くなり、一方西洋の教会は確立されており恵まれはしたが、死んだ状態にあるのであって、その二つは遺憾ながら対照的な様相を呈しているのである。」

この書の翻訳者は、続けて記します(訳者あとがき、宮本あかり)。

「果たして日本の教会の実情はいかなるものであろうか。」

教会は、無意識のまま、自らを偶像とするようになります。

 

それでは、教会の伝統とは一体なんでしょうか。

一般的に伝統とは、あるものを他に伝える,または与えることで,一般に思想,芸術,社会的慣習,技術などの人類の文化の様式や態度のうちで,歴史を通じて後代に伝えられ,受継がれて行くものを言います。またある個人または集団,時代などの特性が受継がれていく場合を言うこともあります。

 

私たちにとってそれは、マタイの宣教命令です。ウェスレーも、この言葉によって自らを奮い立たせました。奮い立たせられた、と言うべきでしょう。彼は、長い間、国教会の教職として歩み続けました。他の教派を作り上げる気持ちはなかった、と伝えられます。止むを得ざる仕儀で、教派教会を立てることになりました。

いつもその根底にあるのは、全ての者が救われることでした。世界はわが教区なり。

威張るのではなく、責任を感じていたのです。

 

メソジストな生き方、几帳面と言うことです。四角四面、でしょうか?

几帳面とは、生真面目で、神経質で、細々したことも完璧にやる人の事を言う、と辞書に

あります。神経質は余分です。生真面目も不要。おおらかな几帳面もあります。

几帳面は、細部にわたり、眼が届き、定められ、求められていることに応える、優れた資

質、と私には考えられます。そういう人は、信頼されるのでうらやましく感じます。

自分は、余り几帳面ではなく、むしろルーズなほうだろう、と感じます。

 

伝統は、目標にすべきものではありません。伝統墨守となります。

これまでの伝統は、新しい伝統を生み出す出発点と考えるものです。

メソジスト・ウェスレーの大前提は聖書、マタイ福音書の大宣教命令でした。

不断に自己を向上させ、自らを正すためには、絶えず聖書に帰る事が必要です。

このことを忘れると、自らの能力や経歴、地位そして思想を絶対不動のものと考え、偶像崇拝になって行きます。ウェスレーがその出発点としたもの、目指したものを、私たちも几帳面に出発点とし、新しい伝統を目指して進みましょう。