2015年7月26日日曜日

苦難の共同体

[聖書]Ⅰペトロ31322
[讃美歌]210,289,530、
[交読詩編]13:2~6、

埼玉の教会の長老が、病のため左半身不自由となり、もはや単身生活は無理、と判断されました。帯広にいる息子が近くにある施設にお願いして、新しい生活が始められました。
海の日に、わざわざ此処までお尋ねくださいました。互いに良く知り、理解してきました。入る時に立ち止まり、玄関の看板を見ておられました。礼拝堂に座り、話していると、先生はあの言葉がお好きでした、と言われポロッとなみだ。この方は、肺がんを患い、お連れ合いを天に送り、我が家を離れて、教会からも離れて、知らぬ土地で暮らさねばならない。何故このような苦しみが、自分に降りかかってくるのか。

多くの人がその人生で、繰り返し呟いたのではなかろうか。
   何故よりによって自分がこんなことを受けねばならないのだ
クリスチャンホームに生まれ、教会学校教師や青年指導に手腕があったひとりの信徒は、40台でお連れ合いを天に送った。新築の家には、未成年の子供四人が残された。私たちは、これほど良く奉仕してきた人に、神さまは少々手荒に過ぎませんか、と語り合ったものです。当人は、やるせない胸のうちを『こんなことありかよ』と表現しました。
苦難はまだ続きました。バブルがはじけて事業は傾き、家は担保として銀行に取られ、家族はバラバラ。思い切って転職しました。

お二人とも、私と同年輩。もうお一人同年輩の長老は、日ごろから水泳をなさったりして、健康な生活を楽しんでいました。数年前、病を得て生活を変えざるを得なくなりました。
お三方とも不如意であり、苦難の生活になりました。同じような苦しみを経験していますが、それで苦難の共同体になった、生まれた、とは言いません。同病相哀れむ、と言うべきでしょう。これはとても大事なことです。病や苦しみ、悩みの中で、人は容易に孤独になります。自分だけが苦しんでいる、誰も理解してくれない、この孤独感は、その人をもっと深く悪い状態へと引きずって行きます。ですから、同病相哀れむでも、傷をなめあうでも、良いのです。絆を深め、支えあうことが大事です。

ネットで検索したら、2007729日神山教会で持田、ルカ95162
玉出教会で柴田昭牧師、Ⅰペトロ31322、《苦難の共同体》がわかりました。
説教は、私のものだけですが。思い出します。内容ではなく、神山教会でこの説教題を用いる心苦しさ、があったことです。神山教会は、ハンセン病療養所にある患者と職員の教会。その後教団の教会となり、外部の人も会員となれるようになりました。
御殿場教会に就任した1981年から、大阪を去る2010年度末まで、おおよそ30年間、神山教会で説教を続けさせていただきました。そうすることで、少しでも、あの教会の群れに、苦難の共同体に近づきたい、と願ったからです。経験が違う、共通の経験がないのだから難しいことは承知しています。教会の方たちが受け入れることで少しずつ実現して行きました。苦難の共同体は、その故に慰めと希望の共同体になることが出来ます。


共同体とは何か。埼玉にいた頃、30年前は新しい言葉であって、余りよく知られていないようです。
ひとつのものを共に抱いている地域の集団、と言えると考えてきました。
慰めの共同体、希望の共同体、祈りの共同体、より具体的に言えば
鮭・鱒資源保護の共同体、昆布漁師の共同体、同態報復法の共同体、通貨共同体などいくらでもあげることが出来そうです。目標を共有する地域の集団。

さて、聖書日課を読みましょう。
Ⅰペトロ31322、正しいことのために苦しむ、と小見出しにあります。
この直前2125には、キリストが苦しまれたことを書き記しています。
神が望まれることのために苦しみ、それを耐え忍び、私たちの罪を担ってくださった。
『キリストもあなた方のために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残されたからです。』
『あなた方は羊のようにさまよっていましたが、今は、魂の牧者であり、監督者である方のところへ戻って来たのです。』

それに続いて、妻と夫の生き方、考え方を語ります。
ペトロは、キリストの働きを語り、ついでキリストを信じる者の生き方を語ります。
信仰者は、祝福を受け継ぐために召された者たちです。心の中でキリストを主とあがめて生活すべきです。キリストに結ばれた者の良い生活は、悪を行って苦しむよりも良いものです。正しい方、キリストも正しくない者たちの罪のために苦しまれました。人々を神のもとへ導くためです。
御心によって、正しいことのために、正しい者が苦しむなら、神はそれを承認し、祝福を与えられるでしょう。ここにこそ苦難の共同体があります。

列王上19:(18921、(ローマ114
ユダのアハブ王とその妃イゼベル(王上1629以下)の時代、いわゆる宗教戦争が行われていました。イゼベルが自分の祖国シドンの神々バアルとアシュラを礼拝し、イスラエルの神ヤハウェの礼拝者、預言者を迫害しました。ヤハウェの預言者として知られるのがエリヤです。孤軍奮闘、ついに自分ひとりになってしまった、と考え絶望的になります。イゼベルがエリヤを殺そうとしていることも判りました。エリヤはベエルシバへ逃れます。そこで、荒野のれだまの木の下で、「今私の命を取ってください」と祈りました。それは許されません。パン一個と一ビンの水を与えられます。それは、遠くまで旅するためのものでした。彼にとって、此処から行くべきところは、神の山ホレブしかありません。四十日四十夜旅を続け、ホレブに到着します。洞窟でエリヤに与えられた言葉は、ユダに帰って戦え、というものでした。エリヤは、自分はたった一人になってしまいました、と訴えます。そこでヤハウェは、ご自分の預言者エリヤのために、バアルに膝を屈しない者、バアルに口付けしない者7000人を残して置いた、と言われます。ヤハウェに忠信な者は自分だけだ、とエリヤは思っていました。その彼を力づけるために7000人が備えられました。
仲間が作られていたのです。残りの者7000人は、主自ら整えてくださった者たちです。
今の苦しい状況の中で共に戦うように備えてくださった同労者です。祈りを共にする者です。同じ目当てを抱く仲間です。共同体のメンバーがいました
異教国日本において主キリストを信じ、これを証言する私たちにとっても実に教訓と激励に満ちた言葉です。
神は全てを知り、すべてを備えておられます。恐れることはありません。


ルカ9:51~62、
イエスの一行は、エルサレムに向かっていました。途中のサマリア人たちは歓迎しませんでした。エルサレムのユダの人たちは、サマリアの人たちを軽蔑し、拒絶していました。
そのことを私たちは、ルカ10章「良いサマリア人」の譬えによって繰り返し学んできました。対立する一組があれば、その人々の感情は殆ど同じ程度のものになっているはずです。
そして、多くの場合聞こえてきます。「彼らが我々を拒絶するから我々も拒絶する。
彼らが我々を侮蔑するから我々も彼らを侮蔑する。彼らが我々を憎み、嫌悪するから我々も彼らを憎み、嫌悪するのです。」
相手が悪いから、と聞こえます。人間関係は、決してそうではありません。多くの場合、相互的なものです。一方に生まれた悪感情が、相手に伝わり、増幅されて帰ってくる、ということが多いのです。勿論、感度の鈍さ、鋭さの問題はあります。

イエスの一行は、「エルサレムを目指して進んでいたからである」と書かれています。
サマリア人にとっては、エルサレム神殿へ行く者は敵の仲間、ということだったでしょう。
伝え聞く噂では、ナザレのイエスは神の子か預言者か、と言うほどに高く評価されています。サマリア人も期待しました。しかし、エルサレムへ行く、と言います。裏切り、と感じたかもしれません。期待が高いほど裏切られた衝撃も大きく感じられます。ヤコブとヨハネの激しい怒りはそうしたことを感じさせます。
道を進んだ頃、いくつかの出会いがあり、弟子となるためには、覚悟が必要である、と諭されます。何処へでも、と言う人には、人の子には枕するところがない、と言われました。キツネや鳥には巣があるものです。
ある人には、「わたしに従いなさい」。その人は、「まず父を葬りに行かせてください。」と応えました。25年くらい、ずいぶん前のことです。佐賀県へ赴任する牧師が、周囲に無牧の教会が幾つかある。一緒に行って、共同牧会しませんか、と誘われた。考えたけれど、受けられなかった。父が弱っていた頃だった、とおもう。何か起こったときすぐに行くのが難しいから。今でも・・・考える。
あの時、献身の考えを緩めたなあ、と。でもそのお陰で、父は在職中の教会を尋ねてくることが出来た。礼拝にも出席し、肯いていたっけ。最初で最後。少しは安心しただろうか。

聖書的な苦難の共同体は、キリストの苦しみに、共に与るところに存在します。
他の人のための苦しみ。自分の失敗の故ではなく。自己を誇るためでもなく。救いに招くための苦しみを共有する共同体。
一番気を付けなければならないのは、人間的な野心でしょう。大げさに言わなくてもあります。たいへん有能な人で、何をやってもうまくやる。いつでもそれを他の人に認めさせたい。それが勝利を求めることになります。これなら誰もが認めるだろう。連戦連勝。向かうところ敵なし。そして豪語する。神には勝てないが、そのほか全てに勝ったぞー。
認められなくてもよろしいのです。主が認めてくださっているのですから。
このキリストのみ旨に適う苦難の共同体の一人になることが出来ます。そして、慰めと希望の共同体になることが出来ます。大胆に進もうではありませんか。